「なあ、俺は頭ばっかり良くっても仕方ないって言ってるだろう」

私室でお気に入りのブウサギ二匹を愛でながら、床に散らばった書類を拾っては捨て、拾っては捨てている幼馴染に声を掛ける。

「何です、突然」

返答は現皇帝に向けるにしては大変失礼極まりない程大変不機嫌丸出しで(それはそうだ、彼は今現在皇帝の最悪に汚い私室で自分のところに届くはずだった書類を捜している)、かなりそっけない。

だが、今更彼のそんな態度ごときで怯む性格でもなければ怒るほど短気でもない。むしろ、他の対応をされた方が驚く。というか心配する。

ブウサキたちを膝の上に置いたまま、ソファの背凭れに寄り掛かり背筋を伸ばすように両肘を乗せ、ふう、と息を吐き出した。

「言っちまえよ」

「何をですか」

「言っちまえ。いい加減認めて」

推測や憶測を簡単に口にしたくない。

いつもそんなことを言うが、ピオニーにしてみれば、逃げ口上みたいなものだ。

特に、このことに関しては。

ジェイドが他よりも絶対的に優位な位置にいたとしても、誰よりも彼のことを理解しているのだと思っていたとしても、そんなものが通らないのが、この感情。

捩じ伏せて見ない振りをするのも手では在るが、だからといって無視も出来ないものなのだ。厄介なことに。

「そんなことだからお前、いつも後手に回るんだよ」

後手に回っていいのは、後で取り返しが付く時だけなんだぜ。

そうピオニーの発した言葉に、ピクリとジェイドの肩が僅かに揺れた。

それが判ったのは長い付き合いのなせる業か。

どうせ手に入らなくても構わない、なんて思っているのだろう。

心の奥底では、飢えているくせに。

他人の手に渡るくらいなら、いっそ殺せてしまいそうなほどに。

そして手に入ったとしても、愛しむが故に殺してしまえそうなほどに。

そんな自分の狂気を知っているからか、この男はそのこころの奥底まで他人を入らせたことはないし、そこまで踏み込める存在などあのネビリム以外に居なかった。

――つまり、彼の中で掛け替えのない存在は一度失われていて、今度もまた失うことなど耐えられないから、踏み込もうとする相手を拒否し突き放し、そして自身も近寄ろうとはしないのだろう。

彼は怖いのだ。そして恐ろしいのだ。己の所為で愛を信頼をぬくもりを失うことが。

それならば何も言わずいつもの通り厭味だけを口にし、時に揶揄って怒らせて。

てのひらで扱える程度の関係でいいと思っているのだ。

「お前はそういうスタイルだと知ってるが、つくづく馬鹿だよなあ。人間には無関心でいられない感情があること、いい加減覚えろよ」

甘い甘い砂糖菓子すら与えることも出来ない。

自分のした仕打ちを思い出し、更には常と違うことをして、あの幼い子供にそれを拒否をされたと想像すると、何と恐ろしいことに(そして残念なことに)怖くて仕方がないのだ、この男は。

何て不器用で可哀想なんだ!

そう思うと、ピオニーの口からはどれだけ堪えても笑いしか出てこない。

「何てこったジェイド・カーティス!その胡散臭い笑顔と眼差し一つであらゆる女を百発百中落として来たお前が!まさか恥ずかしいってのか?それとも怖いのか?嘘を嘘とも悟らせずに口説けるお前が?」

「陛下……」

揶揄う言葉に顔を隠すように右手で額を押さえて吐き出すため息は、呆れをとうに通り越している。

「じゃあ、ほらこのルークで練習してみろよ」

傍らに居た赤毛のブウサギを両手で抱えて、ジェイドに正面を向ける。

それを視界に入れることになったジェイドは、あからさまに、大げさに深く深くため息を吐いて。

「……仕事をサボってダラダラしすぎてネジが幾つか跳びましたか陛下」

僅かに怒りを込めた声でそう、告げた。

ああ、揺れている。揺れているのを怒りという感情で誤魔化そうとしている。

それが判ってにやりと思わず顔が笑む。

理性で押さえつけられない感情は、無意識に口からいつでも飛び出す準備をしているのだ。

「口にして、漸く判る感情ってのもあるんだぜ、ジェイド」

ほら、言えよ。

いつもの不敵な笑顔でジェイドの言葉を促してみせた。

腕の中のブウサギは、時々身動ぎしながら解放を待っている。

「ジェーイ、恥ずかしがらずに、とっとと言っちまえ。好きだって」

「ピオニー…」

「何があったって愛してるって言ってみろ」

顔は笑っているだろうが、視線には力を込める。

お前を揶揄いたいんじゃない。

――少しでも早く、そして少しでも長く、しあわせになって欲しいんだよ。

そのためには。

「なあ、お前こそ変わるべきなんじゃないか、ジェイ?あの子の時間は待ってはくれない。どんどんお前から奪っていくばっかりだ」

「……、」

ブーブー鳴くブウサギルークを挟んで、30歳もとうに超えた男二人が無言で見詰め合う。
といっても片方はメガネを押さえる仕草の向こうで酷く戸惑っていて、片方はその彼が失って久しい初々しい反応に、にやにやと告白の言葉を強請っている。

長い長い沈黙の後、ジェイドが珍しく何度か躊躇いながら唇を震わせ(その仕草は幼い頃に何度か見ていた、ジェイドのこころに作られている頑丈な理性という名の何十もの枷を、ピオニーの言葉が解除成功した時と同じものだ)何か言葉を紡ごうとした瞬間。

「……なあ、さっきから何してるんだ、二人とも?」

ルークの静かな問いが、ピオニー・ウパラ・マルクト9世の私室に響いた。

end.