白い世界に横たわる朱金。

月の光を浴びて光を放つセレニアの花が群生する場所で、白い体を丸めてまるでこれから生まれる赤子のような姿で眠っていた。

ざああ、と花畑を揺らす海から来る風は冷たく、だからこそ眼を覚まさない彼を不思議に思う。その体を包むかのように伸びた朱金の髪が風に舞い、さらさらと音を立てる。

「……お前、こんなところにいたのか」

ここは最後に二人が別れた場所に似ていた。

最後に別れたのはローレライの懐でもあり、オリジナルでもないレプリカでもない、『ルーク・フォン・ファブレ』の深層意識でもあった場所。

足元を覆う柔らかい草の感触、花の匂い、風も無いのに舞い散る花びら。

昼か夜かも判らない白い空。

そこで彼は笑って自分だけをこの世界に還した。――還そうとした。

――ごめん。俺、やっとお前にちゃんと謝れる。全部返すことが出来る。

そんな言葉を本当に幸せそうに微笑みながら言う。

そんなもの、もう要らないというのに。

全部、お前のものだというのに。

――俺はここで、ローレライと一緒に居るって、皆に伝えてくれたら嬉しい。

あんなに死にたくないと叫んでいた強い感情はどこに消えたのか、まるで諦めてしまったかのように凪いだ声音に瞬間的に頭に血が上る。

何を馬鹿なことをこの屑が!、と怒鳴りつければ、解放感からか、それとも何かを成し遂げた達成感からか。

――屑って言うけど、そしたら完全同位体のお前だってそうなんだからな!

あのウザい程の卑屈さは引っ込んで、些か強気の返事が返って来たことに、僅かに驚いたのだが。

それよりも言い切った彼からほろりと涙が零れたことの方に更に酷く驚いてしまった。

驚いたあまりに、悪態どころか二の句が継げられず、漸く我に返って何を泣いているのだと訊けば、わかんねぇ、と子供が絞り出すような声で返って来る。

自分の片割れであるレプリカに対して、どうしていいのか判らないのはいつものことで、その割には泣く彼に対しいつものように怒りなどの感情で表すことが出来ないのは、自分が甘いからであるだろうし、結局のところ。

エルドラントでいい加減、自分の方が無駄に意固地になって馬鹿だったと、思い知らされてしまったからだろう。

その負い目みたいなものと、けれど引っ込みがつかない部分と、生来から不器用で素直になることが出来ない自分は、ただ静かに、内心は情けなくも半ば途方に暮れて、レプリカが落ち着くまでその泣く姿を見詰めていた。

限りなく近くて遠い、たった二人しか居ないセレニアの花が舞い散る、白い場所で。

その零れる透明なものを、拭うことすら出来ずにただ。

森の湖を思わせる瞳から零れるそれは。

――とてもきれい、だと、かんじて。

アッシュが黙っているのが気に入らなかったのか、それとも何か別の理由があるのか判らなかったが、嗚咽の合間にあっしゅ、と舌足らずな甘い響きで名前を連呼されるのを、黙って聞いていた。

今思えば、あの深層意識で見たセレニアの花畑は、レプリカの記憶の中で一番大切な部分に仕舞われていた景色だったのだろうか。

こうして、タタル渓谷のセレニアに包まれながら眠る片割れにそう思う。

深層意識で、帰れ、嫌だ、の押し問答を繰り返して、最終的には出て来たローレライに何でレプリカの体を作らなかったのか、と腹立ち紛れに問えば、それなら最初から言っておけ、お前は望まなかっただろうが、今から作るから時間が掛かる、お前はとにかく先に帰れと問答無用で音譜帯から放り出された。

何だそれは、そんなの訊かなかったじゃねえか!と返す間もなく、気が付いた時アッシュはコーラル城の地下、フォミクリーの音機関の傍に倒れていた。

アブソーブゲートやラジエートゲート、レムの塔だとかの交通機関が無いとどこにもいけないような場所ではないことに安堵を覚えたし(幾らガルドを稼いだところでどこにも行けない)、恐らくコーラル城は自分にとって記憶の強い場所だったのだろうと思う。

ルークから、アッシュへと変わった場所。

そしてまた新たに生まれ変わった場所でもあるのか、とそう気付いて、改めて実感する。

――生きている。

コーラル城の地下は水の巡りもあって苔生していて、そして湿気に冷えた空気が満ちていたが、それでも。

それを感じることが出来たことに、体が震えるほど喜んだのは確かだった。

落ち着くに従って、レプリカの記憶があるのに気がついたが、それは途切れ途切れで完全なものではなく、しかも全て曖昧に薄れていて、一つになりかけていたことが判る。

大爆発が結局どうなったかは判らないが、一つだけ判っていることは。

レプリカは今度はローレライの手によって作られ、必ず戻って来るということだった。

セレニアの花を足先で掻き分け、傍らへと片膝を付きレプリカの顔に掛かる前髪を指先で払う。

今頃、ガイを始め他の、旅の仲間とやらが必死にレプリカを探していることを考えれば、すぐにも知らせてやるべきだと…そもそも、こんな魔物のうろつく危険な場所からは遠ざけるべきだと思ったが、今はいつもであれば過剰なほどの危機管理すらどこかに霧散してしまっている。

余りにも、幻想的な景色だからか。

闇色の向こう、波の音が響き足元で踏みしめる柔らかい草の感触、月の光で自身を淡く輝かせる白い花の匂い、風に煽られて舞い散る花びら。

右手を伸ばして、放り出された左手を取る。

手袋越しにもそれは恐ろしいほどに馴染む。手袋などという無粋なものをするべきではなかった。

その手を顔に近づけ、一番己の皮膚の薄い部分――唇へと導く。

そこならばもっと、ちゃんと触れ合うことが出来るだろうと思ったからだ。

てのひらと唇、そんな些細な部分で繋がった場所は引き合うように、溶け合うような熱を持った。

一つになりたいという体の奥からの甘い衝動に、一瞬くらりとする。

それを唇を離すことでやり過ごして、てのひらを重ね指を絡ませ強く握った。

早く、眼を覚ませ。

そうしたら、幾らでも名前を呼んでやる。

お前が笑うのなら、この腕で抱き締めることも厭わないだろう。

だから早く。

そうして寄せた唇は同じ形であるそれにゆっくりと重なり、離れると申し合わせたかのようなタイミングで。

――緩々と、翠の瞳は開かれた。

ぼんやりと彷徨う焦点がゆっくりと、確かな意思の光を点して間近にあるアッシュの顔を捉えた、その瞬間。

その体では初めて目にする光が眩しかった所為か。触れた空気が痛かったのか。

それとも、別の理由からか。

生まれたばかりの翠の綺麗な瞳から、涙を零した。

* * *

シーツの波間に埋もれるように眠るルークを抱き込んでいた状態から、目が覚める。

光を浴びてきらきらと光る金色の毛先が、眩しい。

それがレプリカの体を包む様は、まるで光に包まれているようで。

もう判ったから、と誰か判らないものに告げる。

彼が『ルーク』であることはもう、認めた。

今まで傷つけ、罵り蔑んで来た自分が彼に与えられる最大にして唯一のものを、贈ることも厭わない。

だから、頼むから。(その言葉が一番正しい気がした。そう、あの劣化レプリカに対して、あろうことか『頼む』などと!)

泣き顔以外が、笑う顔がいい加減見たい。

そう思い、あれだけ寝ていたというのにまだ眠り続ける片割れに、そっと顔を近づける。

鼻腔を擽るのはセレニアの花の匂い。

口吻ければ、昨夜のように目を覚ますだろうか。

洗濯された肌触りのいい上等のシーツに包まれた、白い世界に横たわる朱金。

己の唇が彼の頬に触れたその温度は幼子のように温かく。

……生きている。

何とも言い表せない万感の想いが胸を締め付け、ただ深く傍らのセレニアの香を吸い込み、そっとため息を吐いた。

――ああ。

end.