――ローレライデーカン・レム・48の日。
その日はキムラスカ中に赤と緑が溢れる。
深い緑の木には赤いリボンの飾りを。
家の扉には赤と緑で飾られたリースを。
窓には赤く色づく植物を。
帰還した『ルーク・フォン・ファブレ』の色を纏って平和を願う。
* * *
それが目に付いたのは、この季節、バチカルで多く目にしていたのとその鮮やかな色だった。
「こちらの植物はユーフォルビアと言い、セントビナーで栽培されたものです。ちょうどローレライデーカンの時期に苞葉の赤色が最高に美しくなりますので、帰還された英雄たちにちなんで、キムラスカ、特にバチカルでは祭りに合わせ多く輸入されます」
「へぇ…何か、赤いとこ凄く綺麗だ」
「鮮やかで目を惹くでしょう?花言葉も情熱的ですよ」
店員の言葉に、その赤から視線を上げて続きを促せば、完璧なほどの営業スマイルが返って来た。
「『私の心は燃えている』。――想われる方がいらっしゃるのでしたら、プレゼントにいかがですか?」
結局、ベルケンドでは珍しいからもう手に入らないかも、と商魂逞しい店員に言われるまま、気がついたら一つ、小さな鉢の包みを手にしていた。
外套のフードを目深に被っていたから、店員はその話題の『英雄』にこの植物を売ったとは思っていないだろうけど。
なるほど、こうやって『英雄』の何かに関連付けたりして商人は品物を売るのだなあと変なところで感心しているのは、この小さな包みを少しだけ、持て余しているからだ。
腕の中で咲く赤い色。
バチカル城下で今日行われているのは、自分達の帰還を祝う祭り。
ローレライデーカンに入ってからは街中がどこか楽しげで、ルークとしては祭りというもの自体に参加したことがなく、どんなものなのかとても気になっていたのだけれど、「お前が現れたら城下街が混乱する」とアッシュにそれとなく注意されれば、我慢するしかない。
水を差したいわけじゃなくて、共に楽しみたかっただけに、残念だった。
そして、休養中の今はバチカルを離れ、ベルケンド付近にある屋敷――ファブレ公爵の別荘に来ている。
バチカルに居続ける限り、アッシュが仕事から完全に離れようとしないから、周囲(特に母上とナタリアが)強行策に出たのだ。
あの二人に言われれば、さすがにアッシュも断れない。
逆に完全に離された方が落ち着かない、という理由で、やはり幾つかの急ぎではない仕事は持って来たみたいだけれど、一日中机に向かいっぱなし、ということはない。
勉強を見て貰ったり、レプリカ問題などについて議論を交わしたり、気が向けば共に別荘付近を散歩して海まで出ることもあるし、鍛錬として剣を交えることもある。
以前では有り得ないほど、ゆっくりと二人で過ごしているこの時間を、ルークはとても掛け替えのないほど大切でしあわせだと感じている。
何せ、二人揃っているのに、後に響くケンカ(ちょっとした言い合いはあるけれども)をしないのだ。
旅の間は、あんなに互いに上手く行かなかったというのに、留学中の夏期休暇に合わせてファブレの屋敷に戻って来た時も今も、たとえルークが何か失敗をしたとしても、アッシュは口で言うほど酷くなく、むしろ優しい目で傍に居てくれる。
そのことが信じられないとまでは言わないが、嬉しすぎて勿体無いと思ってしまうし、毎日を過ごすのがとても惜しい気すらしてしまう。(どんなに勿体無くても時間は経ってしまって、あっというまに一日が、休暇が終わってしまうのだ!)
ただ、その柔らかくて暖かい雰囲気に未だに慣れることは出来ないのだけれど。
外は凍えるほど寒い中、暖かい部屋で自分は勉強をしながら、時折アッシュの仕事をしている姿をちらりと見て。
同じ場所に二人で居ること。そのことが。
一番しあわせだと、強く――思えるようになった。
今日はアッシュが読書に集中したいようだったから、バチカルで無理ならベルケンドの街なら良いだろうとひとり足を延ばしてみれば、確かにバチカルほどの熱気のようなものはないがそれなりに優しげな祭りの雰囲気を醸し出していて、店を適当に冷やかして回るだけでも充分面白い。
祭りの為に店の商品も普段とは色々と変わっていて、今回の休暇を用意してくれた母とナタリアにお土産を、と思ったところで、新年に会う皆にも何か、と思い付いた。
目的が決まれば更に店を回るのが楽しくなる。
その途中で、この赤に出会ったのだ。
アッシュの髪の色のように鮮やかだと見入っていたら、店員に捕まって以下略。
『私の心は燃えている』
花言葉を思い出した瞬間、頬が、体が熱くなるのが自分でも判って、思わず腕の中のそれを落としそうになり、焦る。
海からの風が冷たい。雪が降るのかも知れない。
この頬の赤さが寒いせいだと思われますように、と心の隅で願う。
自然体で、そう、目に付いたから買って来たのだとか、言えばいい。
腕の中で咲く赤い色。
自分の中に育つ感情はこんな風に、赤く広がっているのかも知れない。
この植物が葉を緑から赤に変えるように。こころのなかだけでなく、体の隅々までもが、アッシュの色に染まって広がって包まれていく――ひとつに、なる。
そういう錯覚を、アッシュのことを想うたびに感じ、大爆発以外にも、ひとつになるのに方法は幾つもあるのだと実感するのだ。
ごそごそと外套の下、肩に掛けていた荷物から、ひょこりとミュウが顔を出して来た。どうやら今まで寝ていたらしい。くあ、と小さく欠伸をしてからこちらを見上げて問い掛けて来る。
「ご主人様、お買い物は終わったですの?」
「ああ、うん」
ほらお前の分、と小さな袋に好物を詰め合わせたものを渡せば、零れ落ちそうな大きな目をきらきらさせながら有難うですの!とっても嬉しいですの!と声を上げて喜んだ。
その後、ルークの持つ小さな包みを覗き込んで来る。
「ご主人様、これはアッシュさんにあげるですの?」
「ああ…まあ、一応、そのつもりだよ」
「やっぱりですの!葉っぱの色がアッシュさんと同じ色ですの!」
そう言って笑顔でこちらを見上げてくるその頭をぐりぐりと撫でた瞬間、びゅうと音を立てて風が強く吹き、フードが外れ外套がはたはたと音を立てて舞い上がった。
曝け出された形になったミュウが、小さな手で顔を覆って悲鳴を上げる。
「寒いですのー!」
「お前、ずっとバッグの中に居るんだから、まだいいだろ」
寒さから身を守るために慌てて乱れた外套を整え、フードを被り直す。
耳の感覚がほぼ無い。手袋の中、指先も冷たくて少し痛いくらいだ。
「でも寒いですの!急いでお部屋に帰るですのー!」
きっとお部屋は暖炉でぽかぽかですの!と奥深くに潜り込みながら言うチーグルは、すっかり飼い慣らされて、情けなくも獣としての大切な何かを失っているようだった。
帰る。
その言葉に、自然とファブレの自分の部屋ではなくて、アッシュを思い浮かべるようになったのは、いつからか。
今頃は、ミュウが言うように暖かい部屋で、本を読み終わっているかも知れない。
もしかしたら、苛々と帰りを待っているのかも知れない。(彼はルークが思慮を欠いた危険なことをしでかさなければ何をしていても一応放任するが、目が覚めた時や仕事や本を読み終えた時などに、ルークが傍にいないのは許せないらしい。ルークはそこのところはよく理解していない)
お茶の時間に遅れたら確実に怒られるだろう。その時間には戻ると言って出て来たのだから。
「あんまり寒いと葉っぱの元気もなくなるですの!」
「…そうだな」
変に意識せずに、いつものように笑って『ただいま』と言えばいい。
この腕の中のものを、少しでも早くアッシュの手に渡したかった。
* * *
メイドがお茶のご用意はこちらで良いですか、と声を掛けて来たのに短い返事を返し、ぱたりと音を立てて本を閉じる。
メイドがそう言って来たということは、ルークが外出から帰宅したはずで、やはりというか間髪入れずに部屋の扉がノックもされずに開く。
「アッシュ、ただいま!」
冷たい空気を纏って部屋に入って来たルークは、以前旅の途中ケテルブルグで会った時と同じく子供のように頬を赤くしていて、思わずその頬へと包むように手を伸ばす。
「どこまで行けばここまで冷えるんだ、お前は」
恐らく寒さなど麻痺してしまっているだろう、その温度に呆れて言えば、温かい、と気持ちよさそうに微笑んで猫のように頬を手に摺り寄せて来た。
「今日、凄く寒いんだ。もしかしたら夜には雪降るかもな」
「判ったから、早く外套を――何だ?」
明日の朝には雪が降ったと騒ぐ様が脳裏に浮かぶ。今の内にメイドに厚めの外套を用意させておくべきかも知れない。
そう思いながらルークの言葉に返していれば、ルークが外套の下から何か小さな包みを出して。
「これ、アッシュにお土産な!」
そう言って胸へ押し付けるように渡して来たのをアッシュが受け取ると、荷物部屋に置いて来る、と笑顔で部屋へ向かうルークのその後姿に軽くため息を吐き、渡されたものを見詰める。
片手で持てる程のサイズのそれをそっと、テーブルの上へと置いて眺めた。
ルークより先に還って来たアッシュはこの季節、この植物がバチカルの至る所に飾られていることを知っているし、幾つかの種類のうち、薄い赤から淡い黄色へ変化する苞葉に目を奪われた際にナタリアから花言葉を教えられた記憶がある。
緑と、赤と。
この色合いだからこそ。
自分といい、ルークといい、互いに目を奪われてしまうのだろう。
――自分の髪と同じ、深い色の赤を見て、そう思う。
ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。
次第に大きくなるその足音を聞きながら、緑の葉に触れ、赤の葉を指先で辿り花の中にある蜜腺の黄色に触れ。
花言葉を知っていて自分に渡して来たのなら、それに応えるのが片割れとして当然であり。
――男というものだろう、と思いながら、アッシュは扉が開くのを待つ。
「アッシュ!」
咲(わら)う赤が手を伸ばして来る、その体を僅かに笑み返しながら抱き寄せ、冷たく冷えた唇に温度を分けるように、口吻けた。
end.