「よお、お二人さん。休暇を楽しんでるか?」

ガルディオス伯爵様がいらっしゃいましたので応接間にお通ししました、とガイを知る古参のメイドに告げられルークが部屋を飛び出す。

その様は全く子供のようで、ため息を吐きながら(メイドは穏やかに笑いながら)後を追って応接間に入れば、相変わらずの気障な動作でガイが挨拶をして来た。

その仕草の後にはもれなくルークのハグが付いてくる。

二人のそういう、親しいというか甘えているというか、割り込めない部分を目にするたびに、瞬間的に湧く殺意のような嫉妬は大目に見て欲しいものだ、とルークを抱き返しながらこちらに剣呑な視線をちらりと寄越してくるマルクトの貴族様に思う。

「よく来たな、ガイ!こっちに用でもあったのか?」

自分の頭の上でそんな視線が飛び交っているとも知らず、暢気にルークが顔を上げて問い掛けると、ガイは体を離し爽やかな笑みと共に視線を合わせてルークに告げる。

「新年の祝賀会で使う音機関をシェリダンに注文してて、それを取りに来たのさ」

「伯爵ご自身がか?」

呆れて口を挟めば、音機関の話題の所為か先程の剣呑さは消え、至ってにこやかに返された。

「俺が設計したんだぜ。出来が気になって仕方がないんだよ。それに送られて来たものに手直しが必要な時、マルクトで弄るより、シェリダンで弄った方が効率的にもいいだろ」

さすが偏執狂。

この時のアッシュのこころの呟きは、ルークと同じものだったに違いない。

アッシュの些か温度の低い視線は華麗に無視して、目の前のルークの頭を意味も無く丁寧に撫でる仕草は、もしかしたらマルクト皇帝のブウサギに対するものと同じなのかも知れない。愛玩されて喜ぶのも同じかもしれないが、それ以上無駄に接触するというのならこちらにも考えがある、とアッシュが睨めばやれやれと肩を竦めて手を離した。

「で、俺は毎回シェリダンに行く時はこの先の橋をわたることにしてる。今回はベルケンドの近くにルークが居るってバチカルで聞いたから、寄ったんだよ」

この先の橋というのは勿論、あの『ルーク橋』のことだ。

さすがルーク馬鹿。

幾ら湿原の道が整えられ(ルークたちがあの魔物を倒したからだ)バチカルとベルケンドの行き来が以前と比べ楽に出来るようになったとしても、バチカル経由でわざわざ遠回りする必要があるのだろうか、と考えたが、わざわざバチカルを経由することに意味があるのだと気が付いた。

――このルーク馬鹿に付ける薬はない。

「ガイ、今日は泊まってくだろ?」

ルークの無邪気な問い掛けに、ガイは一瞬だけ目を瞠って、それから僅かに首を傾げるようにして穏やかに笑んで見せてから返した。

「お前たちが構わないんならな」

「良いに決まってるじゃん、なあアッシュ?」

「……ああ」

ガイの答えを聞いたルークの無邪気な笑顔を見せられて、気になって仕方がないのならシェリダンにすぐに向かった方が良くないか、という言葉が出るはずも無い。

俺、メイドに言って来る!と騒々しく去っていくルークをにこにこと見送る父親のような兄のような甘い甘い顔は、アッシュには絶対向けられないものだ(向けられても困る。アレを普通だと思えるルークは、基本的に細かなことを気にしない性質だ)。

この甘い顔をしたガイが、アッシュが先に帰還した際、ルークが遅れて還って来ることを告げるまで、ルークには絶対見せたことがないような表情で、更にはルークには絶対向けたことがない眼光で、そしてルークには絶対聞かせたことがない言葉を次々と口にして、アッシュの襟首を掴んだ両腕をがくがくと揺さ振っていたことはまだ、強烈に記憶に残っている。正確にはその所為で告げる暇が無かったのだが。

「……マルクトで留学してる時は、お前の屋敷に居たんだろうが」

何もわざわざ、二人きりのところに邪魔をしに来なくても良いだろうと言外に含めて言えば、さり気無い仕草で曲げた腕の手首を返してのひらを見せる様は判ってないなあ、とでも言いたそうだ。

「それは半年以上前のことだ。俺がルークに半年以上も会わずに新年まで待てる訳がないだろ?」

ジェイドの旦那は抜け駆けして会ってるってのに、と言うガイの顔を横目でちらりと見て、アッシュは深くため息を吐いた。

――自慢出来ることじゃねえよ。

「いやー、ジェイドの旦那とだけじゃなくて、お前とも酒を酌み交わせるようになるとはなー」

からりと手の中のグラスの中で氷を揺らして、ガイが静かに笑う。その笑みには他意はないのが窺えたし、自分もそう思うからアッシュも僅かに笑み返す。

夕食後メイドの気遣いでそのまま自然とこういう成り行きになった。こんな風にガイと夜会で付き合い上、という訳ではなく私的に酒を飲むのは初めてで、酒を交えた深い会話などしたことはない。

いや、考えてみればガイだけではなくて、他の誰かともしたこともがないのだ、と気付くと少し不思議な感慨を覚える(何せ近しいはずの六神将は己と一人を除き全て、――

「ジェイドの旦那と呑む時はルーレットだとか、陛下が混ざると王様ゲームとか、時々冗談にならない身の危険を感じるゲームが入ることがあるからな。お前はそういうことしないだろうから助かるよ」

普通に落ち着いて呑める、と喜ぶガイにどんなゲームだ、というか何をしてるんだ、マルクトのトップは、と思わずアッシュは呆れる。

キムラスカのトップである伯父を脳裏に思い出して、あの方はそんなことは出来ないなと首を振った。

アッシュはあの二人とだけは呑みたくないと思うが、ガイはそれなりに楽しんでいるようだから、実際には違う感想を持つのかもしれない。こういう経験はまだまだ足りないのだ。

ほら、とアッシュのグラスに注ぎ足された酒の量が多いのは、故意かそれともサービスか何かのつもりなのか。ついでに氷の塊が放り込まれて僅かにグラスの中の液体が跳ねる。

「おい、」

「……ん、ぅ……」

「何やってんだ、ルークが起きるだろ」

顔を顰めたアッシュが身動ぎし粗雑なガイの動作に声を上げれば、逆に注意された。

互いの間には眠るルークが横たわり、体のどこかが触れ合っている。

ガイが設計した音機関の話を聞きながら、最初は応接間のソファにそれぞれ座っていたのだが、面白がってガイが与えた果実酒をルークは甘いからとチーグルにも飲ませて、一人と一匹でぐにゃぐにゃになった挙句に突然『アッシュはこっち!ガイはここ!』と自分の両隣をぱたぱたと叩いて、そこに二人が収まるまで子供のように騒いでいた。

今では共に眠るチーグルを抱えてアッシュの左腕を枕に、ガイには左手を伸ばして服の端を掴んでいる。少しでも身動ぎすればルークが起きるかもしれないと思うと、たったそれだけのことであっけなくも、過去鮮血という二つ名を冠していた男も、復讐に己の剣を磨いでいた男も、動きを封じられるのだ。

ガイの腕が、ルークのもうすぐ成人だというのにそれでもまだあどけなさを残す寝顔に伸びる、それを咄嗟にアッシュは咎める。

「おい、」

「うん?」

「気安く触るな」

左腕をルークに取られていなければ、右手にグラスを持っていなければ、こんな風に二人でルークを挟むことなどしないというのに。

いつものように、己の腕の中で眠らせることが出来るのに。

ガイとルークが過ごした年月に比べれば、アッシュとルークが二人で過ごす時間の方がはっきり言って少なく、還って来てから共に過ごした月日を数えても一年にも満たない。

しかもルークが還って来てからの三ヶ月は、ガイは臨時的にファブレ家の使用人に戻ってルークの世話をそれはもう、天職かのようにしあわせそうにこなしていた。(実際天職なのだろう)

ただでさえ出遅れているのに、更に差をつけられる気がしてあの三ヶ月はやたらと気が急いていたし、生来の気質もあって何をすれば良いのか全く見当がつかずに、もどかしい毎日をどうしようもなく持て余していたことを思い出すと、頭が痛くなる。

その頃からの攻防戦は、決着がついたはずだというのに今も続いている。

「お前に触ってるんじゃないから、気にしなくていいぜ」

なあルーク?、と微笑んで囁くガイに何を言ってる、と返す。

「俺に触ってるのと同じだろう。第一これは俺のだ」

「ははは冗談言うなよアッシュ、お前がこんなに可愛い訳ないだろうが。図々しいなあ」

見事にアッシュのセリフの後半を聞き流して、ガイが甘い顔でルークの寝顔を堪能しているのに頭痛を覚えながら深いため息を吐いた。

「冗談も何も、オリジナルは俺の方なんだがな…」

そんな事実はすっぱりと忘れ切ったガイの表情と言葉に、呆れもするが、何と言うか。

普段慎ましやかに隠されている部分を敢えて見せられるというのは強烈ではあるが、このどこをとっても恥ずかしくない貴公子様の裏の部分を見ても別に嫌ではないのは、以前自分が『ルーク・フォン・ファブレ』であることを明かした際に、拒否された時から(確かに拒否はショックだったが)変わらない。

昔の付き合いは分厚い壁を隔てていて、本当の彼というものを知るには程遠く、拒絶されているといっても過言ではなかった。現在は知りすぎてはいるものの、本来アッシュ自身が求めていた付き合いに近い。だからこそ嫌ではないのだろう。

何より拒否に対して以前よりはるかに落ち着いていられるのは、ガイにとって至上であるルークを得たことによる安定故だろうか。

その分、やはりガイとは手と手を取って仲良く、などという関係とは掛け離れたやり取りしか出来なくなったのだが、結局、ルークの傍らに自分ではない人間が立つことが気に入らないのだ、とアッシュは思う。そしてそれは勿論自分にも当てはまるとも。

基本的に悪い人間ではないから、過去の確執があるとはいえ、ルークが関わらなければ普通に会話をすることが出来る。――いや。

ルークが還って来たからこそ、アッシュに対しても過去のことを流して、昔を知る幼馴染の一人として接しようと思えるようになったのだろうと、思う。

可笑しいことに(そして恐ろしいことに)、ガイとアッシュの二人は、ルークがいることによって関係が成立する。それは、ルークがいない限り、この二人には関係の修復は不可能だったということに近い。ルークがいなければ歩み寄ることをガイはきっと、拒む。

以前のように表面上だけ親しいフリをされて、こころの中には入ることを許されない作られた笑みを前に、拒絶されるのだ。

ガイの全てであった復讐がルークの存在で意味を成さなくなった時、ガイの全てはルークになり。

ルークがこの世界に存在さえしていれば、しあわせならば良いのだと、祈りにも似た切実な願いを持っていて、それがもし壊される要因があるなら全力をもって阻止するのだろう。

とりあえず、今のところその対象はアッシュに集中していて、アッシュが以前のようにルークを髪一筋でも傷つけることがあれば、すぐにその刀が振り下ろされる用意は整えられている。

「…昔のお前は何も考えずに俺の手を選んでくれたんだけどな、ルーク」

ルークの前髪を梳きながら少し寂しげに言うガイに、今だけは触れるのを許してやる、と思ったのはその動きがただ純粋に、ルークを慈しむ仕草だったからだ。

end.