その花は、一斉にどこまでも突き抜けるような青い空へ向かって咲く。

以前より遠い青空の下、今日もたなびく音譜帯と過去ユリアが詠み上げた惑星預言により誕生した譜石が、オールドラントをぐるりと囲みながらきらとレムの光を弾く。

今ではこの世界に預言はないが、あれはなければないで空に物足りなさを感じるだろうなと、アッシュは膨らみ続けるましろな雲の下から譜石を見上げて思う。預言があったことを思い出させ依存への戒めにもなる、光を透かし受け弾くその石は、うつくしい。いずれ落ちて大陸に被害を及ぼす前に砕くことになるかも知れないが、今はまだこれくらいは世界に残っても罪はあるまい。

「アッシュー!」

片割れの呼び声が聞こえて、木陰に立つアッシュは空からそちらへ顔を向けた。

視線の先には、鍔の広い麦わら帽子を被り、子供のように陽に焼けたルークが手を振っている。

そしてその向こうには、一面に広がる金色の絨毯。ナタリアやガイのそれよりもまだ強く、濃く、その花を開いてレムの光を一身に受けている。

夏の青、雲の白。そして、大地を埋め尽くさんばかりの眩い金糸雀色と緑の鮮やかさに、目が灼かれるようだ。

新年をバチカルで迎えたルークが、朝食の席に座った途端違和感を感じて探る先、ズボンのポケットに見たことのない(ルークは基本的に見たことのないものばかりだが)長卵形の平たく黒い種がいくつか、入っていることに気がついた。

当人は「なんか紛れ込んだのかな」と首を傾げる程度の暢気さで、それから毎日毎日ビスケットのようにポケットから増え続ける種を前に、ルークよりも先に根負けしたアッシュに言われ、休暇が終わる少し前に戻った留学先のグランコクマで祖父のように慕っているペールへ見せてみたが、多くの植物の世話を手がけている彼でも判らず。ペールで判らないならとジェイドに見せて、皇帝に見せて、ディストに見せて、遠出したエンゲーブのローズ夫人やセントビナーの老マクガヴァンに見せても判らなかったので。

「じゃ、植えてみようぜ!」

今まで植物など育てたこともないくせに子供の好奇心そのままで、ルークは皇帝とガイに許可を取り、ペールに教わりながら幾つかをガイの屋敷の庭に植えて、そうして毎日グランコクマの春の光と水を与えて育てたのが、この黄金に、緑に大地を満たすヘリアンサスだった。

* * *

当時、オールドラントの全域では将来訪れるプラネットストーム完全停止後の、代替えとなるエネルギーをどのように調達するかで頭を悩ませていた。

預言が失われたこの二、三年の間で、解放されたユリアシティで保存されている創世記時代の技術をシェリダンやベルケンドが協力の下研究し、音機関の働きを補助する装置が開発された。それと同時に現在の譜業を見直しこの機会に消費音素の低い譜業を開発している最中だが、それなら限られた音素を効率よく使うためにも、音素を使わない譜業が世界の半分程度はあってもいいのでは、という考えが確かにあったのだ。

一番妥当とされた案は、今までも補助的に使われていた油だった。

ただ、動物の脂は譜業には向かない。植物から生産しようにも多く油分を含む大豆は、オールドラントの食糧をエンゲーブだけでほぼ賄っている今、これもまた利用出来るような過剰分はない。

そもそも、今まで音素を利用することで成り立ち油の実用性をあまり重要視しなかったオールドラントにおいて、どの植物が最適かを一から調査するその手間、もしその植物を見つけたとして栽培するにしても、品種改良が必要であったりどの土地が最適なのかで起こる利権問題、それにまだ外郭大地降下以降陥没や隆起の激しい大地と、瘴気中毒症やいきなり気圧が変わった環境に人間たちが落ち着いたばかりという、未だ不安定な状態。

各専門者達で構成された研究機関が国を超えて結成され、少しずつ調査を進めてはいるが、その成果は未だ芳しくない。

どちらかといえば緊急性が高い問題を優先的に取り掛かる各国において、あとしばらくはなんとかなるものの、しかし先延ばしには出来ない代替エネルギー問題に、頭を悩ませていた。

その頃、ルークの世話した植物は、夏に近づくにつれ生意気にも大の大人を追い越さんばかりにすくすくと伸び(生憎成長の止まったルークはとうとう追い越された)、また、その花の部分は人の顔ほどにも大きく育ち、そうして、つぼみを付ける頃までレムに向かって朝には東を向いていたのが夕方には西を向くその動きに、ヘリアンサスと名付けられたその花が枯れ、出来た大量の種に含まれた油分に気が付き可能性を感じたのは、やはりというか観察日記の提出先であるジェイドだった。

ルークが育てて出来た種と、当初ルークのポケットからひと月あまり出て来た種を一粒で良いですからと譲り受け、互いに比較し違いがほとんどないことを確認したジェイドは、それを皇帝へ報告し、それからグランコクマはにわかに浮き足立った。

それもそのはず、各国が頭を悩ませていた問題が、ルークの育てた出自不明の植物のおかげで一縷の望みが見えたからだ。しかもそれは基本水さえ与えていれば凝った世話は必要ない上に、暑さにも強く、一つの花から収穫出来る種の量も多い。まさに理想の植物。

そうして、夏季休暇になってもなかなか帰ってこないルークに焦れた両親と王族親子に押されたアッシュが、強引に公務と称してグランコクマに訪れた時、ルークは皇帝の私室、手前の応接間で皇帝とその懐刀含む側近たちの「その不思議な種を下さいお願いします」というあの手この手の足止めで身動きが取れない状態になっていた。

* * *

必死にアッシュへと助けを求める己のレプリカを、腰にすがりつくピオニーの腕から引っこ抜き、アッシュは自分の腕に抱え込む。

「恐れながら皇帝陛下、その種はおそらくローレライから寄越されたもの。一国だけが独占してはならぬものかと」

「だがなあアッシュ、正直言って将来的にマルクトの方が分が悪いだろう。マルクトは今まで譜術に頼ってた分を、キムラスカから譜業を輸入して補うことになる。その上エネルギーまでキムラスカから買ってたら、この国は潰れちまう。……ほらルーク返せ」

「その前に、キムラスカはエンゲーブからの食糧とセントビナーからの薬草に頼っていることをお忘れなく。……何が返すだ、これは俺のだ」

「だってお前んとこ、消費音素の低い譜業安くしてくれないじゃないか。……いいじゃないか、一人くらい赤毛をくれたって」

「譜業で成り立っているキムラスカが、マルクト相手に値を下げたらそれこそ崩壊します。そもそも、マルクトには裕福層が湯水のように金を落とすケテルブルグがあるではありませんか。……皇帝のクセに何故そんなに人のものばかり欲しがる!」

「なんだとぉう!? ネフリーは最初俺のものだったんだ!」

政治に私情が混ざり始めて最終的に私情だけになったピオニーが椅子から立ち上がる、それに怯むアッシュではなく、視線を逸らさず睨み付けた。傍に控えて生温かい目で三人を見守っていたジェイドが、皇帝の言葉に思わず額を抑えてため息を吐く。相手が皇帝でなければうっかりサンダーブレードを見舞われていても可笑しくなかった。その様子をアッシュの腕の中で見たルークは、顔を仰向けてアッシュを見て、それから皇帝を見て、じ、と手元の、種を保存している箱を見詰めた後。

「すみません!」

勢いよく頭を下げ、そのままの姿勢で続けた。

「俺、これはレプリカの街で栽培したいです! ですから、あの、誰にもあげられません!」

それを聞いたピオニーとアッシュは同時にルークを見詰め返す。

先ほどの騒がしさを忘れたかのように、しん、静寂が応接間に満ちた。

二人は痛いほどの視線でルークを見つめ、そうやって暫く沈黙した後、無言で手近にある椅子を引き寄せ席に着いた。周囲の空気が僅かに揺れる。

マルクトの皇帝であるピオニーと、キムラスカの外交にも携わるファブレ家跡継ぎのアッシュ、この二人が席に着き議題がある、ということは。

――正式でなくとも、会議が始まったと言うことだ。

側近が慌てて部屋を飛び出し書記官を呼びに走る。それを待つ二人ではない。傍にはジェイドという便利なメモ帳が控えているのだし。

「ほう。それなら栽培する場所はどうする。レプリカの街では土地がなかろう。そうだ、マルクトには東ルグニカ平野に広大な土地が余っていてな。それを格安で貸してやってもいいぞ」

「それならば、キムラスカは収穫用と搾油用の譜業の用意があるな。まさか手作業でオールドラントが必要としている分の搾油を行うわけではあるまい?望むなら土地も貸してやろう。譜業と併せて…」

「それならマルクトとてエンゲーブとセントビナーから栽培の専門家を送ってやろう。なあに、出来た油をちょっと安く売ってくれるか、キムラスカより多めにくれれば――

「ルーク。お前が拝領した土地で栽培するなら、お前の領地の税を低くしてもいいぞ。ただしそこで栽培した分は、キムラスカがもらう」

怒濤のように左右から矢継ぎ早に告げられる内容を、二人の顔を交互に見ながらルークは受け止めるので精一杯だ。

そう、ルークがレプリカの代表として立った時、苦手としているピオニーはもちろん、アッシュは立ち向かわなくてはならない壁の中で、一番強固で、巨大だった。

一年の半分を交互に、レプリカの代表としての任期中ルークはキムラスカの大使も兼任しているが、大使よりキムラスカの政治に直接関わっているアッシュの方がより大きい決定権がある。アッシュは長年の不在を感じさせない、逆に国を離れたからこその視点でその手腕を内政、外交共に国内外から認められつつある存在な上に、ルークの思考も充分に理解出来、だからこそ一番手強くなにより、己の身内だからという容赦が一切ない。ルークがこの留学で学んだ幾つものことを、アッシュはそうやって実践させているのだ。

それが我が最愛の片割れに向けるアッシュの期待であり愛情でもあり、またどれだけ成長したかを思うと楽しみでもあった。結果がどう運ぼうとそれはルークの経験に、糧になることを信じている。こてんぱんにされようとも、ルークは己が学ぶべき瞬間を見逃したりはしない。

そしてルークは最初こそ戸惑うけれど、アッシュの強い威圧的な、または挑発するような視線にたじろぐような時期はとうに過ぎているので、ぐっと腹に力を込めて表情を引き締めた。自分がここで負ければレプリカ達に合わせる顔がない。引くわけにはいかないと識っている表情でアッシュを見詰め返した。

そうして毎回、その二人の様子をにやにやと見守っている皇帝が漁夫の利を得ようとタイミングを覗っていた時。

「ちょーっと待ったあ!」

マルクト皇帝の私室の扉が勢い良く開いて、少年と少女を脱しつつある声が重なって響き渡る。

動きを止めた部屋の中の全員が扉へと視線を集中させる、その視線をたじろぐことなくそこに立った二人は受けた。

「ダアトを抜きにしてそういう話はダメですよぅ、二人とも!」

「アニス、フローリアン!」

「ルーク、久しぶりー」

ルークが声を上げれば、すかさずフローリアンが駆け寄って来てぱちんとルークとハイタッチした。

レプリカに関する会議の時、最大のレプリカ保護区であるダアトでのレプリカ代表であるフローリアンと、神託の盾の一定以上の職に就く兵士はどんな場所だろうと入室することが出来る。これは二国間の調停役であるダアトがその役目を果たすための取り決めで、マルクトもキムラスカも逆らえない。

「タイミング良く来たなー」

「ダアトからの謁見申請は三ヶ月前に済んでますよ、陛下。それにダアトの人間が居ない場で行われた会議の議決は無効なのですから、逆に彼らの来訪は歓迎するところでしょうに」

「そうだがまあ、揺さぶりはかけておきたいじゃないか」

ピオニーが呟くのに、ジェイドが何故か担当でもないのにさらりと返す。皇帝の傍付でもないのによくスケジュールまで把握してやがるなこのメモ帳、とアッシュは胸の内だけで思う。

「ところでさっきの話だけど、ダアトがちゃんと間に入って、レプリカの街にとって損がないように話し合って決めるからね。二人の押しが強くても、負けちゃダメだよルーク!」

フローリアンがぎゅっとルークの手を握って言えば、横に立つアニスもうんうんと頷く。そしてフローリアンはルークに向けた満面の笑みのまま、小首を傾げて続ける。

「で、うまくいったらダアトにはちょっと多く売ってもらえたら嬉しいなあ」

「やっぱりお前らもか…」

フローリアンはアニスの教育の影響を確実に受けているらしい。さすが無垢なる者、こうやって立派に成長していてもフローリアンの笑顔でのお願いには強い引力がある。がくりと脱力するルークの視線の先、フローリアンの横でこっそりピースサインをしているアニスが口を開く。

「だって、地下の野菜栽培には灯りが結構必要なんだよ」

「あ! でもダアトはマルクトやキムラスカと違って、レプリカ特典あげるから!」

アニスの言葉に、フローリアンが何かを思い出したかのように声を上げた。

「レプリカ特典?」

「安く売ってくれた分慰安施設の宿泊割引+ダアトの温泉入り放題!」

どう?レプリカにも慰安は物凄く必要だよねえと笑うフローリアンに、ルークはうぐぐと口を閉ざす。

まだ、実際にヘリアンサスの種で油が取れた訳でもなく確証もないのに、約束を取り付けてもいいのか、迷う。予定通りに栽培が進むかどうかも判らない。なにか、失敗するかも知れない。正直、怖いことだとルークは思う。まるで国を相手に騙すような気持ちになる。上手く行かなかった時、レプリカ達が背負う負担その他を考えると、自分が決めても良いのかが判らない。この代表という立場は自信がなくていつも、とても怖かった。

それでも、レプリカに何か、この世界での強みを持って欲しいと思うから。その気持ちは嘘じゃない。気持ちの強さだけ、自信を持っても良いだろうか。

迷いながらゆるゆると上げた視線の先、アッシュと目が合う。

アッシュはもちろん何も言わない。けれどただじっと、そのまるで宝石のような緑の強く彩(ひか)りを弾く玲瓏とした瞳でルークを見ている。ただそれだけ。

ルークはその鮮やかな緑の眼差しに、腹を括った。

覚悟は出来た。大丈夫、頑張ろう。やれるだけやってみよう。アッシュの瞳にそう、思える。いつもアッシュはルークを正面から見据え、その背中をぼけっとするなと押してくれる。

「えっと、とりあえず、土地や人を借りるのも、譜業を売って貰うのも、その他のことも、」

ルークはその場の視線を一身に受けながら、ぎゅ、と手に持つ種の入った箱を握りしめて。

「出世払いでお願いします!」

地面に付きそうな勢いで、もう一度頭を下げた。

* * *

アッシュの見ている先、少し離れたルークはヘリアンサスの中に埋もれるように立つ。

今、夏期休暇で戻って来たルークは自分の管理している土地で、栽培中のヘリアンサスを他のレプリカ達と世話をしにバチカルから二週間ほど滞在している最中で、アッシュはその視察として遅れて着いたところだった。そうしてルークの屋敷に暫く滞在して、共にバチカルへ戻る。

麦わら帽子の下、朱色の髪は短い。ルークが完全に戻り、落ち着いた頃合いに仕切り直された成人の儀の際に、先を揃えた程度のアッシュとは違い、思い切って以前のように切り落とした。短いのに慣れてしまったのと、アッシュとの区別を明確につけるためもあるし、必要な場合は今の彼の体なら音素を足せば伸びるのも早かった。

アッシュの名前をヘリアンサスの海の中で呼んで、眩しいレムの光を浴びて、衒いも迷いもなくただまっすぐに一途な、体中を駆け巡る喜びをその笑顔に込める。あの時、ルークは重大な決断を前に心は決めていても自信がなくて迷っていた。それが今ではこうだ、とその満面の笑みにアッシュも淡く口を撓らせる。肥沃な土地は食糧用の栽培に優先されているため、比較的荒れた土地で栽培したのもあり上手く行かない時もあったが、品種改良が進んでもなお実りの少ないキムラスカの土地でさえも、ヘリアンサスを栽培した。

この季節、アルビオールから見下ろしたオールドラントの景色は、見事だ。

どこからともなく現れた、ヘリアンサスの種。

それが本当にローレライからの贈り物なのか、それともオールドラント中の音素を取り込み、体内で結合させることが出来るルークが世界に生み出したものなのかは、判らない。だが、オールドラントの憂いをまたひとつ、他でもないルークが取り除いたのは確かだ。恐らくこの世界にとって異質であるだけのアッシュでは種は得られなかっただろう。ルークがこのオールドラントに居なければ、ルークが世界を大切に思わなければ、きっと種はもたらされない。

ルークが植物へ愛情を注いで枯らさぬよう育てるように、彼を枯らしてはならない。

ルークへの愛情を枯らしたとき、それはきっとこのオールドラントの滅亡を意味する。アッシュは大げさかもしれないがそう、思っている。そして愛情が注がれている限り、その笑顔は絶えることがないと、信じている。

ルークの呼び掛けにひとつ頷き返すと、ルークが無邪気にヘリアンサスの中アッシュへと近づこうとして、けれど背後から声を掛けられ立ち止まる。そうしてルークが悪い、と断って去っていこうとする、その背中をアッシュは呼び止めた。

「ルーク」

きょとんとした顔で振り返る彼に、アッシュは静かに笑んで告げる。

「見事だ」

誰に誉められるよりオリジナルに認められるのを喜ぶアッシュのレプリカは、アッシュの言葉を聞いた途端、ヘリアンサスにも劣らぬほどよりいっそう晴れやかに、咲(わら)った。

end.