※本文中、ルークとアッシュの名前が逆になっていますが、地の文のアッシュは全てオリジナルルークのことです。

なんなんだこれは、とそう頭の中で呟くので精一杯だった。

俺は死んだはずだ。

それとも、あの全ては自分が見ていた長い長い夢だったとでもいうのか。

そんなはずはない、あって堪るかとアッシュは自分の小さなてのひらを見詰める。

そこに血の跡すらない。

不意に、映像が脳裏に広がっていく。

体を高濃度の第七音素に蝕まれているヴァンを倒し、レプリカがローレライの剣を床に突き立て、ローレライを解放するその超振動の衝撃にエルドラントが崩壊する。

その瓦礫の中を、自分の――アッシュの体がレプリカに向かって落ちて、それから。

レプリカの体が徐々に光を放ちながら消えて、行く。

驚きもせずに…当たり前かのように眼を閉じて。

まるで自分の記憶のように、だが自分以外の視点で見るそれに呆然とした。

驚愕に、言葉も出ない。

死ぬのは自分ではなかったのか。

何故、あそこでレプリカの体が消えるのか。

そして、結局最後にどうなったのか。

なんだこの、中途半端なところで終わった物語を見せられたような、すっきりしない状態は。

そして気が付けば、自分は幼い子供の姿で、尚且つその両手が持つには少々重過ぎる本を取り落とした瞬間で、直後避ける間もなく足の甲目掛け本の角が落ちて来て、余りの痛さに悶絶した。

混乱を極める頭でも、ことの原因が何だかは薄々察していたが、この瞬間爆発する。

――…ローレライ。

俺に何の恨みがあるんだ、この野郎!

痛む足を僅かに引き摺りながら書庫を出てすぐに、メイドに「ルーク様その御足はどうされました」、と声を掛けられる。

そのことが、突然の意識の浮上と、幼い子供の体だということしか判らなかったことへの混乱に歯止めをかけた。

服を確認し、己の髪の色を確認し、見慣れたメイドの衣装、そして今呼びかけられた『ルーク』という名前で確信する。

もう何もかもが信じられないが多分、ここは過去…なのだろう。

途端、この子供の――幼いルークの記憶が溢れて来た。

世界自体のしくみは変わっていない。

この世界を深く支配しているのはユリアの遺した預言。

だが、自分の完全同位体であるレプリカは、今この世界では、双子として生まれているらしい。

ただ、名前は向こうが『アッシュ』になってしまったが。

恐らく、こちらでもこの存在の誕生は預言にはなかったのだろう。

だからといって自分の子供に『灰』と名付ける、己の父親の心境が理解出来ない。

他にどんな名前もあっただろうに、よりにもよって、『灰』。預言にない誕生に混乱していたのだと本人は主張しているが、いずれ見殺す運命にあることが頭にあったに違いない。

……何故俺はこんな場所を奪われたと、駄々をこねるガキのように騒いでいたのだろう。一気にこころの中で何かが褪めた気がした。

それでも、預言がある限り、ヴァンは動くだろうことが予測出来る。

今回は、別にレプリカを作る必要は無いから、逆に楽なのかもしれない。何せ一卵性の双子なのだ、性質はやはり同じ。更にはレプリカのように劣化していない。

固体振動数までが同じかどうかは判らないが、ベルケンドへと検査と実験に連れて行かれれば判るだろう。

判り次第、暴走したように思わせて実験機及び実験所を適度に破壊するつもりだが。

色々な差異は『星の記憶』からしてみればほんの些細なことで、だがアッシュ自身にしてみれば酷く違和感を覚える過去。

――そう、過去にしては、違うところが多すぎる。

その差異の多さが確信に変わる。ここは、自分が居た世界ではない。時間の逆行の際に差異が起こるはずがない。

自分が居た世界は、この時点を通り過ぎてしまったことになるだろう。

未来を知っていれば、変えたくなる。

この異なる世界の過去から己の知る結末を覆すことを、『星の記憶』は許すのだろうか。

許されなくてもいい。

同じ結末など、誰が望んでやるものか。今自分がこの場所に居るということは、未来を望むように変える自由を与えられたのだ。

――与えておきながら変えられては困るとか言うなよ。

ここには居ない、そして以前のように接触してこないローレライに対して、そう強気に出ることにする。

まず何から始めるべきか。

とりあえず、あのヴァンへの妄信を止めさせるべきだ。

なにをすべきか、となれば、自分への信頼がヴァンより勝ればいい、と思うのは単純だが一番効果的だろう。

そのためには、完全同位体の、今では双子の弟である彼に対して、短気なのがいけない。

そう思い、何事にもこころの中で10数えるのを常に心がけた。

その間に無理矢理にでも落ち着いて、冷静さを取り戻す。

無暗に短気を起こして怒鳴り散らす必要は無い。静かに、だが力を込めて言えば言いたいことは伝わるはずだ。

その結果、大変子供らしくない子供になってしまったが、5歳の体に17歳の精神が宿っているのだ、どう頑張っても子供らしさには程遠い。求められても困る。

そして今では双子の弟なのだから、『屑』という言葉は禁じた。

もともと感心できる言葉ではないのは重々承知している。蔑みのために使用した言葉であったし、あの時は己の名を呼ぶなど到底我慢がならなかった。こういう部分で父親の血を受け継いだことをつくづく実感した。

 

* * *

 

漸く何とか二年の月日を怪しまれずに過ごすことが出来た。

一番気を抜けないのは最近始めた剣術稽古の時間で、ヴァン相手に殺気を抑えるのも、拙い手つきに見えるように剣術を習うのも、短気な自分には一苦労なのだ。体力消耗より精神消耗の方が激しい。

「ルー!」

中庭で汗を拭っていると、よく聞き慣れた声が己を呼ぶのが聞こえた。

手を止めて振り返れば、子犬のように嬉しそうにこちらへ駆けて来る姿がある。

勢いをほぼ殺さずにぶつかって止まる彼を、同じ体格の自分で支えるのは大変だ。

よろけつつも何とか耐えると、胸に埋めていた顔を上げてにっこりと屈託なく笑ってみせる。

その様子は、以前――死ぬ前にアッシュの名を呼んで駆け寄ってくる姿を思い出させた。優しい記憶でもないのに、あれを懐かしいなどと思う自分の思考はどうかしている。

その彼に対して、自然と淡く微笑む。

「どうした」

「べんきょう!今日はいっこもまちがえなかったよ!」

「そうか」

褒める言葉の代わりに、そっと頭へ手を伸ばしくしゃりと撫でれば彼はきゃあと歓喜の声を上げた。

今はほぼ同じ生活をしている。共に起き、共に食事を摂り、同じ時間にどちらかが勉強をしている間はどちらかが剣術稽古をし、視察について行き、共に眠る。

特に視察に彼がついてくる必要はない、と言う父親は既に視線と口で言い包めた。子供と思って侮るなよ。

アッシュ自身の努力もあって、今この屋敷で彼の一番の信頼を得ているという自負がある。

最初は自分に出来るかと不安だったが、彼を前にそんなものは必要なかった。

構える前に、突飛な行動を起こす彼に振り回され、気がつけば自然と当たり前のように、兄弟…というか家族というか、そういう気持ちで接することが出来た。

掛け替えのない存在だというのはもともとこの体の意識の奥底にあって、それは弟である彼も同じのようで、互いに甘えることを自然と行える、それに助けられた。

この体の本来の持ち主である幼いルークの意識は、小さいけれど確かに中心に残っていて影響力を持ち、それを包み込むアッシュの意識が知識の一部のように受け入れる。

そのお陰か、何事も不自然にならずに対処出来た。――今では慣れたもので、当たり前となった。

全く、と今も甘えて抱き付いてくる姿に苦笑する。

ガイだけでなく、自分すらも一人前の兄のような存在に変えてしまうつもりなのか。

この存在を酷く憎んでいた。赦せる時は一生ないと思っていた。最初はヴァンによって植え付けられて、直接出会ってからはそれを増長させるかのような、愚かなレプリカに嫌気が差して。

確かに彼は酷く愚かだった。そのことは彼自身の責任だ。

しかし同時に、彼には何も与えられなかったという、証拠でもある。

『ルーク・フォン・ファブレ』のレプリカとして誕生してしまった彼は、何も知らないというのにひたすら今までの『ルーク』を求められ、強制され。

そこには、彼個人の存在などない。

少なくともアッシュは幾つかの選択肢の中から、自分でヴァンを選んでいたはずだ。(たとえそれが謀られていたことだとしても)

他の道を用意されることなく仕向けられるのと、複数の中からひとつを選ぶように仕向けられるのとは、違う。

彼は生まれた時から、『ルーク』であること以外、求められなかった。

彼個人を求めた人物は、誰一人居なかったのだ。

もちろん居場所はなく、誰も信用などできず。

唯一と信じ慕っていた男は、彼を容易く棄てた。

そして、オリジナルには「居場所を奪った」と責められる。

レプリカ自身はどうしようもない、そのアッシュの苛立ちを、最後には受け止めていた。そしてその上で、アッシュに認めさせたのだ。

それだけを求めて、レプリカは……、

――ああ、では。これは。これは自分のためなのではなくて。

ローレライが彼のために用意した世界だ。

彼のために、自分には未来を変える自由を与えられたのだ。

ならば、自分は最初から、彼を求めている。

今では『アッシュ』という名前の、己の中では『ルーク』という名の、彼を。

重ねようとは思っていない。

ただ、ローレライが別の過去とはいえこの時間軸を選んだということは、彼はアッシュにとっての『ルーク』なのだろう。

でなければ意味がない。

彼にアッシュのように記憶がないのは、恐らくはローレライがあの記憶を残すことを由としなかったのだ。アクゼリュスだけならまだしも、レプリカたちの命を奪ったことを。

全く甘すぎる、とため息が漏れる。

「ルー?」

「なんでもない」

顔を覗き込む至近距離の彼の額に己の額をこつりと合わせ、互いに微笑む。

温かい午後の陽射しが二人を包んで、彼の金色に透ける朱色の髪をきらきらと輝かせた。

この存在が綺麗に笑うのなら構わないと思う。

ここではまだ起こっていない、そして起こらせる予定もない未来の話だ。そんな傷などこの幼い子供には要らないだろう。

ローレライの意識がうつったんじゃないだろうか。

とてつもなくこの存在が。――愛おしい。

 

* * *

 

それから、蜜月のような数年の月日が流れた。

外見的には15歳に成長した双子は、それなりに父である公爵に与えられた仕事を分担してこなすようになっていた。

仲は悪くない。いや、はっきり良いと言えるだろう。

アッシュが飽きっぽい彼にあの手この手で教えた勉強から始まり、その他自分とて充分ではないがそれは他の人間の力も多少利用して、感情面等に行った教育も功を奏して、多少頼りないが持ち前の天真爛漫さと素直な人懐っこさが好感を与える公爵家の双子の片割れと、キムラスカ的には認識されている。

恐らく、彼本来の性質を損なうことなく引き出せたとアッシュは思う。

だがそれは、別の角度から見れば。

やはり何かしらことを起こすのも、彼なのだ。

「…もう一度、言え」

午後のゆったりとした時間に、珍しく二人揃って茶を飲みながら互いの近況を報告する際に、突然の長い沈黙の後、あのさ、と彼が切り出した。

酷く嫌な予感がして、思わず眉間に皺が寄るのが自分でも判った。

視察だなんだと互いに仕事に追われている最近は、自分を滅多に頼らなくなったし、昔は一緒だった部屋もとうの昔に別れているが、こっそり甘えて来るのは変わらず、だから安心していた部分もあったのは否めない。

アッシュの顔を見て一瞬彼は怯みそうになったが、ぐ、と目に力が入る。

――ああ、非常に、マズイ予感がする。

これは絶対、何があっても譲らない姿勢だ。

恐る恐る彼は口を開いて短く告げる。

「だから。俺、《神託の盾》に入ろうと思う」

その時、自分の中でもう自然に行われているカウントが始まった。

10、9、8、

ふう、と一度深いため息を吐き、怯えさせないよう、ゆっくりと問う。

「何故だ」

「だって、俺、もう後継ぎの問題で振り回されんの、やなんだよ」

7。

 確かに、成人の儀が近づくにつれてその問題は否が応にも付いて回る。時折結婚相手の選別も付く。将来王位を継承するかもしれないのだ、半端ではない。

どちらが後継者に向いているかと比較するということは、互いの揚げ足を取ることにもなる。聞きたくもない互いの欠点を論われたり、逆に見え透いて媚び諂われるのが苦痛なのはアッシュとて同じだ。

地位や財産や色恋よりも剣術が好きなまだ子供のような彼には、精神攻撃ともいえるそのことがうざくて仕方がないのだろう。

――それに」

フイ、と照れたように逸らされる顔。

その流れに従うかのように、朝夕手入れを怠らない夕焼け色の髪がさらりと舞う。

6、5、4、

「ヴァン師匠の傍に居られるし……」

もごもごと、口の中だけで告げられる言葉。心なしか頬が赤い。

3。

そう。

口を開けばヴァン、寝ても覚めてもヴァン。

こればかりはどうやっても覆せなかった。

何故だローレライ。

ローレライ(完全同位体含む)はユリアの遺伝子には逆らえないように出来ているのか?

ユリアにどういう弱みを握られたんだ、ローレライ。

いや、自分は目の前の彼という存在を得てその因果からはとっくに離れたけれども。

2。

……まぁ、アレだ。

1。

今日も天気がいいな、譜石が見える。

0。

「……お前なんかに神託の盾が勤まるわけねえだろていうか大体馬鹿の一つ覚えのように毎回毎回ヴァンヴァンヴァンヴァンお前ら出来てんのかふざけるないい加減にしろよこの屑があぁ――!!!!」

俺は地雷なんか踏んでねえ踏んでねえよ畜生!!

 

end.