「ガーイー!」

双子の片割れが部屋のドアを乱暴に開け、休憩時間に音機関を弄っている俺の元へ飛び込んで来たのは、昼下がりの午後だった。

「うぉっ!? ちょ、お前危ないって!」

工具を握っているというのに容赦なくしがみ付いて、ぐりぐりと胸元へ顔を寄せている朱金の髪を持つ彼に慌てて言えば、「ルーが、ルーが!」とくぐもった声が返って来る。

その様に、思わずああ懐かしいと頬を弛ませてしまう。

ファブレ家の双子は幼い頃些細なことでよくケンカしては、負けたアッシュがこうやって俺のところへ逃げて来た。

元々子供らしくないあの双子の兄に言葉で勝てる人間など母であるシュザンヌ様と、従姉妹であるナタリア様しかいないだろうと(つまりは完全に庇護するべきと捉えられているもの、それ以前に女性に優しく出来ているルークは、彼女達には無抵抗だ)、常々思っていた。幼い口から発せられる、どこで覚えてきたんだと問い質したい程の余りに品のない語彙に驚いているうちに、怒涛の勢いで主導権はあちらに握られてしまう。結果は推して知るべし。

勿論、兄のルークにとって弟であるアッシュも庇護の対象であり、ケンカと言っても公爵子息として、半ば放任というよりは放置に近い公爵の代わりに多少厳しいところがあって、一緒が良いとかのささやかな我侭も聞いてあげられない時に発生するものが多かったのだけれど。

その分、甘えていい時に充分に甘えさせたくなるのは、仕方の無いことなのかもしれない。

しかし最近は互いに成長した所為なのか、ケンカは滅多になくなっていたはずなのに。

「アッシュ、とりあえず落ち着けって」

「ルー…がぁ……」

胸から顔を離したアッシュは、日頃の元気のよさはどこに行くのやら目を瞑ってほろほろと涙を零している。

ああお前、15になってそんなに泣き虫なのはないだろう。というか今でもこいつを泣かせることが出来るのはルークだけなんだが、と思いながらハンカチでその涙を拭う。

泣かされてもケンカしても、アッシュの話題は大抵ルークだ。ルーク六割ヴァン三割それ以外一割。それを理解していないのは六割のルークだけで、自分以外の、特にヴァンの話題が出るだけで不機嫌になるのはどうかと、お前らの兄代わりの使用人は思いますがどうですかお坊ちゃんども、と心の中で深いため息を吐く。

「ルークがどうしたって?そう言えば、お前ら、さっきまで中庭でお茶してたんじゃないのか?」

最近忙しい双子が二人きりのお茶の時間を楽しみにしているのは周知の事実で、その間一時間は中庭立ち入り禁止だ。ファブレ家の使用人はルークはツンデレで照れ屋さんだからいつも眉間に皺を寄せている自分が、弟に対しては甘い甘い顔で微笑んでいるのを他の人に見られたくないのだとか、二人きりの時間を誰にも邪魔されたくないのだとか、言われなくても心得ているのだ。

そもそもルークの毒舌は、弟が関係した時に容赦なく発揮されるのだから。

それが、当の弟に向かったとなると、一大事だ。青天の霹靂。

ぽんぽんと背中を叩いてあやせば、次第にアッシュの状態も収まって来て、それでもまだ俺にしがみ付いたまま、涙目で見上げて来るアッシュの視線を正面から忍耐の二文字で受け止める。

「ルーに、屑、って言われた…」

この世の絶望のような声を出して告げるアッシュのその言葉に、俺は思わず遠い目をしてしまった。

あーあ、とうとう言っちゃったのか、ルーク。

アッシュ、安心しろ。お前は知らないだろうが、公爵なんてもう10年くらい前から言われてるぞ?ルークに何か言えば返って来る返事の語尾は全部それだぞ?あまりの反抗期の長さに公爵は生え際の心配をしてる。あれで、公爵以外には平然と猫を被って品行方正、成績優秀非の打ち所のない公爵子息を演じてるんだから恐ろしい。

多分お前には一生聞かせるつもりがなかったんだろうが、あのお兄様でもうっかりミスをすることもあるんだなあ。

そんな心の中での呟きはアッシュには一言も漏らさず、目の前の朱金の髪をいつもの笑みで撫でる。

「ルークもちょっと機嫌が悪かったんだろ。何の話をしてたんだ?」

「神託の盾に入りたいって言ったら…お前には無理だって…あと色々言われたけどよく判らなかった」

何を言ったんだルーク、と我慢できずに深いため息を吐いてしまうのは許して欲しい。

せめて公爵に対するものとは違いますように。

まあ、言っちゃったものは戻らないし、何を言ったかは知らないが、せっかくの機会、俺は俺で自分の好感度を上げておこうと思う。悪いなルーク。

「俺もそう思うな、アッシュ」

頼れる年上の幼馴染としての笑顔で言う俺の返事に、アッシュはきょとんと、あどけない表情で見返してくる。

「なあアッシュ、神託の盾は軍だ。それはつまり、命令で人を殺すってことだ」

『殺す』という言葉に、アッシュの体がびくんと震えて表情が強張ったのが判る。

アッシュは言われなくても判っているつもりで、でもやっぱり実感はしてなかったんだろう。

「人を殺すってことは、とても重いことだ。出来なくて当たり前のことだ。優しいお前に人なんて殺せない。そして、それでお前が傷ついて欲しくないって、ルークはそう言いたかったんだと思うぜ」

「でも屑って…ルーに…き、嫌われたのかも…」

ああ、もしかして、お前には無理だと断言されたことよりも、嫌われたかもしれないことが、重要なのか?

だからいつもの元気さがないのか?

ああもう本当に、ファブレ家の双子と来たら。

「ちょっと咄嗟のことで、思ってもない言葉が出ただけだよ。大丈夫だって、ちゃんと話し合えば判ってくれるさ」

お前の大好きな双子の兄さんだろ。

そう、微笑みながらアッシュの頭をよしよしと撫でれば、アッシュも安心したのかにっこりと微笑み返して来た。

ああ、役得。

こんな微笑みは幼馴染でしか見られない。

そうしみじみ実感しながら微笑み返していると。

「おい」

こつこつとドアをノックする音で(今気が付いたが飛び込んで来たアッシュの所為で開けっ放しだった)視線をやれば、ルークがドア枠に寄り掛かった状態で立っていた。その俺に向けられた視線は、物質化して刺さりそうだ。

てか、いつの間に!?気配全く感じなかったんですけど、坊ちゃま!お前本当に貴族の息子なのか!?その百戦錬磨的な殺気だとかはどこで培ってきたんだ!

「ルー!」

ルークの声に嬉々として振り返ったアッシュが、俺の上からあっさりと立ち退いてルークに走り寄った勢いを殺さずそのまま思い切り抱きつく。それを受け入れるルークは先程の剣呑な雰囲気はまるでなかったかのように収めている。いっそ穏やか過ぎるほどだ。その切り替えの早さも本当に、どこで覚えたんだよお前。

ルークに甘えるアッシュの姿に複雑な感情を覚えるものの、まあいいか、と二人が仲直り出来そうなことを純粋に兄代わりとして喜ぶ。

それに何だかんだ言って、ルークは迎えに来るのだから、甘いよなあと思う。

だが、そんな穏やかな空気を裏切って、俺の耳に届いて来たのは、紛れも無く。

「雷雲よ。我が刃となりて…」

え、何だよその詠唱。

「ちょっと待て!お前のためにかなり良い話をしなかったか、俺は!」

もちろん俺のためもあったけど、見てみろ、アッシュのお前を見る視線が愛情を再確認してきらきらしてるじゃないか!

俺の視線の主張ははっ、と鼻であしらわれる様に笑われることで、あっけなく却下された。

「人をダシにして良い思いしてやがったくせに何言ってる。それに、誰の許可を得てこいつに触ってんだ?」

猫を被った公爵子息のにこやかな顔で落とす鉄槌、もとい落雷。

――お前の心はチーグルの額よりも狭すぎだ!

味方識別してあるって判っててもこっちはめちゃくちゃ怖ぇんだよ!

end.

ルーク以外には10カウント未満で譜術発動。