■ 二周年記念リクエスト作品。『カンタビレ』連載当初から丁寧なメッセージを下さる、ココノエ様に今更ですが捧げます。

ああ、今日もいい天気だ。

光溢れる窓の向こう、はるかに広がる空を見上げてそう、思う。

バチカルは天に近い分、空気が綺麗で澄んでいる。太陽が近くて眩しい。雲なんてまるで触れそうだ。

こんないい日は、もし天国というものがあるとするなら、姉さん達もさぞかし気持ちよく過ごしてるんじゃないかなんて、そんなことを考える。

姉さん、あんなに泣き虫だった俺も一応成長して、女性恐怖症は相変わらずだけど、姉さんが最期願ってくれたようになんとか頑張ってるよ。

もう俺は大丈夫だから、どうか心配せずこころ安らかに――

「ふざけたことぬかしてんじゃねえよ、この屑」

――姉さん、事件です。

おかしいな、さっきまで普通に朝食中じゃありませんでしたか、ファブレ家の皆様は。

ああ、お薬の時間だって奥様がお部屋にお戻りになって、アッシュがヴァンが来るっていそいそと剣の稽古の準備に部屋に戻ったからか?だからこの食堂は今、凍えそうな温度になってるのか?また懲りずにコミュニケーションの糸口を間違えたんだな、旦那様。学習能力のない。

俺が視線を戻した先、食堂のテーブルを挟んで親子二人が対峙している。似た者親子が眉間に皺を寄せ似たような顔をしてする無言の応酬の後、ファブレ公爵がわざとらしい咳を一、二度、してから口を開いた。

「…屑は止めなさい。――ふざけてなどいない。そもそも、跡継ぎはお前さえ居ればいいのだ。あれが自分から出ていくというのなら、何故それを止める必要がある?」

「出ていくようにし向けておいて、良くそんなことが言えるモンだな。この屑が」

ルーク坊ちゃまはその成長途中の御脚をそれはもう優雅に組んで、テーブルに行儀悪く肘を突き、ハッ、といかにも不遜な表情を向け鼻で笑う。旦那様の額には青筋がくっきりだ。

使用人とメイドの数人はケンカが始まった途端そそくさと退室してしまって、残ってるのは根性と忍耐の執事のラムダスと、全て聞き流すメイド長と、慣れ半分と好奇心半分から居る俺くらいだった。

ガルディオス家の末裔として、ファブレ公爵のことは全然、髪の毛一筋すらも許したこともなければ未来永劫そんな予定は全くないけれど、その公爵子息の片方が突然何を思ったのか、どこに出しても恥ずかしくない今をときめくきらきらしい優秀な跡継ぎ(というよりは次期国王候補)にご成長あそばしたのに、息子の優秀さを認めたり褒められる度に鼻高々になる公爵の鼻を「消えろ」「うぜえ」「黙れ」「屑」のある意味爽快な連続コンボでべきべきへし折ったり、こころをごっそり抉ってぐちゃぐちゃにした後踵でぐりぐり踏みにじったりするようになった。そのたびに起こるシルバーナ大陸並の氷点下ブリザード直撃な公爵の姿は、毎日見ていても飽きない。本当にお前それ一体どこで覚えてきたんだ、ルーク。

しかもこれ、悲劇なのは公爵はルークのことを跡継ぎとして認めているところだ。不器用ながら愛情傾けてあの手この手でルークの態度を軟化させようとしてるのが判るから、たまらない。その相手から十年間徹底的に毛嫌いされることほど、貴族の当主にとってショックなこともそうないだろう。とりあえず、ルークはこの屋敷では公爵だけに精神的暴力を存分に振るうので、この屋敷に来た時から俺のこころを苛んでいた復讐心はひとまず沈静化している。

ルークの態度がここまで来ると普通は廃嫡することも考えるだろうが、ルークは優秀で知名度が高すぎた。バチカルの住民達はアッシュのルークへの態度もあってかルークが将来国王になることが決定事項だと思っている上に、文武両道、特に剣の腕前は弱冠17歳にして父親もとうに凌いでヴァンと張る、という恐ろしいほどの才能を持つのだから、今じゃどんな理由を持ってしても廃嫡なんて有り得ない。公爵はルークの機嫌をとり続けるしかないし、それにルークに強く出られない部分があった。それは弱みを握られているだけではなく、ルーク自身の気迫のようなものによって。

テーブルの上に置いた手を組み、眉間の皺はそのままで公爵はため息を吐いて窘める。

「屑は止めなさい、ルーク」

「血の繋がった弟に対する父上のあまりななさりようを表すのに、相応しい言葉だと思っております」

脚を組んだそのままで、ルークが優雅に微笑む。

ふうと空気が変わるのが離れて立つ俺の肌でも判る。目の細め具合から唇を撓らせそして傾ける首の角度、偶然のはずの紅い長い髪が肩にしなだれる、それまで計算し尽くされたかのように高貴で流麗だった。

完璧だ。出た、猫被りの更に上級レベルの文句の付けようがない完璧な王子様モード!なんでこんな顔も出来るんだろう。不思議だ。

部屋の隅でちらりと見ただけの俺はそう感嘆するだけだが、窓からの光を受けてきらきら周囲に金色の星が舞うように眩い微笑みを間近で見た公爵の方は言葉を失っていた。ああ、うん、滅多に笑いかけられることなんか、ないもんなあ。あはは固まってる。

表情は変えないまま内心では笑う俺の視線の先で、だが、とルークは笑みを瞬時に消し、そして。

「今更態度を変えてどうにかなると思うのは大間違いだ」

やっぱりどこで覚えて来たのか判らないが、大変ドスの効いた顔と声で公爵へ告げた。無防備で居たところにそんなものを見せられて、公爵が僅かに動揺して肩を揺らす。相変わらず、アメと鞭の使い方が巧妙だ。

公爵が(表面上だけでも)優しくなったらアッシュは素直に喜ぶと思うけど、多分ルークの怒りが治まらないんだろうなあ。

それにしたって公爵はおかしい。王位を継ぐのはルークに違いないのに、残るアッシュをどうしても跡継ぎにしないというのは何故なんだ。そして、間違いなくルークはその理由を知っているからこそ、こうして十年間ずっと、公爵を責めている。それが公爵の弱みでルークに強く出られない原因のひとつだ。

ルークはこの状況でも仕事に徹するメイド長に淹れさせた紅茶に口を付けながら、言葉を継ぐ。

「神託の盾には俺が行く。家のことはアイツに任せておけば問題ない」

「何を馬鹿なことを! お前が神託の盾に入団することこそが意味がない!」

「アイツには意味があるのか?」

ちらりと視線を寄越されて、公爵はぐっと言葉を飲み込んだ。お、やっぱりボロは簡単には出さないな。そりゃそうか、公爵だって伊達に政治を渡ってきた訳じゃない。

「…お前は、次期国王になる存在なのだ。神託の盾で命を落とすことになったらどうする。お前の命はお前のものではない。国のものだ。お前なら解るだろう、ルーク」

「残念ながら、解らねえな。俺もアイツも、国のものじゃない。国には絶対に利用させない」

言葉の強さとは裏腹に、かちゃりとソーサーへカップを戻す仕草は静かだ。言葉かその落ち着いた仕草のどちらかに苛立ったのか、公爵が激しい剣幕で声を上げる。

「ルーク、貴様それでも貴族か、騎士か!」

「貴族なら、騎士なら、弟を見殺しにするのが当たり前だとでも言うつもりか!」

間髪入れずにルークが返す。再び睨み合いの攻防が始まった。

「誰に何と言われようと俺はもう二度と、アイツを国の、世界の犠牲にはしないと決めている。俺はキムラスカにも王位にも、未練はない」

追い出したければそうすればいいと、覚悟の上だとルークが言う。

「ただ、アイツだけは連れて行く。何があっても。それでキムラスカに、世界に恨まれようとも。アイツをないがしろにする相手には、容赦しない」

「何故だ、何故判らぬのだ、ルークよ!お前ほどの者が、国と一人の命とどちらが重要か、」

「だからさっきから言ってるだろうが!――ふざけたことぬかしてんじゃねえ、屑が!!」

罵りの言葉で言葉を遮られた公爵はもう我慢ならんとでも言うように強い音を立てて椅子から立ち上がると、テーブルをばしんと打った。その珍しい行動に見守っていた俺も、執事も、メイド長も思わず注目する。おっ、とうとう公爵が言うか? 父親に対する礼儀がなってないと、その口の利き方はなんだと長い反抗期の終止符に向けて一歩を踏み出すのか!?

 不謹慎にもこの状況を楽しんでいる俺の前で、公爵が口を開いた。

「ルーク!いい加減に…っ」

瞬間。

びり、と静電気のように鋭い何かが部屋の中、走る。

打ったような静寂が部屋を包んだのと同時、空気を渡って伝わってくるのは、氷よりも冷たくナイフよりも鋭利な、殺気だ。あのファブレ公爵がおののくほどの。先程の王子様モードからは全く窺えなかった、喉笛を掻き切りそうな勢いでひたりと突きつけられているような、そんな殺気が部屋を満たす。

今、この瞬間のルークは修羅だった。公爵が経験したのと同等かそれ以上の、地獄を味わったかのような重く苦しく痛いくらいの圧迫感が身を包む。この時ばかりは俺も身動きひとつ、取れない。瞬きの合間に喉を掻き切られる錯覚さえ覚えるようなこの殺気に、あのメイド長が気を失いそうにがたがたと震え、ラムダスすらもが息を殺して微動だにしない。

その緊張の中、睨み合いが続いていたものの。ごくり、と公爵の喉仏が動いて視線がそっと逸らされ、完全に勢いを失った声で言った。

――屑は止めなさい」

この根性なし。

* * *

入り口で護衛しつつ待っていた書庫からルークが出て来た時、タイミングが良いんだか悪いんだか、廊下の端、曲がり角から稽古が終わったのかヴァンが歩いてくるのに出会した。

ルークがごく小さな、身近にいる俺にしか聞こえないくらいの音で舌打ちした後、そんな素振りは全くない様子で自然な、それでも洗練された動きで頭を下げて挨拶する。

「ヴァン…師匠。お久しぶりです」

「ああ、ルーク。元気にしていたか」

「はい」

優等生の顔をヴァンに向けるルークの背中を見ながら、俺は存在しないルークの忍耐ゲージ(既に60%の状態の)が空中に見えた気がした。アレが80%になった時がヤバイんだよな、と他人事のように思いながら見守る。アッシュ相手ならカウントダウンの開始、俺に対してならもちろん、譜術発動状態(一応味方識別付き)。

「ルーク、アッシュには話したのだが――、」

思わせぶりに言葉を切って、一歩ヴァンがルークの方へ踏み出すのに、距離を取りたいルークがそれでも後退するのはプライドが許さないのか、ぐっと堪えているのが見えた。あ、ゲージが70%になった(気がする)。

「アッシュではなく、お前の方こそ神託の盾に来ないか、ルーク」

ぽん、とルークの肩に親しみの温度でてのひらが置かれる。きっとルークの服の下、上半身はどこかしこも鳥肌だろう、それを必死に堪えている握りしめて白く震える拳が袖から見えた。ああ、耐えてる耐えてる。今すぐ殴り倒して蹴り転がしたいだろうに、アッシュのためなら本当に頑張るよなあ。そんな白鳥のような努力はヴァンにはもちろん悟られず、よりいっそうヴァンは距離を詰める。おいおい、顔が近いって。

「どうやらお前にはこの屋敷は小さすぎるようだし、それならばいっそ王位を継ぐ前に違う場所で世界を知ってみるのも、またよかろうと思ってな」

ヴァンが無駄にイイ声をひそめルークの肩を抱こうとした瞬間、忍耐ゲージがあっさり80%を振り切ったルークは今まで耐えに耐えて押さえていた甲斐なく、爆発した。

「どいつもこいつも俺からアイツを引き離そうとしやがって大体テメエ何様のつもりだなに上から目線でもの言ってんだ今じゃお前に教わることなんか一つもねえよ言っとくがな俺を敵に回して無事にことが済むと思ってんじゃねえぞキモイんだよ触んな老けるだろうがっ、このヒゲが!」

がふっ。

込み上げて来た笑いを堪えるために、辛うじて背を向け咄嗟にムリヤリ手で押さえて口を閉じる。その所為で変な音がしたが、ルークは俺の背中を目にもとまらぬ速さで殴って追い打ちを掛けて来た。ちょ、よ、容赦ないなお前…!

俺が本気で咽せようともそれを華麗に無視して首を僅かに傾け、さらりとその毛先になればなるほど濃く変わる紅い髪を靡かせ、王子様モードでヴァンに微笑みかける。きらんきらん、失言を誤魔化すために周囲を包む陽射しの輝きもいつもの二割り増し。この輝きの前にはヴァンですらも大抵のことが曖昧になってしまう、が。

「ヒゲ?」

ヒゲと言われたインパクトは強烈だったらしい。

「ええ、貫禄があって素敵ですね」

だがそこにもそつなくルークのフォローが入る。きらきらと空気中の第七音素が黄金色に輝く様すらもが見えそうだ。その笑顔で全ての奇行が流される。褒められた(?)ヴァンは満更でもなさそうな顔。恐るべし、ファブレの子!これぞ貴族のなせる技!

そしてすぐにルークは思案気な表情になって頷いた。

「そうですね。実は、俺もそう考えていました。ヴァン…師匠の仰る通り、アイツに神託の盾は務まらないでしょう」

「ああ。アッシュはお前に比べて優しい性質であるし、神託の盾の使命は重すぎるだろう。アッシュには公爵家跡取りとしての教育に励ませておくといい」

「ええ。それに俺も、ヴァン師匠のなさっている研…お仕事に非常に、とても、興味があります」

あざとい。わざと言い間違えた上に強調を繰り返した。ヴァンの表情が僅か、ほんの微かに揺れてそれからにやりと笑む。ああ、勝手に共犯に認定されたぞ、と思うが、ルークにとってはそれも計算の内なんだろう。ヴァンの懐へ潜り込むため、アッシュを懐柔されないためならルークは、生理的に触れられただけで鳥肌が立つほど嫌いなヴァンへも愛想を惜しまない。

「そうか、お前が来てくれるのなら頼もしい。入団の最初こそ辛いがお前のことだ、きっとすぐに慣れることだろう。私はお前の入団を歓迎するぞ、ルーク」

ルークの肩に乗ったヴァンの手に、ぐっと力強く力が篭もる。途端ぶちん、と何かが切れたような音がして、元々短気なルークの忍耐ゲージはあっけなく100%を振り切った。

「別にテメエの為じゃねえよ勘違いすんなテメエはいつも自意識過剰なんだよその鼻っ柱今すぐローレライと同じ力で二度と戻らないくらい木っ端微塵にへし折ってやろうかそれとも鼻フックかテメエなんか音素以下だ今すぐ這い蹲らせてその髪と眉と髭使ってトイレ掃除用モップにするぞ、このヒゲッ!!」

しん…と、廊下に静寂が落ちる。そこに。

「…ヒゲ?」

呆然としたヴァンの声が落ちた。まあ、至近距離で叫ばれたら、残るのは大概最後の言葉くらいだよな。そもそも、ルークは今まで一応完全に猫被ってたし。

当のルークは。

暴言とは全く違う、その口から出たとは信じられないくらいの、背後で白い薔薇が満開に咲いて花びらが散ってそうな、貴公子然とした爽やかな笑顔を返す。

「ええ、とても良くお似合いです」

笑顔で返して、なおかつさらりと強引に押し切った。おいおいルーク!ちょっと無理があるんじゃないか?

それでもヴァンは直前に言われたことなんてもう頭に残ってないような様子で、そうかそうかと自尊心を擽られたのか、満更でもなさそうな顔で頷きながら顎を撫でている。 っていうか、待て待てそれで良いのか!? それで誤魔化されて良いのか、ヴァン!俺はちょっと心配になってきたぞ!!

ルークの前では、キムラスカ王国元帥である公爵も神託の盾騎士団総長であるヴァンも、形無しだ。今のところ、ルークの暴走を止められるのはアッシュと奥様とナタリア殿下だけだった。

視線を逸らせた窓の向こう、晴れ渡る強い青が広がっていた。それを刳り抜く筆で整えたかのような、眩い白い雲。そこを滑るように飛ぶ、鳥。まるで平和そのものの顔でキムラスカは今日も在る。

姉さん、俺も相当逞しくなりました。

ああ、本当にいい天気だなあ。

end.