今日は、お顔の色がいいですね。ご気分は?
…そうですか、それなら良かった。
食欲はありますか?
よく冷やしたラカの実を、持ってきたんですけど。
…すこし、今日はどうでもいい話をしましょうか。
ちょっとした、暇つぶしですよ。
今日は天気はいいですけど、あなたはやっぱり外には出ない方が、よろしいでしょうから。
――昔、猫を飼っていましてね。
意外ですか?
…まぁ、そりゃあ、鳥を襲いますけど、仕方ないでしょう、弱肉強食ってやつですから。奈落そのものじゃないですか。
まぁ、あれはちょっとした手違いで、手元に残った猫でしてね。
別にそんなに思い入れはなかったんですけど、猫にとってはいい場所だったんでしょう。
猫は場所に居着きますし、当時の俺にしては長い事そこに居ましたから。
――短気な猫で、ちょっとでも気にくわないと、すぐ噛み付いて、引っ掻いて。
俺に呼ばれれば、どんなに遠くからでも、走ってくるくせに、俺の姿が見える範囲に来ると、突然急いでいた風もなく、悠々と歩いて近づいたりね。
あいつが欲しそうな物を持っているときは、傍に来るんですけど、それ以外は手の届く範囲には来ないんですよ。手の届く、ギリギリのところで、床に座ってる。じっとね。
しかも、座る時は絶対。そっぽ向くんです。背中向けて。
名前を呼べば、しっぽだけ、ぱたりと動かして。
俺が居ないと、安心して眠れないんでしょうね、ちゃんとベッドを用意してやってるのに、わざわざ俺のベッド占領して寝てるんですよ。…どんなに、暑くても。
おかげで、こっちは疲れて帰ってきてるのに、どんなに迷惑した事か。
俺を困らす事が、好きみたいで。
俺が部屋にいて少しも構わないと、違う部屋でわざわざ鳴いて、俺が探しに行くまで鳴き続けたり。
ちょっと撫でただけで、すぐ咽喉を鳴らすくせに、抱き上げると怒るんです。めちゃくちゃ嫌がってくれて。爪が服を通り越して、肌まで刺さって。
ミミズ腫れなんて、しょっちゅうでした。
――なに、笑ってるんですか。
似てるでしょう?どこかの誰かに。もう、ホントに強情なんです。
もともと、あまり身体が丈夫ではなかったけれど、年をとって、体力が本当に落ちている時に怪我をして帰ってきて。
あんまり可愛がってなかったくせに、俺も柄になく生きてるか心配して、寝ているあいつを何度か起したことがあります。
それなのに、怪我なんか何でもないふうにして。
いつものように、出窓の所にちょこんと座って、外をじっと見てた。
いつも。
いつも、そこが好きみたいで。そこから見える、なんでもない風景が、好きみたいで。
目を細めて、ずっと、気持ちよさそうに日向ぼっこをしてた。
…きっと、俺がいないときも、ずっと眺めていたんでしょうね。
――この、猫ですか?
もちろん、もう随分昔の話ですから。…死にましたよ。
ずいぶんと長いこと、頑張って、頑張って。…それでも。
死んでしまいました。 あっけなく。
俺をこの奈落に、独り残して。
不思議ですね。
今でも覚えています。
窓辺に座って、外をじっと見ていた小さな姿を。
…今でも。
――ああ、そんな顔しないで下さいよ。
…困ったな、参りました。
この話はそんなに美しい話ではなかったのに。
……何故、あなたに話してしまったんでしょう。
どちらかというと、後悔ばかりの話だったのに…。
end.