「だから、もういいと言っている…仕事にならないだろう」

「え~~~?まだまだあるんやで?」

「そうそう、あとこの城に時々来てた…」

 プラチナの執務室のドアを開けた途端、プラチナのそれはもううんざりしたような声と、ルビイとロードのいかにも楽しそうな声が聞こえ、ジェイドはため息をつくと扉を少々乱暴に閉めた。その音にあからさまにびくりとして、ルビイとロードが振り返る。

「奈落王の執務時間に、わざわざお二人揃って何の御用ですか?」

「あ…は、は。ジェイド…」

「えー…っと…」

 気まずそうにしている様子からして、ジェイドに関する会話だったに違いない。…しかも悪い方の。

 (…この野郎)

 と二人に向かって上辺だけ笑って見せると、慌てて2人は視線を逸らす。

 そんな背後の2人を気にするでもなく、プラチナは手元の書類から目を離してジェイドを見ると、

「ジェイド、この2人を連れて行ってくれ。話を聞きながら仕事をするのは、1つ片付けるのにいつもの倍は掛かる。…悪いが二人とも、俺は仕事を溜める訳にはいかんのでな」

 そうしてまた手元の書類に視線を落とした。

「承知致しました」

 ジェイドは自分の持ってきた書類をプラチナの机に置くと、二人をひと睨みしてからにっこり笑って。

「さぁて、どんなお話で盛り上がってたのか、ぜひとも聞かせていただきましょうか」

 怯える2人の腕を取って、無理矢理扉の向こうへ連れて行った。

「…で?」

「で?って、なぁ…あはは~」

 ルビイが笑って誤魔化そうとしたのを一瞥で黙らせてから、ロードの方を見る。ロードは暫くあちらこちら視線を外して目を合わせないようにしていたが、とうとう正面から上目遣いに視線を合わせると、

「…ジェイドさんの、過去の女性遍歴をプラチナ様に報告してました☆」

 と声だけ可愛く言い切った。そのまま速攻逃げの体制になるロードの髪をジェイドは掴んで止める。

「いてててっ!痛ぇじゃねぇか!女の髪は命なんだぞ!!」

「何言ってんですか。自分のしたことを棚に上げて。勝手に人のプライベートを報告しないで下さいよ」

「あ~…うぅー…」

「って、あなたもね」

 ジェイドがロードに構っている隙に逃げを目論むルビイの腕を掴んだ。

「あ、ははは!いやーすまんすまん。つい、面白そうでロードの言うことに乗ったんや」

「あっ、てめぇ俺だけ悪者にしようとして、ずりぃぞ!!」

「結局2人でやってるんだから、同罪でしょうに」

 呆れて二人を見ると、だってさぁ~、とロードが子供が言い訳する時のような声を出す。

「プラチナの反応、見たかったんだもんよ」

「気になるやんか、なぁ?」

 どうやら精神的に同調する部分を引き出して、こちらの仲間意識の方が強くなって怒りが収まるのを促す手段に出たらしい。

 (…まぁ、それは気になるかも…)

 プラチナとの関係は以前とは大きく違っていたが、プラチナは本当にそういう執着心が薄いような気がする。嫉妬という言葉すら、持ち合わせていないのかも知れない、と常々思っていたから。

「…それで、どうでした?」

「えっ、…あ~…それが…」

「別に普通だったんだよなぁ…ほんと、装っているとかじゃなくて、淡々としてるって言うより…普通。本当にいつも通り。俺達もこう、いろいろ表情が変わりそうなものを言ってみたんだけど、お前が来た頃にうんざりしてたのは、俺達の話にうんざりなだけで」

「内容がどうこう、って感じじゃなかったなぁ」

 2人が残念そうに頷くのを見ながら、ジェイドはプラチナの先程の表情を思い出す。

 …普通、だった。

 もうプラチナが無理をして装っている時の顔など、容易に見分けがつく。自分の目に疑いは無い。

 (まぁ、喜んでる顔もそう見えないくらい、表情が判りづらい面がありますしね…)

 しかし、継承戦争時からの付き合いの二人なのだから、プラチナの僅かな表情の変化に気付きそうなものだし。

 (…ちょっと、鈍いというより…俺が面白くないんですけど)

 ジェイドはプラチナが他人と楽しげに話していても、楽しそうでも無い感じでも、とにかく他人と会話をしている行為すら、酷く気に入らない。

 そんな些細な事でもジェイドはそう思うというのに。

 ジェイドの過去は「他人とお話」を遥かに上回っている。それを聞いても涼しげに聞き流される、というのは…。

 段々不機嫌になっていくジェイドを恐る恐る見守る二人に気付いて、にこりと笑顔になった。

「…別に隠してたわけじゃないですし、いつか自然に耳に入ってたかもしれませんが、それについてはどうこう言うつもりはありませんでしたけどね。…あなたたち、本当に暇ですよね。プラチナ様の机にあんなに書類の山があって、その流れを遅くするくらい、暇なんですね?」

「えっ、なんやねんその嫌~な感じの微笑みは!」

「うわっ、怖ぇ!!」

 2人が少し青くなって、ジェイドの次の言葉に怯える。

「明日から、当分暇じゃない部署に回しておいてあげますよ」

「えええっ、どこだよ、そこ!!」

「嫌や!!アンタめっちゃ酷いトコ回す気やろ!?謹んでお断りするで!」

「そんなに遠慮なさら無くても…そうですか、じゃ、その謙虚さに…とても素晴らしいところへ人事異動しておきますんで。いやー、あそこ今、人手不足で…きっと毎日お仕事楽しいですよ?」

 プラチナ様がお忙しいのに、部下が暇なんて、良くないですよねぇ。

 そう呟いて、ジェイドが足早に去っていく。その後姿にルビイとロードの叫びが重なった。

「だからどこだそこは――っ!!」

* * *

「プラチナ様、御髪のお世話をしましょうか?」

「ああ、頼む」

 浴室から出てきたプラチナにそう声を掛け、鏡台の前に座らせるとその濡れた髪をそっと拭っていく。

 結局プラチナの仕事は夜遅くまで響いて、夕食も取らずに仕事をするプラチナを手伝い、何とか明日の朝早くに隣の領事に渡すべき書類をまとめる事が出来た。

 ジェイドとしては、2人の時間をここまで大幅に削られた事が腹立たしい。原因があの二人だという事もだ。そんな苛立ちは、風呂上りのプラチナを堪能していくらかは収まっていたが。

「…なんだか今日は疲れた…」

 低く、ため息と共に吐き出された言葉に、ジェイドは気遣いの言葉を掛ける。

「本当にお疲れ様です。あの2人にはきつく言っておきましたのから、もう大丈夫でしょう」

「そうか、すまない。お前も疲れただろう」

 鏡に映ったプラチナは、鏡に映ったジェイドを見ながらそう言って軽く微笑んだ。

「大丈夫ですよ。プラチナ様程ではありません」

「あの2人は…、時々面白い話を聞かせてはくれるが…今日のはなんだか…」

「…なんだか?」

 意識しているのが判らないように、声音に気をつけながら続きを促した。

「……同じ事の繰り返しだった様な気がする。名前や地名などの名詞は変わるが、大抵話の内容は同じだった。だから、疲れた」

 (…何と言うか…)

 プラチナに判らないようなため息をついて、ジェイドはある程度の水気が抜けてきたので、髪の中に風を通しながら手馴れた動作で軽く梳いていく。

 プラチナに嫉妬を期待したのが間違いだったのか。

 必要とされている事は判る。充分伝わってくる。時折見せる微笑みは、二人だけの時に見せるもので、その特権はジェイドも物凄く嬉しい。

 他人に触られる事を厭うプラチナが、ジェイドが抱き寄せた時には心地よさそうに胸に身体を預ける様も。

 …夜、ジェイドを感じて綺麗な肢体が乱れる様も。

 自分だけなのだと、判ってはいる…のだが。

 (ただ…もう少し…)

「それは、大変お耳汚しですみませんでした」

 ジェイドは笑って鏡のプラチナと目を合わせて、わざと明るくそう言った。

 そんなジェイドの顔をじっと鏡の中のプラチナは見上げている。

 …普通の、顔で。

 一応、ジェイドを気にしているように見える。

「気になりますか?俺のこと」

 確かめる為にからかうように尋ねてみた。素直に答えるとは思わないが。

「…気にならないといえば、嘘になるが…別にいい」

 すんなりと言葉が返ってきて、更に「別にいい」とまで言われて、思わず手を止めて鏡のプラチナをまじまじと見た。

「…え?」

 (それぐらいの価値ですか、俺って!?…それは、ちょっと…)

 かなりの衝撃を受けて、二の句が継げない。暫く身体が硬直してしまう。

――…お前のことは確かに何も知らないが…」

 そう言って、プラチナは背後を体ごと振り返り、正面からジェイドの顔を見つめた。ゆっくりと微笑んで、驚いたままのジェイドの顔にそっと指を伸ばしてくる。

「…俺と出会ってからのお前は、確かに俺のものだ」

 ジェイドの唇にプラチナの細い、形の良い指が触れ、頬を辿る。そのままジェイドの髪へ移動して、手で梳いていく。そのプラチナがジェイドに向ける笑顔に、ただ目も心も奪われて、ただじっとプラチナを見つめていた。

「だから、他の誰がお前の僅かな過去を持っていようと、俺がお前のこれからの長い時間を所有するのだから、そんな事は問題ではない、と思う」

 ジェイドは体から緊張が抜けていくのがわかった。

 プラチナの言葉はジェイドが望んでいたような甘いものではなかったけれど。

「…ええ。俺はあなたのものですよ」

 プラチナを強く抱きしめて、耳元で囁く。

「あなたが目覚めてから…俺はあなたに一目惚れして…本当に、毎日毎日惚れ直すばかりです」

「…俺も、お前のものだぞ」

 首もとのジェイドの腕にプラチナは自分の手を重ね、上から抱きしめるようにして言う。

「俺が目覚めた時、お前が傍にいたから…俺は生きているのだから」

――…はい…」

 そっと、口付けた。

 翌日、奈落王直属の部下2名が、ジェイドが石の力で焼き尽くした山の復興の為、植林運動に励まされたとかしないとか。

end.