…最近、プラチナ様が俺をあからさまに避けている。

 以前から、何とはなくそんな感じはしていたが、はっきり言われたのは先程の…――

 執務中、書類を部屋に持っていくと、プラチナ様は目を合わせずに書類を見たまま、机の端を指し示して、『そこに置け』と短く指示するだけ。

 言う通りにして、顔を上げるのを何とはなしに待っていると、書類を書き込む手が止まって。

『……どうして、そこにいるんだ…?』

 と、嫌そうに顔も上げずに尋ねて来た。

『お顔が見たいからです』

 正直に答えたのに、プラチナ様のご機嫌はだんだんと悪くなり。

『…書類を置いたのなら、早く仕事に戻れ』

 やっぱり顔を上げない。プラチナ様のすぐ横に居ると言うのに。仕方ないので、少し話題の角度を変えてみる。

『休憩しませんか?もうこんな時間ですよ』

『…ここでか?』

『ええ。いいでしょう?最近2人でお茶なんてしてませんし…』

 プラチナ様が不意に俺の言葉にペンを落とした。書類に軽くインクが落ちる。あ、と呟いてプラチナ様は慌てて書類を助けるがそれは既に遅く。じわりとシミが大きくなっていった。

『何やってるんですか…。それ、修正ききます?』

『………お前のせいだ』

『…はぁ?』

 プラチナ様は上目使いにじっと俺を睨んで、もう一度言った。

『お前のせいだ。お前が余計な事を言うから…!』

 怒っている所為か、顔が赤い。

『そうですか?…余計でしたか?』

『そうだ!もう、茶はいらん。――…戻れ』

 ぷい、と俺から視線を外して。それでも居心地が悪そうに俯いていたが、俺が事態が飲み込めずにその場に佇んでいると、プラチナ様の方が堪えられなくなったらしく。

『…もういい!お前が消えないなら、俺が出て行く』

『えっ!?ちょっ…仕事はどうするんですか!』

『知るか!』

 そう言って執務室の重たいドアを大きな音を立てながら出て行った。

 そのまま、執務室に取り残されて。

 …そうしていても仕方がないので、プラチナ様を探しに城中巡る羽目になった。

 朝の髪を結っている最中は、まだだいぶ正気ではない所為か、じっと大人しくされるままになっているというのに、それからとにかく寝るまでは機嫌が悪い。いつ会っても機嫌が悪い。

 …何が不味いんだ?

 もう、かなり長い間機嫌が悪いような気がする。

――…ジェイドさん」

「あ、カロールさん。プラチナ様を見ませんでしたか?」

 珍しい相手に廊下ですれ違い様、声を掛けられる。声を掛けたと言う事は向こうが俺に用があると言うことだが、とりあえず先制して挨拶も無しにこちらの尋ねたい事を口にした。

「…見ましたが。――…プラチナ様に何か、また酷い事でも言っているんじゃないでしょうね?」

「…は?」

 ちょうど、カロールもプラチナ様の事で俺に用がったらしい…が。

「何で、また」

「…最近、プラチナ様のご様子が変です。ため息ばかり吐かれて…食欲も余りないみたいで…」

 …俺はそんなプラチナ様は最近見てないんですが。

 驚いてカロールの顔を見ると、カロールは視線を強くして、俺の顔を見返した。

「プラチナ様に、何か言ってるんですか?」

「言うも何も…俺はここの所、避けられていましてね。生憎、プラチナ様がため息をそんなについてるなんて、存じ上げなかったくらいですよ」

「……何かしたんじゃないですか?」

「いいえ、何も」

「どうだか。…身に覚えなく、あなたならやれそうです」

 …本当に、コレで魔法が強くなきゃ、とっくにその口暫く使えなくしてやるのに。

 そう思いながら、わざとらしいため息を一つ吐いて、カロールに笑顔を見せる。

「…何かしたんじゃなくて、今は俺が、プラチナ様に、されてるんですよ」

――…いい気味です」

 実に根暗く微笑むカロールにちっ、と舌打ちして。お互いプラチナ様がいなければ遠慮はない。

「それで?プラチナ様は現在仕事中なのに、逃亡されて困ってるんです。どこらへんで見かけましたか?」

――…中庭を横切っていかれるのを、2階の渡り廊下から見ましたが…」

「どうも。それじゃ、俺は急ぎますので」

 聞きたい言葉を聞けたら終わり。続きの言葉を切り上げてさっさとその場を移動する。

「プラチナ様に、酷い事を言わないで下さいね!」

 カロールの言葉が背後から掛けられたが、それには振り返りもしなかった。

「待ちなさい」

 カロールの言葉通りに中庭を突っ切っていると、突然幼い声で偉そうに声を掛けられて、素直に足を止めた。声の主の性格を良く知っていたからだ。止まらなければ次は容赦なく魔法が飛んでくる。しかも当たっても知った事かと言わんばかりに、わざと大雑把に。

「…僕もこんな野暮なことは、言いたくないんだけどねぇ…。君ねぇ、プラチナを困らすのはもう、やめたまえよ。いくらあの石が永遠を与えたって、彼の身体は余り丈夫じゃないんだから…」

「…ベリル。出会い頭に何ですか、一体…」

 芝生の上でごろりと横になっているベリルの言葉に、今日は何だか同じ様な事を言われるな、と思う。足元や頭附近に転がるいくつかの酒瓶を見ると、どうやらここで楽しんでいたらしい。執務といっても彼は現奈落王の父。仕事などあって無きが如しだった。

「さっきかなり思いつめた顔のプラチナが通っていったよ?まぁ、サフィルスみたいに優しすぎるのも困るけど、もういいんじゃないのかい?」

「何故俺の所為と思うんですか?」

「だって、本当の意味でプラチナを困らすのは、いつも君だろう?」

 俺以外にもロードやアレク様やプラムや…あなたも困らせているような気もしますが?

 そう思うが、口にはせずにとりあえず微笑んでおいて。

「…お言葉を返すようですがね。俺が、何かされている方なんですよ。今回は」

 俺の言葉に一瞬目を丸くして、それからベリルは腹を抱えて笑い出した。

「あ…っは、ははっ、そうなんだ。もしかするとそれは、いつもの仕返しかも知れないよ?ジェイド」

――…で、プラチナ様はどちらにいかれたんです?」

 まだ笑いつづけるベリルを睨みつけるがベリルは相手にした様でもなく、傍にあった小さな器を取り上げてまだ半分ほど残る瓶を空いている片手に持ってから、にこりと微笑んで。

「ま、せっかくここにきたんだし、付き合っておくれよ~」

――…ジェイド、珍しいですね、あなたがここに来るなんて」

「…プラチナ様は、どこだ?」

「プラチナ様?…そういえばジェイド、最近プラチナ様に何か…」

「したんじゃなくて、俺がされてるんだよ!」

 もう何度目か分からないその言葉を繰り返し、アレクの執務室で補佐に回っているサフィルスの机に、書類などお構いなしに腰掛ける。

「水でもいいからなんか寄越せ…」

 ぐったりとしたジェイドの言葉に、シワが入った書類を恨めしそうに見ていたサフィルスが表情を変える。楽しそうにジェイドの顔を覗き込んで。

「…そうとう、探し回ったんですね?」

「ああ。…途中でいろいろ訊きながら…最終地点はここだ」

「そうですか。先程、アレク様とお出かけになられましたよ。…まぁ、行き先は分かってますし、アレク様もいるからこちらに戻ってくるんじゃないですか?しばらくここで休んでいけばいいですよ」

「そうする。疲れた…いい加減」

 次々とたらい回しにされて。行く先々では「プラチナに何かしたのか?」と訊かれ…。

 本当にうんざりした。

(一体…俺が何をしたって言うんだ…)

 避けられるようなこと…には本当に心当たりが無い。

 残念ながら、まだ、何もしてないと言うのに。

 したくても、もう少しプラチナ様には時間を掛けるつもりで、我慢していると言うのに。

 暫くすると、隣の部屋に姿を消していたサフィルスが、茶器一式を揃えて運んできた。僅かに漏れる茶葉の香りには花の香りが混ざっていて、リラックス効果のあるものだと判る。サフィルスらしい気遣いだ。

「…最近、あなたと一緒にいるところを見ないなぁ、と思ってたんですよね」

 カップを渡しながら、サフィルスがそんな事を口にする。そう言われて、自分の記憶も手繰ってみて。…不自然に思えるほど、確かに傍にいない。

 最初の頃は特に変だとも意識もしてなくて。プラチナ様の正式な戴冠式やら、人事異動やらで仕事が忙しい時期でもあったし。

 …そうして、少し気持ちの整理も、したかったし。

 自分的にはセレスを倒す事で、区切りもつけたはずなのに。今更迷う事はなかったし、迷う選択肢なんてなかったが。

 それでも今まで正気を保つ為に、支えになっていたものが失われると言う感覚は、どんなにその代わりになるものを見つけても、埋まらない。

 どんなにその代わりになるものが、美しくて愛しくても。代わり、という言葉が相応しくないものでも。

 今ではそれがないと、気が狂いそうになるくらいなのに。

 それでも。未練でもなければ、郷愁でもない、何かわだかまりがあって。

 気が付いたら、もうこんなに経っている。

「…ったく、俺の何が気に入らないんだか…」

「あれ?……本気でそう、思ってるんですか?」

 間抜けたサフィルスの声に、思わず持っているカップごと殴りそうになる。ぎゅっと拳を握って、サフィルスの顔を睨みつけた。

「だってそうだろう。ここまで徹底的に避けられるんだから」

「私は、そうじゃないと思いますけど」

「……どこがだ?」

「う~ん…、あなたは意外とそういうところ、本当に判らない人ですよねぇ」

 茶を啜りながらサフィルスがにこりと微笑んで、手にもっていたソーサーにカップを戻す。言われた事の意味が判らなくて、俺は馬鹿みたいにその一連の動作を見守っていた。

「じゃあヒントを。…プラチナ様は、優しいあなたに免疫が無いんですよ」

 …そりゃあ、そうだろうが…。

 確かに俺は過去何度も、「優しいと気持ち悪い」と言っては彼の心を拒否してもきたし。

 …気持ち悪がっている訳か…?

「…何だか変な方向に考えが行ってませんか?」

 俺の表情を窺って、サフィルスが声を掛けてくる。そんなに判りやすい顔をしていただろうか。

「お前のヒントが遠まわしすぎるんだ」

「だって、仕方ないじゃないですか。こういうことを、私が直接あなたに言うのも…変ですから」

 言いながら、サフィルスの視線はドアの向こうに移動する。丁度ドアの向こうからアレク様の騒がしい声が聴こえてきた。判りやすい帰還だ。すぐさまドアが開く。

「サフィ!持って来たよ。お茶にしよっ……て、あれ、ジェイド?」

「……っ!」

 アレク様の言葉に、背後にいたプラチナ様の足が止まる。まじまじと俺の顔を見てから、2.3歩後退すると、あっという間に身を翻して走り出した。

――ちょっと!プラチナ様、逃げないで下さいよっ」

 あまりのことに対応が遅れて、慌ててカップをサフィルスの机の上に乱暴に置くと、後を追う。

「あー!ジェイド、お前またプラチナいじめてるんだろ!?」

(…だから、見ての通り俺がされてるんですけどね!)

 背後からのアレク様の怒鳴り声に、心の中で怒鳴り返した。

* * *

――プラチナ様!」

 銀色の髪が書庫へ入っていくのを目撃して声を掛けたが、やはり止まる様子は無く、髪はそのまま吸い込まれるように消える。

「ったく、ここは探し難いんですって…」

 そんなことはプラチナとしては当然、判っているのだろう。最近姿が見えないときの大半は、ここに逃げ込んでいたくらいだから。

 戦いに慣れたもの同士が、気配を隠して鬼ごっこ。――…楽しくない。

 長い本棚の列は端と端に居る人物が判り難い上に、本の為に採光も悪い。それでも、プラチナ様の銀の髪は見間違え様が無いのだが。そう思いながら、用心深く奥に続く本棚の列を覗き込みながら確認していくと、かちゃり、と上の方から音がした。

 3階のテラス部分のドアが開いて、明るい光がドアが閉まる少しの間、書庫内を照らす。

「……観念したと言う事ですか…」

 テラスに行けば行き止まりだし、ドアを開ければあんなふうに書庫内に光が差してすぐ判るというのに、わざわざお気に入りのあの場所へ行くと言う事は、いい加減プラチナ様も疲れたのだろう。ふう、とため息を吐いて、テラスに向かう為階段を上がった。

 あのテラスはガラス張りの温室のようなかたちで、端の方に簡易にだが茶程度は入れられるような作りがある。そこで寛ぎながら本が読めるようにしている訳だが、今日の様に天気のいい日はそこでまどろむのに向いている。

 万 人が使えるようにしているため、鍵の心配は無い。ノブに触れると簡単に回った。そのままドアを引くと、中では一番奥のソファーにクッションに埋もれて腰を おろしている、プラチナ様の後姿があった。後姿からでも、不機嫌なのは伝わってきたので、中に入ったが取り合えずドアの傍から動かないで、そのまま話し掛 ける。

「プラチナ様、何がそんなに気に入らないんですか?」

「…うるさい」

「はぁ。それじゃ判りませんよ。…参りましたね」

「仕事なら、ちゃんと後でやっておく」

「そうじゃありませんよ。仕事は今はどうでも良いんです」

 焦れて奥に進んでいくと、それに気付いたプラチナ様が振り返って強い声を上げた。

「来るな!」

 そう言われるのは判っていたから、止まるつもりは無くて。ここまで来るともう、意地の張り合いのようになって。そのままプラチナ様の傍に寄るとプラチナ様はソファーの上で後ずさった。

 その様子を見て、思い切りため息を吐く。

「参りましたね。――…ここまで嫌われると、もう、どうしようもありません」

「……っ」

「判りました。俺はちゃんとあなたの前から消えますから。どこかあなたの気の済むところに左遷しておいて下さい」

 それじゃあお元気で、とその場を立ち去ろうとすると背中に軽い打撃を受けた。振り返るとプラチナ様が、クッションを手にしている。――どうやらそれで俺の背中を叩いたらしい…が。

「この…あほう!」

――なんですか、突然…」

 何故そんなに泣きそうな顔をしているんですか。泣きたいのはこっちですよ。

 …あなたは「叶える」と言ったのに。

 あなたは俺を今、拒絶したじゃないですか。

 そう思いながら、俯き加減のプラチナ様の顔を覗き込むために隣に腰をおろす。

「そんなに俺の前から消えたければ、好きにすればいいっ!」

「好きにすれば…って」

「俺の傍に居ると言ったくせにっ」

 そのまま何度もクッションで胸や腹を叩かれる。痛くは無い。逆に可愛らしいくらいだ。

 ――そうじゃなくて、と思わず見惚れていた自分の思考を元に戻す。

 …珍しい。癇癪を起している。

 珍しいも何も、初めてじゃないだろうか。

「勝手なことを言わないで下さいよ…あなたが傍に居させてくれないんじゃないですか」

「別にそんな事は言ってない!」

「でも…避けてるでしょう」

「何ともなくなるまで、お前とはあまり一緒にいないようにしようと思っただけだ!」

「何ともなくなるって…何がです?」

「…っ、うるさいっ」

 叩く手を掴んで止めさせた。プラチナ様は顔を上げてじっと涙で潤んだ瞳を向けてくる。

 …どうしましょうか、めちゃくちゃ可愛いんですけど。

 本人自覚が無いからもう、全開と言うか…。

 ――…このまま、何も無かったように押し倒したい。

 その考えを何とか止めて、なるべく不安がらせないようにそっと、尋ねる。

「2人で居るのが…嫌なんでしょう?」

「…」

「俺の事が、嫌いなんでしょう?」

 尋ねる言葉には首を振る。逆に驚いた。嫌いでもなくてあそこまで避けるものか?

 それでも気分は一気に浮上した。

「…じゃあ…今まで不機嫌だったのは何だったんです?」

「お前に酷い事を言う自分が…嫌だっただけだ…。お前が傍に居たら、言ってしまうから…」

「どうしてです?」

「だから…お前とはあまり一緒にいないように…」

「嫌いじゃないのに、一緒に居てはダメなんですか?」

 びくりと身体を震わせて、プラチナ様は黙ってしまう。

「怒りませんから、教えて下さい。嫌われてないのでしたら、何があっても構いませんよ」

 本当はそれを後回しにして、今ここで強引にあなたを抱いてもいいなとか、思い始めたんですが。

 もっとあなたには時間を掛けるつもりでしたけど。身体が離れているからこうやって、思い違いなんてものが起こるんですよ、きっと。

 そう思って、俯くプラチナ様の顔に自分の顔を寄せた時。

「…お前が優しいと…俺が変だ」

「え?」

 今までなるべく視線を合わさないようにしていたというのに、突然じっと正面から目を合わせて、緊張しているのか少し頬を赤くして。

「お前が優しいから…、俺は欲張りになってしまう。お前が傍に居るだけで、良かったはずなのに…。お前が傍に居ると…自分じゃないみたいに…おかしなことまで言いそうになる…から…」

 そこまで口にして、口篭もってしまう。困ったような顔をして、上目遣いでじっと俺の顔を窺っているのを、微笑んで促した。さすがにここまできたら、サフィルスの言っていた事も判ったが、敢えて彼の口から言葉にして貰いたくて。

「どんなことですか?言って下さい」

―――……でも、お前は怒る…だろう」

 いつもの声とは全然違う、弱気な声で呟いてまた俯くプラチナ様の身体を堪らず抱き寄せた。

 プラチナ様は、少々驚いたらしく身体をびくりと震わせ、身体に力が入っていたが、何度か背中を撫でるとため息を吐いて力を解く。

 ああ、参りましたよ、本当に。あなたときたら。

 どうしてそんなに、可愛いんでしょうか。

「怒りませんよ、俺は。

 ――あなたがどんなに俺のことが好きでも。

 怒りませんよ?

 …だから、言って下さい」

 プラチナ様の頬に手を当てて、そっと撫でた。そのまま髪に手を入れて梳くと、気持ちが良さそうに一度目を閉じてから、そっと囁いた。

――…お前を、愛して…いる…」

 薄紅色の唇が最後の言葉を発した瞬間に、我慢出来ずに強引に唇を奪って。

「もちろん、俺もです。…これから俺があなたをどれだけ愛しているか、今すぐ教えてあげますよ」

 戸惑う隙すら与えずに、そのままソファーに押し倒した。

end.