髪を解いて浴室に向かう途中、前に垂れてくる長い髪を払った瞬間に、プラチナの細い指が長い髪に絡まる。それを少し無理に流そうとして、絡まった髪に引っかかったピアスが飛んだ。
そのまま、寝室の長い毛の絨毯に転がっていく。
「…っ!」
プラチナは慌てて目で追うが、ピアスは絨毯に吸い込まれるように消えて、判らない。床に跪いて目を凝らすが絨毯の模様が邪魔で、銀色の小さなピアスは絨毯のどこに行ってしまったのか、見当もつかなかった。
何度も消えたと思われる部分を掌で撫でるが、ピアスがそこにあるような感じはしない。
(…こんな所で床に這いつくばっていたら、…ジェイドにばれてしまう…)
浴室に居る間にジェイドが着替えを揃えてくれるのが常だから、彼が着替えを持ってきた時に、こんな所で床に這っているのを見つかる訳にはいかなかった。
仕方なく後で探すことにして、プラチナはため息を吐き、立ち上がってその場を離れる。浴室で服のファスナーを下ろした時、ピアスのポスト部分は服の皺の間から出てきて、思わず安堵した。
どちらかといえば、ピアス本体よりもこちらの方が小さくて探すのが大変だから。
片方のピアスと見つけ出したそれを、迂闊に転がしたりして無くさないように、洗面台の奥へ置いた。
浴槽に身体を沈めながら、ふとプラチナは耳朶に触れる。
銀のピアス。
プラチナが目が覚めた時には、既に耳を飾っていた。
それからずっと何となくそればかりを付けていて、あとからジェイドが次第に種類を増やしていったが、結局朝には銀色のそれを選んでしまう事が多い。
ジェイドには呆れられながら、『奈落王なんですから、もっといいものを身に付けて下さいよ』と常々言われているのだが、シンプルで仕事の合間に邪魔にもならないから、プラチナは自然とそればかりを身につけていた。
だが、片方になってしまっては、耳につけることが出来ない。
いつも耳に付けているピアスだから、ジェイドはすぐに気付くだろう、とプラチナは考えて憂鬱になった。
(…ジェイドに判らないように、朝までには、見つけなければ…)
失くしたと、ジェイドに思われるのが嫌だった。
物に執着しないジェイドの事だから、『大したことではない』と言い切ってしまうだろう。それが、プラチナには嫌な事だった。
「プラチナ様、湯加減はどうですか?」
「…っ…」
脱衣所のドア越しに突然ジェイドに声を掛けられて、プラチナは思わず思い切り反応して水音を立ててしまう。当然訝しんで、ジェイドがドアを少し開けて様子を窺って来た。
「どうしたんです、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ」
「のぼせたとかじゃ、無いですよね?」
「平気だ、何でもない」
プラチナは答えながら、脱衣所の洗面台に置いたピアスの事を脳裏に浮かべる。
――…あれを見られてはならない。
なるべく、そこに長居をさせないようにしなくては、気付かれるかも知れない。
そう思ったとき、ジェイドがドアを開けたままにっこりと笑って、
「ついでですから、髪を洗いましょうか?」
などと言って来た。
自分で洗うのはとても面倒だから、それは少し魅惑的な誘いでもあったが、よくよく考えれば「ついでに」何をされるか判ったものじゃない。それに今はピアスの方が大事だ。とにかく、ここにジェイドを長居させるのは不味い。
プラチナはそう考えて、きつくジェイドを睨むときっぱりと言った。
「断る。俺は何とも無いから、さっさと出て行け」
「そう言うと思ってました。でも、そう言われて素直に言うこと聞く俺じゃないんですよねぇ」
プラチナの拒否の甲斐なく、あっさりとジェイドは服を着たまま浴室内に入って来る。
「ジェイド!」
「良いじゃないですか、今更ですし。それに継承戦争の時も、あなた俺の前で平気で風呂に入ってたじゃないですか」
「お前がいつも勝手に入って来てたんだろうが!」
「嫌ですね、上司の背中を流すのは、部下の務めでしょう?スキンシップですよ」
「勝手に仕事にするな!」
プラチナの言葉を軽く流し、ジェイドは簡単に袖を捲って浴槽の中に両手を入れ、浸かってしまっている長い銀の髪を掬い出す。そして不機嫌そうにしているプラチナの表情を見て、にこりと、確信犯的に笑いながら言う。
「あんまりお湯に長く浸かってると、のぼせちゃいますよ?」
「…出たくない…」
本当に何をされるか判らない。今夜だけは何が何でもジェイドに何もさせず早く部屋から追い出して、朝までにはピアスを見つけなくてはならないのに。
「仕方ないですねぇ」
本当に仕方が無さそうにわざとらしくため息をついて、ジェイドは髪を掬っていた両手をそのまま素早くプラチナの身体に回すと、ぐい、と力を込めて有無を言わさず浴槽の外に引き上げた。
「ジェイドっ!」
「のぼせられても、困りますから。看病するの俺ですし」
「お前が今すぐ出て行けば、俺は自分で髪も洗うし、のぼせもしない!」
「それじゃあ、面白くないじゃないですか」
「面白…っ」
さらりと言うジェイドの強かな言葉に、ただただ絶句する。固まってジェイドの顔を見つめるプラチナをあっさり腕の中に収めて、プラチナの耳元で低く囁く。
「明日の午前中の会議、中止になったそうです。明日の午前中は休みになりましたよ」
だから、今夜は良いですよね?
そう確認してくるジェイドの声にプラチナは必死に首を振るが、ジェイドはそんなことは気にも掛けずに、プラチナの身体に触れてくる。
「嫌だ、ジェイド!」
「俺も、やめるのは嫌ですよ。この前から、どれくらい経ってると思ってるんですか」
「そんなに経ってない!今日は嫌だ、ジェイド!!」
(ピアスを探さなくてはならないのに…!!)
その言葉を言うことが出来ないのがもどかしい。
プラチナは一生懸命腕を突っ張るのだが、力では全然及ばない上にジェイドの方が扱いに断然慣れていて、抵抗は全然意味をなさなかった。
「俺にとっては経ってますよ。毎日したって足りないんですから」
「嫌だ!大体、髪を洗うんじゃなかったのか!」
「もちろん、ちゃんと洗いますよ?終った後で、しっかりと」
笑顔で言い切って、ジェイドは更に罵声を浴びせようとしたプラチナの唇をジェイドは己のそれで遮った。プラチナの頭の中はピアスの事で一杯だったはずだが、次第にジェイドが与える快楽が占めていって。
「――…こ、の…あほう!」
そう、怒鳴るので精一杯だった。
* * *
後でピアスを探す予定だったのに、結局ジェイドが明け方まで傍にいていろいろしていた為に、プラチナが気が付いた時には既に日が高くなっていた。
慌ててプラチナが身体を起こした途端、腰に鈍い痛みが走る。ジェイドを心の中で罵倒してから、周りを見渡した。
(…ジェイドは…いないな)
耳を澄ますと、隣室に人の居る気配がする。どうやらジェイドは隣に居るらしい。
気配に気をつけて、そっとベッドから立ち上がり、昨日ピアスを失くした場所へプラチナは跪く。
昨夜と違って日中だから、日光を受けてピアスが光るかも知れない。そう思って目を凝らしてみる。
暫くそうしてあちこち見て回るが、どうしても見つからない。疲れて部屋の真ん中で絨毯の上にぺたりと座り込んで、ため息を吐いた。
(…何で失くなるんだ。そんなに俺の傍が嫌だったのか)
心の中で、ピアスに文句を言ってしまう。別にピアスに心があった訳でもないし、自分から居なくなった訳でもないのだが、こんなに探しても見つからない事が、無性に悲しくなってくる。
傍にあるのが当り前だったのに。不意に失くなって、こうやって困らせる。
(耳は二つあるんだから、片方だけじゃ駄目なんだぞ、あほう…)
そこに突然扉が開いて、ジェイドが寝室へ入って来た。寝ていると思っていたプラチナが床の上に座り込んでいるのを発見して、驚いた顔をして近いてくる。
「起きてたんですか?――何、してるんです?」
「何もしてない」
「何もって…じゃあ何で床に座ってるんですか?」
「疲れたからだ」
「…プラチナ様、途中端折りましたね?もう…いいです。とりあえず、奈落王が床の上なんかに座らないで下さいよ」
よいしょ、とジェイドは不機嫌顔のプラチナを抱えあげて、ベッドに座らせた。途端、プラチナはそのまま後ろに倒れこんで、ジェイドから視線を外す。
「何です?どうしたんですか」
とにかくピアスが無いことが嫌で、プラチナはジェイドの問いにも答えられない。
「怒ってるんですか?」
身動ぎすらせずに、プラチナは黙っていた。その様子にため息をついて、ジェイドは自分から折れてくる。
「判りました、謝ります……すみません。でも、仕方が無いじゃないですか。あなたが嫌がるから……って、聞いてます?プラチナ様」
ジェイドもベッドに腰掛けそのまま倒れ込み、プラチナの隣に寄り添う。そっと後ろからプラチナの顔を覗き込んで来たから、目を閉じていた。
ジェイドはそのまま日光を浴びて綺麗に煌く髪ごと腰を抱き寄せ、プラチナの気が済むまで待っていると、漸く決心してぽつり、とプラチナが言葉を発した。
「…無い」
「何がです?」
「―――…ピアス」
「ピアス?どれですか?」
「…銀の」
「ああ…アレですか。昨日はしてたじゃないですか」
「――…失くした」
プラチナは眉根を寄せて、そっと一番言いたくなかった言葉を言った。
この言葉を言うのにとても勇気が要ったが、どうしても見つからないのだし、いずれは判る事だから素直に謝るために、言いたくない言葉を搾り出すようにして、言った。
「すまない…探したんだが、どうしても見つからなくて…」
「どうして謝るんです?アレなら別にいいですよ、大したものじゃないですから。ピアスなら幾らでもご用意出来ますし、あの造りが良いんでしたら、今度、もうちょっと上等な物を買いに出かけましょうか」
やはり何とも思っていないジェイドの言葉に、プラチナは寝返りを打ち背後のジェイドと向き合う。
「…あれが、いいんだ」
「何故です?同じ造りだったら、良いじゃないですか」
心底不思議そうに訊いて来るジェイドのその言葉に、無性に悲しくなって、プラチナは俯く。
「大したものじゃなくても良い…」
やはり何度考えても、失った事が悲しい。胸が潰れそうな気持ちになる。
この世に、一つしかないものだから。
同じようなモノは幾らでもあるかもしれないが、それでも、欲しいのはあのピアスだけで。
「そんなに気に入っていたんですか?――昨日嫌がったのも、アレを探したかったからですか?」
そう言ってから、憮然とした表情になるジェイドに、プラチナは頷いて。
「お前には何でも無くても、俺には大事なものなんだ」
何も言わない不機嫌そうなジェイドの服の裾を握って、俯いたまま続けた。
何よりも大事にしていたのに。それなのに失くしてしまった。
こんなことなら、大事に大事に仕舞っておけば良かった。
「――…あれは、お前が一番最初にくれたものだから…」
後悔で胸が痛む。そっとジェイドの顔を見上げると、ジェイドは眼を見張っていて。かなり驚いているようで、プラチナの顔を凝視している。
「…ジェイド…?」
不安になって名を呼んだ途端、ジェイドに力強く掻き抱かれて息が詰まった。プラチナの肩に額をつけて、ジェイドは深く息を吐き、プラチナの身体を確認するかのように、抱きしめ直す。
「――あのピアスに、そんな意味なんて無くていいのに…」
「ジェイド?」
く ぐもって聞き取り難かったが、小さくそう、声を掠れさせてジェイドが囁いたのが判る。ジェイドの表情を見ようとして、プラチナが顔の角度を変えようと少し 身動ぎすると、ジェイドが顔を上げ、抱きしめる腕の力を少し抜くと、正面からプラチナを目を細めて愛しそうに見つめる。
「…そんな風に大事にしてもらえるんだったら、もっと良いものにしておくべきでした…」
そう言ってジェイドは、何度もプラチナに啄ばむように口吻けた。
「んっ…ジェイド…」
「…すみません、プラチナ様」
ピアスの無い耳朶に口吻けてジェイドは笑うと、そっと耳朶に今度はジェイドの指が触れる。慣れた感触がして慌ててジェイドの指の上から、プラチナは自身の指でそれを確かめた。
――…そこには失くしたはずのピアスがあって。
「…ジェイド?」
酷く驚いて、プラチナはジェイドの顔を見上げた。ジェイドは驚くプラチナの表情を満足そうに見て、そっと頬へ唇を寄せて来る。
「見つけていて…くれたのか」
「ええ。昨日、洗面台の所に置いてあったのを見ましたので。お部屋の前で別れた時には両方、揃ってましたし、失くしたのならきっと浴室のドア周辺にあるだろうと思って」
それにこういう探し物、結構得意なんですよ。
そう言って微笑むジェイドの首に、嬉しくてプラチナは腕を伸ばしてしがみ付いた。それを抱きしめてから、ジェイドはプラチナの髪を梳く。
「でも、本当に大したものじゃないんですよ、それ。あなたが寝ている間に耳に戻しておこうと思ったんですが、ちょっと修繕してたら、あなたが先に起きちゃいましたね」
そうしてプラチナの耳朶に触れてくるジェイドの顔は、申し訳無さそうな表情をしていたが、プラチナにしてみれば探していたものが戻ってきたのだから、そんなことは本当に気にならなかったし、気にしたことも無かった。
ただただ気持ちを込めて、ありがとう、とジェイドの耳に囁く。その嬉しそうなプラチナの様子をジェイドはじっと見ていたが、
「…ありがとうございます、プラチナ様」
突然ポツリと呟いた。
「何だ?…俺は何もしてないぞ?」
不思議そうにジェイドを見上げるプラチナの顔に微笑んで見せてから、プラチナの肩口に顔を埋めた。
「…あなたが、そう言う意味で大事にしていてくれてるとは、思ってもいなかったから…本当に、嬉しかったんです」
プラチナを抱きしめていた手が身体を滑り、そうしてピアスに辿り着く。ジェイドの指は昨夜プラチナを辿ったようにピアスを辿って、プラチナの頬を両手で包む。
無意識にプラチナは瞳を閉じてジェイドの指を感じていると、そっと唇に優しく口吻けられた。
「…ポストの部分が緩くなって来てますから、また失くしてしまう前に、今度新しく長持ちするものを一緒に買いに行きましょう」
「これを、保管する箱も必要だ」
「じゃあ、それも…、一緒に」
その言葉にプラチナは頷いて、ジェイドに自分からそっと唇を合わせた。
end.