吐きそうなほど重いものは要らない。
牢屋から抜け出して見上げた夜空には、月が映えていた。
青く、白く、冷たい光の。
月を見て安堵するなど、それはまるで、と途中まで考えて止める。
そして空気の冷たさを思い出して、雪がもうすぐ降るのかと、無理矢理そんなことを思った。
この世界で、何度目の冬を迎えるのだろう。
酷く疲れた気がして、ふうとため息を吐く。
実際、かなり疲れていた。
空気は冷えきっていて、酷く傷に響く。
脇腹がじくじくと痛む。
そこに手をやって、手当てされた上から傷口を押さえた。
痛みで己の正気を保ちながら、こんな風に獣道を歩いたのはいつの記憶か。
隣でただ喚く同胞を怒鳴って殴ってただ先へ、先へ。
もう少しで、辿りつく。
マシなんてものじゃなくて、確実なもの。
ここで手に入れたものは全て捨てて行く。
だから。
吐きそうなほど重いものは要らない。
たとえば、それだけで頭が一杯になって。
胸が締め付けられるような、
そんなものは、要らない。
ただしずかに、あいての、しあわせをねがって。
「ジェイド」
赤く、血の色にも似た黄昏に染まる道で、彼が何故か、そう何故か自分がここに辿りつくことを知っていたようにそこに立っていた。
ああ、相変わらず曲がることを知らない若木のようだ。
若木は手折ることも難しい。
柔らかくしなって、どんなに曲げても、押さえても、伸びていく。
たとえ、どんなことがあっても。
「――プラチナ様」
黄昏色の世界で、彼の名前を呼ぶ。ついでの様に笑ってみせる。切れた口の端に痛みが走った。
それしか出来ない。
何が出来る。
全部、捨てていく。
捨てていく、のに。
吐きそうなほど重いものは要らない。
たとえば、ちょっとしたへまをやって、
己の命が何一つ成せないままで尽きそうな時に、
あのひとが無事ならいいとか、
あのひとが笑うならいいとか、
そんな重く甘い、吐き気がしそうなほどの、
想いはいらない。
end.