最近の健二を見るたび、俺の脳裏にとある光景が過ぎる。

 コンビニの駐車場とかで、飼い主を待ってる犬。

 まあ大抵はごく普通の犬ばっかりなんだけど、時々もんのすごーく可愛い犬がいることがある。そういう犬は何でだか、自然と目を惹く。

 その犬自体の可愛さもあるけど、飼い主がたっぷり愛情を込めて丁寧に世話してるのか、毛並みは汚れ一つなく艶々でふさふさ、シャンプーの良い匂いがして、なおかつ黒目は健康的にうるうる、舌も綺麗なピンク。表情からして「目一杯愛されてますしあわせですー!」と主張しているような。

 そういうのがきちんとお利口さんにお座りして、通り過ぎる人間に対して小首を傾げながら上目遣いに見てたりすると、その辺の女の子なんてたまらずハグして化粧が落ちようが摩擦熱が発生しそうなほど頬擦りだ。男だって、動物好きだったら引力に引かれて頭を撫でに行くだろう。特に犬好きじゃなくたって、きちんと可愛がられている犬を見て、好感を持たないはずがない。

 そういう光景が健二を見るたびに俺の頭を過ぎるのは、まさに現在、健二がその犬みたいだから。

 以前から必要最低限以上、見た目をあまり意識しない健二が、今はとんでもないことになっている。

 ひょろひょろした草食男子的な基本スペックやシンプルさは変わらない。服が派手になったとかイメージチェンジに成功したとか、そういう変化ではなくてもう、全身から「目一杯愛されてますしあわせですー!」なオーラ的ななにかが醸し出されていて、はっきり言って見ていられない。

 全身隅々まで愛情込めて手入れのされた健二は、顔は変わらないはずなのに時々、ふとした拍子に俺でも思わず「え、健二? お前健二だよな?」と確認してしまうくらいだ。そのたびに「佐久間、メガネ作り直せば?」と返される始末。お前こそ、もっとちゃんと鏡を見てみろってんだ!

 少し癖毛の髪だって今日は朝から世話して貰って艶々のふわふわ、買い与えられたシャンプーだかワックスだかは知らないが、ユニセックスな良い匂いもする。何の匂いだと振り返った先に健二が居た時、俺は絶叫しそうになった。あんなに不健康そうだった色の白さは、いつの間にか女性もうらやむ『透き通るような』という感じ。お前は男だろ、そんな表現似合ってどうするよ。買って寄越される服に合うものを捜しているうちに、いつの間にかセンスも上がってさり気ないオシャレなんてものが出来るようになった。女の子が嫉妬の視線を向ける痩せた体に一応筋肉らしきものが付いているのもまた、恋人に影響されたからだ。

 はにかむように笑うのは昔から変わらないけれど、遠距離でも頻繁にやって来る恋人にたっぷり可愛いがられたお陰でふとした仕草に色気まで持つようになってしまった。それを時折目にしてぎょっとする。見てはいけないものを見た気がして。

 そういう訳で、目一杯愛されている今の健二はなんとなく、目を惹く。まさしくコンビニ前の犬状態。癒しを求める者達が無意識にふらふらと引き寄せられてしまう、マイナスイオン発生生物になっていた。

 ていうか、健二をなんて生き物にしてしまったんだ!

 小一時間どころか一日くらい問い詰めたい、当の健二の恋人は。

「今日も健二さんかわい…」

 昼食で賑わう構内のカフェのオープンテラス、同じテーブルでコーヒーを飲みながら、うっとりとため息を吐いていた。俺の昼メシに割り込んで来たくせに、俺のことは視界にも映さない。

 待ちに待ったと思われる連休、お泊まりデート初日に、突然用事で大学に呼び出された健二について来た私服のキングは、構内に居ても全く違和感なし。違和感どころか、誰この人一体どこのモデル?、と探るような、女の子の視線なんかピンクに色付いてそうな程の好奇心を受けても平然としている。

そりゃそうだ、なにせキング・カズマの中の人的には注目されるのには慣れているし、彼の最優先事項、カフェから見えるベンチで同じゼミの人間と話をしている少し大きめのカーディガンを着た健二と、その萌え袖を視線で愛でることの方が重要だからだ。

 このクールなイケメンは健二のことになると、途端に顔に出さずデレるのである。非常に残念な感じで。

 そもそも、このキングこと 池沢 佳主馬 自体が、規格外の生き物なのだった。

 健二に出会った13歳の夏、キングはずがんと恋に落ちた。なんでそこで恋なの?とは訊いてはいけない。いかにあの時の健二が素晴らしく今もどれだけ可愛いかを語る時間を、キングは惜しまないので。

「え、あの時俺が行ってたら俺に惚れてたのキング」と訊いたら、キング・カズマのサマソなみの速さで「佐久間さんきもい」とはね除けられた。酷え。

 とりあえずまあ、キングは健二に恋をした。そして当時、健二には夏希先輩という憧れの人が居て、キングと健二は男同士で、更に付け加えるなら年下。かなり可能性の低い恋だったけれど、キングは諦めなかった。簡単に諦められるものならそれは恋じゃない、というのが彼の弁。いや、俺的には諦めても別に良いんじゃないかなってくらいのハンデだと思うけど。

 それからキングは健二に相応しい人間になるべく、自分を磨く努力を怠らなかった。

 焦って背伸びをする子供になんて魅力があるものか、と冷静に分析した彼は運動や勉強、仕事にOMCと、それらをひとつひとつムリはせず着実にこなしていき、その間健二へのアピールも惜しまなかった。夏希先輩との仲が進展する前に先手を打って、事前に宣戦布告する用意周到さ。

 もちろん、どんなに忙しくても大変でも、家族を思いやることにも手抜きはしない。妹の世話だってタイムセールだって当たり前だ。ご近所のスーパーに、ひとつふたつのかーわいー妹抱えたイケメンが、エコバッグ持ってやって来るのを想像してご覧なさいよ奥さん。ただでさえ夕方のタイムセールは奥様方の戦場なのに、凄い有様になったことだろう。

 しかもこのイケメンは健二以外に愛想はないが女系家族で育ったから、見知らぬお婆さんの為に高い場所の商品を取ったり捜したり、時には帰宅方向が同じなら荷物だって持つ。女性のこころをぐっと掴んでしまう、将来有望な若者なのだった。冷静沈着で武道を嗜む彼は、お婆さんの荷物を運ぶ流れでひったくり犯を掴まえたこともあるらしい。なにそのリアルキング・カズマ。本人だけど。

 そうして磨きを掛けた今じゃ誰もが認める一族イチの男前に認定され、この少年実業家としてもOMCチャンプとしても輝かしいカリスマ性を持つキングを、今でもパシリに使えるのは母親の聖美さんと、いい男は女に滅私奉公すべしという持論の直美さんくらいなものだった。親戚の女の子達の初恋は、ことごとくキングに違いない。

 まあそんな風に、キングは元々イケメンたる素材を充分に持っていたのだけれど、彼は恋に落ちたその後の人生全てをあろうことか健二に捧げるために、成長していった。恋が実るかも判らない時点で彼の人生設計の中に健二が常に居るなんて、有り得ないだろ普通。負けの思考を持たない人間って、絶対に勝利するらしい。それをキングは少林寺拳法で学んでいた。なるほど、そりゃあOMCで常勝するはずだよ。さすがですキング。呼吸一つで相手の様子が判ってしまう男に、隙を見せたが最後ってなもんだ。元々キングのことを憎からず思っている健二のこころの動きなんて、健二についてのアンテナだけは精度の高いキングのこと、手に取るように判ってしまったに違いない。

 そんな男が今が攻め時、と自分を追っかけて来ると想像して下さい。全力で逃げたって自分の全部を賭けて追い掛けて来るんだよ。追い詰められて「もし健二さんがやめろって言うなら、OMC引退したって構わない」と言われた時、健二は自分が何を相手にしているかを悟ったそうだ。

 健二の決断のことなどつゆ知らず、OMCは相変わらず今日もキング・カズマという英雄で盛り上がっている。

 その頃には俺も、男同士とかどうでもいいよ、お前らもう面倒だからくっついちまえよと開き直っていた。所詮他人事だから健二よりも開き直るのは早い。俺的には結局しあわせになったもの勝ちだろうと思ったし、キングならマイノリティだろうが何だろうが、健二を絶対にしあわせにしてくれることを信じていたので。

 そういうキングだから、やっと手に入れた健二を全力で、自分の全てで愛した。遠距離な分、それはもうあからさまに。キングは日本の連休と長期休暇を最大に活用しているひとりだろう。

 愛情に飢えている健二はキングの全力の愛情を食べて生きているようなもので、規格外の生き物の愛情を一身に受ける健二だって、何か別の生き物になったっておかしくはないんじゃないかと、最近俺は諦めに近い思考でそういうことを考えている。

 今ですら愛情を込めて見詰められているわけで。その視線に気付いた健二がふ、と顔を上げて、へにゃりと笑って返す。ああこの瞬間、キングはさぞかしきゅんきゅんしているに違いない。

 俺は先程からキングが放つ甘い空気に胸がいっぱいで、一向に減らないクラブハウスサンドを持て余しながら、若干冷めたカフェオレを取って問い掛ける。

「……なあキング、お前健二を最終的にどうしたいの」

「結婚したい」

 即答だった。僅かなタメも躊躇いもなかった。視線は健二に向けられたまま、少しもブレない。俺はあー、そう、と返すので精一杯だ。そのまま静かに額をテーブルに押しつける。かちゃんとテーブルに触れたメガネが声を上げたのも無視だ。本当は叫び出したい。床のたうち回りたい。なんだよこの生き物どもは!

 あの夏からキングの頭の中にある、年単位の計画表には結婚式と新婚旅行も綿密に予定が組まれていたのか。「半端な男はいらない」というのが陣内の家訓らしいけど、これはマジパネェ。キングにとって健二を大切にするのは当たり前のことで、しあわせにするための人生だ。結婚でも何でもするといいさ。お兄さんもう何も言わないよ。ご馳走様。

「…キング。これ、食う?」

「僕はこのあと健二さんと食事だから。ていうか佐久間さん、全然食べてないじゃん。体調悪いんなら今日はムリしないで帰れば? 家に帰れなくなったからって健二さん呼び出したりしないでよ」

「しねーよそんな命知らずなこと。第一これは体調悪いとかじゃな、」

「あのー、すみませーん」

 会話に突然、女の子の声が割って入って来て、俺はテーブルに懐いていた姿勢を正して見上げると、そこには綺麗な女の子が二人、立っていた。わお。やっぱり来ちゃったよ。やっぱり高物件を女の子は放っておかないなー。ふと視線を巡らすと、奥のテーブルからちらちらキングを見ている華やかな女の子たちが居る。ん、あそこのグループの子か。

「良かったらあっちでー、一緒にお話ししません?」

「みんな、お友達になりたくってー。これから一緒にどこかに遊びに行きたいなって」

 マスカラで飾られた目を瞬きして、キャラメルみたいな甘そうな色に染められて緩めにふわふわ巻かれた髪を耳に掛けたりしながら、振り返って奥のテーブルを示す。ちら、とキングが視線をやった先で、テーブルに残っている女の子達が笑顔でいっせいにひらひら手を振っていた。まあ、なんつーかレベルの高い子達だこと。読モとかしてそうな感じ。色鮮やかできらきらで周囲のテーブル、男達の視線は釘付けだ。

 でもごめんなさいお嬢さんたち。そのイケメンはストイックに見えて、恋人に自分のカーディガンを羽織らせて所有欲を満たして萌え袖を満喫してデレているような、たった一人のことしか見えてない、ただの恋に溺れる男なんです。

「すみません。悪いけど彼は放っておいてやって下さい。人を待ってるだけなんで」

 俺はお呼びじゃないことは判ってるけど、年上かつ友人の義務的にフォローっぽいものを一応入れておく。これで俺の役目は果たしたぜキング。後は自分でどうにかしろ。

「えー、ちょっとだけでも。ね?」

 最終兵器、キングの視界に入って小首を傾げる彼女は文句なしに可愛い。普通の男ならとっくにもう陥落しているだろうけど、ものすごく残念なことにそのイケメンには全然効かないんだよ。

 今まで一言も口を利かなかったキングが、するりと音もなく立ち上がった。それを見て女の子達の顔がぱあ、と明るくなる。奥のテーブルの女の子達もきゃっきゃと賑わった。こっちこっちー、そう声を上げて手招きするけれど。

「健二さん!」

 起伏の少ないキングの無駄にイイ声が跳ねる。その声につられて振り向けば、すでにキングは書類をクリアファイルに綴じながら近づいて来る健二へと、大股で近寄っていた。キングの視線はブレない。あの夏から、健二しか見てない。

 傍に立っていた女の子も、奥のテーブルのグループも挙げてた手もそのまま、ぽかんとして見送っている。キングに嫉妬の視線を向けてた男達もだ。まさか女の子スルーしてそっちに行くとは思わないよな。それがキングクオリティ。

「用事、終わった?」

「うん。待っててくれてありがとう」

 キングはわざわざ健二の手からクリアファイルを受け取ると、萌え袖からはみ出た手をエスコートするかのように取る。サマになってるその仕草は、一体どこで習得してくるんでしょうかキング。あー、キングが今までの比じゃないほど、きらっきらしてますねー。発電でもしてそうなくらいです。そして当の健二もまた、例の「目一杯愛されてますしあわせですー!」なオーラ的な何かを醸し出していて、二人揃うともう、相乗効果でホントすげえ。目が!目がァ!!

 店内のキングの動向をこっそり見守っていた方々も、どことなく眩しそうな表情だ。あの二人の間にはなんとなく割って入り辛いらしい女の子達も、呆然と見ている。

「じゃあね、佐久間さん。付き合ってくれて有り難う」

「・・・おー」

「また、連絡入れるから。頑張って、佐久間」

 それぞれ律儀に俺に挨拶をして、二人は連れだって歩き出した。

 ああ、うん。手は離しなさいキング。

 キングの「可愛い」発言も、少し前なら「あははキング何言ってんの、特殊フィルター強すぎガチできめえ」と笑えたのに。

 そうだ。コンビニ前の犬だ。愛されている生き物は、可愛い。健二は昔から動作が小動物ぽかった。そういうことだ。別に普段は俺のよく知る、数学バカな健二だし。ただちょっとキングの話題を振ると花散らすけど。

 まあ、とにかく。

 あの健二が、ああやって周りに溢れ出すくらい愛情で満たされてることには、寂しくないってことには、キングに感謝しなくちゃいけない。キングなら二度とあの手を離さないし、健二を絶対に傷つけることもないし、世界中の誰よりしあわせにしてくれるのだから。

 去っていく二人の背中を見送りながら、ひらひらと手を振って俺は小さく、小さく声を出した。

 「おしあわせにー」

end.