「酷いですわ!私には無理だと言っておきながら、貴方はルークと一緒にベルケンドに行っていたそうではありませんか!」
王女様がそう言って、裏庭にある使用人たちの休憩所でガイがする音機関の話を聞きながらジャガイモの皮剥きをしていた俺のところに乗り込んで来たのは、ヴァン師匠が新年の挨拶に来た数日後のことだった。
ベルケンドって、健康診断の時のことだろうか。
健康診断から戻って来てからは忙しくて会えなかったし、二人のお祝いの時は他の使用人達がいたからもちろん会話なんて出来るはずがなくて、だからナタリアとの会話はずいぶんと久しぶりだったんだけど。
……ナタリア、跪いた俺の襟首を絞めるのはやめてくれ。
以前、ジェイドにしたのを目にした時は、俺たちと旅をした結果粗野な行動を覚えたんだと思って驚き半分、陛下に申し訳なさ半分だったけど、実はデフォルトスキルだったのか……!
ていうかルーク、ナタリアが怒ると怖いのは身に沁みて俺も知ってるけど、遠くから見守ってないで俺を助けてくれよ!
結局我に返ったガイがナタリアを宥めてくれるまで、俺の首は絞まりっぱなしだった。
……幼いとはいえ、弓を扱うナタリアの腕力と握力を侮るなかれ。
どうやら誕生日のプレゼントとして、ルークがベルケンドの海岸で拾った貝殻を加工して作ったイヤリングが、ことの発端みたいだった。(実際に公務として行われるナタリアの誕生日のお祝いには、ファブレ家で用意してるプレゼントを渡す)
まあ、イヤリングの見立てが婚約者自ら、っていうのもポイント高いだろうし、その材料すらもルーク自身が用意したとなったら、ロマンチストなナタリアはそれだけで盛り上がるよなあと思っていたんだけど、ナタリア的には俺とルークがベルケンドに行ったことの方が重要らしい。
……男の方がロマンチストだって言ったのは、アニスだったっけ?
とにかく、ナタリアはプレゼントは嬉しかったけれど、それとこれとは別だという感じだ。
「私とは約束もして下さらなかったのに……!」
ナタリアの言葉を聞いてああ多分、《約束》の話だろうな、と今更ながらぼんやりと思い出した。そう言えば、前に外に連れて行った時もベルケンドに拘ってたのは、あの《約束》があったからか。
『アッシュ』が、ナタリアと一緒にベルケンドに視察に行った時にした、『大人になったら二人でまた来よう』っていう《約束》の話。
俺は『アッシュ』に意識だけ連れて行かれた時に、二人の会話を聞いてたから覚えてる。
とりあえずナタリアに使用人の休憩所からご退出願って(ていうかどうやってこんなとこ来たんだ)、ルークが中庭でナタリアを落ち着かせている間、ガイと二人で急いでジャガイモの皮剥きを終わらせて中庭に向かう。
ナタリアはだいぶ落ち着いてたみたいだけど、やっぱりベルケンドに行きたいという気持ちに変わりはないみたいだった。
感情が高ぶったのか、それとも自分だけ仲間はずれにされたと思ったのか、綺麗な若草色の瞳はちょっと涙で潤んでる。それが瞬きすると睫に散ってきらきらして、白い肌に頬はピンクだし、念入りに手入れされて綺麗にカールしてる金髪といい、まさにこういうのが家庭教師によく見せられた絵画の世界での《天使》ってやつじゃないのかな、なんて思った。
あの《約束》の話では、結局指切りをしてくれなかったルークは、ナタリアを置いてガイと遊びに行ったらしいから、そういうこともあってかルークとガイは強く出られないみたいで、とうとう涙目のナタリアからあちこちを彷徨った視線は、最終的にナタリアと一緒で俺に向く。
……あれ、なんか俺、気のせいじゃなかったらフォローを期待されて……マスカ?
みんなのまっすぐな視線に、俺は頭に手を遣ってぎこちなく笑い返した。
――仕方がないなあ。まあ、この中で、俺が一番最年長ってことになるんだろうし。
「ナタリア殿下、ベルケンドは大きくなってルーク様とお二人で行かれるんでしょう?」
俺がハンカチで口元を押さえているナタリアに近づいて、片膝を付いてそう声を掛ければすん、と小さく鼻を鳴らしてナタリアは俺を見る。
それに向けて安心するように笑うと、俺は言葉を続けた。
「バチカルにも海はあります。ベルケンドの海とは繋がっていますし、ベルケンドは大人になるまで取っておかれた方が、その分楽しみが増しますよ、きっと」
まあ、海はどこだって繋がってるんだけど、一番ベルケンドに近いのはバチカルだ。
どうしたって、ベルケンドには行けない。港で絶対に止められるだろうし、湿原を越えるのは危険すぎるし、なんといっても一日では帰って来られない。そんなことになったら大騒ぎになる。
ナタリアの願いは今は叶えてあげられないけど、あと7年後には叶うから、それまで待っていて欲しい。その時一緒に旅をするのはレプリカルークじゃなくて、今ここにいるルークであるように、俺は頑張るからさ。
口にはとても出せなかったけど、その代わり精一杯笑ってみせる。
ナタリアはそんな俺を、大きくて光を吸い込むような若草色の瞳で見返していたけれど、こくり、と小さく頷いてくれた。それにほっと息を吐くけれど、同時に可哀想になる。
ごめんな、ナタリア。きっと、本当は行きたくて堪らないのを、我慢したんだな。
もともと、わがままを言うことは王女に相応しいふるまいじゃないと思っているナタリアだから、せめてたまに言うわがままくらいはきいてあげたいけど、今はこれが俺に出来る精一杯だ。
ナタリアは一度俯いた後、ルークを振り返って問い掛ける。
「……バチカルの海には、今連れて行って下さいますの?」
「ナタリア、」
「だって約束はお嫌いなんでしょう?」
「いや……、」
ナタリアの言葉に慌てるルークが可愛くて、思わずくすりと笑ってしまう、それを気付かれて睨まれたけど、だったら俺にフォローさせんなっての。
ナタリアは機嫌が完全に直った訳じゃないけれど、とりあえずバチカルの海で納得してくれてるみたいだった。
そのことに、あきらかに周囲の空気が軽くなる。
ルークとナタリアの二人が日程を決め始めたのでその場から立ち去ろうと踵を返すと、後ろから近づいたガイがぽん、と肩を叩いてくる、それに肩越しに顔を向けると、ガイは眉を下げて苦笑しながら小さな声で言う。
「――ありがとな」
全くだ。ナタリアが泣き出すんじゃないかとヒヤヒヤしてたんだぞ。その場合絶対ルークから怒られるんだろうなあ。何とか上手くいって良かったよ。
視線でそう訴えると、ガイはまたぽんぽんと更に俺の肩を叩く。
ガイと並んで歩きながら中庭から屋敷の中に入って、控えていたメイドにルーク達にお茶のおかわりを頼む。そのまま、また使用人たちの休憩所に向かいながらガイにちらりと視線をやると、なんだ?といつもの爽やかな笑みで返して来た。
「…安心したよ。お前達、結構仲良かったんだなって思ってさ」
『復讐』の話もだけど、俺の記憶の中でガイは『アッシュ』を物凄く嫌ってるみたいだったから、今までどんな子供時代だったのかってずっと不思議だった。だけど、ルークがナタリアを初めて城から連れ出した時も、きっとガイの協力がなかったら出来ないだろうって、今は思う。(残念ながら、それは俺がこの時間のファブレ家に来る前の出来事みたいだけど)
俺の言葉にガイがまるで思い当たらないって感じで首を捻ってるから、仕方ないなあと苦笑する。
「ナタリア様を放って、二人で遊びに行ったって話」
「ああ……」
ガイは俺の言葉にさっきの《約束》の話から繋がっているのに気がついたのか、頷いた。
「あのルーク坊ちゃんにも、俺を連れ回したりする可愛い時期があったんだぜ」
成長しちまってなまじ知恵が発達したら、あんな風になっちまったけど。
もう見えない中庭の方に視線だけを向けながら、そう言うガイはちょっと怖いけど、前よりはまだいいかも。『復讐』について俺に隠す必要がないことが、ガイにとって良い傾向にあるようだと、ペールはこの間こっそりと教えてくれた。
俺も悩んでる時に、イオンとかガイとかジェイドに話を聞いて貰った時、気持ちが楽になったっけ。あのミュウに話してても、だんだんと落ち着くことがあった。何でも話せる相手がいるって、大事なことだよな。まあ、まだ俺は、ガイにとって全部をさらけ出せるような存在じゃないかもしれないけど、『復讐』なんてそう簡単に誰でも話せるって訳じゃないだろうし。
少しでも、ガイの力になれてるんだったら、いい。
* * *
新年が明けたばかりの冬の海は、はっきり言って寒かった。
ケテルブルグほどじゃないけど、海からの風で頬が冷たい。
ルークとナタリアには風邪を引かないようにコートを着せて、耳マフ付けてフードを深く被せる。そうした方が髪の色が判らないってのもあるけど、コートは明らかに市民が買えるようものじゃないのが判るから、あんまり意味はないかも。
ルークは、長い髪の毛を三つ編みにまとめてコートからはみ出ないようにしてる。前髪もフードのなかに押し込めてるから、いつもは隠れてるおでこが出ててかなり新鮮だ。フードの効果なのか耳マフの効果なのか、かなり可愛い。『アッシュ』と同じはずなのに、やっぱりルークが子供だからかな。
俺がそう思っていたら、ルークが振り返って俺の脚を蹴って来た。いってぇ!!
「その笑い方、ムカつく」
さすが子供は容赦ねーなぁおい!
俺が痛む脛を押さえながら涙目で訴えるけど、ルークはプイ、と実に子供らしく俺から顔を逸らして、ナタリアの手を取って浜辺に近づいていく。
ルークってこう、視線でなにかを伝えようとしたりするくせに、怒ったりすると乱暴になるよなあ……。まあ、変に我慢されるよりはいいか。
「大丈夫か? なんか凄い悲鳴が聞こえたけど」
やっと俺が立ち上がった時に、周囲にホーリーボトルを撒いてたガイが戻って来ていつもみたいに俺の肩を叩く。
「あー……なんとかな」
あははと笑って返せば、やれやれとガイは肩を竦めて見せた。
「あの坊ちゃんもねぇ、至らない大人と同じように変なところで見栄を張ることを覚えちまったからなあ……。子供は素直なのが一番だってのに」
やけに悟った口調でそんなことを言うガイだって、まだ子供だろ、と思うけど、ガイがルークとは別の雰囲気でしっかりしているのは本当だったから、俺は曖昧に笑うだけにした。
曇った空は雨が降ってくる前みたいに、重たい色をしている。今日は早く帰った方が良いかもしれない。日にちを簡単に変更出来ないから、ナタリアはがっかりしてるんじゃないかなあとナタリアの方を見れば、ナタリアは波が届くギリギリのところに屈んで、手袋を外した両手を伸ばして波に浸していた。
ルークは黙って隣りに立っている。
え、なにやってんだよ、ナタリア!ルークも見てないで止めろよ!
慌ててガイと一緒に二人の元へと駆け寄ると、ナタリアがぽつりと呟いたのが聞こえた。
「…冬の風は、海は、とても冷たいんですのね……」
「ナタリア様、手が…!」
「大丈夫ですわ」
ガイが慌てて、ナタリアを立ち上がらせて赤くなった手をハンカチで拭いている。こんな綺麗な手がもしうっかりしもやけなんかになったら、可哀想だ。
ナタリアはガイに有り難う、と声を掛けてから、ルークを振り返った。
「このキムラスカは譜業が栄えていますけれど、食物は…どんな譜業をもってしても、作り出すことは不可能なのですね。この大地と、一生懸命、夏の暑さや冬の寒さを耐えて世話をする民たちの手がなければ、作物も魚も…口にすることは出来ない……」
ルークは黙ってナタリアを見詰めていたけれど、そっと赤くなった手を取り、ルークが預かっていたナタリアの手袋へと導いていく。
その仕草は小さいくせにやけに紳士的っていうか、とにかく綺麗で様になる。さすが王族。
「そのような民あっての国だと……そのことを私たちは忘れてはならないのですね、ルーク」
ナタリアはそう言うと、ルークに向けて嬉しそうに笑う。
その笑顔は誇らしげだった。ルークの考えと同じところに行き着くことが出来た、その満足感が伝わってくる。ナタリアらしい笑みだと思う。
ナタリアの言葉に、俺はふとアレを思い出した。
アレっていうのは、『アッシュ』がナタリアに言ったっていう、あの。
『いつか俺たちが大人になったらこの国を変えよう。貴族以外の人間も貧しい思いをしないように。戦争が起こらないように』
あ。
あああ!そうか、プロポーズだ!
もしかして今日?今日がその日なのか!うわあああああ!これって凄いな!記念日だよ!
俺は歴史が変わる瞬間に立ち会った気持ちになった。
そっか、そう言えばナタリア、俺にずっと言ってたよな。11歳になる誕生日の前に、プロポーズされたんだとかって。
『――あの日の約束を思い出して下さいませ』
何度も何度も聞いて来た言葉が、頭の中で繰り返される。
天空客車の中で、夕陽が綺麗だったんだっけ?よっし俺は頑張るよ!絶対夕陽が綺麗な時間にバチカルに帰るからな!
嬉しくなった俺は、思わず視線の先で浜辺を歩いたり岩陰を覗いたりしている二人に向けて自然と笑ってしまう。
「――なんだ、どうしたんだ、突然?」
二人から離れて見守っていたガイが、振り返った俺の表情に驚いて問い掛けてくる、それに何でもないよ、と首を振った。
「あんたって、本当に……」
ガイが一つため息を吐くのに今度は俺がなんだよと問うと、ガイはどこか黒い感じの、無駄に爽やかな笑みを俺に向けて、きっぱりと言う。
「ルーク馬鹿だよな」
――なんか、お前に言われると物凄く複雑な気がするんだけど、なんでだろ。
激しく納得いかねぇ。
岩場で遊び始めた二人を見守りながら、本当は、これって変なことなんだろうな、と思う。
俺が現れたことで、今のこのオールドラントには色んな歪みが出来てるはずなのに。
本来(っていうのも変だけど)、ルークとナタリアは違う場所に出掛けて、その帰りに天空客車に乗ったはずなのに。
俺がいても、ルークはナタリアにプロポーズする。
それをヴァン師匠だったら、『星の記憶に修正されている』って言うだろう。
――師匠。
俺は、これを『星の記憶の修正力』だなんて、言いません。
俺がいても、いなくても、ルークはナタリアにプロポーズする。
それは、この二人だから起こる現象だ。
この二人が今まで築き上げてきた感情とかが、起こさせるもの。
星の記憶じゃない。そんなものに邪魔されないほど、多少の歪みが起こったとしても、それをはね除けるほど二人の絆は深いってことだって、俺は信じようと思う。
それを悲観的に受け止めすぎたんだ、ヴァン師匠は。
俺は、このオールドラントに生きるみんなを、信じたい。
勝手に決めつけて、オリジナルを全て殺してレプリカ世界を作るなんてことは、何度考えたって出来ない。
俺は何度繰り返したとしても、師匠と同じ道を歩めない。
時々、何かを見つけるのか、屈んで観察したり声を上げたりして遊んでいる二人の(というか、主にナタリアの)岩場を歩く足運びが不安定なことにちょっと嫌な予感がして、ガイと視線を交わした後、二人でゆっくりと近づいていく。
この二人がそんな不安定な場所を歩き慣れてるなんて、俺は思ってない。前の時間で、ナタリアが最初の廃工場までは良かったけど、オアシスあたりではすでに足にマメ作ってて、こっそり自分にヒール掛けてたのに気付いてた。だから大人しく城に戻れって言ったのに、ナタリアはやっぱり怒ったっけ。
でもこうやって、時々城から抜け出したりして、冒険に憧れる王女様になるんだな、なんて思う。
ここに来るまでも旅の話をせがまれて、それを若草色の大きな瞳が喜んでくるくると表情を変える、その姿が愛しかった。
視線の先でナタリアが岩に滑ってバランスを崩す、それを咄嗟に支えようとしたルークが咄嗟に手を掴むけど、ルークも同じように滑ってバランスを崩した。慌ててお互い近い方へと駆け付けて、ガイはルークの方を、俺はナタリアを支えようと右手を伸ばす。
――ナタリアの体は、俺の体で受け止められた。
「ありがとう……」
少し恥ずかしそうに凭れ掛かっていたナタリアは俺の体を支えにして姿勢を正すと、俺の顔を覗き込むようにして問い掛けてくる。
「どうしましたの?」
俺は純粋な色をした若草の瞳に、なんでもありません、とぎこちなく笑い返すしか出来なかった。
……俺が伸ばした右手は、どうなったんだ?
確かにナタリアの背中に向けて、伸ばした右手。
今はナタリアの体に隠れている、その右手を見る勇気が、ない。
けれど残酷にも、視線の先でルークがガイに支えられていた腕から離れている、それに気付いたナタリアが駆け寄っていくことで、右手は俺の視界にまざまざと現実を突きつける。
途端、俺は目を覆いたくなった。
――……っ!
心臓が、一際強い音を立てた後、ぎゅっと圧迫される。潰れてしまいそうだ。
苦しい。押し寄せる感情に、息が出来ない。まるで首を絞められているかのように。
ああ、どうして。
右手が、透けてる。
俺は、これが『何』、なのか、知ってる。
俺は右手を見詰めたまま、動くことが出来なかった。透ける右手から目を離せない。
ガイが俺を呼んでる。ルークもナタリアも不思議そうな顔でこっちを見てる。
俺は今どんな顔をしてる?
俺はどんな顔をしたらいい?
俺はまだ、みんなに見えてる?
俺は、ここに、いる?
ちらちらと白いものが目に映るのを、ナタリアがまあ雪、と声を上げたことでそれと認識する。
海から強い風が吹いて、俺の髪を巻き込んで雪まみれにしていく。
みんなが風邪をひく前に、早く帰らないといけない。判ってるのに、何故か足は動こうとしない。まさか足にも影響が、と考えてぞっとする。
俺は、ここで――消える?
「なにを呆けてる!ナタリアに風邪をひかせるつもりか!」
右手に走った小さな衝撃と一緒に齎された声に、はっ、と我に返る。
いつの間にかルークが傍に立っていて、俺を見上げていた。
強い光を放つ、碧の瞳が俺を見ている。――おれを、みている。
確認しなくても怒っていることは明らかで、俺は無意識に謝った。
「ごめ…ん、ルーク」
「さっさと帰るぞ」
そうして歩き出したルークの動きに従って、俺も歩き出す。――歩くことが出来た。
ルークが握ってくれた、右手は。
その温かさと柔らかさの感触を、俺に伝えていた。
――生きてる。
俺も、ルークも。
今の俺には、その温かさが、ルークと繋いだぬくもりだけが、全部だった。
* * *
廃工場からバチカルに戻った時、雪はやんでいて綺麗な夕焼けがバチカルを包んでいた。俺は疲れただろうから、と二人を王族専用の天空客車に乗せて先に帰して、俺はガイに色んな心配をされながらゆっくりと屋敷に戻る。
海での俺の顔色は、かなり悪かったらしい。それもそうかと苦笑して、ただ大丈夫だよと返す。屋敷に戻った後もあれこれと面倒を見てくれて、本当にガイって良いヤツだなあとしみじみ実感した。
ガイに強引にベッドに押し込まれたまま、深いため息を吐く。
別に具合が悪い訳じゃないけど、ちょっと疲れたな。
そっと毛布の下から右手を出し目の前に翳してみる。今は透けることもなく、右手はちゃんと存在していた。
どうやら、あれは一時的なもののようだった。
でも、これからは気をつけなくちゃいけない。ルークやガイの見てる前で透けてるのが見つかるのはかなりマズイ。
翳していた手の力を抜けば、それは俺の額へと落ちてくる。
それを閉じた瞼の上へと移動させた。
俺は瞼に乗せた右手で前髪をぎゅっと握りしめる。何本か抜けたかも知れないけど、それを確認することは出来ないだろう。
今きっと、光になって消えている。
この世界が過去だと知った時は、前のようにすぐに感情に任せることがなくなっていた。そのことに、多少は成長したつもりになっていたけど。
やっぱり。いや、こんなことに慣れなんてない。あの時だって、何度も何度もこの恐怖に慣れようとして、でもダメだった。
何度、その時のことを考えても、俺は喉から迫り上がってくるものを押さえるのが苦しい。でも死んだらそんなことも判らない。感じることが出来ない。
今日のことを思い返す。
ナタリアの透き通った声と表情をくるくると変えてきらきらしてる若草色の瞳。純粋な表情。ガイの深い色をした青い瞳と、柔らかい笑顔。優しい声。
ルークの髪の感触、強い怜悧な色を放つ瞳。俺に向けられる言葉、声、――てのひらの、温かさ。
俺が楽しいと感じること。嬉しいと感じること。色んなものを通じて最終的にルークに繋がっていって、それは俺の全部なんだ。
それが判らなくなる。――二度と。
そう思うと、一気にこの日々が愛おしくて切なくて哀しくなる。手放したくない。離れたくない、眠るのが恐ろしい。俺はちゃんと目が覚めるのか。不安で胸が痛くて、俺は体をベッドの中で縮込ませる。
あの頃、とっくに怯えていた全てに全部強引にでも区切りを付けたはずなのに。
――死ぬのは、怖い。
俺の時間は今回も、短かったんだ……。
……違う。
最初は判ってたのに。これは『夢』だって。なのに、いつの間にか俺は物凄く欲張りになってた。毎日が楽しくて、ルークやガイやナタリアに会えるのが嬉しくて、だから俺は限りある時間以上のものを望んでしまったんだ。
消えたって良いって思ってたはずなのに、実際にそうなりそうになったら、これだ。
死んでる俺が、まるでこれからもずっと生きていられるとさえ、錯覚してた。
――ずっと、ルークの傍に居られるんだと、思ってた。