ベルケンドの城に着いて早々、これは隣の部屋、これは表の荷馬車に、これは処分、と次々に渡される家具だとか絵画だとかを渡され、俺とガイは梱包したものを抱えて散々広い城の中と敷地内を働かされた。日頃不足している若い人材を思う存分使い切ってしまおうというのが、ありありと出てる。
くっそ、管理してるおっさん優しそうな顔して容赦ねえー!
俺とガイがようやく軽い食事とお茶と休憩を貰えた頃には、外はとっくに夕焼け色に染まりつつあった。え、もしかして最後の日までこんな感じなのか?階段の上り下りで脚が痛いんですけど。
食事を終えて中庭に出ると二人して背伸びをする。ああ、疲れた。ルークも判ってて誘ったんだよな。いや、使用人だからしかたないけどさ。せめて最初に説明してくれたらいいのに。
そう思いながら、けれど、目の前に広がる光景に不満の言葉は出ない。
本当に、迷路だった。
「すごいな……!」
「ああ。ここは相変わらず綺麗に保たれてるな」
敷地の三分の一ほどは普通にテラスだったけど、そこから少し低い場所に広がって作られている迷路の全体が見渡せる。綺麗に刈り込まれた木の枝と葉は平面で壁みたいで、あちこちを長方形で囲ったり、でこぼこした細い道を作り出している。壁の役割の木は大人の身長ほどもあって、周りは見えない。見えるのは空だけだ。だけど奥にある、赤い背の高い木は目に入る。それを目印に向かうのかもしれない。うわ、本当に迷路だ!
俺の知ってる迷路とは違って仕掛けはないけれど、色とりどりに咲く花の色が綺麗だったり、絨毯のように花畑が広がっていたり、蔓系の花のアーチもトンネルも見える。あちこちに何かの像とか、ベンチも置かれていて、小さな湖の中心にある噴水も、きらきらと夕焼けを反射していた。
ここを壊しちゃうのか。こんなに綺麗なのに。本当に、もったいないな。
「いきなり走り出さないでくれよ?迷子になったら困るから」
「ふぇっ!?」
うずうずとしていたのに気付いたガイがそう声を掛けて来て、俺は驚いて思わず声を上げる。
そんな俺を見たガイが笑い出すのに、顔が赤くなるのが判るけど、止められない。
「迷子になんて、ならねーよ!」
「いやいや、ここは大人だって迷うんだぜ。だからこのテラスはこうして、迷路全体が見渡せる場所にあるんだ」
「なんだ。せっかく隠れんぼとかしたかったのに」
全体が見渡せるのなら、すぐに隠れているところがばれてしまう。
苦笑するガイにじゃあ追かけっこ、と訴えれば脚が疲れてもう走れないよと返された。お前若いのにそんなんじゃ将来、『ガイ様華麗に登場!』が出来なくなるぞ。
俺が不満の声を上げていた、そこに。
「しないのか?」
一番子供なのに一番落ち着いたご主人様の声が、背後から聞こえた。
振り返れば、中庭に続く扉を開けたところに立っていて、扉を閉めたルークはこちらへと近づいてくる。
「あれ、ルーク。暇なのか?」
「夕食まで自由にしていいと、父上にいわれた」
夕食までなら俺たちと一緒だ。夕食とか風呂とかの準備は、ここに居るメイド達がするから、俺たちは夕食の時間中にベッドメイクや着替えの準備とかをすませればいい。
「じゃ、一緒に遊ぶか。ルークは何がいい?」
「ガイはもう走れないんだろう?」
俺とルークがガイを振り返れば、ガイははっ、と我に返ったような反応をした。そのあと、しまったと焦るような、だけど複雑そうな表情をしているから、俺はルークの手を取って走り出す。
「あ、ちょっと、おい!」
「お前が鬼な! 50数えたら隠れてる俺たちを探しに来いよ。30分たっても見つからなかったらお前の負けだからな!」
慌てたガイが声を掛けてくるのに、走りながら振り返って言う。ガイは伸ばしていた手を頭にやって、諦めたように笑いながら息を吐いた。
「了解」
それに笑い返して、俺はルークと角を適当に曲がったり、時々ルークに教えられながら進んだりして、迷路の奥へと進んでいく。時々通る風が運んでくる花の匂いに誘われるように奥へ奥へ。
どこを見ても面白くて周りをきょろきょろしながら歩いていると、繋いだ手を揺らして気を引いたルークが訊いてくる。
「どこに隠れるつもりだ?」
「ん?鬼が来た時だけ隠れれば良いんだよ。俺、隠れんのすっげー得意なんだぜ」
それまでは思う存分散歩な!と繋いだ手をそのまま前後に揺らして、花の香を含んだ風の通り道を歩く。
「それに、もう見られなくなるからさ。覚えておきたいんだ、全部」
ここが壊される前に見ることが出来て良かった。ここにルークとガイと一緒にこられて、良かった。この景色の中にルークとガイが居る限り、たとえ何も判らなくなっても俺は絶対に忘れない。手に握ったこの柔らかい感触も、優しい体温も、全て。
夕焼けが照らすまっすぐに伸びた先から、花畑を通った風が俺たちに向かって吹く。海が波打つみたいに花が揺れる。花畑で遊んでたわけでもないのに、服や髪に花の匂いが残りそうだ。
顔を上げた時に夕陽が目に入って、眩しくて目を細める。途端、くらりとしていつかみたいに力が抜けた。
あ、マズイ。転びそう。
咄嗟にルークを巻き込まないように手を離すけど。
「この、馬鹿っ」
離したはずの手を、小さなルークの両手が思ったより強い力で引っ張った。
「うわっ」
反動で踏み出た足が転び倒れそうだった体を支えて、俺は何とか転ばずにすむ。体勢を整えて深くため息を吐いた。
今日はかなり働いたから体に影響が出たのかも知れない。明日から気をつけないと。
そう思いながらありがとうとルークを振り返れば、ルークは俺の手を両手で掴んだまま、じっと俺を見ている。
物凄く真剣な表情で、いきなり俺が転ぶから驚いたのか、少し青褪めたような顔色で俺を見詰めている。
その顔があまりに厳しいから、俺はそっとルークを呼ぼうとした。
「ルー……」
「周りばかりに気を取られて、足下を疎かにするからだ!顔面から転ぶつもりか、お前は!」
突然感情を爆発させたルークはまるで『アッシュ』みたいで、思わず俺は彼に向けるように眉を下げてごめん、と謝ってしまう。それにルークの眉が不機嫌に跳ね上がる。
「謝るなら、俺の手を離すな!」
全くお前は、と怒りながら、ルークは俺の手に自分の手を重ねて、ぎゅっと力を込めて繋いでくる。その力はさっき、俺を引っ張ってくれた時と同じくらい、強くて驚いた。
「だって、お前を巻き込むわけにはいかないだろ?」
「俺が引っ張ったから転ばなかったんだろうが」
ルークの言い分はもっともで、俺は言葉に詰まる。ご主人様に助けられる使用人って、間違ってるよなあ。手を繋ぐのを止めればいいのかな、と思ったけど、それは違うみたいだし。どうしたらいいんだろうと首を傾げれば。
「確かに、まだ子供だが……、俺はお前を支えられないほど貧弱じゃない」
まっすぐに見詰められるその視線に、思わず息を呑む。
鮮やかな色が俺を見ている。引き寄せられるように見入った。
「お前が俺を守るなら、俺だって支えられる。だから手を離すな。――どこにも、行くな」
そうしてルークは俺の手を引っ張るようにして、歩き出す。
繋がれた手は俺にとっては小さいけれど、とても振り払うことなんて出来ない。
ああ、お前の言うように、ルークの傍からどこにも行けなかったら、良かったのに。
こんなに、小さいのに。
俺が手を握っているつもりだったけど、いつの間にかルークの方が俺を引っ張ってくれてた。
そうだよな。
ルークは、守られてばっかりじゃない。いずれは世界を守る人間になるんだから。
「なあ、あの一番奥にある、赤い木ってなに?」
「……あれは父上と同じ名前の、カエデだ」
ああ、なるほど。ファブレの城だもんな。じゃあ、この城がルークが大きくなるまであったとしたら、あそこにはルークにちなんだ木が移植されたかも知れない。
取り壊されることがたとえなくなったとしても、それを見られないのは、残念だった。
角を曲がると、夕陽に向かって歩いていたはずの俺たちはいつの間にか、夕陽を背にしていた。
前に伸びる、二つの長い影は離れないように繋がっていて、俺たちが歩くたびに影がちょこちょこ揺れるのが面白い。
同じ日は来ない。こうして、ルークとこの庭を夕焼けの中影踏みをして歩くことも。繋いだてのひらの感触も、風に揺られるルークと俺の長い髪のくすぐったい感触も。
ずっと続けばいいけれど、同じ日はもう二度と来ない。だからとても愛おしい。失いたくない。
――ずっと、続くように祈りながら、そんな気持ちを抱えて消えることが出来ることは、とても、しあわせなことだと、思った。
俺たちが、更に角を曲がった先に居たガイの背後から二人して突撃して、驚かせたのは少し後の話。
* * *
その日の夜は、ガイと相部屋だった。
今の時間のガイと一緒に寝るなんて、初めてのことで俺は以前の旅をしていた頃のことを思い出して嬉しくなった。一日中ほとんど一緒に居るんだし、明日の仕事の差し支えるからすぐに寝ることになるのは判ってるんだけど。
俺が日記をベッドの中で書いていると、ガイが髪を拭きながら浴室から戻って来た。短い金髪はすぐに乾くから便利だ。結局俺は髪を切らなかった。
「――なあ、ガイ」
隣のベッドに腰を下ろしてまだ髪を拭いているガイの背中に声を掛けると、手を止めてガイが俺を振り返る。
「もし……もしも、俺がいなくなることがあったら、ルークを頼むな」
そのまだどこか幼さを残した表情を見ながら言った。
ガイは俺の言葉を聞いて、なんだそんなことかという顔をしたあと、
「嫌だ」
そう言うと、また髪をタオルで拭き始めた。
「んなあっさり言うなって!」
俺の声にガイは立ち上がって体ごとこちらに向き直ると、タオルを頭から取り俺を見詰めて言う。その眼差しは俺を睨むようで、ああ怒らせてしまったと、胸が痛んだ。
「あんたは俺を見てるんだろう?居なくなるなんて、ダメだ」
そして俺の方へと近づいて来て、間近で続ける。
「それに約束したはずだ、空を飛ぶ譜業に乗せてやるって」
俺は本気だと言うガイの強い視線を見ていることが辛くて、そっと俺は目を逸らす。
「――うん、俺だってここから離れたくない」
でももう、俺には時間があまりないから。
白いシーツを握りしめながら、そっとこころで呟いて。
「もしも。もしもの話だからさ、ガイ。頼むよ」
傍に立つ、ガイの手に手を伸ばして触れる、その手にそっと力を込めればしばらくガイは黙って無言の拒否を続けていたけれど。
大分立ってから、重い重いため息を一つ吐いた。仕方がないな、っていうように。
「――判ったよ」
俺がその返事に笑顔になれば、ガイは俺の手を逆に強く握り返してでも、と更に言う。
「あんまり長くは待たないぜ。俺を待たせたら、どうなっても知らないからな。絶対帰って来いよ。その時に貸しを返して貰うからな!」
ルークとは違う、ガイのその真剣な表情に、眼差しに圧倒される。
深い青は燃えさかるかのように、けれど何もかもを凍らせるかのように、激しい。
ガイはいつも優しい笑顔を見せるけど、本当に、大切な時はこんなふうに宝石みたいな瞳を煌めかせた。
俺はそっと、瞳を閉じて胸に痛いほど溢れている感情を散らすために息を吐く。
「ああ、わかった。――ありがとう、ガイ」
そうして俺は、けして叶えられない約束をあの時と同じように、した。
* * *
バチカルの春の日は冬よりも長く続く。
心配していた乖離は、以前と違って戦闘とかの体に無理をさせるようなことがないせいか、思ったよりゆっくりと進んでいるようだった。
ベルケンドに実験に行く時は相変わらず、少しでもルークの気持ちを支えられるように強引について行った。
ルークの部屋のパズルは、ルークのお茶の時間に頑張ってるけど、なかなか完成しない。
ガイは以前みたいに、ぴりぴりした雰囲気は余り出さなくなった。代わりにというか、時々気持ちよさそうに空を見上げている時があって、その時のガイは金髪が光を受けてきらきらと全身を包むようで、満たされているように見えた。
ナタリアも時々現れては、俺はやっぱりというか、こっそりと恒例となった外へ遊びに行く手伝いと護衛をする。遊んでる時の姿はダアトで見た子供達と変わらない。
こうやって、穏やかな時間を繰り返して俺はそのうち消えるんだろうと思っていた。
それならどんなに幸せだろう。
ルークが公爵と出掛けている時は、俺は付いていけない。そういう時の護衛は白光騎士団に任されている。俺だって元々は白光騎士団員だったんだから、連れてってくれてもいいのに。そう不満に思うけど、仕方がない。ここで俺がごねたりしたって変えられないことなんだから。
そう思って大人しく屋敷での仕事をしていたけど、前の健康診断の時みたいに時間が立つにつれて、どんどん不安が増してくる。なんでだろう。じっとしてられない。ああでも、今から追い掛けるなら、戻ってくる方を待つ方が絶対いい。
そわそわしながら仕事をしていたら、先に仕事を終えたガイが休憩の誘いに来た。
それに頷こうとして、不意に耳に入って来た音に思わず背後のドアを振り返る。ガイも目を見張って驚いていた。
慌ただしい足音が近づいて来る。うわ、有り得ねえ。廊下を走るなんて俺くらいしかしないんだと思ってた。
勢いよく開いたドアの向こうには、メイドが立っていて肩で息をしている。
「あなたたち!」
そのメイドの必死な様子にびくりと体が震えた。
その瞬間、不安が一気にこころから溢れ出して体中に広がる。
「探したのよ!たっ……、大変、なのっ、ルーク様が――!」
その言葉を耳にした途端、俺の頭の中は真っ白になった。