最初にアッシュが、その次にルークが戻り、二人が揃って迎える初めての冬がやって来た。
ケテルブルグよりはまだ幾らかマシとは言え、バチカルにも冬が到来し、そして一年の終わりが近づく足音のように、日に日に下がる気温を感じている頃。
今年中に出来るだけ多くのことを片付けてしまいたいという誰かの意思が働いているのか、急き立てられるように寒さと同じようにアッシュに回される仕事が日々増えてくる。
移動に関して特に問題のない季節に視察の仕事が多く入るが、このような季節になると書類仕事が主だ。
いずれ継ぐ公爵としての仕事、また後を継ぐということは、自動的に就くことになるであろう、将来の国軍元帥としての、勉強のための仕事。
このところ、メイドが気を利かせて淹れる紅茶すら温かい内に飲めたことがない。
片割れが居ればその三分の一程度は無理矢理にでも押し付けられるというのに(話を聞くだけならば、日記を書く習慣から要点を纏めて覚えることに長け、そして記憶力の良い彼はそこらの書記官より役に立つ)、生憎と彼もまた自分自身の爵位を持っているし、何より『英雄』は今やどの国においても多少無理の通る称号だから、帰還してからこれまでの間、半分以上は留学と別の仕事で不在だ。
帰還して共に過ごしたのは三ヶ月程度で、その期間に急速に歩み寄って今までとは正反対の関係になってしまった自分達もどうかとは思うが(どちらにしたって執着していたことには変わりはなかったし、厭う理由が失せれば結果は見えている)、いざやりたいことを見つけた途端、名残も未練もなくさっさと旅立った自分の片割れであるレプリカを想い、仕事中であるというのにふうと深いため息を吐く。
変わる、と決めてからの彼は、乾いた土に水が滲み込むようにするりと知識を経験を得ていく。それは弛まぬ努力を意味し、出来ることを、そして選択肢を一つでも多くしようと励んでいる証拠でもある。
本来勉強が出来ない訳ではないのだ。――ただ、以前は遊びたい盛りに、誘拐前の『ルーク』は出来ていたと、押し付けられ強制させられたことが嫌だったのだろう。
両国から義捐金という予算を与えられているとはいえ、アクゼリュスの遺族への救済機構運営責任者として矢面に立ち、同時に世界に保護されたレプリカたちの代表として努めるその姿は、過去の自分との決別するための意志の強さと、自分の持てる最大の方法で償おうとする真っ直ぐな誠実さ、そして本来彼の持つ性質が内側で相俟って、目にしたものの胸を打つ。
何事にも全力で、一生懸命なああいう姿を恐らく、いじらしい、というのだろう。
彼が自分で見出した『償い』の方法。
そのために、留学をして勉強を重ね、より良い結果を出そうとしている。
だから、救済を受け入れられない遺族からの怒りや罵倒、更にまだ風当たりの強いレプリカ問題に対して全力を尽くす様子を見て、無理をするなと言いながら、その行動を止められない。
ただ、本当のところは。
守ってやれない場所で傷ついて欲しくない、もっと傍に居て、儚いのではなくこころから笑っていて欲しいのだとは、素直ではない自分は口が裂けても言えない。
第一あの時蔑み、否定し、罵り――必要以上の卑屈さを植え込んでおきながら、どの面提げてそんなセリフが言えるというのだ。
彼が居れば居たでそれなりに何か面倒ごとを起こすが、居なければ自分の仕事の効率が悪くなる気がするのは多分、気のせいではないのだろう、とアッシュは思う。
気になって仕方がない。
――フォンスロットによるチャネリングが出来ない今は、なおさら。
一年の半分を留学としてマルクトで過ごしながら救済責任者として働き、その後の期間はレプリカの街でキムラスカの大使として、そしてレプリカ代表として行政に入り込み過ごしていた。その間のやり取りは手紙のみで、後は定期健診の時に出来る、僅かな時間だけ(それも周囲には医師が…とりわけルークの父親面のジェイドが必ず居る)。
フォンスロットを同調させることは大爆発を避けるためにも、互いに禁じていた。
以前は出来ていた手段を閉じられるのは非常にもどかしかったが、共に在るためには仕方が無い。
それでも、何かしらの繋がりのようなものを感じてはいて、そこはさすがに完全同位体というべきか、同じ振動数というべきか。
その微弱な繋がりがよりいっそうもどかしさを覚えさせるのは、自分だけなのだろうかと苛つくこともしばしばだ。
顔を見ていないということは、触れてもいない。
人というものは、一度覚えた温もりが心地よければ心地良いほど、頻繁に貪欲に欲してしまう。
それが自分に恐ろしいほど馴染む半身ならば、なおさら。
しかしそれも、あと半月。
半月後には日付はローレライデーカンに変わり、それに合わせて帰宅する予定になっている。
そしてまた、三ヶ月ほどは主にバチカルで共に過ごす。
時期は一年ずれているとはいえ、二人の『ルーク・フォン・ファブレ』が帰還したローレライデーカンは国民的、いや世界的に祭りのようなムードでまる一月を過ごし、新年のレムデーカンを迎える。
特に、帰還した日であるローレライデーカン・レム・48の日は、バチカル城下街は祭りで日付が変わるまで騒ぎが続く。
この騒ぎの中心である、『ルーク・フォン・ファブレ』達も、この月ばかりは強制的に休養期間を取ることが出来る。
一体何故ここまで扱いが大きく、そして大げさになっているのやら、と二人して思ったが、それで国民が活気付くのなら、楽しい毎日が送れるのならとやはり彼が言うので。
それでも構わないかと、アッシュは以前にはとても考えられないほど柔和に、思ってしまうのだ。
それに、そのお陰というか。
漸く会える、そう思うと、あっけないほど簡単に、信じられないほど単純に。
――周囲に崇め奉られる『英雄』は、恋に溺れる馬鹿な男に成り下がってしまうのだ。
扉を叩くノックの音で思考から我に返り、入室を許可した。
失礼します、と幾つかの書類を抱えて部下が入ってくる。その束を見て今度は何だ、と今日一日だけで何度目になるだろうと思われるため息をうんざりと吐いた。
「レプリカの街エリュシオン周辺に、先月ベルケンド地方で捕り逃した盗賊の残党が現れるようになりました」
討伐隊を編成しますか、との問い掛けに、その場所に逃亡を許したことに思わず舌打ちする。レプリカの街はケセドニアと同じく自治区だ。どの国の介入が過ぎてもいけない。たとえそれが国の不始末からくることでも、正式な手続きと、マルクトやダアトの外交的な問題と、とそこまで考えて頭痛を覚えた。
――が。
「――討伐隊はいい。ただ、旅行者に注意を喚起させるように伝えろ」
己の中で行き着いた結論を口にして、その話は終わりだと目の前に立つ部下の手から書類を強引に引き取り、机の隅に纏めていた決裁の済んだ書類を押し付けた。
目の前の部下は返された言葉に『英雄』であるアッシュが盗賊を見逃すなんてことはしないだろうと思っていたのか一瞬呆然として、アッシュの出した結論を覆そうとしてか、焦った様子で言い募ろうとする。
「はい、いえあの、お言葉ですが、でも――」
「気にしなくていい。じきに片付く」
戸惑う部下にそう短く返事をし、サインを入れた書類に捺印をする。
反論を許さない態度で渡した書類の上に更に重ねると、部下は我に返ったのか咄嗟に頭を下げた。
部下は考えることを放棄した。
『英雄』が考えることだから、何か意味があるに違いないと。
部下は直に仕えている『英雄』を他の『英雄』達の中で一番尊敬していたし、信頼もしていたから、自分ごときが気にしたところで、『英雄』の先見の明には及ぶはずがない、とそう、信じる。
速やかに退室する部下の腕の中で、インクが鮮やかに英雄の名を刻む。
――『アッシュ・L・F・ファブレ』と。
揺ぎ無い自信に満ちた存在は、あんなにも眩しい。