レプリカの街、エリュシオン。

そこはレプリカ達が、同胞達の犠牲で勝ち取った場所である。

タタル渓谷とケセドニアの間に作られた『楽土』という名のそこは、レムの塔に向かわなかった自我のあるレプリカ達を中心に、他のレプリカ達を導いている。

といっても、自我があるだけでは上手く行くはずも無く、自給自足すらままならない。行政も勿論、他の国や街からの出資や色々な援助を得て、何とか成り立っているのが現状だ。

しかし、迫害の記憶が強いレプリカ達は、オリジナル達に行政を完全に任せることを嫌がった。出来ることなら全てレプリカたちの手で、それが叶わないのならせめて意見の言える場所に一人でもレプリカを置きたかったのだ。

レプリカ達の要望は、かつてレムの塔でレプリカに約束した『英雄』達の働きかけもあって、『英雄』たちが交代でレプリカ達の代弁者となって行政に参加することで通り、レプリカ達の代表者と共に、ぎこちないながらも何とか街を動かしていた。

――それも、少し前までのこと。

今では、レプリカの街にはレプリカ達の誰もが、そして世界もが認める代表者が、街の行政に参加しレプリカを弁護し、各地のレプリカの保護に努めている。

「後期のお勤め、ご苦労様でした」

「いえ、まだまだ勉強が足りないと、反省しています」

領事館の執務室で、予定より数日早く到着した外交官から握手を交わしつつそう挨拶をされた少年は、僅かに微笑んで言葉を返した。

キムラスカのもう一人の『聖なる焔の光』の名に相応しく、朱色から金に透ける長い髪を緩く一つに纏め背筋を伸ばして立つ姿は、貴族らしく気品が窺える。

「お帰りは馬車をお使いですか?」

「いえ、ケセドニアまで徒歩で行きますが…それがどうか?」

外套を羽織り荷物を手に取る流れの途中で振り返る。身分に関わらず彼は馬車をあまり使わない。

私もこちらへ来る途中で連絡を受けたのですが、と外交官は前置きして、続けた。

「最近、盗賊たちがこの街近辺に頻繁に現れているとの報告がバチカルから出ています。どうぞお気をつけてお帰り下さい」

「何で、バチカルから?」

咄嗟のことに彼の言葉が崩れる。

途端、気品はどこにいったのやら、幼い雰囲気が前面に出てしまう。

街近辺のことならば、エリュシオンの警護団の方から連絡が来るはずだ。それがないということは、まだこの街に直接被害があった訳ではないことが窺えたが、だからといってケセドニアからならまだしも、バチカルから、というのは変だった。

そう思い首を僅かに傾げて相手の言葉を待っていると、外交官は暫く言葉を濁すような素振りをしていたが、いずれ帰る時に耳に入るだろうとため息を一つ吐いて告げる。

「…ベルケンドの方で、取り逃がした盗賊の残党が、こちらに逃れてきたようです」

「え、ってことは…」

その地名が指すところに気がついて、あちゃあ、と彼は思わず額を押さえた。

「え、えーと、ごめんなさい。ファブレ公爵の土地での不始末がこんなところにまで…」

きっとこれは、キムラスカ大使代理である彼に、迷惑を掛けることになるだろう。

思わず頭を下げる彼に対して、外交官は苦笑する。

「ここは自治区ですから、ファブレ公爵様とて、手続きなどで色々と手間が掛かっておられるのでしょう。それでも恐らく新年には、兵を寄越して頂けると思っております」

そうして、外交官は引継ぎのための書類を差し出し、彼にサインを求めた。

パタン、と音を立てて背後で出て来た部屋のドアが閉まるのをどこか遠くに聞きながら、彼は頭に手を遣り前髪を掻き混ぜながら思考する。

「新年って言ったって…あと一ヶ月はあるし、それまで治安が悪いってのも…なあ。アッシュだって…」

彼は、今まで見て来た、そしてこの街に居るレプリカの中で一番うつくしい、と外交官は思いながら、机の端に置かれたままの書類を眺める。

インクが鮮やかに英雄の名を刻む。

――『ルーク・フォン・ファブレ』と。

生きる、という力に満ちた存在は、あんなにも眩しいのだ。

* * *

「せんせー」

「せんせいー」

ルークが領事館から出てすぐ、待っていたのか腰に脚にレプリカの二人の子供が同時にじゃれ付いて来た。

レプリカの街では子供は少ないので、この子供達が何と言う名前なのか、どこに住んでいて何が好きか、そういう細やかなことまでルークはすぐに思い出すことが出来る。…といっても、このレプリカの街に居るレプリカ達は全て数年前に誕生したものばかりだから、外見がどうであれ全て子供のようなものなのだが。

仕事の合間にレプリカの街を見て回る際、子供達と遊んで面倒を見たり、乞われるまま軽く剣術を、または知識を教えたりするうちに、彼らはいつしかルークのことを「先生」と呼ぶようになった。

その響きが時折、胸に痛みを伴って響くことがあるのだけれど。

子供達の勢いの良さにわ、と声を上げ微笑みながら、ルークは慣れた様子で髪を揺らし上体を屈めて問い掛ける。その子供たちに向ける視線は本人は気付かないが、とても穏やかで慈愛に満ちていた。

「どうしたんだよ、二人とも」

「きょう、かえるの……? どこ?」

「いえ?」

まだ自我も言葉も乏しい表情で見上げて来る二人の視線に、ルークは首を僅かに傾げ小さく唸って考える。

「うーんー、家は家だけどなんつーか、居場所かなあ……」

「いばしょ?」

不思議そうな顔で問い返してくる、そのあどけない表情。

こんな時、自分の恵まれた環境をルークはいつも痛感する。

自分は酷く世界に甘えていた。

自由はなかったが、けれど大切に保護されていた。ガイからの、ペールからの、母からの、メイドや騎士団からの遠慮がちなそれでも確かな愛情を貰って。返すことは全然出来てなかったけれど、でもそれを許してくれる優しい人たちに囲まれていた。窮屈で退屈だったそこは、でも初めて外に出てから確かに、自分の安心する居場所だったと気付かされて。

――本当は、自分の居ていい場所ではなかったのだけれど。

そのことに悩み苦しんだ時もあった。生きることすら辛かった時期もあった。

今では改めて、そこに居てもいいのだと言ってくれる存在が居てくれるから。

その存在が居る、そこが。

自分の帰る場所。無条件に安心出来るところ。

早く他のレプリカ達に、安寧の地が――その名の通り、楽土とこの街がなれますように。

そのために、これから何があっても、どんなことがあってもやり遂げてみせよう。

今度は薄っぺらな決意だったと、自分で後悔などしないように。

そう、ルークは思う。

腰にしがみ付いている一人の頭をくしゃりと撫で声を掛ける。

「お前が食事をする時、いっつもあの窓際の端っこの椅子に座るだろ」

「うん」

「なんでだ?」

「…すき。あったかくて、きもちいい」

ルークを見上げて眩しそうに目を細めるその表情に笑みを返して、今度は脚にしがみ付いている方に声を掛けた。

「お前は昼寝や夜寝る時、他の人のベッドじゃなくて、お前のベッドで寝るだろ」

「うん」

「他の場所より自分のベッドが、一番安心するだろ?」

「うん」

素直に頷く二人に合わせるように屈み、抱き寄せる。

「俺が戻る場所ってのは、お前達が食堂の好きな椅子に座った時や、自分のベッドで寝る時に感じるようなところかな」

ぽんぽん、と両腕で彼らの頭を軽く叩いてから、二人の表情を光に透ける翠の透明な色で覗き込む。

自分がガイに与えられたものを同じように彼らに。それが自分に出来る愛情の返し方だと、ルークは思っている。勿論、今でも自分の兄のように父親のように世話を焼こうとする本人にも直接感謝の意を伝えることは何度となくあるのだけれど、それだけじゃなくてこうして、次に繋げる、他に広げることも大切ではないかと思うのだ。

「いすじゃない…?べっどでもない?」

「ないよ」

「……じゃあ、せんせーのだっこ!」

首を傾げて考えていた子供が、飛び切りの考えが浮かんだ表情をして、顔を上げた。その瞳には確かに今までの自我の薄い色ではなく、はっきりとした力強さがあって、思わずルークは息を呑む。

ガイも、この瞬間を味わったのだろうか。

自分はこんな風に、力強く前を見ていただろうか。

――ああ、うん、そうならいいんだけどな!」

自分のこの腕が安心出来る場所であるのなら、良いけれど。

そう思いながら、二人に向けた笑みは鮮やかな彩りで。

「じゃあまた、来年にな。――おーい、行くぞミュウ!」

「待って下さいですのー!今行きますですのー!」

声を掛けられて、視線の先複数の子供に囲まれたチーグルが、ぴょんぴょん跳び跳ねた。

end.