ぺたぺたと、冷たい石畳の上を子供の足が、音を立てながら歩いていく。
「プラチナ様の靴、どこ行っちゃったんでしょうねぇ…」
ジェイドはプラチナの小さな手を引き、そう独り言のように呟きながら廊下を進んだ。ジェイドの歩くスピードに追いつくのに必死なプラチナの小さな手が、しっかりとジェイドの大きな手を握り返しているのだが、プラチナの小さな手にはジェイドの指を数本掴むのが精一杯。その反対の手は、ウサギのぬいぐるみの手と繋いでいる。
「何処で脱いだか、覚えてないんですか?」
考え込む様子だったジェイドがプラチナを振り返って、尋ねて来る。
「……おぼえていたら、じぶんで見つけている」
プラチナは一生懸命、高い位置にあるジェイドの顔を見上げながら、そう答えた。
靴を失くしたと思う場所は、全部探したのに見つからなくて。仕方が無いから裸足でプラチナが帰って来たのを、ジェイドに発見され、説教と共にこうやって靴を探す羽目になっていた。
「そうでしょうね。それでしたら私も、こうやって探す必要なんて無いんですが…。ああもう、面倒ですねぇ…。プラチナ様、お願いですから思い出して下さいよ」
「………」
(……そう言われても…)
ジェイドにきっとそう言われると思って、プラチナなりにあちこち探したのだが、思い出せないものはどんなに努力しても判らない。
答える言葉が見つからなくて、黙って俯く。
ジェイドが少し笑ったような気配がして、解けかけているプラチナの手を握り直した。
「…それで?今日は何処までお出かけしたんですか」
「――…いつもとおなじだ」
「いつもと同じ、ということは…、本城の方へも行かれたんですね」
ジェイドのさり気無い言葉に、プラチナは咄嗟にジェイドの顔を見上げる。その顔はからかうように微笑んでいて。
やはりジェイドにはばれていたのか、とプラチナは思うが、ここで素直に答えるのも癪だった。
「…行ってない…」
「おや?嘘を吐かれるんですか?いいですよ、あなたがそういうつもりなら、守衛を問い詰めれば判る事ですから」
冷ややかなジェイドの言葉に、プラチナの体が強張る。
それは罰を与えると言う事だ。
双子の兄のアレクか、プラチナのどちらかをはっきりと後継者と決めるまで、奈落王の許可が無ければ二人とも、本城の敷地内すら入ることを禁止されている。
プラチナはそれを判っていながら、禁を破って敷地内に侵入している。プラチナにお仕置きがあるのならばともかく、その罪で罰を与えるのは可哀想だった。
「それは嫌だ」
「じゃあ、正直に言ってくださいよ」
ジェイドの確信的な笑み。ジェイドの思う通りになることに、酷く悔しい気持ちになりながらも、プラチナは素直に認めることにする。
「…行った」
「それでいいんです」
プラチナの言葉に、ジェイドは満足そうに頷く。その様子を見て、プラチナはよりいっそう悔しくなった。
本当にジェイドのやり口には腹が立つ。
ジェイドにとって、この世界の神に等しい奈落王とその息子であるプラチナも、それ以外の魔人も、何とも思っていないのだ。
それを証明するかのように、こうして時々気紛れにプラチナに意地悪をする。
プラチナをからかうかのように。
――気に入る答を出せるか、試すように。
ジェイドはとても捻くれているから、プラチナに望んでいる答は難しい。
「…お前なんか、嫌いだ」
「へぇ、そうですか」
酷く悔しかったから仕返しのつもりでそう言ったのに、ジェイドは何とも無い様子でさらりとプラチナの言葉を流す。
…プラチナだったら、とても平気ではいられないのに。
ジェイドの飄々とした様子に更に腹が立ち、重ねて言った。
「ほんとうに、嫌いだ」
「はいはい。嫌われてるのに、どうして私がプラチナ様の靴なんか、捜さなきゃならないんでしょうねえ」
軽くあしらわれて、手を強引に引かれたまま屋敷の庭へ出る。
「さて、と。どこから探しますかねえ~。こう広いと探すのも嫌になりますね」
うんざりしたような声。
ジェイドがため息と共に、プラチナの手を引きながら植え込みの中や花が満開の花壇を覗き込んだり、物陰を探っていく。
「…別にあなたの靴くらい、何足でもあるんですけどね。やはり靴一足にでも責任を持って頂かなくては」
ジェイドの言葉に、プラチナは過去リボンを数本失くした時もそう言われながら、屋敷中をくまなく探したことを思い出す。あの時も見つかるまで、ジェイドは許してくれなかった。
時間を掛けて庭中を隅々まで探し終わったプラチナが、疲れ果てて地面に座り込むとジェイドが振り返る。
「庭中探しても見つかりませんし、やっぱり本城のどこかでしょう。本当に毎日毎日、良くあそこまで遊びに行きますねぇ。…あんまり丈夫な身体でもないのに」
「本ばかりよんでないで、たまにはそとに出ろといったのは、お前だ」
「だからって、行き過ぎです。こちらの屋敷の敷地内だけにして下さいよ」
ジェイドはため息を吐き、城のある方角を見て。
「仕方ありません、プラチナ様はその辺で大人しく待っていて下さい。私が探してきますから」
「…おれも行く」
「駄目です。奈落王の命令に逆らうおつもりですか?私だって命は惜しいんですが」
きっぱりと言うジェイドの言葉に、プラチナは何も言えなくなる。
「それに靴が無い状態で、何処まで歩けると思っているんですか?まさか、本城の敷地内で靴を履いていない情けない王子様のお姿を、曝しても良いと?」
ジェイドの言う言葉は、確かにその通りで。よりいっそう、悔しい気持ちになる。
「お願いですから、ここから一歩も動かないで大人しく待ってて下さいよ?靴が見つかって、あなたが見つからないんじゃ、本末転倒ですし」
プラチナはそのまま屋敷の玄関部分、石階段に置き去りにされた。
暫くは体を柱に預け、そこで足をぶらぶらさせながらジェイドを待っていたが、すぐに飽きた上に気になることがあって、次第に大人しく待つことが苦痛になって来る。
城の敷地内にプラチナが忍び込むのには、理由がある。
黒い仔猫が居るのだ。
首輪も何も無い緑の目をした小さなその仔猫は、城の残飯でも貰っているのか、敷地内を我が物顔でうろうろしている。守衛達も猫など気にしない。
本当は拾って帰りたいのだが、ジェイドに見つかってどこか酷い場所に捨てられるのも可哀想だから、毎日様子を見に来ていたのだ。
丸まって寝ていると、何処が頭なのか全然判らない。欠伸をしたときに、漸くピンク色の口の部分が判る。
抱き上げると腕を突っ張って鳴いて嫌がるので、いつも傍でじっと見守るだけにしていた。
猫が移動すれば付いて行って、猫が寝れば一緒に寝て。
唯一、背中を撫でられるのは嫌じゃないらしい。あと、プラチナの長い髪とリボンも。
今日はプラチナの青いリボンに小さな鈴をつけて、仔猫の首輪にした。
ジェイドのことだから、もし仔猫を見かけた時、プラチナのリボンと言う事にいつか気がついてしまうだろう。
リボンをそんな風に使ったと知れたら、何と言って怒られるか判らない。
ちりん、と小さな鈴の音がして、プラチナはそちらの方に視線をやった。
――…いる。
いつの間にかプラチナの傍近くまで寄って来ていた黒猫が、暢気に後ろの足で耳を掻いている。プラチナの視線に気付くと、体を起こしまるで誘うように体を翻して歩き出す。
せめて、ジェイドに見つかる前に首に巻いたリボンを取らなくては。
そう思い、プラチナは黒い仔猫の後を追っていった。
木々の間をかき分け深く深く進んでやっと、夕日の当たる地面に寝転んでいる仔猫に追いついた時には、全然見たことの無い場所で。プラチナは疲れ果て、足も痛くなって一歩も動けなくなっていた。
首を巡らせて確認すれば、良くは見えないが木々の向こうから見える見慣れた城の塔の大きさから、不味い事に城の敷地内に入ってしまっていることが判る。
ここから、離れなくてはならない。ジェイドに怒られる前に。
でも、裸足で歩き回った足が痛い。
(…ここは、どこだ?)
人の通る気配すらない。
とりあえず黒猫からリボンを取って、その傍に座り込んだ。
屋敷から自分が居る場所の大まかな方角と距離は判ったものの、動けないのなら意味が無い。
暫く休めば如何にかなるかと思っていたが、痛いと一度感じてしまったら、もう立ち上がるのすら嫌になってしまった。
ふと。
猫の鳴き声がした気がして、プラチナは寝転がっている仔猫を見るが、仔猫の方は耳をぴんと立てて体を起こしている。仔猫が一点を見つめて動かないのを見て、プラチナもつられてその方角を見た。
仔猫の視線の先には、遠く離れた位置に親か兄弟だろうか、それよりも大きな黒猫がいて。
仔猫はあっという間にその大きな猫の方へ、走って去っていってしまった。
あの大きな猫は、仔猫を迎えに来たのだろうか。
次第に空は薄暗くなってゆき、風の冷たさを感じて。
――…何だか、プラチナは仔猫がとても羨ましくなった。
「――…プラチナ様?」
ありえない声に反応して背後を振り返ると、ジェイドが本当に驚いた顔をして近づいて来ていた。
――驚いた。
どうして、ジェイドはプラチナの居るここが、判ったのだろう。
「…やっぱり。こんなところで何やってるんですか」
「ジェイド…」
すぐに怒られると思ったのに、ジェイドは呆れたように苦笑して。
「あーあ、また汚れて…。参りましたね、一人で大人しく待つことも出来ないんですか?」
プラチナを立たせると、とりあえず服のあちこちを軽く叩いて砂埃を払い、不思議そうな表情をして見上げているプラチナの頬を軽く拭う。
「どうしておれがここにいると、わかったんだ?」
大きな目を見開いて、まるでジェイドが何かしらの魔法でも使ったかのように見ている、そのプラチナの表情をジェイドは暫くじっと見つめていたが、不意に可笑しそうに微笑むと、よいしょ、とプラチナを抱え上げる。今度はジェイドがプラチナを少し見上げる格好になった。
「…さあ、どうしてでしょうね。困ったことに、あなたの居る所は大体判ってしまうんですよ。たとえどんな所に居ても」
その言葉が本当に嬉しかったから。
プラチナは何も言わずにジェイドに抱きついた。
突然首に抱きつくプラチナに、呆れた様子でジェイドが声を掛ける。
「――…私のこと、嫌いだったんじゃないんですか?プラチナ様」
答えないまま、甘えるように首に額を押し付けるプラチナにジェイドは深いため息を吐いて。
「全く、嫌いになったり嫌いじゃなくなったり、忙しい方ですね」
『嫌い』と言ったけれど、本当に嫌いだった訳じゃない。
だって、ジェイドはこうしてプラチナを見つけてくれるのだ。
プラチナさえ、知らないような場所にも迎えに来てくれる。
あの、大きな黒猫のように。
「…第一、こんな甘えん坊にお育てしたつもりは無いんですが。判ってますか、私の小さな王子様?」
「わかっている」
「本当ですかねえ」
「ほんとうだ」
「…早く、大きくなって下さいね」
「どりょくする」
「その割には、好き嫌いが多いですよねえ」
文句を言いながらも、引き剥がそうとしないジェイドの様子に、思い切りしがみ付いてプラチナはふと、違和感を覚える。
顔を上げて自分が今まで居た場所を振り返っても、やっぱり無い。
「さてと、帰りますか。靴もあなたも見つかった事ですし、お風呂に入って足の治療をしたら、夕食にしましょう」
「…ジェイド」
「はい?」
心なしか、ジェイドの声は上機嫌のようだったが、プラチナは言葉を続ける。
「ぬいぐるみがない。なくした」
ぴたりとジェイドの動きが止まって、プラチナの顔をまじまじと長いこと見つめていたが。
顔を背けると、暫く額を押さえて深い深いため息を吐いた。
「…今日はもう、疲れましたから…明日探しましょう…」
プラチナはジェイドの言葉にきょとんとする。今まで物を失くしたら、どんなに疲れても見つかるまで探させたのに。首を傾げて、ジェイドに確認する。
「それでいいのか?」
「ええ…。プラチナ様がアレ無しで眠れるのなら」
そう言われて、プラチナはすぐに首を振った。
「……むりだ」
「…やっぱり…。駄目ですか?一晩くらい…」
「嫌だ」
プラチナの頑なな様子に、ジェイドは暫く考える素振りをして。
「…じゃあ、今日は一緒に寝ますから。――それでも?」
ジェイドのからかうような微笑みに、プラチナはジェイドがまた自分を試している事を知る。
プラチナにとっての、究極の選択。
ジェイドの気に入る答を言わなくてはならない。
end.