大き目の荷物を手にしたそのメイドは小さな主に跪き、別れの挨拶をする。

 主はゆっくりメイドに歩み寄ると少し背伸びをし、メイドの頬にそっと触れるだけのキスをして、旅立ちの祝福を贈るのを、ジェイドは離れた場所から静かに見詰めていた。

 ジェイドが幼いプラチナの教育係として半年になるが、ああやって去り行くものに儀式のように、祝福を与える姿を何度と無く見た。

 特に暖かい交流があった訳でもなく、プラチナに優しかったとは言えない者達一人一人に、惜しみなくプラチナはその心を捧げているようにも見える。

 …それが、プラチナの長所だとは思うが、ジェイドは何故か気に入らない。

 自分が理由も無く気に入らないからといって、この小さな主に止めろとは言えず、毎回内心ため息をつきながら、そのまま見守っていた。

 ――毎回。

 嫌なら見なければ良いのに、それも癪で毎回、その儀式を見守っていた。

「プラチナ様、いつまでそうしているおつもりです?」

 窓からいつまでも外を眺めているプラチナの、小さな頼りない背中に声を掛けた。

 幼い肩は子供特有の柔らかなまろい形をしていて、いつも、手を伸ばして腕の中に抱き込んでしまいたくなる。

 彼の姿を寂しいと、感じるのは何故だろう。

 大切にしたい、と思う。

 この小さな主に仕えるからとか、幼い子供だからとか、そう言った理由は全く関係無く、ただこの存在を護りたいと、強く思う。

 だが、その気持ちはいつも、押え込んでいた。私情を挟むことは、ジェイドが己に強く禁じていたからだ。

 必要以上に厳しくも、優しくもしないことを努力した。

 それでも、時折甘くなってしまうのは、仕方が無いことだったけれど…。

「…彼女と会えなくなるのは、寂しいですか?」

「そう…かもしれない」

 問い掛ければ、ぽつりと、幼い声には不釣合いな、大人びた口調で言葉が返ってくる。

「あまり、交流があったようには、お見受けしませんでしたが?」

 感情を表に出さない訓練はしているつもりだったが、少々険の有る声になってしまったかも知れない。

 不思議そうな表情をして振り返ったプラチナに、少し後悔するが、安堵もした。

 …どうやら、小さな主の視線が、こちらに向いていないことが嫌だったらしい。

 しかも無自覚で嫉妬していたらしい自分に、ジェイドは内心呆れもし、驚きも同時にした。

 この地位に着けるまで、いろんなものを犠牲にして来た。一番最初には感情を。

 こんな人間だったかと、こんな感情をまだ持っていたのだと、そしてそれを引き出す相手が居た事に、今更ながら酷く驚いていた。

「…あのメイドは、蝶は好きだが毛虫がきらいだった」

 怒られたと思ったのか、プラチナは顔を窓の方に背けて小さな声で呟く。

「話したことはないが…ただ、それを知っている」

 プラチナは、窓に手を着き、もう一度外を眺める。

 その視線の先には、満開の花で埋め尽くされている花壇があった。

「いつも、あのメイドがあそこの手入れをしているところが、ここからみえてたから…」

 主の小さな呟きに、今日旅立った彼女のことを、羨ましく思った。

 こんな風に、彼は記憶の片隅に留めていてくれるのだから。

 その記憶はいつまでも、彼の傍に有りつづけることが出来るのだろう。

 なんて、しあわせなことだろうと、思う。

――…プラチナ様」

 思わず、口から無意識に言葉が漏れ出でる。

 きょとんとした、無垢な表情がこちらを見つめていて、思わず微笑み返した。

「私が、彼女のように去り行く時、等しく祝福を与えて下さいますか?」

 多くは望まない。

 彼に、この思いを受け入れて貰おうとは、思っていない。

 ただ、傍に有り続けたい。

 傍に居られない時も。どんなに遠くに居たとしても。

 ジェイドの言葉を聞いて、プラチナが小首を傾げた。不思議そうに、ジェイドを見つめて来る。

「…プラチナ様?」

 逆にジェイドが問い掛けると、銀の長い髪を舞わせながら細い首をふるふると振って。

「おまえは俺のだから、どこにもいかない」

 確かな声で、ジェイドを見つめたままきっぱりと言う。

 プラチナの言葉は、どうしてこうも、自分を捕らえて離さないのだろう。

 幼いし、口数が多い方でもないのに。

 ただ純粋に、嬉しくて。

 その凛とした姿に、ジェイドは継ぐ言葉が見つからず、ただ見つめ返すと、ジェイドの沈黙を拒否と受け取ったのか、眉を少し寄せて尋ねて来る。

「なんだ、いやなのか?」

 その言葉に漸く硬直状態から抜け出して、慌てて首を振った。

「いいえ…」

 …本当に、驚かされてばかりだ、と微苦笑する。

 逆光の所為か、こちらを真っ直ぐに…直向に見つめるプラチナの姿を見ていられなくて、ただ目を伏せて、頷いた。

「いいえ、そうですね、その通りです…」

 この、小さな主にあろうことか身も心も、確かに奪われているのだから。

 彼が成人をして、役目を果たした自分がこの館を去り行く時が来ても、この思いは、ずっと彼のものだ。

 …彼だけに捧げるものだ。

「私は、私だけは確かに、あなたのものです…―――プラチナ様…」

end.