空が眩しい。

 昼食の時間に執務室での待機を命じられて、仕方無しにモノクルを外し、椅子に座って遠くの景色を眺めていると漸く扉がノックされる。

「…驚きましたよ」

 人の出払った執務室を訪れて開口一番、サフィルスがそんなことを言った。

「何がだ?」

 モノクルを掛けるのが面倒で、顔を顰めてサフィルスを見る。

「貴方って本当に、判らない人ですね」

 ため息を吐いて、モノクルを外した目にも良く見えるようにか、目の前に畏まった書類を突き出した。

 内容を読んで、きっと嫌々ながら捺印しただろうアレクの姿が容易に想像出来、思わず笑う。

「…謹んで、拝命致しましょう」

「突然のこの出世は、一体なんですか?この間まで問題を起していたと思ったら…しかもかなりの大抜擢じゃないですか」

 サフィルスの手から書類を取りあげて、それを執務机の引出しに入れ鍵を掛ける。

「そりゃあ、問題を起していたのを差し引いても、俺がお前と違って有能だってことだろう?」

「貴方が有能なのは認めますけど…。…何か、上の人の弱みでも握ってるんじゃないんですか?」

「さぁな」

「…否定しないんですね…」

 呆れたようなサフィルスの声には、小馬鹿にした笑みを返してやった。

 モノクルを掛ける様をサフィルスは面白く無さそうに見守っていたが、反撃をする材料を思い出したのか、突然声を強くする。

「ご機嫌も宜しいようで、大変結構ですけど、私に借りがあることを忘れないで下さいよ!」

「それはもう期限切れだ。部署が変わるからな。そんなに返して欲しいんなら、この部署の奴らに言えよ」

 椅子から立ち上がり、サフィルスを置いてさっさと扉の方へ向かう。

 ここでぐずぐずしている訳には行かない。

 時間がいくらあったって、足りないのだから。

「…貴方って人は…!」

 サフィルスの罵声を背中で聞き流して、執務室の扉を閉めた。

* * *

 陽の差す明るい回廊を通って、中庭を横切り人気の無い横道に反れて更に奥に進む。

 少し木の茂った場所の更に奥、古びた東屋の屋根が木々の間から見える。

 木が上手い具合に茂っていて、ぱっと見気付き難い。

――プラチナ様?」

 案の定予想はしていたが、荒れ果てた石畳の上にマントを広げたその上で眠っている。

 最近、時間が取れればここに居るとプラチナ様自身から聞いて、ここに来れば会えるだろうとは思っていたものの。

 どうやら昼食もここで取ったらしく、鳥たちがトレイの上でサンドイッチの残りを啄ばんでいる。

 残り、というには多すぎる量。また好き嫌いをして残したのだろう。

(…俺が傍でお世話出来たら、こんなことはさせませんけどね…)

 心の中で、あの部下達の無能振りを散々罵って。

 ため息を一つ吐き、眠っているプラチナ様の傍に腰を下して声を掛けた。

「…プラチナ様」

 普通の声では反応すらない。少し強めの声を出して、もう一度呼びかけると、漸く緩々と瞼が開く。

「んっ…ジェイド…?」

「はい。こんなところで寝ないで下さいよ。陽が差していても、身体が冷えるでしょう?」

 何度か瞬きをしているが、一向に覚醒に向かうどころかまた、次第に瞼が下りて来て。

「判っては…いるんだが……」

 後の方は、良く聞き取れないまま、寝息に変わる。

 仕方が無いので、眠気を取るためにもう少し寝させておくことにして、せめて頭だけでも、と膝の上に上半身を軽く抱えて乗せた。

 今日は風も無く、初冬にしては陽気が暖かい。プラチナ様の気持ちも判らないでもなかったが、相変わらず無警戒過ぎる。

 本当に、今日の護衛とやらは何をしてるのだろう。

 またもあの部下達を心の中で非難した時。

「……ジェイド」

「はい?」

 眠っていると思っていたが、いつの間にか起きていたらしい。

 名を囁くように呼ぶ、プラチナ様の髪を梳きながら返事をした。

「ジェイド」

 今度は先程よりも確かな、強い声で呼ばれる。その声に訝しみながら、こちらに背を向けているプラチナ様の顔を覗き込んで、問い掛けた。

「…どうかしましたか?」

 膝の上で寝返りを打って仰向けになると、腕を伸ばして来る。されるがままに抱き締められた。

「夢…みたいだ…」

 深く息を吐きながら、そんなことを言う。

 その言葉は、俺にこそ相応しいのに。

 あなたが口にすると、とても甘く響く。

「夢じゃありませんよ」

「…ん…」

「ちゃんと、あなたの傍に…ここにいますから…」

 あなたが喜ぶのなら、何度だってその細い身体を抱き締める。

 今は、これでもいい。

 そう遠くない未来に、堂々と奈落王の傍に居られる地位を獲得するにしても。

 それまでこうして隠れて逢瀬を重ねるのも、悪くは無い。

 どうやらアレクもあの部下達も、時折俺がプラチナ様の部屋で夜を越す事も、プラチナ様が深夜、部屋を抜け出していることにも、気がついていないようだし。

 今更気付いた所で、もう何とも出来ないだろうが。

(…まあ、散々悔しがって下さいよ)

 そんな考えを隠して、膝の上で気持ちよさそうに寛ぐプラチナ様の髪を梳く。

「…プラチナ様、いつかご褒美下さいね」

「褒美?…何が欲しいんだ?」

 眠気は去ってしまったのか、不思議そうな顔で見上げてくる。

 傍に居られたらいい、そう願って。

 傍で笑っていて欲しいとか、名前を呼んで欲しいとか。

 好きだと伝えられたらいい。

 …俺の、生きる理由。

「…願いを叶えて欲しいんです」

「願い…?――…天に、帰りたいのか…?」

 上半身を起して不安げに顔を覗き込む。表情が陰るのを、微笑むことで否定した。

「まさか」

 あなたが居ない場所に、帰る必要など何処にも無い。

 身体を抱き寄せて安心させるように背中を撫でながら、胸に顔を埋めているプラチナ様の耳に囁いた。

「俺の願いは、一つですよ。…ずっと、傍に居させて下さい」

 残された全ての時間を、あなたの為に使い切るつもりだけれど。

 ――それでもいつかは、あなたと同じ永遠を。

「…判った。…叶えよう…」

 顔を上げて、微笑みながら言うプラチナ様のその言葉を福音として聴きながら、口吻けるために瞳を閉じた。

 …もう、冷たい月の夢など見ない。

end.