「鍵を閉めて…こちらに来て下さい」
ゆっくりと、静かに聞き慣れた小さな金属音が立ち、施錠された事を伝える。プラチナ様は俯いていた顔を上げ振り返ると、俺の言葉を確かめるようにじっとこちらを見ていたが、ゆっくりとベッドに近づいて来た。
ベッドから少しの距離をおいて立ち止まる。
「…服を脱いで」
聞こえなかったのか、聞き間違えたと思ったのか、プラチナ様は首を少し傾げた。
その動作にさらりと流れる銀の髪は、弱い光の中でも眩しく見えて。
美しい顔には、怯えの色も無い。
卑怯な方法で、彼を汚そうとしていることを自覚する。
駆け引きなど何も知らない、無垢な魂を相手に。
まるでこの行為で、遠い存在である彼を、自分のところまで引き摺り下ろせると信じているかのようだ。
「何してるんです?早く服を脱いでください。疲れてるんで、さっさと終らせたいんですが。あなたのその服着たままじゃ、出来ないでしょう?」
俺の強い言葉に促され、戸惑いながらも白い細い指が身に付けているものを取り払って床に落としていく様を、ただ見つめていた。
手伝ってはやらなかった。
…彼が望んだのだから。
俺は何度も逃げ道を用意したのに、それを無視して振り切って、自分の手で俺の部屋の扉を開け、鍵を閉めたのだから。
足元に服が落ちて、最後に髪を解く、淡々とした動作。
ただそれだけの動作でも、目を奪えるほど綺麗だった。
何も身体に纏っている物が無くなって肌寒いのか、自分の腕で肩を抱くようにしている。
癖の無い銀の髪が、傷一つ無い白い肌の身体に纏わりついている様を、暫く目を細めて眺めた。
「…ジェイド…」
服を脱ぎ終わったまま立ち尽くしていたが、その状態で放置されているのがさすがに嫌なのか、小さく声を掛けてくる。
それには何も答えず、一糸纏わぬ状態になったその身体を強引に引き寄せて、ベッドにうつ伏せに押し倒した。隙を逃さず両腕を後ろに回し、ベルトできつく縛り上げると、裸の身体を仰向けの状態にする。
「…なっ…、ジェイド…!」
縛られた事に対してか、裸の彼を無体に扱う事に対してか、顔を紅くして声を上げる。
その声を無視して、そのまま暴れないように下半身に体重を掛け、自由を奪う。俺の重みと自分の体重とで下敷きになった両腕が痛むのか、咄嗟に息を呑むのが判った。
上から見下ろして正面から目を合わせ、苦痛に耐えるその様子に、薄く笑んでみせる。
「…暴れると、余計に痛みますよ?」
苦痛の姿すらも楽しんでいる俺を見て、目を見張った。
身体の下の滑らかな素肌に手を這わせると、微かに身体が震える。
過去、この身体のどこにも傷を残すことを良しとしなかった自分が、今は消えない傷痕を付けたがっている。
首元に顔を埋めて、首筋に噛み付くように痕を残した。
「…っ」
息を止めて咄嗟に上げそうになった声を堪えているその様子に、無理矢理にでも声を出させたくて、滑らかな肌を好き勝手に弄る手を、胸に移動させる。
胸の頂きに触れ、刺激を与えるように爪を立てた。
「…っ、なん、だ…?」
びくりと身体が反応したそのことに、状況を忘れたような、不思議そうな顔をして見上げてくる。
――酷く、嫌な気分だった。
「…ああ、もしかして初めてなんですか?」
その表情を変えたくて、からかうような笑みを浮かべたまま訊けば、頬に朱を走らせて。
「ぁ…当り前だっ…」
女すら受け入れられない彼が、男と容易く出来るはずも無い。
そんなことは判っていたが、確認する事でよりいっそう暗い欲望に火が点く。
初めて、俺が。
――俺だけが。
あなたに酷いことをする。こんなにも。
「私の好きにしていいんでしょう?あなたをかなり酷く、傷付けたりするかも知れませんね。気遣いとか、そんなもの出来ませんからそのつもりで」
表情を窺えば、そっと視線を合わせて来て、その瞳には俺を責める色も無い。
耐える、と言ったら、本当に容赦なく抱こうと思った。
二度と、近づけないように。
俺が夢を見ないように。
確かにあなたが欲しかったけれど、こんな方法で手に入れたかった訳じゃない。
二度とあなたに気持ちも伝えられない。あなたを見ることも出来ない。傍になんて、過ぎた夢を見ることも無い…。
「――…構わない…」
「…何?」
言葉の意味が判らなかった。
(今…何と言った…?)
動きを止め笑みを消して、真下の美しい顔を、真意を測るために見つめる。
「それでお前の気が済むなら、構わない、と言ったんだ」
怯む様子も無く、自棄でも無く。媚びる訳でも無い。
この体勢になっていても、真っ直ぐに青い瞳は見つめ返して来て。
俺の、気が済むなら?
傷付けた裏切った者に対する哀れみで、この現状を耐えるというのか。
「――何故…?」
尋ねる事は無いと思っていた言葉が、口から零れていた。
他の何を尋ねても、これはもう二度と訊きたくない言葉のはずだった。
どんなに言葉を重ねても、同じ言葉しか返ってこないことは理解しているのに。
それでも、静かにその言葉は滑り落ちて。
「…何故…俺を生かしたんですか…?」
身体が強張ったのが伝わる。
…何故か、プラチナ様は酷く泣きそうな顔をした。
「――…理由など無い」
その呟きは、あの時聞いたものと変わらない。
(――俺だって、生きる理由が…無い)
あなたに必要とされなければ、こんな命無くても何も変わらない。
思考は突っ走っていて、意識しないまま口が言葉を選ばずに紡ぐ。
「…勝手なことを…」
生かしておいて、理由が無い?
…これが、あなたの復讐だったなら。
「勝手なことを…言わないで下さい…っ」
激情に任せて、組み敷いた細い身体を強く掴んで力任せに押さえつければ、苦痛に眉を顰めて目を閉じる。その様を見るのも嫌になって、身体を起こし体を背け、俯いて額を押さえため息を吐いた。
――…こうでもしてないと、殺してしまいそうだった。
俺の重みから解放され、微かに吐息を吐くのを背後で感じる。
「理由は無い…。――俺の、ただの我侭な願望だ」
「…願望?」
背後からのこの場に相応しくないような言葉に、信じられなくて顔を上げ振り返った。プラチナ様の顔を暫く凝視したままでいると、俺の視線から逃れたいのか、顔を背け瞳を閉じてしまう。
理由も無く俺が生きている事が、あなたの望みなのか?
――そんな。
俺にとって、どうでもいいことが?
「願望…って、何がですか…?」
顔を覗き込んで、もう一度問い掛ける。
横を向いたまま瞳を開いて、暫く躊躇っているようだったが、顔をずらし視線を合わせて来て。
――今にも泣き出しそうな、深い青い瞳が俺を見つめる。
「…お前が、生きているなら…。この奈落のどこかで生きていてくれるのなら…それだけで良かった」
「……え…?」
そんな言葉が返って来るとは思ってなかった。
突然訪れた、言葉。
騙されているのか。
「…この世界のどこかで生きるお前の幸せのために、より良い世界にしていきたいと思える…。そう思えば、俺は奈落王として、永い時を生きていける…」
声が、震えている。
聞き間違いでもなく、見間違いでもなく。
透明な涙が、白い頬を辿るように流れる。
それは何故か、新雪に足跡を残していく行為を連想させた。
「城での地位があれば、旅立つための金も、与えられるから…」
目の前で流れるそれを、ただ呆然と見つめる事しか出来なかった。
言葉の愛しさとか、想いの哀しさとか。
俺には、それを向けられるような価値は無いのに。
「俺がお前の望むような王になれるまで、傍にいて欲しくて……お前を、苦しめるつもりは…無かった…」
すまない、と呟いた声は小さすぎて、消え入りそうだった。
気付かなかった。
いつからなのだろう。
いつから、あなたはそんなことを決めていたのだろう。
俺の言葉が、そんな風に重く残らないように、突き放してきたはずなのに。
…どうして。
どうして、あなたは俺を選んでくれたのだろう…
…いつから、こんなにどうしようもない俺を、そんなに想っていてくれていたのだろう…
――…つくづく、俺はどうしようもない馬鹿だ。
今まで何度も思って来た中で、今回ばかりは心の底から本気でその言葉を噛み締めた。
「――プラチナ様…」
そっと、怖がらせないようにゆっくりと頬に口吻け、そのまま唇で涙を拭う。
「…ジェイド…」
声を震わせて潤んだ瞳で見上げてくる、その瞳にも口吻けを落とした。
「泣かないで下さい…」
素肌の身体を優しく抱き起こし、背中に手を回すと腕の束縛を取り払う。腕が自由になり、プラチナ様は涙を流す顔を腕で隠して、身体を震わせ嗚咽を堪えている。子供のようなその状態のまま、宥めるように頭を抱き締めた。
驚いたのかびくりと身体が揺れる。
こんな風に抱いた事は、今までなかった。
「…俺が、悪かったですから…」
「ジェイ…ド…っ」
切なげに吐息を吐く合間に、名前を呼ばれる。
その行為は、まるで名前を唱えるたびに、俺を赦してくれているようで。
顔を覆う腕を無理にならないよう、そっと掴んで取り払う。
頬を両手で包むと、閉じていた瞳がそれに導かれるように開かれ、深い青が俺の顔を見つめて。
「もう、二度とあなたを傷付けないと、誓います…」
想いを込めて声を掛けるほど、涙は碧眼から止め処なく溢れる。可哀想に思えてくる程、拭っても拭っても途切れずに零れ落ちてきた。
「だから、泣かないで下さい。お願いですから…」
我慢をさせていた。酷く傷付けていた。
止まらないその涙に、そう自分の罪を強く感じるが、それ以上に愛しくて堪らなかった。
もういい。
あなたに騙されていたとしても。
あなたになら。
「プラチナ様…」
「…っ…」
嗚咽を堪える合間に、苦しげな吐息が漏れる。温かい身体を抱き締め、宥める為に背中を何度も撫でていると、ぎこちなく背中に薄く紅い束縛の痕をつけた腕が回って来て、縋るように抱きついてくる。
子供のように泣きながら縋ってくるその様子が、何故だかとても嬉しくて。
こんなに傷付けているばかりなのに、嬉しいなんて最低だ。
それでも。
――それでも。
「…あなたが、好きです」
身体を優しく抱き締めて、耳にそっと囁いた。
こんな状態のあなたにしか、言えない自分に呆れながらも。
「う…そだ…」
泣いているから聞き逃すだろうと思っていたのに、弾かれたように体ごと反応して胸に埋めていた顔を上げた。涙で潤んだ瞳が、驚きで見開かれている。
「嘘だ…うそ…だ…、嘘…だ…」
俺を見つめたまま、うわ言のように何度も繰り返すその唇を、口吻けで塞いだ。
今まで誰にもしたことがないくらい、優しく想いを込めて。
「…信用、ありませんね、さすがに」
全ての行動を忘れたかのように、じっと探る様に必死に見つめてくる顔の涙の跡を拭って、そう苦笑する。
「信用、して頂けませんか?」
「…また、冗談だというんだろう…」
驚いた所為か涙は何とか止まって、上目遣いに見上げてくる。それが甘えた仕草のように見えて、少し笑った。気がついたら、俺の左手の袖をしっかりと掴んでいて離そうとしない。
仕方が無いから、袖を掴む手を左手で包み込むようにそっと握りしめて。
「冗談なんかじゃ、無いんですけど」
「…じゃあ、ちゃんと証明して見せろ」
手は離さないまま、顔を背けてしまう。
…疑い深くなってしまったのは、俺の所為だろうな、多分。
それを可笑しく感じながら、細い身体を抱き締め直す。
「そうですね…。それじゃあ…、前言撤回してあなたを誰にもしたことがないくらい、優しく大切に抱きますから、ね?」