「で、誰からの電話だったんだよ!」

 客間に入った瞬間にアレクに睨まれて、プラチナはたじろいだ。

 見れば、ベリルを覗く全員が箸は進んでいるようだが、点心、フカヒレスープ、水餃子、あんかけ、卵粥、海老のライスペーパー巻き、 油淋鶏などその他大量の場所を特定しないランダムな料理を前に暗い雰囲気に包まれている。

――…どうしたんだ、みんな…」

「どうしたんだろうねぇ」

 猪口に注いだ冷酒を口にしながら、ほろ酔い加減でベリルは自分の隣にプラチナを呼んだ。

「一口どうだい?意外といけるよ」

「酒はもういい…」

「プラチナってば!」

 焦れたように声を荒げるアレクの声に吃驚して、プラチナが眼を見張る。アレクが電話の相手ごときのことで、こんなに声を強くするとは思っていなかったからだ。その様子にベリルはプラチナの頭をよしよし、と撫でてアレクを嗜めた。

「君の方がお兄ちゃんなんだから、弟を怯えさせるのは、良くないねぇ…。いつからそんな思いやりの無い子になったんだい?」

 プラチナの頭を抱きしめて、アレクに強い視線をベリルが向けると、う、と一瞬詰まったが、それでもアレクは引き下がらなかった。

「だって、気になるじゃないか!!」

「いや、気になるっていうか、最悪の想像が当たらん事を祈るで、ほんま…」

 ルビイが甘酢に絡めてある小海老を口に運んで、そのまま箸を咥えて唸る。ロードが包子を口に運びながら、うんうんと隣で頷いた。

「それで、どちらからだったんです?理事長ですか?」

 横からのカロールの問いに、プラチナは首を振る。

――ジェイドだ」

「うわっ、ビンゴー!!」

「マジかぁ!?最低や!」

 ロードとルビイが同時に叫んだ。アレクが机を叩いて椅子から立ち上がる。立ち上がった瞬間に、椅子が倒れた。

「なんでだよ!?兄弟の俺でもお前の携帯の番号知らないのに!なんであいつに教えちゃうんだよっ」

「……」

 説明しようとプラチナは考えるが、どこから何がきっかけでそうなったのか、自分自身良く掴めない。

――…何故だろう…」

 プラチナが首を傾げて考えている様に、まぁまぁ、とベリルが間に入る。

「じゃあ、番号さえ教えてもらえれば、アレクは機嫌が直るのかい?それなら、教えてあげたらどうだい、プラチナ」

「それは、出来ない」

 その言葉に全員がプラチナに注目した。しん、と静かになってしまう。

――何故ですか?」

 カロールの静かな、低い問いかけと全員の視線を居心地悪く感じながら、そっと答えた。

「ジェイドと…そう、約束した」

「はぁ!?あいつ、何様のつもりだ!!」

「幾ら医者でも、あいつの言うことはきかんでええて…」

 ルビイがそう言って、何とかプラチナの意思を変えようとするが、それはかなり固く。

「約束を破るのは、俺は好きじゃない。…それに。俺は電話が好きじゃない。時間を取られるし、めったにお話が出来ない父上なら判るが…お前達には昼間会えるだろう。必要ないじゃないか」

 話す事も、特に無いし。そう呟くプラチナに、アレクは身を乗り出して言う。

「じゃあ、あいつの電話も取らなきゃいいじゃないか」

「…約束だ。取らなければ、掛け直させられる」

 本当に憂鬱そうに答えるプラチナにため息を吐いて、アレクは椅子を戻して座った。そして卓の上に身体を預ける。

「…もう、なんだよ…プラチナの馬鹿ー!!暫く口きいてやらないからな!」

――アレク、こう言う時はパーッとやって、一時的でも忘れるしかないで。ロード、酒もっと持って来いや!」

「…僕の分も、是非」

「了ー解っと。自棄酒飲まねぇと、俺もやってらんねぇよ…」

 ロードがルビイの言葉に、席を立って厨房の方に向かう。

「…俺が悪いのか?」

 態度に唯一変化の見えないベリルに、プラチナがそっと尋ねる。ベリルは空になった銚子を軽く振っていたが、穏やかに微笑むと、

「ん~…これは難しいよねぇ…。ま、プラチナがしたいようにするといい。僕は君の味方だよ。何があってもね」

 あそこで駄々を捏ねてるアレクよりはずっと、ね。

 そう、アレクには聴こえないようにそっとベリルは囁いて、いたずらを企んだ子供の様に笑った。

 そのまま、ルビイ命名「自棄酒パーティ」は夜遅くまで続き。

 翌日朝の支度を済ませたプラチナが、客間で雑魚寝をしている5人を発見した。

* * *

 時間で言えば、3時限目の授業が行われている最中に。

「すみません」

 ガラリと保健室のドアが開いて、珍しい人物が入ってくるのを、ジェイドは少し警戒しながら受け入れた。

「どうしました?珍しいですね、生徒会長さん?」

 とりあえず自分の机附近の椅子に座らせて、向かい合わせになる。

「昨日、騒ぎすぎて…頭痛薬を貰えないかな?」

 悪びれも無くジェイドにそうベリルは尋ねて来た。昨日彼らがプラチナの家で騒いでいる事は目に見えていたから、彼の言う「頭痛」が一体どんな物なのかすぐさま判った。恐らく今日頭が痛いのは、彼だけではあるまい。

「普通、保健室に二日酔いの薬なんて常備してないですよ」

 そう言いながら、ジェイドは立ち上がって自分の私物の入ったロッカーを探った。薬をまとめている小さなケースを取り出して、中身を確認していく。

「騒ぐのも良いですが、程々にして置いて下さい。一応未成年者なんですから」

「あははっ、そうだよねぇ…」

「ま、これは私の私物ですが。さしあげます。市販の物にしては、結構良いですよ」

「医者のお墨付きって奴だね」

 そう言ってベリルは大人しく錠剤を受け取る。ジェイドは保健室内の冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出すと、備品のコップに注いでベリルに渡した。

 錠剤を軽く口に含んで、水を一気に飲み干してから、ベリルは一息ついて笑顔になる。

「あぁ、助かったよ。ありがとう」

「まぁ、これも私の仕事と言えば、そうでしょうからね」

「じゃあ…お礼にいい事を教えてあげようか?」

 別に含みなど無いように感じたので、ジェイドはペットボトルを冷蔵庫に戻しながら適当に返事をした。

「へぇ…何です?」

「…もし、僕が、君の欲しいものを一つだけあげるって言ったら…どうする?」

「は?欲しいもの…ですか?」

 そんな事を言われるとは思っていなかった。何かの謎掛けだろうか。…心理ゲームとか。

「そう、欲しいもの。一つだけあげる、というのは間違ってるかな。――…僕は君が今、一番欲しい物をあげられるよ」

 一番欲しいもの。

 その言葉に、冷蔵庫から姿勢を戻して、ベリルに正面から向き直る。

 冗談でも言っているのかと思って表情を伺うが、彼は穏やかな光を湛えた瞳のまま、ジェイドを見つめ返してきた。

――何の事ですか?」

「君が心の底から欲しているものを…あげるよ。君がここに来て、その為にプラチナに近づく、その理由になるものだ。だから…もう、興味本位ではプラチナに関わって欲しくないんだ」

 ジェイドは心の中で、舌打ちをする。

(あの、お嬢さんより…こっちの方が手強いということか…?)

 油断していた。こんなに早く、しかも自分の行動をここまで知っている人間が、この学園に通うただの学生だとは、考えた事も無かった。予想すら、していなかった。

――…しかし、この生徒ごときに用意できるものでは無いだろうに…何を考えている?)

 こんなに判り易い嘘でこちらの動揺を誘って。

「…何故、あなたがそんなことを私に言うんですか?それに生憎、その願いを聞く義務は、私には無いですよ」

「これは願いじゃない。契約だ。僕は君が欲しいものを知っていて、僕は今すぐそれを用意出来る。君がそれを受け取るのなら、ここを去るのが条件だ。二度と帰って来る必要は無い。――…判るかい?」

 彼の口調に意味も無く腹が立った。

 ――…ある人物を連想させる口調。

 その人物を思い出し、無性に苛立ってつい、無意識に尋ねていた。

――あなたは、誰なんです?」

「そんなこと、君には関係ないじゃないか。どうだって良いだろう、もう君はここを去るのだから…」

「まだ、去るとは決めてないんですがね」

――…それじゃ、君の行動に意味が無いだろう?」

 鼻に掛かった幼い声で断言されて、ジェイドの不機嫌が悪化する。

「何のためにここに来たか。君なら簡単で、面倒ではない方法を選ぶはずだ」

 ――気に入らない。

 口調も気に入らないが、幼い姿でこうやって偉そうに自分の事を批判する姿も。

 あの人物を思い出させて。

 連鎖して、自分の今の状態を思い知らされる。

「プラチナは少し淋しがるかも知れないけど、ここにはアレクやロード…みんなが居る。君が居なかった頃に戻るだけだ。まだ、彼の記憶から君なんて、すぐに削除出来るようなものなんだ」

 君は、彼には必要ないんだよ。

 そう、はっきり言うとベリルは椅子から立ち上がり、胸ポケットから小さな紙片を取り出した。それをジェイドに向ける。

「このメモに全てが書いてあるよ。さあ」

 受け取れ、と軽く腕が動いて促している。

 ――…目の前に咽喉から手が出るほど、欲しているものがある。

 (…これがあれば…俺は、元に…)

 一年と言う期限に、不安になることも無い。毎晩、夜中に飛び起きる必要も無くなる。そのまま朝まで眠れないまま過ごす事も、無いのだ。

 …それを、今どんなに自分が望んでいる事か。

――要りません」

 ジェイドの答えに、ベリルが眼を見張る。メモを持っている手が軽く、震えた。

「それが、本当に私の求めているものか、確証がないでしょう。そんな不確かなものを受け取って、ここから離れる訳にはいかないんですよ。…私にも、事情があるもので」

 欲しかった。解放されるのなら、今すぐにでもそのメモを奪ってしまいたいほどに。

 それでも、それを受け取ることが出来なかった。

 馬鹿げたプライドが、そうさせた。

「…そう、要らないと言うんだね…。判ったよ、もう二度と言わない」

 残念そうに、…そして何故か安心したかのように、そう言ってメモをまた胸ポケットに仕舞う。

「…君は一番最初の選択を間違ってないと言えるかい?」

 答える義務はなかった。そのまま睨みつけていると、ベリルはそれすらも何でもないかのように軽く笑って、真っ直ぐに見つめ返してきた。

「そう、じゃ、今回もきっと間違ってはいないよ。そう言ってあげよう。…だけどね」

 ドアに向かいながら、ベリルは少し振り返って。その顔は、表情は彼に似合わないと思うほど、真剣すぎる顔で。

「覚えていて欲しい。もう、君はプラチナから退くことは許されないよ。今回の選択肢を選んだ時点で、もう君には道を引き返す選択肢が…失われたのだから」

――あなたは、プラチナ様の…何なんですか?」

 去ろうとするベリルの腕を掴もうとして足を踏み出すが、ふと近づく足を止めた。

 その言葉は、あまりに小さな声だったから。

「…僕は、間違えたんだ。一番最初の選択を…」

 ドアを開け去り際に、ジェイドをちらりと見て、そして…微笑んだ。

「だから…これはお願いだよ。君は、最後の選択を、間違わないで欲しい…」