「…で、何やってんの!?」

 そっと、中を窺うように保健室の扉を開けていたアレクが、中の様子を視界に入れた途端、バン、と勢い良く開ききり、ずかずかと入って来て、ジェイドを睨みつける。

 ジェイドは相変わらず、眠り込むプラチナを膝の上に乗せて抱いている状態で。

 睨まれた当のジェイドは、痛くも痒くもないといった表情で、さらりとその怒りを流した。

「おや、アレク様。珍しいですね、あなたが保健室に御用だなんて。お腹でも痛いんですか?」

 からかうような表情に、アレクは腹立ちを隠さずに座っているジェイドを見下ろす。

「サフィに聞いて、プラチナを迎えに来たの!何だよ、お前怪我してんじゃなかったのかよ!?」

「ええ、してますよ?」

 ほら?と包帯をした右手を掲げると、アレクに容赦なくその手を横に払われる。

「…プラチナを守って怪我してんなら、特別に許してやろうと思ったのに!何なんだよ!?これ!」

「何って…見て判りません?」

 恍けた感じのジェイドの声に、アレクの怒りはよりいっそう強くなって。

「見て判ってるよ!俺が聞きたいのは、何でこういう事する必要があるのか、ってこと!」

 見ればプラチナは完全に安心しきった様子で、甘えているようにも見える姿で、ジェイドに体を預けきっている。

「絶対に許さない!!…離れろ!今すぐ離れろーっ!」

「煩くしないで下さいよ、プラチナ様が起きてしまいますから」

 ジェイドのその言葉の甲斐も無く、腕の中のプラチナは緩々と覚醒しているようだった。寝顔を見守っていると、光を受けて眩しそうに瞬きしながら、プラチナが目を醒ます。

「…兄上…?」

 プラチナが、目覚めて一番最初に目に入った人物の名を呼ぶ。

「プラチナ、大丈夫か?」

「…? 何で兄上がここに居るんだ?」

「それは…その、心配で」

「心配…?何のだ?」

 本当に判ってない。

 アレクは思わず、盛大なため息をついてしまった。

 その隙に、ジェイドは腕の中のプラチナを抱き締めなおして。

「ご馳走様でした」

 アレクの目の前で、ジェイドがまだ寝惚けているプラチナの頬にそっと口吻ければ、ぼーっとしたまま、こくり、と頷く。

「…だから、何やってるんだよっ!!」

 アレクが大きな声でそう問い詰めれば。

「何って…野暮な事聞かない下さいよ」

 ね、プラチナ様?

 ジェイドが腕の中で大人しいプラチナに問い掛けると、突然の事でプラチナは良く判っていないらしく、ジェイドを見つめたまま小首を傾げてみせる。

 それは正に二人だけの世界で。

「プラチナっ!授業が始まるから、教室に行くぞ!」

 強引にプラチナの腕を掴んで、勢い良くジェイドの膝から立ち上がらせる。

「それじゃあ、プラチナ様。また、明日のお昼もご一緒して下さいね」

「もう、明日は無し!絶対来させないからな!!」

 プラチナに返事をさせる前に、アレクが遮る。アレクとジェイドとを交互に見ながら、状況を理解しようとするプラチナを引っ張って、アレクは保健室を出た。

 癇に障る、ジェイドの笑みに見送られながら。

* * *

「…プラチナ、お願いがあるんだけど」

 保健室からかなり離れた廊下を歩きながら、アレクがいつに無く真剣な顔つきで隣を歩くプラチナを見た。

「何だ、兄上」

「今度俺に父上から電話が掛かったら、俺も頼んでおくけど…。…今度父上から電話があったら、あいつの腕の傷が完全に消えるような、最高の治療をしてくれるところを紹介して貰って欲しいんだ」

 プラチナが不思議そうな顔をして、アレクの顔を見つめ返してくる。

 それはそうだろう、先程まで怒鳴り合いをしていた二人の片方から、そんな言葉を聞くとは思ってもいなかっただろうし。

(…本当は、あいつなんかどうだっていいんだけど…)

 アレクはそんな素振りを感じさせないように、気をつけながら言葉を続ける。

「だって、あの傷じゃ本当は大変だと思うんだ…色々。腕だしガラスだし、もしかしたら腱とかに傷とか入ってるんじゃないかなって思うと心配でさ…」

 アレクの言葉に、必要以上に責任を感じているプラチナが頷くのは目に見えていて。

「そうだな、そうしよう。…だが…」

「だが…何?」

 もしやプラチナにばれたか、と顔の表情を伺えば全くそんな様子は無く、ただ意外そうな表情でアレクを見つめている。

「珍しいな、兄上がジェイドの事をそんなに考えているとは…」

「そう?俺はただ、大切なプラチナを守ってくれた、お礼がしたいなあって…」

 プラチナに極上の笑みを見せれば、プラチナもアレクの気持ちが純粋に嬉しいのか、少し微笑んで見せる。その瞳には、疑いの色は無い。それをアレクは確認して、心の中で成功した事を喜んだ。

(…よし!これで、あいつの思い通りにはならない!)

 ジェイドのことだ。

 いつまでも腕の傷をたてにして、またはプラチナの善意を利用して、いろいろと最低で最悪な!事をするに決まっている。

 転んでもただでは起きない。

 目的の為には、手段を選ばない。

 そんなタイプだと、アレクの眼にはジェイドは映っていて、あながちそれは間違っていない。

(弟を守るのは、俺の務めだもんな!)

 特に、あんな危険人物には。

 更にアレクが言葉を重ねようとしたとき、プラチナの上着から携帯の着信音が廊下に響く。

「はい…、お久しぶりです。父上は如何お過ごしですか…?」

 携帯を取り出し、アレクに背を向けてそう応対するプラチナの姿に、アレクがぐっ、と拳を握りにやりと笑った。

* * *

 アレクとプラチナの願いが叶えられたのは、二日後。

「ジェイド、出かける準備をしろ」

 朝、HRが始まる前にいつものようにやって来たプラチナが、保健室に訪れて開口一番、そんな言葉を口にした。

 咄嗟に意味が汲み取れず、ジェイドは首を傾げる。

「…は?何です、突然」

「もうすぐ、迎えが来る」

「……迎え…?」

 …どこかに行く約束はしてなかったが、とジェイドは記憶を探った。

 しかも迎えが来るような。

「貴重品は持ったか?治療費はもちろん俺が出すが、保健室を空けることになるからな」

「治療費…?」

 プラチナに詳しい事を訊こうとした時、アレクが勢い良く保健室のドアを開け、ジェイドの質問の機会を奪う。

「プラチナ~、車が来たよ」

「そうか。では行くぞ、ジェイド」

「はぁ…」

 取り合えずジェイドはプラチナの言葉に従う事にして、保健室の鍵を閉めた。

 車と言うから駐車場に行くものだとジェイドは思っていたが、学園の裏口へ促される。

 そこには、裏口のスペースには勿体無いようなリムジンがあり、その左右を黒いスーツで身を固めた男達が6人ほど控えていた。

 いずれも体育会系で、階級を幾つか所有してそうな。

 思わずジェイドの足が止まる。

「………何ですか、あの人たち?」

「気にするな、父上のSPと車をお借りした」

――は!?」

 プラチナの発言に、ジェイドが流石に反応した。

 ますます、自分にこれから起こる事が判らない上に、少々危険な想像も混ざる。

 …ジェイドには心当たりがいろいろとある訳で。

 マズイ。

 身の危険を感じる、というよりは、もう二度と帰って来れないかもしれない。

「…あの。良く判りませんが、ご遠慮申し上げても構いませんか?」

 表には出さないものの、背中にはイヤな感じの冷や汗をかきながらのジェイドの丁重な言葉に、プラチナが不思議そうに首を傾げる。

「何故だ?」

「何故って…いや、ホラ、そこまでして頂く理由がありませんし…」

「俺が、お前に治療を受けて欲しいだけだが…そんなにイヤか?」

「(治療?何のだ?)イヤってわけじゃ、ないんですけれど…」

 アレクが関わっているから、胡散臭い。…とはとても言えないので、暫くジェイドはプラチナの純粋な瞳を前に、言い訳を考えていると。

「車とSP、どっちとも余ってるから、いくらでも使っていいってさ。良かったな、ジェイド。財閥の会長と同じ待遇でセンターまで運んでもらえるなんて、めったに無いだろ?車の中は防弾バッチリで、かなり特別仕様だし、乗ったら吃驚するぞ~」

 何といっても、座席の周囲はSPががっちり固めてくれるから、広いはずなのに窮屈さが満喫出来る!と、この大げさな状況を楽しんでいる様子を隠さずに、アレクがジェイドの背中を押す。

「いえ、吃驚って…今も充分に驚いているんですが…」

 戸惑って二人を振り返るジェイドを、あっという間に黒服が囲む。

 ジェイドと二人の間に黒い壁が出来るのを、ジェイドの心境とは違って、アレクとプラチナは平然と見守っていた。

「え…、あの、プラチナ…様?」

 ジェイドの声は、周囲の黒服たちの所為でプラチナには届かず。

 黒服の一人がアレクとプラチナの正面に進み、畏まった様子で頭を下げた。

「それではアレク様、プラチナ様、私が責任持って送迎させて頂きます」

「うん、頼むね。センターの医療チームの方にも、よろしく伝えといて?」

 あからさまにアレクは、ジェイドにもわざとらしい位の笑顔を振り撒いている。

「は、会長にもそう仰せつかっております。特別なお客様故に、最高の治療をするように、と」

「そうか。よろしく頼む」

 プラチナがそう言った時には、リムジンの中に問答無用でジェイドの姿は押し込まれていて。

 リムジンの走り出した後姿を、二人は爽やかな笑顔で見送った。

 end.

保険医、このままついでに人間ドッグなどに入れられて、綺麗な身体になって帰って来るといい。