咄嗟に振り返りながら、つい傭兵の頃のクセで腰に挿した剣の柄を握りそうになった。いやいや、ここでは必要のない警戒心、というかヤバイ。誰相手だろうと、殺気を放つような侵入者でもない限り、この屋敷で剣なんか向けたら俺の首が飛ぶ。
焦りながら視線の先に捕らえた人影は小さく幼く、けれど力強い視線でこちらを見上げて来た。
「ここで何をしている」
ああ…もしかしなくても、この小さいけれども横柄な物言いの彼は…
――いや、薄闇で顔は良く見えてないとはいえ、とりあえず新入りが私服で公爵子息に会うのはマズイだろう。速やかに立ち去るべし。と、そう判断してまじまじと見詰めていた状態から我に返る。
「失礼しました」
「まて、」
くるりと踵を返して立ち去ろうとする背中に呼び止める声が掛けられて、仕方なしに立ち止まる。まさか気付いたりはしないよなあと不安になりながらも、振り返って跪いた。
「その歌は、…いや、それよりももう一度、歌ってくれ」
呼び止めた彼自身がそのことに酷く戸惑っているようだったけど、それでも歌が気になるのかそう、真剣な声で告げる。
やっぱりユリアの譜歌は、ローレライと完全同位体の彼には響くものがあるんだろうか。俺だってそうだった、ように。
いや、もしかしたらヴァン師匠が歌って聴かせたことがあるのかも知れない。
自分を止めてくれる存在になる可能性を求めて。
しかし、何と言うか。
求められて歌ったことなんかない俺としては、その。
「…いや、あの、下手です…から」
恥ずかしいし勘弁して欲しい。跪いた時に俯いたままそう言外に含めて言えば、彼の方が素直に不躾に悪かった、と謝罪して来て、軽く俺は感動した。
「お前、白光騎士団のものか?名は何と言う」
俺の心の中なんて勿論知るわけない彼がする問い掛けに、何も考えずにただ名前を口にする。
勿論、『ルーク』ではなくて、二年前から使っている偽名だ。
――以前、イオンが俺の髪に似ている、と嬉しそうに教えてくれた宝石の名前を使っている。
『ルチルという宝石があるんです。その中でもレッドルチルのキャッツアイを貴方にぜひ見て貰いたい。光に当たると表情をきらきらと変えて、本当に美しいんです』
今はまだ、生まれていないレプリカイオン。
俺はまた、お前に会うことが出来るのかな。
思わず感傷的になった気持ちを一つ頭を振ることで切り替え、幼い彼にそっと言う。
「…ルーク様、冷えますのでどうぞお部屋にお戻り下さい」
「……わかった」
お送りします、と後ろに付き従う。
なんで幼い彼が裏庭なんかに、しかも夜中に居たのかな。そんなことを考えながら、屋敷の中に入りそれから中庭へと出る。
やっぱり、誘拐なんかされる前はある程度の自由はあったんだなあと、自分とは違う環境に思う。俺はこんな夜中に部屋から出るなんて、言語道断だった。よく考えればホント、運動不足で太らなくて良かったな、俺。ガイにははったり筋肉とか言われたけど。
中庭周辺の灯りは消されないまま、煌々と宵闇を照らしている。それに時折小さく反射するのは、巡回している白光騎士団の鎧か、それともその武器か。
本当は送る必要なんてないけど、やはり建前というか形式というか、念には念を入れてというか…――いや、本当は少しでも彼の傍に居たいだけなんだけど。
言葉を交わせなくてもいい、姿がこの目で確認したかったから、白光騎士団へ入団したんだ。
自分の前を歩く小さな子供。揺れる赤い髪にああ、生きてる、としみじみ実感した。
俺はいつまで、彼の成長を見ることが出来るのかな。
そんなことをぼんやりと思っていると、あっさりと彼の部屋へ辿り着いてしまった。名残惜しい気持ちが強かったけれど、まあいいかと立ち止まる。
その気配に気が付いたのか、立ち止まり扉の前でご苦労、と振り返ったアッシュ…ルークは。
酷く驚いて、目を瞠って。
「お前――、何で、髪が赤い!?いや、目も、」
「へ?」
夜に不釣合いなほど大きな声を上げた。
* * *
――で、何でこんなことになったんだ。
休みの最後の日に宿舎に戻れば、屋敷で奥様に呼ばれてるわよと馴染みのメイドに伝えられ、え、もしかしてもうクビか!?と非常に焦った。
自分がやったであろう失敗のどれがマズかったのかと考えながら、応接室へ行けば。
『突然で悪いのだけど、今日からガイと一緒に息子の世話と護衛をお願いできるかしら?』
記憶よりも大分血色のいい母上(いや今は奥様だけど)が、そうにこやかに笑みながらそう告げた。
何で俺!? ていうか、使用人なんてやったことねーよ!
人間向き不向きがあるっつーか、気の利かない俺には断然向かないと思う。
それに、細かい作業に向いてないし、勉強はしたけどやっぱりまだまだ世間知らずだし、何かポカやってクビになるのは勘弁したいところだ。せっかく入団出来たのに!
「あんたが今度、俺と一緒にルーク様のお世話兼護衛を任された人か?よろしくな」
目の前には、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス様が相変わらずの、爽やかな笑顔で立っていた。
「よろしくおねがいします…」
まさかお前も俺の髪が赤で、目が翠だなんて言い出さないよな、と半分祈るような気持ちでビクビクと、無意識に敬語で挨拶する。
恐る恐る差し出した右手を握る彼の握力はしっかりしていて、自分の知っているガイを思い出した。
最後に、酷く優しくて切ない握手をした感触が蘇って、昔みたいに彼に甘えたくなる自分を押さえるのに必死だった。
しかもこのころはきっと、復讐の炎で腹の中が煮えたぎりそうなはず。
こころから切ない哀しみの血を流して、苦しんでいる。
本当はそんなことしたくないだろうに、毎日毎日、殺意と日常の間で感情が揺れているだろう彼が綺麗に笑うのを、何とも言い難い気持ちで返す。
しかし、よく見れば、今の自分の方が年上(いや、外見上だけども)のはずなのに、身長はもうそろそろ追い付きそうだ。なんだよ、その成長期。マルクト人は皆背が高くなるのか?お陰で年下の気がしない。まあ、別にいいけど。
…うん?これから俺がルークの世話を任されるんだから、強制的にミルクの量を増やせば良いのか?あ、なんか光が見えて来た。悪くないな過去も。(でも自分に影響があるかどうかは判らない)
「じゃあ、はいコレ。着替えて来いよ」
考えに集中していたまま、笑顔のまま渡されたそれを咄嗟に受け取った後、控え室に着替えに行きそこで初めて『それ』に気が付いて少しの間無言で見詰めた。
「……・」
これは本当に使用人の制服か?そうなのか?
俺の記憶が間違ってなかったら、これはお前がバイトしてた時に着てた服と同じじゃないか、ガイ?
いやなんかもういいよ、何でもありだよ。だって俺は死んだはずだし。
多分俺は死んでから、何か物凄く未練があることがあって、ちょっと戻って来ただけなんだ。
その心残りを解消したら、本当に死ねるんだと思う。
これはきっと、ローレライが見せてくれてる夢なんだ。
その証拠というか、この世界で俺は成長する…外見が変化する兆しがない。これは幾らなんでも変だ。
だから今は、この都合の良過ぎる夢に浸っておこう。
さすがに蝶ネクタイはないだろ(でも確かラムダスは着けてた)、と使用人の控え室においてあるクローゼットから、濃い赤色のクロスタイを選んで着ける。
髪は後ろでヴァン師匠みたいに軽く一つに括り、鏡を見ながら襟元を正し、左右身を捩って確かめる。
――んー、あー、うん、なんだ俺、結構こういうカッコもイケてねぇ?
……ああ、そうだよな、元がいいんだから。
それは勿論俺のことじゃない。俺のオリジナル、アッシュ…というか、ルーク・フォン・ファブレの。
今の俺は髪も、瞳も、ティアと(師匠と)同じ色をしているけど。
少し苦笑してそのことに意識を向けると、自然とティアの言葉を思い出した。
『焦らないで。出来ることから確実にやっていきましょう』
頬を軽く叩いて気合を軽く入れる。
よし、それじゃあ、頑張ろうぜ俺。
とりあえずは、ルーク様に就任のご挨拶だ。
ま、我侭坊ちゃんじゃないだけ救いだよな。(って、それ俺だけどさ…)
* * *
「失礼致します」
入室を許可されて入ったルークの部屋は、やっぱり自分も使ったことのある離れだった。ただ、自分の部屋とは違って本棚にぎっしりと本が詰まっているのを初めて見た。凄い。この小さな頭に全部入ってるんだよな、これ?
俺本当にお前から出来てるんだろうか。いや、この世界の『俺』――レプリカルークはまだ作られてないけど。
とりあえず、今の目標はお前の身長を伸ばすことだ。そう思いながら小さなルークの前で跪いて挨拶をする。
俺の記憶の中では掻き上げられていた前髪は降りていて、その隙間からまるで睨まれているかのように真っ直ぐに、見詰められる。
少し不機嫌そうにも見える、気難しそうなところは変わらないようだった。
俺の挨拶も聞こえてるんだか聞いていないんだか、相槌すら返って来ないのはちょっと寂しい。俺でかい独り言言ってるみたいじゃんか。うんとかああとか屑とか言ってくれよ。(いや、屑は本当は嫌だけど)
俺の挨拶が終わった時、一応は聞いていたのかルークは一つ頷くと、眉間に皺を寄せて口を開いた。
「…お前の髪が、誰にも赤に見えてないのは、何故だ。譜術でも使ってるのか」
ああ、思いっきり怪しんでるなあ、とその表情と声に思う。
やはり完全同位体は誤魔化せないのか。
休暇に入る前の日の夜、別れ間際にそう言われて、そんなはずはないと適当に誤魔化して、逃げるように(実際逃げた)その場から去った。
顔はちゃんと見えてなかっただろうし、実際仕事中は鎧を着ているし、翌日から休暇だし、何とか誤魔化せると思っていた俺は、うっかり名前を口にしていたことを忘れていた。やっぱり俺はどこか抜けているらしい。これがファブレ家の遺伝子ってヤツなのか。劣化してる分アッシュより抜けてるところが大きいのかな。
そんなことを考えながら、何て答えるべきかと言葉を捜して視線を彷徨わせ、結局目の前の光景に戻ってくる。
背後の、昔、俺が外を夢見て毎日空を見上げていた窓から漏れる光が眩しくて、その光がルークの赤い髪を柔らかく包んで艶々に光を弾いている様が綺麗だった。
明るくて優しい緑の瞳は、強い意思を持って力を放つようだった。
子供らしい曲線を描く顔は白くて整えられていて、大切にされているのが判る。
言葉遣いは子供らしくないけれど、悪くはない。やっぱり神託の盾で影響を受けたのかな。……じゃあ、俺はガイの影響を受けたんだろうな、やっぱり。
自然と、顔が笑むのを止められない。
じっと返事を待つルークに、そっと問い掛けた。
「――なあ、俺の髪、どんな風に見えてる?」
「…根元の方は俺と同じ色だが、先の方が、金色だ」
俺の問い掛けに、ぴくりと眉が反応して思わず怒られるかな、と一瞬身構えるが(至近距離で怒鳴られるのは勘弁して欲しい)、ルークは俺の頭の先から髪の流れを視線で追っていって、答えてくれる。
そのまま、緩々と手を伸ばして来て、
「目だって、こんなに翠なのに…」
そう呟いた後、ルークの手が俺の顔に触れそうになった瞬間、はっ、と我に返ったように手を引っ込めて強く握り締めている。
顔を俯くように背けて、自分の行動を後悔しているみたいだった。
別に触られても良かったんだけど。(その方が、俺がここに確かに存在していると判るのに)
ああでも、良かった。
俺は、お前のレプリカのままなんだな。
実はそれが誇りなんだ、ってアッシュに言ったら怒られるだろうと思って、アッシュだけじゃなく誰にも言えたことはないけれど。
「お前は、誰だ」
やっぱり睨むように、怪しいと言わんばかりの視線で見詰めてくる。
あ、隠し子とか考えてるのかな。
そうだよな、普通レプリカだとか思わないよな。
「俺は、お前だよ」
そっと、ルークのまだ小さい手に自分の手を伸ばす。
「お前のためにお前から生まれた、でもお前じゃない存在だ」
驚いたのかびくりと震えて逃れようとする手をゆっくりと、力は殆ど無いまま掴むと、また、今度はルークの体全体が震えた。
「俺のため……?」
呆然と言葉を繰り返す、その表情は酷く年齢相応にあどけなくて、びっくりさせたかなあとやんわりと笑って見せた。――少しでも、警戒を解いてくれると嬉しいんだけど。
「うん、お前のために」
そう、アクゼリュスでお前の代わりに死ぬために。
お前を守るために。お前を生かすために、作られたレプリカだ。
何だろう、ヴァン師匠はそういうつもりで作ったんじゃないんだろうけど、でも俺はそれを知った時に。
――お前、愛されてるなあって、思ったんだよ。
誰に愛されてるかなんて、判らなかったんだけど。
もしかしたら、完全同位体として俺が生まれることがこの世界に認められた、そのことが愛されてるって思えたのかもしれない。
世界はお前になら、未来を変えられても良いんだって思ったんだって。
「お前を守るために生きてるよ。何があっても、お前だけを守る」
両手で大切な宝物を確りと抱き締めるようにして、ルークの右手を胸に引き寄せ抱き締める。
自分でも、驚くほど簡単にその言葉が口から零れて、ルークは何か言おうとして、でも言葉が継げなくてぱくぱくと口を動かした後、フイ、と顔を背けてしまった。
思わず自然と微笑んでしまう。
――もしかして俺は過去、そしてここでは未来で、守れなかったアッシュの命の償いとして、この小さいルークを守りたくてここに来たのかも知れない、と赤くなった彼の耳を見ながらそう思った。
……・あ。
敬語、途中で忘れてた。(早速失敗か!ルークも注意してくれよ!)