屋敷に抜け道があるなんて、俺は聞いてねーよ。

いつも使う昇降機で街まで一度降りたあと別の、街の奥まった一般庶民が使う方の昇降機で行ける一番上、白光騎士団の宿舎の近くで待っていた俺の前に、当たり前のようにそれなりに変装して現れたルークとナタリアに付き従うガイを見て、思わずこころの中で詰りたくなっても仕方が無いと思いたい。

何だよルーク、いや『アッシュ』!ちゃんとそういうことは日記にでも書いておいて俺に残しておけっつーの!

おかしいな、家庭教師とかラムダスとかメイドから隠れるために、屋敷の隅々は知り尽くしてたはずなのに。やっぱり誘拐の後、皆で徹底的に塞いだんだろうな。

それまでは、貴族の子息の嗜み(?)として、こうした脱走には目を瞑ってくれてたのかもしれない。

ルークが気性的に無理はしないだろうことは判っているし、子供らしい面をあまり表には見せないけれど、それでもそういう《冒険》が必要な年頃なんだと、周りの使用人たちは理解して、そこを好ましいと思っているんじゃないかなあと思うのは、俺がそう思うからだ。

……俺に黙っていたのは別として。

* * *

ことの起こりは数日前、俺がいつものように何回目かの休暇を使って出かけていた、第七音素に関係ある場所から戻った日のことだ。

大体この休暇は二ヶ月に一度ほどガイと交互に貰えてて、ガイはバチカルから離れることは余りないみたいだから、俺ばかりが休暇の度にちょっとした旅行に行っている。全く未だに連絡してこないローレライのお陰で俺は周囲にかなりの旅行好きと思われていて、当然のように新婚旅行に何処が良いかなんてメイドに訊かれても、俺は全然判らないから何か申し訳ない。

帰って来た日はちょうどナタリアが来ていて、ガイに暇が出来ていたから、声を掛けた。

何だか全然ナタリアに会わないなと思っていたら、どうやらタイミング悪く俺が外に使いに出ていたり、または休暇を取っている時に限って屋敷に来ていたらしい。

ナタリアが来ている時は白光騎士団員が護衛をするし、お茶もメイドが出すから俺たち二人にはちょっとした休憩時間になる。

ガイが廊下でぼんやりと中庭の方を眺めているその姿に声を掛けると、気さくに手を上げておかえり、と言ってくれた。

その様子が不意に、アラミス湧水洞で俺を迎えてくれた時の彼の姿と重なって、思わず痛む胸を押さえてただいま、と笑って返す。

「それで、どこにいってたんだ、今回は?」

「ああ、シェリダンの街らへんかな」

本当は、その先のメジオラ高原に行くのが目的だったんだけど。

行けたことは行けたが、まあ、はっきり言ってアルビオールがなかったら出来ることは無い訳で。

だから周辺をうろうろして、ローレライに数日掛けて呼びかけてみたんだけど、やっぱりダメだった。

「シェリダン…!?え、行って来たのか、あの街に?」

さすが偏執狂。街の名前だけで食いついて来た。

青い綺麗な目を瞠って身を乗り出して来ているガイに、お前、その年で既にもう目覚めちゃってたんだなあとどこか感心しながら思う。

どうだった!?と、うずうずとしている様子が、以前音機関について語りたくて堪らなそうにしていた時のガイと繋がって、軽く噴出してしまった。

ああ本当、お前変わらないなあ。

「ほら、土産だよ」

顔を見ていきなり笑う俺を見て、何だよとちょっと顰め面を顔をしていたガイに、手に持っていたものを渡す。

最初は不思議そうに渡したソレを見ていたけれど。

開けていいかと問われて頷けば、包みを開いていたガイの顔が次第に明るくなった。

「俺に?…いいのか!?」

――うわ、こんなに喜ぶガイ、こっちでは初めて見たかも。

逆にこっちが照れるって!

こちらの頬が赤くなるのが判って咄嗟にそっと目を逸らす。

純粋に喜ぶ顔が正視出来ないのは、窓越しに光を受けたガイの金髪が眩しかったからだ、ということにした。

「ありがとう」

「あ…うん、気に入ってくれたら良いんだけど」

実は何を買ったらいいか判らなくて、お店の人に尋ねて工具セットと何かの音機関のキットを買ったんだけれど、どうなんだろう。

とりあえず喜んでくれてるみたいだし、良かったのかな、と頭に手をやったところで、ガイの向こうに真っ直ぐこちらに歩いてくるルークが居るのに気がついた。

「あ、ルーク」

ナタリアはどうしたんだろう。もう帰ったのかな。

…にしてもなんか、顔色悪くないか?気のせいか?

光の加減かも知れない。けど何か、いつもルークの周りに見える第七音素みたいな力強い、けれどとても綺麗な金色の光が今日は酷く弱い気がして(多分見えてるのは俺の錯覚みたいなもんだろうけど)少し心配になる。

いつもは怜悧に透き通った碧の瞳すら、なんだか色が薄いような気がしてならない。久しぶりに会ったからかな。

「戻って来たのか」

廊下に満ちた光が眩しいのか(俺も眩しい)、眉間に皺が寄った状態で声を掛けてくるルークに小走りで近づいた。

走るな、とルークに注意されてごめんと謝るのはいつものことだ。

「うん。休暇ありがとな。――はい、」

周囲にガイ以外の使用人の姿が無いことを確認した後、ベストの内ポケットから包みを取り出して、ルークにこっそり渡す。

本当は使用人がすることじゃないから、ラムダスとかメイド長とかに見つかると色々と五月蝿い。ただでさえ使用人らしくない言葉を正しなさいとか、目敏く注意されてるのだ。(いや、それが正しいんだけどさ)

「お前は要らないかもしれないけど、一応お土産な」

正直、ガイ以上に何を買うかで困った。結局本を読むからと銀製の栞を買って来たんだけど、もう持ってたら要らないだろうしなあ。

本当、お土産って何買ったら良いか判らない。気持ちの問題だ、ってのは判ってるんだけど。

まあ、ただの栞じゃないのはお墨付きだ。なんたってシェリダンだからな!

鳥の羽の形をしたクリップタイプのそれには、小さな音素を含んだ譜石がステンドグラスみたいに埋め込まれていて、暗くなると自動的に仄かな明かりが灯るらしい。

暗い書庫で読書をしてるのとか見ると、いつも目を悪くしないかなと心配だったから、これがいいと思ったんだけど。

ルークに『こんなのいらない』と言われるのを覚悟で渡したけど、ルークはそれを驚いた顔で受け取ったまま、じっと俺の顔を見ている。

――やっぱり使用人からって、変なのかな。

「あー、やっぱ、いらねぇ?」

恐る恐る声を掛けると、ルークははっ、と我に返ったようだった。

それから渡した栞と、俺の顔を交互に見ていたけれど。

「…お前が買って来たにしては、悪くない」

ふい、と顔を背けて言うルークに、なんだよソレ、と思いながらただ、笑う。

言葉は偉そうでも、ルーク、お前耳赤いって。

それを指摘すると物凄く顔を赤くして怒るから、俺はそのルークの姿をにまにま笑いながら見ているしかないのだけど。

そうしていると、自分の上着のポケットにお土産を仕舞ったルークが、突然、俺の右手を取って歩き出した。

「何だよルーク、いきなり」

「いいから来い」

慌てて後ろのガイを振り返ってみるが、ガイも目を丸くして俺らを見送っている。ルークに手を引かれるまま、中庭へと歩いていくしかない。

中庭には小さなお茶用の猫足テーブルが出されていて、白いレースのテーブルクロスが風に僅かに揺れている。

そこに小さな金髪の少女が座って優雅にお茶を飲んでいるのが見えた。

よく見れば、ルークの片手には本が一冊抱えられていて、もしかしたらナタリアとの会話の途中で、話題に出た本でも書庫に取りに行っていたのかも知れない。

少女はルークと一緒に俺が来たことに驚いている様子だったけれど、すぐに柔らかく笑んで見せた。

こんなに幼い姿を見るのは、随分と久しぶりかもしれない。

ここでは初めましてだな、と思いながら、俺も自然と顔が微笑むのを止められなかった。

「貴方がルークの新しい護衛ですの?やっと会えましたわね」

幼い高い声が俺に向けられて、俺は静かに昔ナタリアに習った通りに跪いて礼のかたちを取った。

「…お初にお目に掛かります、ナタリア殿下」

面を上げよと声を掛けられて顔を上げ、差し伸べられた小さな、手袋に包まれた上品な仕草の手を取って問われるままに名を名乗る。

お前は生まれながらに王女だよと、こころの中で呟きながら。

「ルークからお話をたくさん聞いていましたの。旅をするのが好きだとか」

「はい」

俺の知らないところでどんな風に話題になったのかが物凄く気になるが、それは後でルークに訊くことにして、今はナタリアに失礼にならないように応対するのに集中する。

「元は白光騎士団員だそうですわね。……たとえば、バチカル周辺の魔物相手に引けは取らない腕前なのですか?」

「それなりには」

バチカルどころか、湿原のベヒモスとか砂漠のサンドワームも今なら一人でも平気じゃないかなあと思う。現在の目標は《一人で打倒レプリカネピリム》だ。

俺の返事にナタリアは満足したのかにっこりと、幼くても上品に笑って。

「それでしたら、私達をバチカルの外へ連れて行くのも、簡単でしょう?」

――は?」

簡単に言ってくれちゃったよ。

* * *

ベルケンドに行きたいのだというナタリアを何とかガイと一緒に説き伏せて(ルークも黙ってないで止めてくれ!)、何とかバチカル周辺で妥協して貰った。――いや、そもそも外に行くのがマズイんだって!と後から気がついたけれど、これが本当の後の祭りってヤツだ。

まあまあとガイが気休めに肩を叩いてくれる、それを慰めに周囲を警戒しつつも陸路からバチカルを出る。

――これで二人に何かあったらクビどころじゃねぇー!

俺は本当に、命懸けで兵の目を掻い潜ってバチカルの外に出た。

まあ、勿論平常時は兵が配置されてない、地元民なら知ってるような抜け道が地下にあるから、一度地下まで降りて地上に出たんだけどさ。

バチカル周辺の魔物は確かに俺にとっては雑魚だ。だけど、王女と、第三王位継承者という組み合わせが俺にとって最大の敵と言ってもいい。

とりあえず、ガイが居てくれてよかった、と心底思う。二人の相手はホーリーボトルを持たせたガイに任せて、俺は殆ど魔物を追い払うのに徹していた。

案内した場所は、バチカルを出てベルケンド側にある山沿いの、森に囲まれた小高い丘。高い山があるからベルケンドも湿地帯も見えないけど、東アベリア平野は見渡せる。さらに向こう、ザオ砂漠も砂煙に包まれているが薄らと見ることが出来る。これで何とか勘弁して欲しいなあと思っていたら、予想よりナタリアと、そして言葉にはしないが、時々さり気無くナタリアをエスコートをしているルークも喜んでくれたようだった。視察でもっといい場所に行くだろうに、変なの。

丘の上は拓けていて、大きな木が幾つかあったから、その内の一つの根元に落ち着く。

二人は髪を隠していた帽子を取って、広がる草原に見入っているようだった。

ナタリアはきらきら光る金色の髪を揺らして、いい天気、風が気持ちがいいとしきりに喜んだし、ルークも無言で風を受けて、その艶々の濡れたみたいに光る紅い髪を髪に靡かせていた。

顔色が悪いように見えていたけれど、この外出が少しは気晴らしになったのなら良かったな、と思う。

何も言わないけれど、ナタリアもルークもまだ子供だ。視察とか何だで遊ぶ時間がなかったり、自由がないのは息が詰まるんだろう。だからこんな何も無いような場所でも、喜んでくれているのかな。

子供にとって大人に囲まれるってのは怖いもんだと、ダアトで子供の面倒を見る機会があった時に知ったけど、王族二人はそれを当然と耐えてるんだよなあと感心する。

まあ、最初は思い切り渋ったけれど、二人の珍しい我侭を聞いてあげられて良かった。

周囲にホーリーボトルを撒くガイに任せていたバスケットを開けて、中から色々と取り出して広げているところに、子供二人が寄って来た。

こんな風に外で食べたことがないだろうと思って準備をしていたけれど、やっぱりそうかと不思議そうな二人に苦笑する。木陰の下、シートを広げどうぞ座って下さいと促して、ガイと俺も腰を下ろす。

「まあ」

「…嫌がってた割には、準備がいいな」

バスケットから出て来たサンドイッチを詰め合わせたケースと紅茶を入れた容器を見て声を上げる二人に、まあそりゃ二人の安全を思えば嫌がるさ、と苦笑しながら答えて。

「でも、せっかく来たんだから楽しんだ方が得だろ?今日はすっげーいい天気だからさ、食事もきっと美味いって!」

「はは、違いない」

ガイが笑って同意してくれて、俺もだよなー、と返しながら皆に小皿とお絞りを渡す。

お貴族様だから、もしかしたらテーブルにナイフとフォークが必要かと思って色々と考えた。俺だって、最初ティアがおにぎり作ってくれた時は驚いたんだぞこれでも。しかもティア食うの早いし。それはともかく、これなら絶対誰でも手で掴むよな、と気がついてこっそり感動した。

「はい、チキンとチーズと魚のフライのサンドイッチだぞー」

サンドイッチだけってのも寂しいから、他にも色々詰めて結局は、ナイフはともかくフォークだけは持って来ることになったんだけど。行儀は多少悪いかもしれないが、ナイフが要るほどサイズは大きくないし、未来のお前達は平気なんだから頑張って食べてくれ。デザートにはケーキもある。

ふと気がつくと、全員の視線が俺に集まっていた。……なんだろう。

サンドイッチが変なのか?俺が変なのか?っつーか、俺なにかシマシタカ?

「なんだよ?皆好きだろ?…あ、お好きでしたよね、ナタリア殿下?」

ああ、ついうっかり気安く話してたのがマズかったかな。つい前のクセが出るって言うか…、だから注意してくれよルーク!無言で睨まないでさ!視線だけじゃ判んねえって!

口元に手を当てていたナタリアが、その手を下ろしてそっと問い掛けてくる。

その表情は手品の種明かしを待っている、純粋な子供そのものだった。

「……あなた、どうして、私の好きなものが判ったのです?」

「えー…っと、ルーク様にお聞きしました」

本当は違うけど、こう言った方がナタリアも喜ぶだろ。そう思って言えばナタリアがあからさまに嬉しそうな表情でルークを見た。こらそこ、突然話題を振られてびっくりしない。俺の吐いた嘘がばれるだろ!いや、嘘じゃない、お前がそこで頷けば真実になるんだ!

「じゃあ、俺は?」

さっき視線だけじゃ伝わらないんだと思ったくせに、眼力でルークに無言の訴えを伝えようとしている俺の横で、ガイが首を傾げる。こちらはナタリアと違って、その仕草はさり気無いが俺のことを探る色をしていた。多分思いっきり警戒してるんだろう。ここに来るまでの間振るった俺の剣術がアルバート流なのは、とっくに判っていることだろうから。(別に隠すつもりもなかったけど)

「何だよ、一緒に飯食う仲だろ?知ってちゃダメなのかよ」

だからこそ俺は、いつもと変わらない調子で笑って返事をした。元々俺は嘘を吐いてもばれるから、変に取り繕ったり誤魔化したりはしないでおこうと思う。

必要以上に、不信感を持たれるようなことはしたくない。

ガイはあの青い綺麗な瞳でじっと俺を見詰めていたけれど。

――いや、そんなことないさ」

そう言って、肩を軽く竦めて笑い返してくれた。とりあえず、今は詮索しないってところなのかな。

「……あ。ええっと、毒見とかした方が良いのか?」

「その必要はない」

皆の皿に分けようとして、不意に気がついてそう問い掛ければ、ルークはあっさりと断った。

え、良いのかよ?そりゃ、お前は俺が作ったものは食べ慣れてるだろうけど、ナタリアは不安なんじゃないか?

俺が驚きつつも迷って動きが止まっている間に、ルークが食べ始めてしまったから、それを見ていたナタリアもガイも苦笑して、いただきますとルークに続いて食べ始めた。