ガイが休暇の日、ルークは伯爵と一緒に登城していてそのままどこかに会食に行くとかで、留守にしていた。
こういう時はたまにあって、俺はいつもなら何かと仕事があるのに、今日に限って特になく暇を持て余している。
馴染みの白光騎士団員に声を掛けて訓練でもするかな、と思いながら中庭を突っ切ろうとした時、屋敷の方から声を掛けられて振り返るとガイが窓から顔を出して、手を軽く上げているのが見えた。どうやら自分の部屋に居るらしい。
ガイが休暇の時は、たまにどこかに出掛けることもあるけど大抵は部屋で音機関を弄っていることが多いから、今日もそうだったんだろう。
そう思いながらなにか用があるのかな、とガイの方へ近づくと、窓枠に手を掛け少しだけこっちに身を乗り出すようにして、溢れんばかりの笑顔で話しかけて来た。
なんていうか、ガイって本当に笑顔が様になるよなあ。
「ちょうど良かった。この間お土産にくれた音機関が完成したんだ。それを見て貰おうと思って」
「へぇ…何が出来たんだ?」
「そうだな、船とかの動力部に使われる音機関、かな」
「え?そんなもん出来るのか?あの小さいキットで?」
動力部って、あのタルタロスでガイとジェイドが修理してたところだろ?
信じられない。だって俺が買って来たのってそんなに高値(たか)くなかったし、持って帰るのにも全然問題ないくらいのサイズだった。
俺が余程不思議な顔をしてたのか、ガイはちょっと自慢げに笑って。
「さすが!? 動くのか、すごいな!」
「百聞は一見にしかず、ってな。見せるからどこか水のあるところに行こう」
水のある場所、と言われて、すぐに思いつくのはグランコクマなんだけど、さすがにじゃあ今から行きましょう、っていうワケにはもちろんいかない。
だから身近なところで考え直す。
「さすがに風呂はマズイよなー」
「メイド長に見つかったらお小言喰らうだろうな、確実に」
浴槽は遊ぶところではありません。それなのに遊ぶなんていい年して情けない。そういったお小言のあと、そんなにお好きなら一ヶ月お風呂掃除でもしてなさいと言い渡されるだろう。確実に。そんなのイヤだ。それにルークにまで怒られてしまう。
他に屋敷から近くて水のあるところ、と考えて、バチカルは地下から水を汲み上げている分(雨水も溜めて処理しているらしいがやはり少ない)、グランコクマのように贅沢な使い方は出来ないから、当然限られる。あそこくらいなもんだろう。
「んじゃ、城の前の噴水」
「…それはどうかなーと俺は思う」
「やっぱマズイ?」
実はここに来る前からあそこで水遊びがしたかったんだと言ったら、笑われるだろうな。
最初の、ティアとタタル渓谷に飛ばされてバチカルに戻って来た時に、城の前の小さな広場を見て、なんだよ屋敷を出られないとしてもここまでくらいは自由に出してくれても良いじゃないか、と少し不満に思ったのだ。昇降機がなかったらどこにも行けない上に、兵士が昇降機の前で常に待機している。屋敷との差はそれほどない。
それでも、屋敷から見るよりは空は広かったはずだ。
ガイの困ったように笑うその表情に首を傾げて問えば、ガイも顎に手を当てて考える。
「うーん、禁止されてるとは聞いたことないが…」
「じゃ、いいじゃん」
「いや、多分今まで誰もしなかったから、禁止も何もされてないんだと思うんだけどなぁ……」
俺がよく知る表情でガイは苦笑するけど、仕方ないだろ?俺だって好きで変なこと言ってるんじゃない。
「だってさ、俺バチカルの外まで出られねーし」
ルークが居ないからの休みであって、ちゃんとした休みじゃないから屋敷を離れることは出来ないし、交互に来る俺たちの休みは重ならない。
風呂がダメなら、後はそこしか本当に思いつかないんだ。
俺の言いたいことが判ったのか、ふむ、と年齢の割には大人びた仕草で明後日の方向を見ながら一つ頷いて、悪戯を思いついたように笑って見せた。
「……ま、ちょっとだけだからいいか?」
「そういうこと!」
ガイの答えに俺も笑顔で返す。さすがガイ、判ってんな!
「おー!自分で進んでる!意外と早いな」
動き出したそれを見て思わず声を上げて、慌てて口を塞ぐ。
周囲の兵士達からは離れた場所であることも手伝って気がつかないのか、止められることなく噴水に小さな船を浮かべることが出来た。
「ここに第五音素で熱を送ることで、空気が膨張して仕組みが動く。動いた空気は途中の第四音素を含んだ譜石の装置で冷やされて、膨張が戻って仕組みも元の位置に戻る。その繰り返しを行うことによって――」
あ、やべ。ガイのスイッチが入っちまった。
後悔した時には既に遅く、ガイは丁寧にこの船の動力の構成から駆動するための力はとか、細かく教えてくれたけど、その間に船はとっくに端っこに辿り着いていた。
ガイは屈みこんでそれを手にとり弄ると、稼動音が止まる。小さな船の小さな冒険はこれで終わりだ。何だか何も知らなかったころの俺みたいだな、と思ってしまう。どこが、とはちゃんと言えないけど。
「ま、この通り自分では曲がっちゃくれないから、そこはやっぱり操縦士が必要になるんだが。この動力の技術を、操縦士とかの人を乗せられるような大きなものに対応するように進化させて、キャツベルトや今シェリダンで作られてるプリンセスナタリア号に使用されてるんだ。そして船だけじゃなくて、この動力と第四・第五音素で風を送って部屋の空調を変えたりも出来るんだぜ。でも今じゃ、新しくフォニム式冷暖房譜業機の開発がされてるらしいけどな」
「ああそう……」
聞いていて、ちょっと気が遠くなりかけた。
ごめん、言ってることは判るんだけど、やっぱり何が楽しいのか判んねえ。
それでもまあ、ガイが楽しそうだからいいか、とも思う。
こうやって、好きなことに熱中している時のガイは復讐とか、そういうことを忘れて好きなことに集中してられている気がした。それでいいんだ、って言えたらどれだけ良いかと思うけど、ガイの気持ちを本当には理解出来てないだろう俺の、自己満足になるんじゃないかと思うと、なかなか口に出来ない。
「お前、ホント音機関とか譜業とか好きなんだな。将来そういう仕事に就けばいいのに。そしたら俺、お前の発明品一番に見に行くのにな」
本当は伯爵様だけどさ、伯爵もしつつ発明家でもいいと、俺は思う。
ほら、ジェイドだって軍人だけど、博士でもあるんだし。
俺の言葉に、ガイは余程びっくりしたのか愕然とした表情で俺の顔を見た。
まさにぽかん、って顔だ。
けれど、ゆっくりとガイは照れたように笑って、うん、そうだな、と優しい声で返してくれた。
暫くガイの作った船を触ったりしながら眺めていると、周囲がちょっと騒がしくなったのに気がついた。
視線を向ければ、城の方から階段を下りて来ているルークの小さな、けれど絶対に見失わない綺麗な紅の姿があって。
「――あ……」
遠くからでも判るその表情に、思わず声が漏れる。怖い。
怒ってるんだろう、眉間の皺がいつもの三倍だ。だから小さくてもお前の怒った顔は俺にはホント怖いんだって!
ガイは休暇中なのは判ってるだろうから、やっぱり俺に怒ってるんだよな。さぼってると思われたかな。いやでも本当に仕事がなかったんだし、いつもは俺が空いた時間に訓練とか、何かしてても呆れはするけど怒らないのにな。
「ルーク、もう仕事終わったのか?」
とりあえず、会話から始めてみようと近づいてくるご主人様に声を掛ければ、ずんずんと小さいながらに力強く歩いて来たルークは、視線で屈め、と言って来た。
ルークに目線を合わせることはいつものことだから、素直に跪いて目線を合わせる。
途端。
「いっっ、たたたたた!!」
思いっ切り頬を摘んで引っ張られた。
痛い痛い、ちぎれる!っつーか、容赦ないなお前!
痛さで思わず目を閉じてみるけど涙が込み上げて来るのは止められないし、それに構ってられないほどぎゅうぎゅうと頬は手加減されることなく引っ張られる。
暴力はいけないと思いまーす!
ああ、俺もアニスくらいはっきりモノが言えたら!(嘘です言ってますごめんなさい)
「こんなところで何をしてるんだ、お前は!」
痛さを耐えているのに一生懸命になっている隙を狙ってなのか、耳元でルークが怒鳴った。
うわ、ちょ、お前、今のはないだろー!耳と頭がすっげー痛いじゃんか!
耳ごとくらくらする頭を押さえてルークを見れば、少しだけでも気が済んだのか、ふんと息を吐いて漸く頬は解放された。
え、ええとなんだっけ、何してるかって言われたんだっけ?
「えーと、ガイと一緒に音機関…」
「そんなことは見れば判る!ファブレ家の使用人が城の前で何をのんきに遊んでるんだ、この馬鹿!」
また怒鳴られた。屑じゃなくて馬鹿だったけど。いや、このルークは間違っても屑なんて言葉は言わないけど。っていうかいつから俺たちのこと見てたんだ?
家の恥になるだろう、と重ねて怒鳴るルークを前に、頭を落としてひたすら姿勢を低くするばかりだ。ああ、やっぱりダメでしたかここで遊ぶの。いや、判ってたけどさ、してみたかったっていうか、…ごめんなさい。
「すみませんルーク様、俺も共犯ですから彼だけを責めるのは止めて下さい」
落ち込む俺の背後から、ガイの声がしてぽん、と肩を叩かれる。
ガイのその仕草に、俺はゆっくりと頭を上げ背後のガイを振り返った。ガイは非の打ち所のないような綺麗な笑顔をルークに向けて、周囲をそれとなく示して。
「それにここで騒ぐのは、マズイんじゃないでしょうか?」
そうガイが告げると、今まさに体面を気にして怒っていたルークがうっ、と言葉を詰まらせる。それから怒った所為で赤かった顔をまた更に赤くして、とにかく部屋に来い!と踵を返して屋敷に戻っていった。
――っつーか、お前会食どうなったの?
俺が呆然とルークの後姿を見送っていると、ガイはふう、と深いため息を吐いてから、ぼそりと小さな呟きを漏らす。
「あの貴族の中の貴族、って感じのルーク様が、使用人にそこまで……ねぇ…」
何のことか判らずに首を傾げて問い掛ければ、ガイは何でもないよと微笑みながら肩を竦めて見せた。
「ガイ、ごめんな。俺が馬鹿言った所為で……」
「それに乗ったのは俺だろ。さ、仲良く怒られに行こうぜ」
ガイにまた肩を叩かれて促される。
ああ、気が重い……。
その後ルークに延々と怒られた俺は、暫くの間ガイと二人で居ることも、傍を離れることも許して貰えなかった。
二人が揃うと、そして目を離すと何をするか判らないから、だそうだけど、なんか納得いかないのは、俺だけなのか?
* * *
先日のご主人様のお叱りからしばらく経ったある日のこと。
ルークに言われて書庫で高い位置にある本を取る手伝いをしている時に、ふと気がついた。
……あれ、もしかして。
「ルーク、お前目が悪いのか?」
「……!」
ルークが俺の問い掛けに、珍しくしまった、という顔をする。
それ程動揺していたというか、俺にばれる訳がないと思って油断していたのか。フイ、といつものように逸らされる顔は、拗ねているようにも見える。なるほど、眉間の皺はこういうこともあったのか。
さっきから取れと言われた本を取るけど、これでいいかと確認する時も一度渡さないとダメな上に、結局は違うと返されることが多かった。遠いから題名がちゃんと見えないんだ。
いつから悪かったんだろう。俺は眉間に皺を寄せるクセを『アッシュ』で知ってたから、ついそうなんだと思い込んでた部分もあったんだな。
本を手にしたまま、ルークに近づいて逸らされた頭に手をやり、ぐい、と強引にこちらを向かせ、そのまま顔を近づけて目を覗き込む。こんなに瞳は綺麗なのに、見えてる世界はぼんやりしてるのかと思うと、少し不思議だ。
「お前、こんな暗い書庫で本なんか読むからだよ。そんなんで剣とか振ったら危ないんじゃないか?」
多分、距離があるからヴァン師匠の顔も良く見えてない気がする。
本の状態を保つにはこれくらいの暗さと湿気が必要らしいけど、運ぶのが面倒だからってここで読まなくてもいいと思う。こういうところは意外といい加減だ。手間を惜しむというか、……面倒くさがりなんだ。そんなところは俺たち似なくても良かったのにな。
交わっていた視線を瞼を閉じることでルークが遮る。
「別に、大まかな位置さえ判ればいい」
「何言ってんだ。危ないし、実戦では遠距離からの攻撃だってあるんだから、そういう訳にはいかないだろ」
こつんと一度だけ額でルークの額を小突けて、俺はルークから身を離して考える。
うーん、こういうのはやっぱり検査してもらって、眼鏡を作ってもらうのが一番じゃないだろうか。
これ以上悪くするのも身の危険上、問題あるし。あと定期的に休ませたり…なんだっけ、遠くの景色を見せたりすればいいんだっけ。
「眼鏡など…」
ぶつかった額を押さえて、あからさまにイヤそうに眉間に皺が寄っている。これはクセの方だ。
メガネ嫌いなんだろうな。体面を気にするルークは、きっと余り良いイメージを抱いてないんだろうけど、目を悪くしたお前が悪い。
世話係になって結構経つんだ、少しコツは判ってきたんだぞ。
「大丈夫、ルークだからメガネもカッコ良いって!」
俺は全開の笑みでルークにそう言った。
案の定というか、ルークは疑わしそうに腕を組んでこっちを見返してくる。
「そんな見え透いたことを言っても、乗せられないぞ」
「乗せる乗せないって話じゃないだろ?お前、目が悪い所為で人前で転んだらどうするんだよ。それって物凄くみっともないんじゃないか?」
どうやら心当たりがあるのか、ルークの肩がぴくりと揺れたのを俺は目敏く見つけた。そこまで自覚があるならなんで俺に言わないんだよ。変な意地張りやがって、お前も『アッシュ』も。
「なあ、ルーク。俺はお前がみっともないとかそんなことはどうでもいいんだ。ただ、ちゃんと見えてればお前が危険に晒されることもないし、安全だろ?悪いままでいいはずがないの、俺に言われなくてもお前が一番判ってるはずだしさ」
俺が目線を合わせてん?と首を傾げて問い掛けて返事を促せば、ルークはゆっくりと視線を下げていき、最後には俯くように顔を下に向けて。
「母上に……」
そっと、小さな声で隠しておいた言葉を零す。
「母上に心配をお掛けしたくない」
その小さな呟きに、俺は以前の、キノコロードのことを思い出した。
何て言えばいいんだろうと、胸が痛くなる。
こんなに小さくてもお前は本当に母上のことを想っていて、その愛情は表に簡単に出さないからこそ深い。
「大丈夫だって!俺が上手く言っておくからさ。このままじゃ、逆に奥様に心配をお掛けすることになるぜ?」
俯いたルークの頭をぽんぽんと軽く叩いて、ついでに一撫でするとルークはやっと顔を上げた。
微笑む俺の顔をじ、っと見詰めた後。
「――…お前は嘘が下手だが、お前がそう、いうなら…」
掛けてもいい、とごにょごにょ言うルークによっしゃ!、とこころの中で拳を握る。
いつの間にか…多分あの夜から、段階を踏めばちょっとずつだけど、ルークがこころの奥の方に隠してる本音を漏らしてくれるようになった。前から他の使用人に比べてはっきりと言われてるなあと思っていたけど、本音の方は確実な進歩だ。
俺はそれが、本当に嬉しい。
そしてルークの本音を知るたびに、俺はルークのことがもっと好きになるんだ。
かくして、俺が奥様に報告した翌日には視力検査をされて、ルークはメガネを掛けることになりましたとさ。
後日届いた眼鏡は、落ち着いた銀を塗した紺色の細い華奢な感じのフレームで、ルークは慣れないらしく、掛けてもしばらくは気持ちが悪いとかくらくらするとか落ち着かないとか言っていたけれど。
「ルーク、メガネ似合ってるな」
明るい自分の部屋で本を読むルークに、微笑んでお茶を渡しながらそう言えば。
満更でもなさそうに、だけどやっぱり偉そうに当たり前だと返して来た。
――でも、耳は赤かったんだけどな!
* * *
そうして、穏やかで大切な日常を一月程過ごした日。
「今日ルーク様は健康診断だから、貴方時間あるでしょ」
「…え?」
目の前のメイドから告げられた、健康診断、という聞き慣れない言葉を頭の中で繰り返した。
いや、俺自身は記憶障害だと思われてた時にイヤってほどされてたから、それが何かは知ってるし、お陰で医者が大嫌いになった。嫌いじゃないのはジェイドとベルケンドのシュウさんくらいなものだ。
でも、随分前からルークの世話をしているけど、健康診断なんてやってたかな。
そもそもそれやってたら、ルークの視力の検査もしてくれてそうなんだけど。
そう思いながら首を傾げる俺の視線に、メイドは逆に眉根を寄せて、違和感を感じているような顔をした瞬間。
はっ、と慌てたようにいきなり口元を押さえた。
――……なんだ?