俺の目の前で、その扉は閉ざされようとしていた。

ベルケンドに着いたその日は領事館で休み、その翌日研究所へと向かう。

俺が同行していることに、港で迎えに来ていた馬車の御者も、領事館の人たちも不振がって表情には出さないもののやんわりと俺を遠ざけようとしたけれど、俺は出発前に玄関で貰っていた書状を示すことでそれこそ周りをルークから遠ざける。

ルークが領事館の最上階の奥の客室に通された時も、待機していたメイドを悪いけど俺が世話をするからと追い出して、そのメイドから屋敷についてだとかを一通り確認した後部屋へと戻れば、アッシュは夕食も食べないままさっさとベッドに潜り込んでしまっていた。

朝起きてからも俺とは目を合わせようともせず、結局、船以来口は利いて貰えないままだ。

そのことは怒鳴られることよりもっと、ずっと寂しかったけど、今のルークには俺のことを構ってる心の余裕なんか無いんだと思う。

だから俺は、出来るだけルークの邪魔にならないように、刺激しないように気をつけながら、ルークの護衛として付き添い研究所へと向かった。

以前の旅でかなり世話になった研究所は、記憶よりも少しだけ綺麗な外装で俺たちを出迎える。

無言で進むルークの一歩後ろで俺も研究所の中へと進み、幾つもある扉のうち以前は閉ざされたままだった正面の扉を進んで行く。

俺の始まりの場所はコーラル城とタタル渓谷だけど、ヴァン師匠にとってはここで全てが始まったのかもしれない。

ヴァン師匠とスピノザがここで出会って、ディストが協力して、全てがヴァン師匠の思うように回りだして――コーラル城で俺を、作った。

フォミクリーという、ちょっと人より頭が良くて譜術が得意だった子供が生み出した、技術によって。

ジェイドにとっての始まりは、きっとそこになるんだろう。

始まりは、全てがささいなことだ。

ジェイドの妹のネフリーさんが人形を壊してしまったこと。――ネピリム先生のこと。ここでヴァン師匠が、レプリカの研究に惹かれていたスピノザと出会ってしまったこと。

その結果が、最終的にローレライ解放にまでになるのか、と思うと未来と言うものは本当に何がどう繋がるかなんてことは考えもつかなくて、背筋がぞくりとする。

思わず、みぞおち部分でぎゅ、と握り締めた右手のてのひらは嫌な汗をかいていた。

――判ってる。

俺は、結局、俺のしたいようにしか出来ないんだ。

どんなに怖くても。未来が見えなくても、俺は。

ルークを守るんだ。

例え嫌がられたって。そうだ、前だって『アッシュ』には嫌がられながらも、でも俺はずっと付きまとって――

「お前はここまでだ」

は、と我に返った時には部屋の真ん中に研究員が目の前に立っていて、ルークは俺から離れて振り返りもしないまま、慣れた様子でその研究員の横に立つ。

「っ、ルーク、…様!」

名前を呼んで、咄嗟にここが外なのを思い出して慌てて付け足しながら、その小さな背中に駆け寄ろうとするけれど、俺の目の前でその扉は閉ざされようとしていた。

扉が閉じる前に研究員が平淡な声で告げてくる。

「この扉は、登録している音素振動数にしか反応しない。だから無意味なことはせず大人しくしてろ」

その言葉に、俺は急激に、そして久しぶりに本当の意味で頭に血が上った気がした。

お前には何も出来ないだろう、そう言われた気がしたからか。それともルークと俺が『別』のものだと、何も知らないヤツに決め付けられたからか。

――ああ、そうかよ。

悪いけどな、そんなもんで俺とルークが離せると思ったら、大間違いだ。

瞬間的な怒りの衝動は、けれど俺を無暗に暴走させることはなかった。

その必要がないことは、俺が一番判ってる。

扉が閉まったと同時に扉にずかずかと歩み寄ると、当たり前のように譜業が反応して、扉が音を立てて開いた。

――お前!?」

扉から離れた位置で二人が振り返り、俺の姿を見て驚きの余りルークは目を瞠り、研究員の方が声を上げる。

二人ともそのままの状態で歩みどころか、全ての動きを止めて俺を食い入るように見詰めていた。

「開いちまったぜ?壊れてるんじゃないか、これ。もっとちゃんと作った方がいいかもな」

俺の背後で再び閉じた扉をコツコツと叩いて見せれば、そんな馬鹿な、と慌てた様子で研究員が扉に向かい、張り付くように譜業の様子を確かめている。

いくら確認したって、ムダだろうけど。

背後で扉を開いたり閉じたりと落ち着きなくチェックし始めた研究員から視線を外して、呆然と俺を見上げてくるルークに視線を合わせて跪く。

そしていつものように、微笑みながらそっと、その手を取って包むように握った。

「言っただろ?俺はお前なんだって」

俺とお前は同じ振動数を持つ、完全同位体なんだから。

口には出来ない言葉をこころの中で呟く。

ルークは俺が手を握った瞬間びくりと体を震わせるけど、けれど船の中のように手を払ったりはしなかった。

じ、と俺を見詰めてくる透明な彩をした碧の瞳は探るように揺れていて、寄せられた眉は何かを堪えて耐えている。

背後の扉を確認している音が静かになって、研究員がどこかに行ったのが感覚で判った。

途端、温度の低い廊下は静か過ぎるほどの静寂に包まれる。そこに。ぽつり、とルークの小さな声が聞こえた。

「…父上に、ここの人間に逆らうなと言われなかったか」

「え?ああ、そんなことも言われたっけな。すっかり忘れてた。というか、これって逆らったことになるのか?」

ただ扉が開いただけだぜ?

そう首を傾げるけどルークは、跪いたことで前に垂れてきている俺の髪を空いている手で掴んで、顔を間近に引き寄せ怒鳴る。

「この馬鹿っ、下手をすればお前の命が――!」

ルークの顔も声も怒っていたけれど、本当はこころの中は怒りじゃなくて別の感情で酷く乱れているのが判って、それが本当に切なくて髪を掴んだまま、俺の胸元を叩いてくるルークのその手を避けずに受け止めた。

「なんでだ、なんでお前は……っ!」

俺の髪がルークの手の中で握り締められて、ぐちゃぐちゃになっている。

何だかその様子がルークのこころの中みたいで、それはもしかしなくても俺の所為かな、と心配になった。

本来なら、このオールドラントに、ルークの傍に俺は居なくて。

俺はルークを守りたいって気持ちだけでここに居るけれど、ルークにとってはワケが判らないことだと思う。突然自分と同じ王家の血筋を引き継いだ彩(いろ)を持つヤツが現れて、『お前を守る』なんてことを言い出して。

ルークの邪魔をしたい訳じゃないけど、今までルークが築き上げてきた『世界』を乱すものだと、そう思われていたら俺は随分と余計なことをしているに違いない。

――ああ、だけど。

本当に、お前を守りたいんだ。それが出来たなら、それさえ許してくれるなら、もう消えたって良いんだ。

「ルーク……ごめんな」

俺に伝える言葉を捜して、けれど口に何も出すことが出来ずにただ、髪を掴んだ手が胸元に食い込むように押し付けられる、そのルークの手ごと抱き寄せる。

その小さな肩は体は震えていて、それは感情を抑えるから起こっていることなのか、それともこれから起こることに対してのものなのか、判らないけれど。

ああもっと早くにこうして、その震えに気がついてやるべきだったと後悔する。

ごめんなルーク、お前の気持ちが判らない馬鹿で。

この先を全部とは言わないけれど知ってるはずなのに、何を、どうしていいかも判らない、馬鹿で。

腕の中のルークが身動ぐのを、想いを込めて抱き締めるその腕に力を込めて封じた。震えなんてものをルークも俺も感じられないように、隙間なく。

「なあ、ルーク。お前はどうしたい?」

もし、お前が逃げ出したいと思っているのなら、この手を取って。

――遠くまで、逃げたって良いんだ。

未来がどんな風に変わってしまうとしても、ルークが苦しむのなら。

そんな今ですら、いらない。

俺の命だって――本当は、ここに居ないはずの、そしてとっくに死んでいるはずの、俺の命はお前のためにあるんだから。

そう、俺が決めたから。

「俺は、お前の望みに従うよ。どんなことになったって、お前を絶対、守るから」

ルークの冷たくてしなやかな髪の向こう、柔らかい感触の頬が触れ合う。

そのままの姿勢で抱き締める腕を解くことなく囁けば、突然、抵抗を止めていたルークは俺を押しのけるように腕を突っぱねて体を離した。

「ルーク…?」

いきなりのことに驚いて問い掛けるけど、ルークはただ真っ直ぐに俺を見詰めている。

透明な色には変わりはなかった。ただ、今さっきまでとは違う何かの感情で満ちていて、その視線は力強く俺を見詰めている。

その視線から目を離せないまま時間が止まったようにルークをただ、見詰め返すことしか出来ない。

「ここからは来なくていい。……邪魔だ」

ルークはそう言うと、走り出して廊下の突き当たりにある扉の向こうへと姿を消した。

* * *

俺がルークを見送った後、背後の扉が開いて数人の研究員が入って来て、俺を囲んだ後腕を掴まえ、背中や肩や頭を押しながら強引に俺を廊下の向こう、最初に待つように言われた部屋へと戻す。

別に抵抗出来ないわけじゃなかったけど、それに逆らわなかったのはルークの言葉があったからだ。

ここで俺が大人しく待っていることがルークが俺に望んだことだから、と自分に言い聞かせて、放り出されたそこに座り込み壁に背中を預け、ただひたすら、待つ。

どれだけそこで待ったか知れない。

時間の感覚は無くて、ただ、待っている間中、ずっと俺の中の第七音素がざわめいてた。

体中を支配する音素の力強い流れに意識が引き摺られそうになって、何度も自分の体に腕に爪を立てる。

判ってる、これが『超振動』を暴走させた時に近い感覚だって、気がついてる。

当然、こんなところで暴走させることなど出来るはずがないから、自分の膝を抱えそこに顔を埋めて、呪文のように落ち着け、落ち着けと繰り返し自分に言い聞かせて強引に落ち着こうと努力した。

特に『第二超振動』を感覚的に知っているから、時々引き摺られそうになるその感覚を押さえるのに、必死だった。

ティアと訓練した時以上――まるでセフィロトの書き換えを連続で行ったみたいな、秘奥義を10回くらい連続で放ったみたいな疲労と脱力感を感じ始めた時、ふ、と突然体中の第七音素のざわめきが止まった。

攻め立てられるような、圧迫されるような不思議な感覚から解放されて、ようやく息が吐ける。

途端、どっと疲労と汗が噴出して来て思わず床に体を倒した。

まるで全力疾走をしていたように息が切れる。冷たい床が気持ちがいい。

そのまま息を整えていると譜業の音が静かな部屋に響き、扉が開いて奥からストレッチャーが運ばれてくるのが目に入る。――そこに横たわるルークも。

思わず自分の疲労を無視してルークに駆け寄った。

「ルーク!」

「一々騒ぐな。気を失っているだけだ」

運んで来た研究員は心底ウザそうな目で俺とルークを見る、その視線に睨み返して怒鳴る。

「こんな小さな子供なのに、気を失うまですることないだろ!」

意識の無いルークは俺の呼びかけにも、身動ぎ一つ反応しない。顔色は青白くて、その様子は俺にいつかの『アッシュ』を思い出させて思わずルークの上体を抱き寄せた。

ほのかに感じる温かさと、弱弱しい鼓動の音を感じる、その瞬間、思わず深い息を吐いてよりいっそう、ルークを強く抱き締めた。

――生きてる。

よかった、生きてる…!

安心すると同時に、どうしようもないほどの怒りが込み上げて来て、ルークを抱き締めたまま傍に立つ研究員に詰め寄る。

「何考えてんだよお前ら!もし――もし、ルークが死んだらどうするんだよ!」

「公爵のご命令だ」

「ルークを殺せって言うのがかよ!ふざけんな!お前、自分の子供が同じ目にあっても平気なのかよ…っ!」

俺の言葉にも肩を軽く竦めるだけで、何をくだらないことを、とでも言うような――馬鹿にするような見下した視線を寄越して、俺たちを見ている。

――いや、見ているんだろうか。

目に入っているだけなのかもしれない。それくらい、温度を感じない視線だった。

その視線を向けたまま、研究員は口を開く。

「同じなはずがないだろう?ソレは、――

『 バ ケ モ ノ 』 だ 。

――な に、言ってんだよ、お前…っ」

その言葉を耳にした途端、こころに冷水を浴びせられたように怒りが冷える。

研究員の言葉の響きは、あからさまに王位を持つものに対するものどころか、人間に向けられるようなものじゃなかった。

俺は、同じような響きを知っている。

軽蔑…?

そうじゃない。これは。

存在への、嫌悪と拒否。

「人間にあんなことが出来るはずがないだろう。何を勘違いしているか知らないがな、お前もあの力を目の当たりにすれば、目が覚める。『ソレ』は俺たちとは違うってことが嫌でも理解出来るだろうさ」

レプリカを初めて目にした人たちが、レプリカに対して放った言葉の温度と、同じ。

キモチワルイ。

そう、明確に伝えてくる視線と言葉に、意識の無いルークには判らないだろうけど、でもルークに聞こえないように胸へとルークの頭を抱き寄せて耳を覆って。

「そんなことねえよ!違わない、ルークだって、普通の子供なんだ!」

ニンジンとタコが嫌いで、母親思いで、本当は父親のことだって好きで、その期待に応えようと我侭も口にしないで、ずっと努力をするような。

ちょっと気難しいし短気だけど、素直で、優しくて、――本当に、いいヤツなんだ。

何も知らないくせに。

何も知らないのに!

「そんなことも判らないで、研究者ぶってんじゃねえよ!」

ルークに謝れ。それから研究者としてジェイドにも謝れ。

無性にそう思って、睨みつけたまま再び湧き起こった怒りに任せてルークを抱き上げ、空になったストレッチャーを蹴り上げる。

上に跳び上がるように浮いたストレッチャーは、勢いがついたのかそのまま壁へとぶつかったけれど、研究員には当たらなかった。(当然だ、そう加減した)

ただ、それにびびった研究員がストレッチャーみたいに跳び上がったのは見たけれど。

そのことが恥ずかしかったのか、顔を赤くしてルークを抱き抱えて出て行こうとする俺の背中に荒げた声が投げつけられる。

「お前…!ここでのことを公爵に黙ってると思うなよ!」

「ああ、やってみろよ。俺はお前が言った言葉をそのまま公爵に伝えるからさ」

さすがに『バケモノ』発言に対して、公爵が黙ってるはずがないと思う。『ソレ』発言も。

脅すための言葉が自分に撥ね返って来たのが判ったのか、一瞬言葉が詰まる研究員が再び何かを口にする前に俺はそこから立ち去った。

俺のやったことだって感心できることじゃないけど、早くルークをきちんとベッドで寝かせてやりたかったからだ。

殴られなかっただけでも有難いと思え。

そう思いながら研究所を出て、深くため息を吐いた。

――ああ、本当に俺は馬鹿だ。

ルークを守るなんて言ってなにも出来てない、そのことが一番頭に来てるのに、他人に八つ当たりなんかしてる。

俺は最低だ。