屋敷に戻って来たのは、俺とルークがベルケンドに行ってから一週間後だった。

本当はルークにはもっと休養が必要だったけど、あそこじゃ休まらないだろうからと、体力がそこそこ回復したのを見計らって戻って来た。

部屋に戻ってすぐ、ルークがベッドに入るのもいつも通りらしい。

そしてやっぱりベルケンドでは落ち着かなかったのか、あっという間にルークは寝入ってしまう。

ご主人様が眠ってしまったらこの部屋で俺のすることは少ないから、とりあえずルークが熱を出したりしていないことを確認して、別の仕事の為に部屋を出る。

後でまた様子を見に来るか、と考えながらドアを出た俺にぶつかるかという距離で、ガイが立っていた。それに驚いて声を思わず上げそうになったのを、咄嗟に口を押さえることで堪える。

「なんだ…、驚かせるなよガイ」

閉まったドアに背中をつけて大きくため息を吐きながら言えば、ガイは片手を挙げて悪い、と笑う。

笑うけど、なんだろう。

いつものガイの微笑と同じようで、でもどこか違う微笑みが気になって、覗き込むように首を傾げて見せるけど、ガイはそんな俺の仕草を気にせずに話を続ける。

「ルーク様のご加減は如何かと思ってさ。あんたに一週間任せきりで悪かったから、帰って来た時は俺に任せて貰おうとずっと考えてたんだ」

「あ、いや、それは俺が強引に付いて行ったって言うか…ごめんな、俺の分もメイド長とラムダス…さんに怒られただろ?」

公爵に直談判したとは言っても、俺がしたことは褒められたことじゃない。ちらりとガイを窺えば、やっとガイらしく苦笑して見せた。

「そんなの、俺とあんたじゃいつものことだろ?」

その笑みに俺もこころのどこかで安心して、ガイの言葉に同じように笑って返す。

「やっぱり怒られたんだ」

「まあ、お土産がなかったらこの後説教だっただろうけどな。かろうじて休暇扱いになってるよ」

「マジで!?」

ああよかった、お土産買って来て。

最初はいらないかな、とか思ったけど、使いに出された時も休暇中もお土産を買って帰ってたから、外出先では皆になにか買わないといけないような気がして、買っておいたのが俺を助けたらしい。よくやった、俺。

話しながらルークの部屋から離れようとする、それにガイが佇んだまま訊いて来た。

――ルーク様は?」

「ああ、ルークは今寝てるから、熱もないしそのままにしておいた方がいいんじゃないかな」

後でまた見に来るし、と付け加えればガイはまた微笑んで、だからさ、と続ける。

「俺がお世話するって」

――なんだろう。

何で俺は、こんなにガイのことを、その笑みを、怖いって思ってるんだろう。

「あ…あ、そっか。そう…だな。――なんか、今まで付きっ切りだったからさ、つい」

冬に近づいて来たバチカルはそれでもまだ暖かくて――その光射す中庭へとガイのことを気にしないように進み、中央で振り返った。

真上からの陽射しが体の中に入り込むようにじわじわと浸透して来て、体の内側から温まるような気さえする。

俺の視線の先でガイはルークの部屋の扉の前で日陰に入っていてもなお、その金髪を僅かな光を受けて煌めかせていた。

その青い瞳は影に負けることなく鮮やかで、まるでロニール雪山の氷を思わせるような鋭さと温度をしているようにも思える。でも氷よりも濃い色は、ガイのこころに宿る焔の温度なのかも知れなかった。

その強い意思を込めている眼差しの力も、決意を込めた表情も。俺に判らせるには充分で。

――ああ、お前、決めちゃったんだな。

そう考えて哀しくなる。

俺の居ない間に何があったのかは判らないし、仇を討つことはガイの今の全てだけど。でも。

――そんなに、いいことじゃないのに。

確かに、家族の無念を晴らすってことになるんだろうけど。

どんな相手でも、殺すということ。命を奪うことは。

いいことじゃないのに。

苦しくて、切ないことなのに。

俺が今こんなに苦しんでることを、ガイにさせたくない。

家族の無念は晴れないだろうけど、でもガイにルークを殺させたくない。

二人で解決の道を探して欲しいんだ。

だってガイ、お前は俺を許してくれたじゃないか。

――俺を親友だと言ってくれたじゃないか。

ここに居るルークは、正確には違うだろうけど俺のオリジナルなんだから、根本的なところは変わらないと思うのに。

どうしたら、ガイに伝えられるだろう。

ガイの考えを変えられるような言葉は、この時間に居る俺にはないし、ジェイドがいたらきっといい案を出してくれるだろうなと思うけど、今ここにいない相手を頼っても仕方がない。

俺は、俺に出来ることを、するんだ。

ベルケンドでちょっとだけ、何かが吹っ切れたような感じがしていた。

俺は俺のしたいようにしか出来ないし、だったら俺に出来ることを全力でするんだってこと、ちょっと忘れてたのかもしれない。

俺のしたいようにするっていうのは、好き勝手にするっていうことと、似てるけど違う。

一番最初自分独りで何かをした時、俺は好き勝手してそれが最悪の結果になったアクゼリュスのことは、こころに痛いほど刻まれている。だから俺は自分独りで何かをすることが正直怖い。俺の所為で未来にアクゼリュスみたいなことが起こるかもしれないと思うと、身もこころも竦む。だから何だかんだ言ってもルークをちゃんと守ることも出来てなかった。

アクゼリュスの後、髪を切って自分でちゃんと考えて行動してたように思ってたけど、でも。

あの時はいつも皆が傍に居た。

瘴気中和の時、ガイはきっと俺の考えを受け入れられなかっただろうけど、俺が瘴気中和をする時には、耐えてくれてた。馬鹿野郎って言いながら。俺の考えが間違ってるって、ガイは叱って、でも理解してくれたんだ。

だからたとえ、今のガイに俺の言葉が受け入れて貰えなくても。

別の道があって、それを選んだっていいんだってことを、伝えられたらいい。

お前の力になりたいって言ったことは、嘘じゃないんだ。

――なあ、ガイ。俺は絶対に。

お前にルークを殺させたりはしないから。

一度目を閉じて、開く、その間に深呼吸をして気持ちを落ち着けて切り替えて。

ガイを見た時に、ちゃんと笑えてるかな。

お前を見る俺の目に、ちゃんと力はあるかな。

そう思いながらガイを見れば、ガイは理由は判らないけれど目を軽く瞠って、無言で俺を見返して来た。そして目を細めるのに首を傾げて問い掛けるけど、ガイはただ首を振って、俺の方へと歩いて近づいてくる。

――さて、俺たちも行くか。お土産のお陰で、皆でお茶の時間らしいから」

「うん」

光の下に立つガイは、今までと変わらない様子で、優しい笑顔を見せながら俺を促す。

この日常がずっと続けばいいのに。

お前の剣の腕は確かだけど、その手は譜業を弄るためにある方がずっと良いって、俺は思うよ。

そう歩きながら思って、不意に思い出した。

――そうだ、ガイ」

思わず立ち止まって声を掛ける俺に、ガイも歩いていた足を止めて肩越しに振り返る。

「ベルケンドにいる間に時間があって、すぐそこだからシェリダンまでちょっと行って来たんだ。そしたら店のおっさんが何でかしらないけど俺のこと覚えててさー、なんか新しい譜業の部品?とかってのすげー勧められて。買って来たんだ」

だからこれ、お前にやるよ。

上着のポケットから取り出したそれを、ガイに向けて差し出しながらそう言ったら、ガイは何故か判らないけれど俺の視線の先で少し迷っているようだった。

何を迷ってんだろう。手を差し出したまま首を傾げて待っていると、ガイが躊躇うように訊いて来る。

「…俺が貰ってもいいのか?」

「え、これ、いらなかった? まいったな、お前にやることしか頭になかった」

じゃあこれ、どうしよう。

紙袋を見詰めながら頭に手を遣って考えるけど、他の活用方法なんて思いつかない。

俺が思いっきり困っているのを見て、ガイは焦ったように声を上げた。

「ああ、違う違う、そうじゃなくて――、」

ガイの声に顔を上げればガイもまた、俺と同じように後頭部へ手を遣ってから、さっきみたいに苦笑して見せて、それから短い距離をゆっくりと近づいて来た。

「……ありがとう、」

受け取った小さな紙袋を手にしたガイは、それを悲しいような困ったような泣き出しそうな微笑みで見詰めている。

何だか、その紙袋の中の物が特別な何かのように思えるほど。

別にそんなにいいものじゃないと思う。期待が大きい気がして、ちょっと焦りながらガイの手に渡った紙袋を見詰めた。

もう少し綺麗に持って帰ってくればよかったなと恥ずかしくなって来る程度には、紙袋は皺が寄っていて、ポケットなんかに無造作に突っ込んでおくからだと自分の無神経さに今更呆れた。幾ら俺にとって『ガイ』は遠慮が要らない間柄でも、今、この時間のガイにとって俺はあくまで使用人仲間でしかないんだから。

今度はもっと丁寧に持って帰ってくるぞ、なんて変な決意をした時、ガイがぽつりと呟く。

――なあ、なんでいつもあんたは……」

そこで止まってしまったから、続きを促すために視線を合わせるけど。

その時かつん、と小さな音を立てて何かが床に落ちた。

視線を落とせば、さっき紙袋を取り出した時に一緒にポケットに入れてた髪留めも中途半端に出て来てたらしい。それが身動ぎした時に落ちたんだ。

くれたルークに申し訳ないから、慌ててそれを拾う。

軽くどこにも傷がないかを確認して、上着のポケットへと戻しながらガイに問い掛けるけど。

「あ、ごめん。何だっけ……」

「いや、大したことじゃない。急ごう、みんなに全部食べられちまう」

ガイは続きを言わないままただ笑ってそう言うと、歩き出してしまう。

慌てて数歩先を行くガイに追い付けば、ガイはただ前を向いたまま、口を開く。

――それ、同じ色だな」

その言葉に、思わず俺が立ち止まってしまっても、ガイは今度は立ち止まらなかった。

何と、とは言わなかったけれど、きっと聡いガイはすぐに気がついたんだろう。

この髪留めを俺にくれたのは誰か。

俺が自分で買うには繊細すぎるし、何より作りが良い。目の肥えたこの屋敷の使用人たちにはそれがどれくらいするものなのか大体は判るから、ガイもすぐに判ったはずだ。

使用人の一人だけを贔屓にするのは良くないことだ。ルークの世話をしているのはガイもだし、ただでさえ、身分が違うからと嫌な顔をされるのに。

周りの皆の目に入らないように気をつけてたつもりだったのに、変な所でミスしちまった。

廊下の先、今は遠くなった背中に思う。

ガイは、ラムダスに言うかな。

そう考えて、自然と深いため息が出る。

俺の失敗で、ルークが怒られないといいんだけど。