最近の忙しさと言ったら、通常の倍くらいはあった。
お祝いの日取りが決まった日から仕事はいきなり増えた。ナタリアの公務とかルークの予定とか色々あって毎年違うらしい。そんなことも俺は知らなかった。その日までに準備を万端整える――それこそ、髪の毛一筋の乱れや隙もなく。
そういうことで、朝から晩まで本来の仕事であるルークの世話と護衛以外の仕事をすることになる。
お祝いといったって、盛大に城で祝う訳じゃない。ルークは王位継承権を確かに持ってるけど、王位を継ぐことはまだ決まってないからだ。(幾らルークの髪が紅くて目が碧でも、ナタリアと婚約してても、成人してないし)
そしてナタリアの正式なお祝いは、新年になってからの誕生日にちゃんとある。でもそれは公務に含まれるから、ルークと合同でファブレ家で行うこのお祝いは、ナタリアが子供らしく楽しめる一日になるだろう。もちろん、ナタリアが喜べばルークだって喜ぶし、奥様も元気になる。そうなったら使用人たちも嬉しい。
お祝いと新年の準備が平行するのもいつものことらしくて、腕の見せ所だとカーテンから絨毯、家具食器の手入れと入れ替えを、と張り切るメイド長とラムダスの気持ちも判る。わざわざベルケンドの城の倉庫から運んだりとか(っていうかベルケンドに城なんてあったのか!……そりゃそうか)料理長だって材料をこと細かに厳選して、当日の料理からもちろんケーキのことだって、他の料理人達と一緒に何度も考え込んでた。俺も空いている時間に何度も使いに出されたし、手の空いてない料理人達の代わりに賄いもした。
ガイは相変わらず、俺と普通に会話をして、普通に世話係として働いている。
使いに出されている間は特にガイとルークのことが気になって出来るだけ急いで戻ってたけど、ルークは公爵と一緒に出掛けることが多かったしガイも俺と一緒でこき使われてたから、夜以外はあんまり心配しなくていいみたいだった。
夜はさすがに使用人みんなが疲れて眠ってしまうから、警備の白光騎士団員が頼りなんだけど。
――本当は、この忙しさにガイが復讐のことを一時的にでもいいから、忘れてくれてたらいい。
そんな、俺にとって都合のいいことを、ずっと考えてる。
* * *
「……マジかよ……!」
昇降機が目の前を上がっていったのに、思わず声と一緒にため息が出た。
奥の地元民専用の昇降機と違って、この表の昇降機は貴族達が利用する分上まで行くから、下まで降りてくるのにも時間が掛かる。上の利用者達が優先されるから、酷い時は一時間とか待つ時もあって、そのことを考えるとくらくらした。
今日一日何時間歩きっぱなしだとか、手に持ってるのだって粉モノや瓶が多くて重いとか、腹減ったとか、そういうことを考えると残っていた体力がごっそりとなくなる気がする。
料理長は優先的な食材を持たせた俺を先に帰して、まだ市場を彷徨いてる。たぶん後は届けて貰うんだろう。っていうかその体力どこから出てくんだよ。俺よりかなり年上なのに。
いつもよりイキイキとした料理長の背中を思い出して、またため息を吐いた。早く戻って休みたい。それだけを支えにここまで戻って来たって言うのに。なんで目の前で行っちゃうかな昇降機。
恥も何もなく広場の隅っこで荷物を下に置いて、しゃがみ込む。
ああ、疲れた。もういい。なんかもう立ち上がりたくない。誰か引き摺って帰ってくれないかな。
そんなことを考えてたらくすくすと笑い声が頭の上からして、顔を上げると少し曇った空の向こうからの太陽の光を透かした金髪が目に入った。
「お疲れさん。かなり参ってるみたいだな」
「ガイ……」
俺を見て苦笑するガイに俺は腹減った喉乾いたと訴える。ガイも俺と同じく使いに出されてたのか、両手で荷物を抱えていた。その仕草に多分ガイの方は壊れ物だろうと思う。
「ああ、俺も喉乾いたな。昇降機が来るまでちょっと休憩してようぜ」
「さんせいー」
ガイの提案によろよろ立ち上がれば、ガイは近くのベンチを指さす。
「そこで荷物と一緒に待ってろよ。買って来てやるから」
相変わらずガイは気が利くなあと思うのはこんな時だ。本当なら年上の俺がやるべきことなんだろうけど。きっとガイの中で俺は世話の掛かるデカイ弟みたいな扱いかもしれない。
「あ……ゴメン」
「いいって。俺はそんなに疲れてないし、そこで休んでろよ」
青い瞳を細め、店の方に歩いて行きながらガイがそう言って、手を挙げるのに俺も合わせる。
視線の先の金髪は、通りに面したオープンテラスから店の中へと消えて行った。
ガイのさり気ないこういう優しさとか気が利くところか、そりゃあモテるよなあと再度実感する。いや、よくよく考えてみればお前その年ですでにそうなのか。ガイの家って5歳の子供にそこまで教えてたのか?それとも生まれつきなんだろうか。そう考えると凄いななんか。そう言えば、ガイの姉上って厳しい人だったって、言ってたっけ。
ケテルブルグでそんな話をしたことを思い出して、つい顔が自然と笑ってしまう。
こっちに来てまでガイに俺の面倒を見させるとは、思ってなかった。
俺が甘えるのがいけないんだって、判ってるけど。やっぱり、知ってる人に会うのは嬉しいんだ。前と変わらない部分を見つけてしまえば見つけてしまうほど。
俺は記憶がある分、ついつい前と同じような気持ちで接してしまう。それは俺が勝手にしていることで、押しつけてる部分もあると思う。だけどガイはそれに合わせてくれてる。やっぱり優しいと思うし、だからこそそれが嬉しいんだ。
「……どうしたんだ?」
微笑んだままいつの間にか戻って来ていた目の前のガイを見上げれば、ガイが不思議そうな顔で見返してくる、それに首を振って差し出されたタンブラーを受け取った。ガイは首を傾げてたけど、荷物を確認しながら俺の隣に座る。
俺は手の中の、じんわりと染み込むような温かさに、ああそうか寒かったんだっけ、と今更実感しながら口を付けた。ラテだ。甘い。
あれ、と思ってガイへと視線を向ければ、にこりと笑って見せる。
「一緒に過ごして長いんだ。好みを知ってても可笑かないだろ?」
「……ありがとな、ガイ」
その気遣いに、俺は一瞬息を詰まらせて、そのせいでぎこちなく笑って返すので精一杯だった。
こんなに優しく笑うのに。
ガイの中では復讐は決定事項で、動かせないことだ。
もし復讐が叶ったら、ガイはどうなってしまうんだろう。叶わなかった時、この、今のガイはどうなってしまうんだろう。
それを考えると、どちらでも酷く胸が苦しい。
――ガイの優しさを、俺は失いたくない。
失うわけには、いかないんだ。
「…なあ、ガイ、お前なんか新しい譜業とか音機関とか、作ってないのか?」
無言のままなのがちょっと気まずい気がして、ガイに話題を振る。って言っても、俺に出来るのは譜業とか音機関の話くらいだ。しかも振っといて話半分くらいも理解出来てないけど。
俺の突然の話題に前触れも何もなかったからか、ガイはちょっと驚いたように軽く目を瞠って俺を見て来た。それでも問い掛けには答えてくれる。
「うーん、今は作ってないなあ」
忙しいし、と苦笑するガイにそれもそうか、と俺は頷いて。
「じゃあ、譜業とか音機関の中で、一番好きなのってなんだ?それとか、したいことっていうか……夢?っていうやつ?なんかあるか?」
「なんだ、どうしたんだよ、さっきから」
「ただ聞きたいんだよ、いいだろ?」
俺が、お前の復讐を止めるために必要なものだから、聞きたい。
俺はお前のしあわせを、将来を思って、復讐を止める。
別にお前は止めてくれなんて頼んでないって言うだろう。逆に何で邪魔するんだと怒りを俺に向けるだろう。
ごめんな。邪魔する俺を憎んでくれて構わないから。
それでお前が復讐なんかしなくてすむなら、それが一番いいことなんだと、俺は信じるよ。
俺がまっすぐガイを見つめながら言えば、ガイは夢……か、と呟いて考え込む。
「――空、」
ガイがぽつりと呟いた言葉に、思わず空を見上げる。
今日に限らず天気は余り良くない。厚い雲の向こうから、時々太陽の薄陽が差すくらいの空が続くことが、冬らしいのだとペールは言う。
続くガイの声に視線を戻すと、ガイは顎に手をやって考え込んだまま言葉を継ぐ。
「シェリダンの方で、空を飛ぶ譜業の研究が行われてるそうなんだ。何でも古い書物に、創世暦時代にあったそういう譜業についての記述が見つかったらしくて、でも今はそれの動力部になる音機関が失われてるから難しいらしいんだ。その音機関を何とかして、作れないかと研究してるらしいんだけど……」
ああ、それってアルビオールのことだよな。
今この時代では飛行譜石はまだ見つかってない。あれが見つかって、シェリダンのイエモンさんたちはアルビオールの研究に集中し始めるんだろう。
俺は、ガイがアルビオールに乗ったことも、操縦したことも、知ってる。アルビオール3号機がキズモノにされたって、ガイが怒ってたことも。
「俺は、それを作って空を飛んでみたい…かな」
少し照れたように笑うガイは年齢相応で、その笑みに俺もゆっくりと笑い返す。
お前がその夢をずっと抱いて変わらなかったこと、俺はちゃんと覚えてるよ。
俺は、ガイの夢が壊れなかったのは、子供みたいに譜業に対してはしゃげるような感情が残ったのは、復讐が成し遂げられなかったからだと、思う。
こころの中での重さはずっと変わらないけど、占める比率が変わること、それが大切なんだ。
それが、『昔のことばっかり考えてたって、前に進めない』ってことなんじゃないだろうか。
「じゃあさ、俺をいつかそれに乗せてくれよ」
「何だよ、まだ出来てもないんだぜ?それこそ俺が生きてるうちに出来るかどうか――」
「大丈夫」
はっきり言う俺に、ガイは言葉を止めて俺を見詰めて来る。
驚いているようでもあるし、不思議がっているようでもあるし、――訝しんでるようでもある。
それに対してガイに気持ちが伝わりますように、と願いながら、やんわりと微笑んで。
「きっと、叶うから」
俺の言葉を聞いて、ガイは何が何だか判ってないだろうけど、柔らかい瞳で苦笑する。
「…ああ、判ったよ。……でも、その時のあんたは――」
きっと、俺を許してくれないさ。
表情を消してそう呟いたガイの声と重なるように、金属特有の音と歯車が回る音が広場まで響く。
その音に振り返れば、ことさらごとんと大きな音を立てて、昇降機が降りて来ていた。
「さ、来たぜ。屋敷に戻ろう」
昇降機から人が流れ出すのを見ていた俺の背中の方から、ガイが素早く立ち上がる。タンブラーをゴミ箱へと放って荷物を抱えて歩き出す、その手際のいい仕草の流れに問い返すタイミングを失って、俺も乗り遅れないように荷物を慌てて抱えると、歩き出しながらガイと同じようにタンブラーを捨てる。
放ったタンブラーは中身を失ってとうの昔に冷え切っていた。
* * *
年の終わりを間近に迎えたお祝いの日は、屋敷の中が見違えるように飾られていた。
自分の時は全然気がつかなかった。いや、目に入ってたけど、あの時の俺にとっては意味のないモノだったから。そう思っていたから、これがどんなに大変なことで手間が掛かってるか知りもしなかったから、判らなかった。認識出来てなかった。手間が掛かってる分、思いも込められてるんだってこと、理解出来なかった。
自分でやってみたから、判ることがたくさんある。
玄関から始まって屋敷中を彩る花。
真新しい家具に絨毯、新品同様に磨き上げられたコレクション、窓や柱、シャンデリア。
暖かい暖炉から聞こえる薪の爆ぜる音。柔らかいみんなの華やいだ声。笑う、顔。
俺を包んでいるさまざまなもの。
――ああ、俺、今ここに居られて良かった。
お祝いの場がお開きになったのは、そんなに遅くはない夜になってからだった。
ルークとナタリアの年齢を考えれば、当たり前ではあったけれど。
二人はお祝いの言葉をみんなから貰って、ケーキに凝ったデコレーションとルークとナタリアの人形が飾ってあるのを、ルークは判らないけどナタリアは純粋に喜んだ。プレゼントを交換し合った二人が嬉しそうにしているのを、邪魔をしないように控えている場所から遠目に見て、俺も思わず自分のことみたいに微笑んでしまう。
ルークからプレゼントされたイヤリングを早速着けたナタリアが、白光騎士団に護衛されて城に帰るのを見送って、ルークも自分の部屋へと戻るのに付いて行く。
今日から使用人達の殆どは新年に向けての休暇を取り始める。
長さは使用人それぞれで、三日で戻って来る者もいれば、最長一ヶ月今までの分もまとめてゆっくり休暇を取る者もいる。
俺はといえば、今すぐ休暇を取って行きたいところもないし、休暇も知らなかったとはいえ頻繁に貰ってたし、新年になってもずっとこの屋敷にいることにしていた。
いつもよりがらんとした印象を受ける屋敷の途中でルークは浴室へと向かい、俺はそのままルークの部屋に行く途中で、大量に届いたプレゼントを一時的に置いている部屋へと立ち寄る。
ここに一番最初にプレゼントを置いたのは、俺だ。
この部屋に置いてあるプレゼントの中で一番値段は低いだろうな、なんてことを考えて苦笑しながらそれを手にとって部屋へと向かった。
浴室から戻って来たルークの髪を前と比べて断然上達した手つきで拭って、手入れをする。
「ナタリア殿下、プレゼント気に入ってくれて良かったな、ルーク」
香油を馴染ませた櫛で丁寧に梳かして整えながら言えば、ルークはこくりと頷く。
「さすが料理長が張り切ってただけあって、料理もケーキも美味かったな」
料理長の荷物持ちをした甲斐があったっていうか。いつもはあり得ないけど今日は賄いも同じ食事を出して貰えて、俺は久しぶりに料理長の料理を味わうことが出来た。
ティアと出会ったばかりの頃、屋敷の料理が懐かしいって言ったことを思い出しながら、その時とはまた違う気持ちで食べた。
――少しだけ、胸が痛かったけど。
その時の感情が胸にまた甦って、その痛さをごまかすように微笑みながら髪の手入れを終えると、ルークは椅子から立ち上がり、体ごと俺の方を振り向く。
艶々の髪が動きに従って流れていくのが綺麗だなあと思ってルークの視線を受けていると、ルークは珍しくちょっとだけ口籠もったけど、フイ、と顔を逸らして。
「…お前が作った方が、美味い」
そう、ぽつりと呟く。
その言葉に、驚きのあまり息を詰まらせる。
――そんなわけない。料理長の料理の方が、絶対美味しいはずなのに。
ルークの言葉にそう思うけど、でも嬉しさで顔は笑ってしまう。
驚いたけど、ルークの中では本当にそう思ってくれてるんだろう。
ルークは別に、俺にお世辞を言った訳じゃないし、そもそもそんなこと俺にはしない。
だからこそ、その言葉が本当だって判る。
「……ありがとう、ルーク」
ルークは必ず俺に嬉しいことを告げてくれて、俺はこの間からルークに感謝してばかりだ。
感情を逃すようにため息を吐いて、顔を背けたままのルークの両手を握ると、そう微笑む。
こうしてルークが顔を背けてる時は、大抵が恥ずかしかったり照れたり、言い難いことを口にする時だということを、俺はこれまでルークと一緒にいて、識っている。
俺はこうしてルークの傍にいて、ルークのことをたくさん知った。目が悪いことも、その他の癖も。仕事を覚えるのは大変だったけど、毎日が楽しかった。辛いことも知ったけど、ルークは俺が傍にいることを許してくれた。……誕生日を、くれた。
喜びを、悲しみを分かち合ってもいいって、言ってくれたんだ。
俺にとってここで過ごした時間は、ヴァン師匠を追い掛けてた時とは違って本当に自由な状態から自分で選んで進んで来た分、そしてルークから色んなものを貰った分、とても大切な意味があると思う。
――ルーク、本当に、有り難う。
俺は、お前が居なかったら、生まれることが出来なかった。
ルークの優しさも、ガイの優しさも、このファブレ家で与えられていた優しさも何一つちゃんと理解出来ていなかったし、生まれないと言うことは、何も感じられないと言うことだ。
なんてことだろう。
そんなのは、死ぬのと同じくらい、怖い。
繋いだ両手に力を込めて握ると、ルークがそろりと顔をこっちへ向けて視線を合わせてくる、それにまた笑って見せて。
「誕生日、おめでとう。――生まれて来てくれて有難う、ルーク」
そっと、こころからのお祝いを、口にした。
この世界で、俺は本来存在しないけど、でも。
お前が居なかったら、生まれてくることが出来なかった命なんだ。
俺の半身で、
俺の全部だ。
胸に込み上げてくる嬉しさのまま、振り払われないことをいいことにずっと手を握って微笑んでいると、俺を見ていたはずの怜悧に透き通った碧の瞳が、どうしたのか不安定に揺れて俺を見たと思ったら違う場所に逸らされたりと、忙しくなった。
なんだろう、そう思っているうちにルークは俯いていって、一つ頷いた後突然顔を上げる。
ルークの変化に俺がついて行けてないまま、ルークの仕草を見守っている間に、ルークの両手が力を込めて俺を引き寄せる。
よりいっそう状況が判らずにされるがままになっていると、ルークの顔が近づき。
ただそっと、頬に柔らかい感触が触れた。
「…ルーク?」
「――寝る」
呆然と、いつの間にか解かれた手で柔らかい感触の残る頬を押さえてルークの名前を呼ぶけれど。ルークは顔を赤くして、短くそれだけ言うと足音強くベッドへと向かう。
「はい?…え?ちょっとルーク、今の……」
「もう寝る!だから話し掛けるなっ」
横を通り過ぎたルークを咄嗟に振り返って問い掛ける。
だけどシーツを剥いだルークはこちらを見向きもせずにそう怒鳴って、さっさと――まるで逃げるみたいに頭から被る。
その蓑虫みたいな状態になったルークを見て、ようやく俺の混乱に動きが固まった頭も落ち着きを取り戻す。
なんだ今の。
なにって…ほら、アレだ。アレだよ。
――ルークに、キスされたん、だ。
そう理解した途端、顔に熱が集まって来てそして自然と笑ってしまう自分の締まりのない顔が判るけど、でも止められない。
俺がルークの額にキスをしたみたいに、ルークもしてくれたんだ。
そう思うと、本当に嬉しくて笑ってしまう。
誕生日を貰った時とは違う、こころが軽くなるような嬉しさだけで胸が痛いほど熱くなる。
ガイやナタリアにして貰った時とはなんかちょっと違うような気もするけど、でも、元気になるのは同じ。
あのルークが。
そう思うと、よりいっそう、嬉しかった。
「えー、何だよー」
くすくすと笑いながらベッドに近づいて、シーツの下に潜り込むようにしているルークの固まりをぽんぽんと軽く上から叩くけど、ルークは頑として顔を出さないままだ。
蒸し暑くないのかなあと思いながら、叩く手を多分頭がある当たりまで潜らせて。
「…おやすみ、ルーク」
きっと赤いだろう耳にそっと触れて、さらさらした髪を何度も指先で梳いた。
* * *
――その夜は、月が細い、酷く冷える夜だった。
少しの軋む音さえ立てずに窓が開いて、身軽にその影は部屋の中へと降り立つ。
その時にした僅かな足音は、上等な毛の長い絨毯に吸い込まれて消えてしまう。
進入した影はその場で部屋の様子を――特に、寝ているだろう部屋の持ち主を窺った。
大きく開いた窓からは冷たい風が僅かに入り込むが、ベッドの中で深い眠りに就いているのか身動ぎもしない。ただ微かに寝息が空気を震わせている。
そのことを確認した後、そっと、窓が閉じられた。
カーテンが大きく開かれたままなのは、明かりを灯さずに部屋の様子を知るためだろう。
ベッドの上の姿を確認して、やがてゆっくりと、ベッドへと影は近づいていく。
一歩、歩を進めるたびに僅かに床と靴が当たる音がするが、眠っている相手には判らないほどささやかだった。
問題は、気配だろう。
大抵、慣れない気配には目が覚めてしまう。特に、殺気などという物騒なものを放つ気配ならば。だからこそ、侵入者はそれに気をつけなくてはならなかった。
一歩、また踏み出す。そしてまた、迷いもなく、一歩。
剣の刃が届く距離でその影は歩みを止める。
金属の小さな音を立てて鞘から引き抜かれるその剣の動作にも、歪みはない。
手慣れた様子で抜き放たれた白刃が、間髪入れずに弧を描き――
「ごめんな。お前の力になれたらと思うけど――俺は、ルークを絶対護らなくちゃいけないんだ」
右手が痺れて痛むのか、顔を顰め左手で右手を押さえて庇うようにしている、その姿に切なくなりながらそう、告げた。
金属特有の甲高い音を立て弾かれた剣は、部屋の隅で回転しながら空しい音を立てている。
蹴り除けたシーツが視界の端でベッドから滑り落ちるのが見えた。
跳ね起きたベッドがきしりと軋んだ音を、静かな、この部屋の中に響かせる。
「――ガイ」
そっと名を呼べば、ガイは右手をあっさりと下ろして俯くと、深いため息を吐くけど。
その口に浮かぶのは、薄い笑みだった。
「ガイ…?」
「…わかってた」
顔を上げたガイの表情は、苦しそうに歪んでいて、でも俺をまっすぐに見詰めてくる。
「――いいんだ、判ってたよ。俺に出来ないことも。…あんたが、絶対俺を止めることも」
切なそうに震える声を、息を吐いて、痛みを堪えるように顔を厳しくするガイは、とても脆く見えて、そして泣きそうだった。