ホーリーボトルを撒いた木の根元へ座らせたルークへと水を渡しながら、膝を付いて顔を覗き込む。

木々の隙間から零れる朝陽で、ルークの様子を改めてきちんと確認する。顔色もまだ悪いし、少し服とかは汚れてはいるけれど、大きなケガはないみたいでほっとした。

このままずっと背負って移動は安全上出来ない。だけどルークは歩けないだろう。それも長時間。カイツール軍港にはいけない。ヴァン師匠と鉢合わせるかも知れないし、ヴァン師匠の部下達の警戒も強いと思う。そうするとケセドニアまで行くことになるから、今のルークの体力じゃ歩くだけじゃない、移動自体が無茶だ。

だけど、行かないと。

ケセドニアのキムラスカ領事館…せめて中央にある、アスターさんの邸に連れて行けば、ルークは助けて貰える。あのアスターさんが、紅い髪と碧の目の組み合わせを見て放っておくわけがない。ルークはただそこにいるだけで、自分がキムラスカにとって重要な存在だってことを周囲に知らしめる。放っておくよりは助ける方が何倍もいいってことを、アスターさんならすぐに気がつくだろう。

額に手を当ててルークの熱を計っていると、ルークが水筒を返してくる、その疲れ切った顔にそっと声を掛けた。

「…疲れたよな」

俺の声にルークは胸のつかえを吐き出すように深く息を吐いた後、立てた両膝に腕を載せそこに額を置いて俯く。

口を開くのも億劫そうだったけど、気持ちを保たせるためにも声を掛ける。弱気にさせたらダメだ。

「大丈夫だから。俺がお前をちゃんと、屋敷に連れて帰るからさ。心配しないでいいからな!」

声を掛けながら頭を揺らさないようにそっと撫でる。いつもは艶々の髪も、今は色が褪せたようにさえ見えて、それがルークの疲れの度合いと精神状態を表しているように思えた。

顔を上げないまま、ルークがぽつりと呟く。

「……屋敷になど、戻らない方がいいのかもな」

「ルーク!」

突然、何を言い出すんだろう。

あんなにみんな、ルークのこと心配してたのに。父上は白光騎士団に指示を出した後、キムラスカ兵を出して貰えるように城に登城したし、あの完璧な執事を地で行くラムダスだって顔色が悪かった。白光騎士団はいつもより厳しい雰囲気で、母上もうなされながらずっとお前の名前を呼んでるって、メイドが泣きながら言ってたのを俺は覚えてる。

「父上は俺を必要とされてない。どんなに父上が望むように努力しても意味はない。あんな……あんな実験を何度我慢しても、俺を見ない。父上は結局自分のために、『俺』じゃない、ただ言うことを聞く道具が欲しいだけだ。父上にとって、俺は……兵器、いやバケモノ、か……」

声を荒げることもなく、もうとっくに諦めたように淡々とした声でそう言う。

ぱたりと力なく地面へと投げ出される両てのひらを、じっとガラスみたいに透き通った、だけど遠くを見るような、感情のないような彩でルークが見詰める。

その、声音も無気力な様子も、本当に哀しかった。

なんでルークは、こんなにこころだけ先に大人になってしまったんだろう。

どうして嫌だって辛いって泣いたり喚いたり出来なくなったんだろう。

周りの大人達が、生まれた環境がルークから、まだ守って貰えるはずの子供らしいところ――わがままとか思いっきり泣いたりする、そういう部分を奪ってしまったのは判ってたけど、でも俺の時はもっと、違ったような気がする。

俺の時は、ただの赤ん坊が帰って来たみたいなもんだから、どうせ預言通りに死なせることもあって、そういう厳しいところを諦めたのかもしれないけど。

弱音を吐くことが出来ないまま、溜め込んでいったルークは、今までどれだけ辛かっただろう。

それでもずっと、一生懸命頑張ってた。誇りを持っていた。そりゃ最初は父上に言われた通りだったかも知れないけど、自分で国のためを思ってまっすぐに努力してた。ナタリアだって、そんなところが大好きなんだ。

そのルークが。

「それに、俺の周りには『王位継承者』などいくらでもいる。俺の代わりなど、いくらでも居る。俺はあそこには必要ない。俺じゃなくても構わないんだ。なにが、次期国王……俺が死んでも、代わりなど、いくらでも……」

こんなことを言うくらいだから。

――いったいなにをルークに言ったんだ、ヴァン師匠。

ルークのこころが、こわれてしまう。

ルークの拠り所が、失われてしまう。

胸が、喉が押さえつけられるような感覚が迫って、痛い。

その感覚を一度強く両手の拳を握ることで何とか流してから、ルークの頬へと両手をそっと伸ばし。

ぱちん、と音を立ててルークの顔を挟んだ。

ある意味打たれたみたいなもので、驚いたのかルークがびくりと大げさに反応する。

…ああ、考えてみたらルークはこんなこと、今まで一度もなかったのかも知れない。

母上はけして手を挙げないし、父上は…どうだろう。俺の時は接触あんまりなかったからな。とりあえず叩かれたことはなかった。

そのまま、俺と視線を合わせると、ルークはぼんやりとした瞳を驚きで彷徨わせながら、俺を呆然と見詰め返してくるのを、力を込めるように強く、まっすぐに正面から見据える。

そしてかたい声で、はっきりと告げた。

「誰もお前にはなれないんだ、ルーク」

俺がみんなに望まれてた『ルーク』じゃなかったように。

お前は、この世界でたったひとりの、俺のオリジナルだ。

「……っ」

ルークが何かを言おうとして口を動かすけれど、結局何も言わないまま顔を顰めるのに、俺はそっと頬から両手を離す。そのままルークの頭を撫でるように紅い髪を手櫛で梳いた。

毛先になるほど濃い色の、俺よりも紅くてまっすぐな髪。白くて手入れされていることが判る肌や子供らしいラインを描く頬。透き通る綺麗な彩の碧眼。

ルークを構成するもの。俺にはないもの。

「…俺がお前が頑張ってること知ってるように、奥様だって、本当は、旦那様だって判ってるよ」

俺がそう口にすると、ルークは目を瞠ってしっかりと俺を見返す。

さっきより、目に行動に力が戻って来てるようで、それに安心する。

俺はルークに笑って見せて言葉を続けた。

「だってそうじゃなきゃさ、お前の健康診断に俺が付いていくの、許して貰えなかったと思うんだ。多分、旦那様もお前と一緒で不器用だから、どんな風に接したらいいか、判らないんだよ」

ルークは俺を見上げていた視線を逸らして、考えるように顔を俯かせる。

「…父上にも、判らないことがあるのか」

「あるよ。どんなに大人でも、どんなに偉くても、どんなに頭の良いヤツでも。人間だったら当たり前のことだ」

「だけど俺は!間違えてはいけないと…人の上に立つ者は民のために優秀で完璧であるべきで、愚かではいけないと、そう、…だったら、父上だって……!」

俯いていた顔を勢いよく上げて、そう大きくする声は言葉は、まるで叫ぶようだった。

眉は寄せられて、辛そうに歪んでいる。

ああ、泣いちゃえばいいのに。

そうしたら楽になるって聞いたことがあるし、『涙を溜めるのではなく流す、という行為は、人間の精神が正常なはたらきをするのに必要なことです』ってジェイドも自分は絶対泣かないくせにそう言ってた。

人の上に立つ者として、感情をずっと長いこと押し殺して来たルークのこころは多分、限界に来ているのかも知れない。

一回や二回、泣いたって足りないくらいの。

「……俺の知り合いに、お前くらいのころ、自分に譜眼を施したり譜術で魔物をほぼ毎日殺してたり、ある研究を無機物に対してなら完成させてるめちゃくちゃ頭の良いヤツがいてさ、」

突然全然違う話を始めた俺を見て、アッシュはまず理解出来なかったのか呆気にとられた顔を一瞬だけして、それから物凄く眉間に皺を寄せて睨んで来た。

あ、いや、違うからな!

別にお前の話を聞いてないとか、ふざけてるわけじゃないんだ。

――でも、間違えた」

ルークの硬く拳を握っているその手を、両手で包むようにしてそっと掴む。

「自分の研究を優先して尊敬する先生を殺してしまった。それだけじゃない、その先生が死んでもその研究を続けて、たくさんの人が死んだ。二度とその人は戻ってこない――その、『死』で起こる耐え難い悲しみが判らなかった。そいつは何でも出来る……完璧に近い人間だったけど、でも、『死』が理解出来なかったから、ずっと間違えたままだった。間違えてることも判らなかったんだ。

でもいい幼馴染みがいて、必死に止めてくれたんだってさ。自分のやってることが『間違ってる』って気付けて以来、『死』が解らないことがあいつの悩みだった。俺より随分年上だったし難しい本だって読んだり書いたりしてたけど、でも――

難しい顔をしているルークと視線を合わせて、そっと笑う。

「どんな頭のいい人間でも、どんなに完璧に見えても、判らないことがあって、苦しみも悩みもある。そして誰も、他の人のことは判らない。それを口に出さない限りは。言葉にして貰っても、想像するだけしか出来ないことが多いけど、共感することはきっと、出来るだろ?」

な、と声を掛けるけど、ルークは頷くことはなかった。

「言葉で伝えあうことって大切だと思う。今のお前のその思いを外に言葉として、形として出すんだ。子供だからってだけじゃない、今この時間でしか出来ないことだってあるんだ、ルーク」

「……口で言うのは、簡単だ」

ルークの不機嫌な声を聞いて、ああそうだよなあと思う。

アレコレ言われたって、言ってるヤツも所詮、他人だもんな。判るはずがないって思ってるんだろ?

「俺も、最初は言葉にするのがウゼェたりぃって、やらなかった。だけど、後でそのツケが一気に回って来て、一番尊敬してて信頼する人にはいらないって言われるし、周りからもつきあいきれないって見捨てられた。だから俺は、少しでも認めて貰えるようにそれまでの分も頑張らなくちゃいけなかった」

でも失った信用って、なかなか戻らないんだよな。しかも初期値マイナスだしさ。

そう苦笑する。

「でも俺も、幼馴染みとか数少ない俺を信じてくれるヤツが居てくれたから、頑張れた。俺が尊敬してた人にも――届くとは限らないけど、する前から諦めるのは嫌だったから、俺も相当しつこかったっけ」

でも一番しつこかったのは、『アッシュ』にかもしれない。

なによりも彼に認めて貰いたかった。俺の半身で、俺のオリジナル。

でも、最後の最後には『アッシュ』に認めて貰えたし、それに今はここに、俺の目の前に。

ルークが居てくれるから、もう、充分だ。

何がどうなって俺が今、ここにいてもうすぐ消えることになったのかは結局判らないままだったけど、ルークのこと大好きだっていう気持ちでいっぱいになれたから、俺はしあわせだよ。

俺のオリジナルが『アッシュ』で、そしてルークで本当に良かった。

人殺しの大罪を犯しておきながらしあわせだなんて、これ以上ない罪だろうと、何度罪を犯せば気が済むのかと自分を笑う。

「ルーク、誰になんて言われたか判らないけど、俺にとってお前は、生きててくれるだけでいいんだ。俺にはお前が必要で、今の俺の全部だよ」

ルークの傍らから立ち上がって、ルークの顔を覗き込んだ。

「最初にお前に言った通り、俺はお前を守るために生きてる。何があっても、お前だけを守るよ。だから、」

そっと、ルークに向かって右手を伸ばして微笑む。

――屋敷に帰ろう?」

ルークが何度も躊躇った後、ゆっくりと時間を掛けて手を伸ばしてくるのを勢いよく引っ張って、立ち上がらせるついでにルークを抱き寄せた。

背中を軽く何度か叩いて、耳に囁く。

「お前は頑張ってるよ、ルーク」

ルークが俺の服をぎゅ、と強く握ったのが判った。

俺の拙い言葉が届いて少しでもお前の力になるなら、どんなに嬉しいだろうって思うよ。

「…どうやって帰るんだ?」

「とりあえず、カイツール軍港は近い分マズイだろうから、遠回りになるけど国境を一度越えてマルクト側からケセドニアに入る」

「……旅券が要るだろう」

「うん、お前のはこれで何とかなるだろ?」

またため息と共に顔を上げたルークが俺を見るのに、俺は道具袋を探ってそこから上質な紙を折りたたんだものを取り出して、広げて見せる。

金色の縁取りにラムダスの直筆で書かれた、ファブレ家使用人だっていう証明書。証明書には年齢とかそういうのは書いてなくて、ただこの証明書を持ってる人間はファブレ家で身元を保証する、っていう文章がラムダスの名前と日付と一緒に書いてあるだけだ。

使いで外に出た時に使うから、いつも持ってる。

「これは、お前のだろう」

「俺は自分の旅券があるから、そっち使うよ。俺とお前は兄弟で、お前は『ルーク様付きお世話係』ってことでいいだろ?子供だし、変に怪しんだりしないって」

「俺のこの姿はどうする。こんなものでは隠せないぞ?」

そう言って、ルークは自分の体を包む外套を摘んでみせる。

「あー、うん、それだけどさ……」

一度その辺の集落に立ち寄って、染毛剤とか売ってないかなと口にしようとして、木々の間から、まだ遠いけれどカイツール軍港の方から馬車がこちらに向かってくるのが見えた。

辻馬車だったら助かる、と思って見ていれば、どうも小さな隊列を組んでいるように見えた。

ということは、キャラバンか。護衛のクチが余ってないかな、と紛れ込むことを前提に、急いでルークの用意を調えて手を取り歩き出す。

森を抜けて馬車が近くなってくると、幌に書かれた隊商の家紋がはっきりと見える。

その瞬間、俺は跳び上がりそうな程驚いたし同時になんとかなるかも、という希望で喜んだ。

以前傭兵として働いていた時に、一番俺を指名してくれた隊商だったからだ。

俺は道の真ん中で両手を振って、隊商の先頭の馬車を止めて御者に久しぶり!と声を掛ける。

御者の方は思い出せないのか顔を顰めて思いっきり俺を怪しんでたけど、隣りに座ってたおばさんがほらあんた、あの子だよと御者の膝を叩いて俺の名前を呼ぶ。俺がそうそうと頷けば、御者の方もあああ、と大きな声を上げて元気だったか坊主、なんでぇお前ちっともでかくならねぇな、と言って来た。

この御者夫婦には前の時もずいぶんと良くして貰ってたから、話しやすくて助かる。

「ほっとけっつーの!なあなあ、それよりこの馬車ってケセドニアに行く?」

「そうだよ。――あれ、なんだい?そっちは弟かい?」

「うん。可愛いだろ?ルーっていうんだ」

ルークの頭に手を置いて、無理矢理前へと倒してお辞儀をさせる。

髪の色と目の色を抜きにしたら、俺たちはとても似ているから助かった。外套に完全に隠した髪の一筋も落ちないことを目の端で確認して、よかった、と小さく息を吐く。

「俺たちもケセドニアに行きたいんだよ。乗せてくれないか?なんなら護衛もするからさ」

「そりゃ、あんたなら旦那様も歓迎してくれるだろうけどね。やっかい事はごめんだよ」

それを言われるとちょっとキビシイんだけど、――仕方がない。

右手を後頭部にあてて御者夫婦にあはは、と笑って見せてから。

「ルーク、ごめんな」

小声でそう謝ってから、上着のポケットを探って俺の大切なたからものの一つを取り出して。

「これで、いいか?」

差し出した翡翠で飾られた髪留めを見て、御者は上物だと喜んだ。そりゃそうだ。

ルークが俺のために選んでくれた髪留めなんだから、良いに決まってる。

「いいよ、二番目の馬車に乗んな」

「ありがとう!」

御者が上機嫌で後ろを指し示すのに、俺はルークの手を引っ張って足早に馬車に向かう。

これ以上明るいところで俺たち二人の組み合わせの姿を見られるのは、マズイと思ったからだ。

お邪魔します、と声を掛けて先にルークを乗せて、動き出した馬車に慌てて跳び乗る。

二番目の馬車は多分商品だろう荷物が殆どを占めていて、人は二三人程度の一番少ない馬車みたいだった。俺の知ってる人はいなくて、空いていた隅っこに俺の外套を敷いてルークを座らせる。やっぱり長時間は尻が痛くなるんだよな。

そう思いながらさっきから黙ったままのルークをちら、と見る。

ルークは何も言わないけど、怒っただろうなあ。

「…ホントごめんな、せっかくくれたのに」

周りに聞こえないようにまた小さく囁けば、予想と違ってルークは普通に返して来た。

「お前にやったものをどうしようと、お前の勝手だ。それに…」

一度言葉を句切ってルークは自分の伸ばした足先を見ている。視察用の靴は硬くて、靴擦れやマメを作ってないかと心配になる。やっぱり回復魔法を覚えておけば良かった。多分後で川辺で休憩するだろうから、その時確認して手当てしよう。

そう思いながら見詰めていると、ルークはまた、俺の顔を見て。

「俺が足を引っ張ってるんだから、仕方がないことだ。――髪留めくらい、後で幾らでも買ってやる」

一気に言った後、最後の方はちょっと聞き取りにくかったけど、でも顔を逸らしても耳が赤いから、きっと聞き間違いじゃない。

自然と顔が笑ってしまう。

「…馬鹿、それはナタリアに言ってやれよ。でも、ありがとな」

嬉しいよ。そう言って。

揺れる馬車の中で、ルークの体を自分に寄り掛からせた。

かたかたと車輪が音を立てて回り、道が悪ければ車体が跳ねる。

空はどこまでも青くて、雲とその向こうの音符帯や譜石が光を反射したり、その色合いが物凄く綺麗だった。

やっぱり屋敷から見るのとは違う、開放感のようなもので胸が満たされる。

入ってくる風の気持ちよさも、運んでくる陽に照らされた草の匂いも心地良い。

時折空を旋回するのは、鳥型の魔物だろうか。

ぼんやりとそののどかな景色を眺めていたルークが、ぽつりと、無意識のように呟いた。

「……このまま、お前と旅をするのもいいかもな」

「良くねーよ。今度は俺が誘拐犯になるだろ」

それに、お前は屋敷に戻ってすることがあるしな。

俺が、位置的に隣りに座っていたおばさんからリンゴを買って剥きながらそう言えば、ルークは返事があったことに驚いてかびくりと肩を揺らして俺を振り返った。

水筒の水を買った小さなタオルに染み込ませて、お絞りの代わりにしてルークに渡すと大人しく手を拭いてリンゴを食べる。

あのルークが、手づかみ。

その様は本当に色んな街でよく見た子供達と変わらなくて、幼い。

護ってやりたいと思うのは、庇護欲っていうんだったかな。

俺がにやにやしながらルークを見ていると、また外の景色に見入っていたルークが小さく訊いて来る。

「……届いたのか?」

「ん?」

「お前の言葉は相手に伝わって、互いに理解し合えたのか?」

馬車に乗る前の話を言っているんだと気がつくまでに、少し時間が掛かった。

――ああ、最後には二人とも、俺を認めてくれた。すっげーうるさくてうっとうしかっただろうけどな」

苦笑しながら答えれば、ルークはそうか、とだけ答えて両膝を抱える。

きっと今、ルークの中で答えを見つけようと一生懸命なんだ。

急がなくて良いから、答えが見つかると良いな。

「色んなことを片付けて、お前の中の大きなわだかまりが小さくなったら、その時は一緒に旅をしよう」

眉間に皺を寄せた小難しい子供の横顔に、そう声を掛ける。

いつかお前がこころから笑えて、泣けて、しあわせになれるといい。

ルークは外套を脱ぐことは出来ないけど、入ってくる風が気持ちが良いから大丈夫だろう。

そして眩い陽の光の向こうの空と雲のコントラストに目を灼きながら、続けた。

「連れて行きたいところがたくさんあるんだ」

本当は、俺にそんな時間はないけれど。

行ってみたかったよ、お前と。

* * *

「……それは何だ?」

目を覚ましたルークが膝から視線を向けて聞いてくるのに、よく眠れたかと笑って視線を返した。

馬車に乗ってしばらくすると、最初は気を張っていたルークも国境越えが商人たちのおかげですんなりと行ったのもあってか、かたことと音を立てて揺れる馬車の振動につられるように次第に俺に寄り掛かってうとうとし始めたから、その体を横たえた後頭を俺の膝に乗せると、ルークは寝返りを何度か打って深い眠りに就いていった。

やっとルークが休むことが出来て、俺もその寝顔に安心する。

死んだように眠るルークは身動き一つしなくて、俺も最初は剣の手入れとかしてたけど、そのうちすることがなくなったのを見計らったように隣りの紐を編んでいたおばさんが、自分の周りにあった箱をいくつかこっちに微妙にずらして来て、最終的には押しつけて来た。

余った部分を細く切られて色づけされた、数種類の革の紐と、そのままでは価値のない、天然石の小さなかけらみたいなものを組み合わせて、編み紐のアクセサリーを作るんだそうだ。

さすが商人、どんなものでも商品に変える方法を知ってるんだと感心する。

天然石には編み終わった後の革紐が通るくらいの穴が開けられていて、色も様々に揃っていた。

濃い青や蜂蜜みたいに光る石、薄いピンクに淡い紫、紅、緑――

「やり始めたら地味に面白いんだよな。色の組み合わせとか好きなの出来るしさ」

もちろんルークから始まって、ガイとかナタリアとか続いて、ミュウやノエルやピオニー陛下のイメージまで作った後、さて今度は誰にしようかと思ったところで目が覚めたルークに声を掛けられた。

「石は3つ通すのか?」

「ああ…なんか、意味があるんだって。ええと…『あなたの過去・現在・そして未来が輝くように』」

俺が告げた言葉にルークはこころあたりがあったらしく、そうかと頷いた。

こういう時にさすが貴族、と思う。

ルークの教育は俺と違って、最高級のものなんだ。それはもちろん、ルーク自身の努力があるからこそ、身についてるんだろう。

そう思いながら天然石の小さなかけらが入った箱の中を適当に探っていると、ルークが突然声を上げた。

――それ、」

「うん?どれだ?」

思わず箱から手を引くと、ルークが代わりに手を伸ばして他の物より一段と小さい天然石を取り出した。そして俺の手のひらへとそっと置いてくれる。

「これは、お前と同じ名前の石だ」

「ああ…これが、」

金色に輝く棘みたいな物が、無数に透明な水晶の中に散らばっている。

その色の鮮やかさがまるで、ローレライみたいだ。

ルークはこの天然石に詳しいのか、白色光を七色に分解して放つ効果がどの石よりも高いけど、石自体が透明ではないからその効果は現れにくい、とか、だけど大きな原石は滅多に出ないから貴重だとか、人気が高いってことを教えてくれた。

俺がファブレの家で覚えさせられたのは値段は抜きにして手に入り易いものばかりだったから、希少価値が高いこの石のことは知らない。

だからルークの言葉はどれもが興味深くて、もっとと強請ればルークも満更でもないのか、柔らかく笑みながら応えてくれる。

――その名前は、『金色』や『輝き放つ』を意味する」

それに思わず反応したのは、イオンが深く温かい笑顔で言ってくれた言葉を思い出したからだ。

『ルチルという宝石があるんです。その中でもレッドルチルのキャッツアイを貴方にぜひ見て貰いたい。光に当たると表情をきらきらと変えて、本当に美しいんです』

「……そっか、あいつ……」

じわり、と胸の内側から広がる熱さに思わず服の上から胸を押さえる。

嬉しい。

イオンはいつもそうだった。優しくて、温かくて包み込んでくれるみたいな、そんな雰囲気で俺を見ていてくれた。

意味まで判ってて、俺にその宝石を見て欲しいって言ってくれたのかな。

今となっては確かめられないことだけど、きっとそうだという確信がある。

有り難う、イオン。

もう一度会うことが出来るとしたらそれまでに、俺もお前に相応しい宝石を――それが名前になっても良いって言ってくれるようなものを、見つけておきたかった。

でももう、それは叶わないけど。

そっとてのひらの天然石を握って目を閉じる。

俺の大好きだった『イオン』はもうどこにも居ない。

俺が逝くところに、お前はいるのかな。

お前の隣には残りの兄弟と、そして仏頂面のシンクがいるのかな。

そうだといい。

ふと、握りしめた手の上に重みを感じて目を開けると、ルークは顔を逸らしたままで言う。

「…俺の名前は『聖なる焔の光』だから、似ていなくもない」

似てるって言うか、繋がるって言うか、感じるものが近いと俺も思う。

だから笑って頷いた。

「そうだな」

俺の返事に、ルークはそっと触れ合う手の絡む力を強くした。