「ようこそマルクトのエンゲーブへ。到着をお待ちしておりました。ご来訪を歓迎いたします」

丁寧な物腰と言葉遣いでそうルークへと言ったのは、マルクト人らしい肌の色と色素の薄い髪を持った、フリングスと名乗る少将だった。

* * *

ジェイドに促されて乗り込んだのはマルクトの軍艦、タルタロスで、その移動速度は本来エンゲーブまで掛かるはずの時間を大幅に短縮させ、半分どころかそれ以下の日数で到着することが出来た。

その間、ルークはティアと部屋を離されていたが、艦内は機密事項に引っ掛からない程度には自由に過ごすことを許可されていたから、気分転換に見晴らしの良い艦橋まで出れば、そこに長い髪を靡かせて佇むティアの姿があった。

少し寒いくらいの強い風が、ルークの髪も乱れさせる。

ゆっくりと近づくルークの姿に気が付いたのか、ティアは髪を抑えながら遠くを見詰めていた視線をルークに向けた。

「…ごめんなさい」

やはりというか、半ば予想していた通り、開口一番の言葉は謝罪だった。

「マルクトに貴方を利用させてしまうことになってしまって。…本当に、何と言っていいか……」

マルクト軍が、ただの善意で自分たちをこの軍艦へエンゲーブに運んでいないことは明確だ。

どうやら、ルーク自身の身の安全を盾に、マルクトがキムラスカにどういう無理難題を押しつけてくるか、という可能性を薄々察しているらしい。そして、もしそんなことになれば、キムラスカの負担になる訳にはいかないとあっさりとルークが自分の身を危険に曝す方を選ぶことも。

「もし、力になれることがあったら、言って欲しいのだけど」

暗に逃げるなら手伝う、という意味的な発言をするティアに、ルークは僅かに目を瞠る。ルークは多少、この女に対して見る目を変える必要があるようだ。生真面目なだけではないらしい。

――こういう馬鹿は、嫌いじゃない、とルークは苦笑する。

「俺のことより、お前自身のことを考えろ」

ヘタをすれば、ティアはマルクトに口封じをされても可笑しくない。とりあえず今は連れだということにしているが、それもマルクト皇帝の膝元に行けばどうなるか。

マルクト現皇帝は名君だと言われている。今はそれに僅かな望みを置くしかない。

こっちこそ面倒なことに巻き込むことになってしまった。タタル渓谷でさっさと別れておくべきだった、と今更後悔しても遅いが、仕方がない。半分くらいは自業自得と思って覚悟して貰うしかないだろう。

「俺はどこにいようと元々こんな扱いだ。だが、大人しく利用されるのは性に合わん。マルクトが俺を利用しようとするなら、俺も利用するだけだ」

ルークを心配げな面持ちで見詰めてくるティアの視線から逃れるように顔を逸らして、口を開く。

「カーティス大佐」

「なんでしょう」

ルークの声に気配もなくいらえがあって、かつりと軍靴が甲板を叩く音に、ティアが驚いた余り僅かに後退った。

さすがと言うべきか、マルクトの死霊使いはここに居る誰ともレベルが違いすぎるのだろう。誰にもその気配を悟らせない。

この男は自由にして良いといいながら、こうやって気配もなくルークの傍に控えていることが多い。一応護衛をしているのかも知れなかったが、いかんせん、胡散臭いので警戒するに超したことはないと、ルークは思っている。

第一、ルークの記憶が正しいならジェイドは30をとうに過ぎているはずだ。しかし目の前で微笑む男のそれは、どう見てもそうは思えない。そこからして胡散臭いのだ。この男ならば譜術で己の体内時間を弄ることも出来そうで。

――フォミクリーという技術を生み出した、稀代の天才。

この男には訊きたいことが幾つかあったが、わざとなのかそういう雰囲気を作らせない。だが、観察されている。ルークはジェイドの視線をそう感じていた。

「本来の任務とやらは何だ?」

ジェイドの視線にうんざりしたため息を吐きながらそう問えば、ジェイドは笑みをおさめてふむ、と一度頷くような素振りをした。恐らく機密事項に触れるかどうかの判断が行われたのだろう、次の瞬間には口を開く。

「カイツールの砦付近にある、アクゼリュスという鉱山都市で地震が頻発していて、現在マルクト側からは交通不能になっています。その整備指揮をカイツールで行っている最中、数日前から物資の補給などの関係でタルタロスごと、ケセドニアで待機していました。

そこで第七音素反応をタタル渓谷で感知、調査をするべく別個に任務に当たっていたのですが…」

なるほど、盗賊の目撃通報はケセドニアにあったのだろう。到着が早いはずだ。

だが、ルーク達をエンゲーブに運ぶ往復の日数分、アクゼリュスの方での作業に支障が出ているかも知れない。

全く、こんな時は自分の身分が面倒だ。

自分のことなど放っておいて任務を優先してくれ、と思うが、実際放置されたとしてそれをキムラスカ側が知った時、『なんと無礼な』などと貴族や大臣が過剰反応するかと思うと、そしてそれがうっかり開戦の切っ掛けにでもなるかと思うと、馬鹿馬鹿しいことに貴族らしい扱いを甘受しておくべきなのだ。

世界はいつもどこか間違っている。

「…アクゼリュスの民達が、不便な思いなどしていないといいが」

ルークは自分の中の苛立ちを上手く押さえ込んで、ただそれだけを口にしてジェイドに視線を向ける。

すると珍しいことに、ジェイドは普通の――本当に、自然な笑みでこちらを見ていて、

――マルクト国民へのお心遣い、恐れ入ります」

低く静かに響く声音でそう、言った。

* * *

「キムラスカで秘蔵とされている、次期キムラスカ国王に直接こうしてお会い出来て光栄です」

ご高名はかねがね、とその人柄を思わせる微笑みを持って、フリングスがそう告げるのに、複雑な心境になった。

秘蔵も何も、ただ監禁されているだけだ。その《ご高名》とやらもどういうものか疑わしいが、その辺りを深く追求する気はない。

「…このような入国になって、申し訳ないと思っている。けして貴国を脅かす目的ではないことをご理解頂ければ有り難い」

「それはもちろん、こうして目の前にしたルーク殿のお人柄で判ります」

どうぞと勧められて、人払いがされた部屋の中央にあるテーブルに備えられた椅子に腰掛ける。エンゲーブの代表者の家だそうだが、今は臨時にマルクト軍が在駐しているらしい。だがぱっと見村の中に兵士の姿はなく、物々しい雰囲気でもない。今も扉の横にジェイドが控えているだけだ。

人柄も何も、こう丸腰に近い状態では、疑う所などないだろう。一歩間違えれば厭味だが、それこそフリングスという人物の人柄なのか、不快感を感じない。

常に左手を、腰のレイピアの柄に当てているところも。

穏やかなだけではなく、要所要所できっちりとしている。こういう男が上に立つのは感心するな、と改めてルークはフリングスを見詰めた。

「キムラスカへの連絡は、首都グランコクマよりバチカル、ケセドニアのキムラスカ領事館と共に完了しています。本来ならグランコクマからケセドニアへ直接お送りしたいところなのですが、今の季節ケセドニア方面への海が荒れており、不可能です」

そこでフリングスは言葉を切って、少し間を開ける。

ルークが促すために首を傾げれば、僅かに躊躇した後続けた。

「……我が皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト9世からの伝言と致しましては、ぜひ海が落ち着くまでとは言わず好きなだけグランコクマにご滞在なさって、観光など楽しんで頂くと共に意見交換などしたいとの仰せですが…」

それは捕虜だろう、どう考えても。

「…………」

ルークが呆れ顔で無言を貫いていると、フリングスも困ったように眉を下げて苦笑する。

「よろしければ、バチカルにお送りします際に、私の任務にお力をお貸し頂けましたら光栄に存じますが、如何でしょうか」

捕虜になる訳にはいかない。それならば、目の前の選択肢を選ぶしかないのだろう。いや、こういうものを選ぶとは言わないか、と自嘲する。

だが、とルークは眉間に皺を寄せて考え込む。

取引は、互いが相応しい材料を持っていてこそ、成り立つ。

ルークは一つため息を吐いて、口を開いた。

「……先に言っておくが、俺はキムラスカで何も権限がない。王女とは従兄弟という繋がりゆえ親しくさせて頂いているが、俺の話を鵜呑みにされるような方ではない」

何かを期待されても困る。政治的にならば本当に自分には、この名前しかないのだから。

――ルークが単独で、超振動を使えるのだと知られなければ。

「その、――

「フリングス少将、ジェイド、盗難の件ですが――あ、」

フリングスが本題に入ろうとした瞬間、かちゃりと音を立てて扉が開き、少年が姿を現した。

白い法衣に身を包み、緑色の髪に上等な髪飾りを付けている。

「すみません…僕、お邪魔をしたみたいで……」

来客が居るとは思っていなかったのだろう、少年は動きを止めて目を見開いている。

「…とりあえず、今日の所は長旅でお疲れでしょうからルーク様には宿で休んで頂いて、明日改めて我々の話を聞いて頂き、それから判断して頂くのは如何でしょう」

「そうですね」

くすり、とジェイドが笑うのに、フリングスも合わせて頷いた。

フリングスが自分の部下とも言えるジェイドに対しても丁寧な物腰で対応しているのを訝しめば、ルークの視線にフリングスが気付いたのかやんわりと笑う。

「私は、ジェイド大佐のお人柄を個人的に尊敬しておりますので」

……アレを?

思い切り顔に出ていたのかフリングスは再び困ったように眉を下げたし、ジェイドはやけににっこりと笑って見せた。

――目は笑ってなかった。

* * *

茜射すエンゲーブの村を、ぐるりと巡る。

宿屋は代表者の家を出た向かいにあったが、ルークはそのまま足を運ばなかった。

キムラスカの人間がマルクトに視察に来ることは難しい。折角農作物や家畜の輸出で名高いエンゲーブに滞在しているのだ、その様を直に見て可能ならナタリアに報告するのも良いだろう。

途中髪の色と似て居るだとかの理由で、非常に勧められて林檎を一つ買う羽目になったが、エンゲーブはとてものどかな村だった。

農村らしいざわめきと、子供のはしゃぐ声と、家畜の鳴き声、そしてこの時間ならどこの家からも漂う夕餉の匂い。どこか懐かしいような感覚に包まれ、どこだと考えてああ、と思い至る。

あの、商人の馬車に紛れ込んで生活していた時、夜の馬車自体の休憩時間になるとこうして賑わいに溢れていた、あの夕餉の時間を思い出しているのだ。そこでは『彼』がいつも、眠る時すら隣にいて――

――待って下さい!」

少年特有の高い声が背後からしてルークが橋のたもとで振り返ると、走って追い掛けて来たのだろうか、先程の緑の髪をした少年が息を切らして近づいてくる。

「……あなたは……」

そこで詰まった少年は胸を押さえて息を整えると、もう一度、にこやかな笑みと共に、ルークに話し掛けた。

「あの、あなたはルーク、ルーク・フォン・ファブレ殿…ですね?」

「…どうして、俺を知っている」

警戒心から声が僅かに低くなる。

すると微笑みは苦笑に代わり、けれど少年は怯むことなく更に言葉を続けた。

「不躾にすみません。僕はダアトの導師、イオンと申します。…ヴァンにいつもあなたのことを聞いていましたから、先程お見かけしただけですぐに気が付いて…驚きました。つい見知った友人のように馴れ馴れしくしてしまって、申し訳ありません」

「導師、イオン…!?」

ダアトの導師が年若いのは知っていたが、実際に見てまだこんな少年だとは思っていなかった。記憶で数字を認識するのと、こうやって実際に目にするのでは、やはり全然違う。

しかし、ヴァンが導師であるイオンに、何を言っていたのだろう。余計なことなど口にはしていないだろうが、気になる。

「あの、気を悪くされましたか?」

「いや、構わない…」

思考に気を取られていて、答えた口調にはっと我に返る。

ダアトの導師といえば、国王も同じ。イオンが敬語で話してくるものだから、つい気が緩んでしまった。

しまった、と慌てて訂正しようとするが、イオンが手を挙げてそれを止める。

「あの、どうか、僕のことはイオンと呼んで下さい、ルーク殿」

さすがにそれは出来ないだろうと思うが、ルークを見詰めてくるイオンの視線に、何故だか逆らえずに言葉が詰まる。

「…では、俺もルークと」

イオンの様子に押されるように、そうルークの口からするりと言葉が出た。

イオンの申し出は変だが、この少年相手に警戒心というものは必要ないとルークは直感的に理解していて、それにこの少年にならば別に親しげにされても不快にはならないと思う。

だから、自分の発した言葉には驚いたが、撤回する気は起きなかった。

ルークの返事に、イオンは破顔する。

「はい、ルーク!」

どうしてこうも嬉しそうに笑うのかがルークには判らなかったが、ああきっと、と頭の隅で思う。

――こんな風に、無防備に笑う人間に自分は弱いのだ。