何故気絶から意識が戻った瞬間というものは、耐え難い痛みに襲われるのか。
頭が割れるかと思うほどの激痛に思わず呻いて頭を抱える。命があるのは何よりのことだったが、あの女一体どれだけ力を込めて殴ったのか。陥没してるんじゃないか、とさすがに不安になるほどの痛みだった。
「おや、意識が戻りましたか」
「ルーク、大丈夫? 待って、今治療するから――」
恐らく同じ思いをしたティアがすぐに治癒術を掛けてくれるのを、素直に有り難いと思う。
徐々に引いていく痛みに、安堵から深く息を吐いた。
とても懐かしい夢を見ていた。
あの後はどうなったんだったか。――ああ、そうだ。結局最後まで作るのを付き合わされて、ルークの初めての手作りだから奥様にも、と持って行こうとする『彼』を必死で止めて、結局ガイと三人で片付けたんだった。その数日後ナタリアが…――これ以上は止めておこう。芋蔓式に、固く蓋をして封印していた非常に恐ろしいことを思い出してしまった。
もう一度、深く息を吐く。右手で額を支えた。
出会えた。
生きていた。
嬉しさで胸が痛む。何故こんなところで出会えたのかは判らない。訊きたいことも言いたいこともあった。そのどれも叶わなかったけれど、姿を見ただけでこんな気持ちになる。そう、『彼』の言葉を借りるならば。
――生きててくれるのなら、今はそれでいい。
上着の上に左手の指を這わし、胸元を探ってそこにある感触に安堵の息を漏らした。
「どうかしら? まだ痛むのならもう一度詠唱するけれど」
「……いや、大丈夫だ。すまない、助かった」
顔を手で覆うルークにティアが問い掛ける、それに頷いて返すと、痛みが引いたお陰でようやく周りのことが目に入って来た。
意識が戻った直後、痛みで悶絶していた中もう一人の声を聞いた気がしたのだ。
狭い船室をぐるりと見渡すまでもなく。
「……なんで、お前まで捕まってるんだ……」
もう随分と見慣れた顔である、ジェイドの胡散臭げな笑みを見つけて思わずため息を吐く。
「私もはなはだ不本意ですが、仕方がありません。六神将にアンチフォンスロットを掛けられてしまいましたので」
「――は…!?」
不本意と言いながら、その飄々とした態度に変わりがないように見えるのは気の所為じゃないだろう。
「勿論相手を殺そうとしたのですが、槍で胸を貫いたもののやはりアンチフォンスロットが邪魔をして、力が入り切りませんでした。あれは恐らく死んではいないでしょうねえ。実に残念なことです」
いやー全く、と本当に実に残念そうな顔をして言う。残念なことなんだろうとは思う。だけど声音が、雰囲気が、そしてこの場ではルークしか知らないだろう直前の言動がそれを裏切っている。――判ってた、だろうに!
アンチフォンスロットを用意された場合、それが自分に向けて使われることが判っていただろうに。だからこそ、自分一人だけでその相手をしに行ったんじゃないのか。それが何故、敢えてアンチフォンスロットを受けているのか。今のこの状況を唯一打破出来るはずの人物が。
そう思うけれど。
「ご心配なさらず。戦闘は可能です。ただ、以前のように高度な譜術は唱えられませんが」
にこやかに告げる顔に、そうだな、と脱力しながらしみじみ思う。
そう、絶対的に不利なこの状況において、何故か不安というものが訪れないのは、理由は全く判らないがこの男の雰囲気が不釣り合いなほど、穏やかだからだ。
それに、アンチフォンスロットという枷があったとしても、よりにもよって六神将を瀕死に追い込むのなら、自己申告の通り戦闘に関してだけは問題ないのだろう。つくづくこの男は恐ろしい。ただ体力も落ちるというから、そこは考慮すべきだ、とルークは判断する。
それに、ルークとティアの二人より、三人の方がこの場合脱出する確率も上がるだろうし、そう考えればジェイドが捕まっていてくれて良かった、という気もしてくるから、色々と腹立たしいものの本当にこの男の存在は不思議だった。
「それで、アンチフォンスロットを解くあてはあるのか?」
「まあ、自力でなんとかなるでしょう」
なるのか。普通はならないが。
ルークの問いに、ジェイドはけろりとした表情で答える。
まあいい、本人が言うのだからそうなんだろう。手伝ってやれることなどないし、ルークとしては今、他人のことまで心配している余裕が正直、なかった。
まだ、冷静になりきれない自分が居る。
さてどうするか、と考えながら乱れた髪を掻き上げたところで、今更気が付いた。
気を失っている間にタルタロスの機能が復活したらしく、どこかへと走行しているのが振動で伝わってくる。
そういえば、厭味の一つでも言われることを覚悟していたが、ジェイドから特になにも言われないのが不思議だった。
そう思い、視線をジェイドに向ければふ、とレンズの向こう、目を細めて珍しい感じに微笑まれる。笑うだけでやはりなにも言わない。なにも知らないティアが居るからか。
そのティアが、おずおずとジェイドに声を掛ける。
「あの…カーティス大佐、イオン様達はどうなったか、ご存知ですか?」
「――神託の盾の兵士達の話を聞いたところでは、イオン様は今タルタロスにはいないようです。ですが戻ってくるようですよ」
ジェイドの言葉にそう言えば、とルークも問い掛けた。
「フリングス少将はどうなった?」
ルークが無茶をした所為で、随分と迷惑を掛けただろう。そのことが悔やまれる。彼ほどの人物が殺されるとは思わなかったが、もしや自分たちと同じように、捕まってはいないだろうか。そうだとしたら本当に申し訳ない。
ジェイドはルークの問いに、何故か窓の向こうへと視線を向ける。
「彼はイオン様を守ろうとした導師守護役のアニスと共に、タルタロスから強制的に降ろされたようですね」
「強制的に降ろされる…?」
「ええまあ、普通の人間は難しいんじゃないですか、」
あそこから落とされて、生きてるのは。
のんびりとしたジェイドの呟きに、ルークもティアも咄嗟に顔色を無くす。
一体なにが、とジェイドに詰め寄ろうとしたところで、かつり、と廊下から誰かが姿を現した。
それはとても小さな、そして気弱そうな少女だった。まるで果物のような鮮やかな色の髪をしている。片手には何故か、連なったぬいぐるみ。
「お前達、逃がしてあげる、です」
前置きもなにもなく、その少女はそう、告げた。感情の起伏もない口調で淡々と、しかしたどたどしく。
「よろしいのですか?」
ぱちり、と無表情で瞬いたジェイドが間をおかず問う。そろそろルークも何となく理解してきたが、この男は会話を成立させながら、同時に頭の中で論理的な思考が展開出来る。その最中は表情が疎かになるのだ。器用なこの男でも表情に関してはお留守になるらしい。
「よろしくない、です。……けど、」
視線を合わせようとしない少女が一度だけ、ちら、とジェイドの顔を見て、また床へと視線を落とす。
「あの人が、お前をアリエッタのヴァン、だって、言うから…とくべつ、です。ラルゴは動けない…し、リグレットは今いない、から。見逃してやる、です」
アリエッタのヴァン?
その響きにルークは思わず眉間に皺が寄る。何だか不健全な雰囲気を感じたような気がするのは、深読みしすぎか。ちら、と隣を見るとティアも少し複雑そうな顔をしている。とりあえず今は考えないでおく。
ジェイドは考えることを止めたのか、にこりといつもの笑みを少女に向けた。
「それはそれは。有り難うございます」
こくり、と頷いた少女はジェイドに逃亡ルートを短く、言葉少なに説明した後、ルークへと向き直った。
――何だ?
引き摺っていたぬいぐるみをぎゅ、と強く抱きしめる。その表情は意を決したような、敵を前にしたような必死さがあり、睨み付けるようにルークを見上げていたものの、徐々にじわりじわりと少女の瞳に水の膜が張られていくのに、驚く。
よく判らないが、何だか泣かせているらしい。慌てて口を開こうとしたその時、
「お前…お前なんか、」
少女が震える声を叱咤するように更にぬいぐるみを強く抱きしめて、声を張り上げる。勢いで閉じたまぶたから涙が散った。
「死んじゃえ!」
それだけ叫ぶと、彼女はわあわあ泣きながら、廊下の向こうへ走って消えていく。
言い逃げをされたルークは、彼らしくなくぽかんと彼女を見送るしか出来なかった。
ルークは悪意に慣れている。環境や境遇的に肉体より精神の方にネチネチと攻撃されることが多く、ルークは子供の早い段階ですでに、厭味などの悪意をさらりと流す術を身につけていた。ルークの家柄や、立場的に妬まれるのは幼心に判っていたし、そういうものは反応する方がつけあがるものだし、何よりいわれのないことだったから。それに、そんなものではルークの精神に傷どころか、滴一つの汚れももたらしはしない。
けれどこんな場所で突然、「死んじゃえ!」などと言われるとは思ってなかったルークは、油断していた分衝撃が強すぎた。
初対面で、遠回しな言い方ではなくストレートにぶつけられた言葉。
しかも彼女は本気だった。理由は分からないが、間違いなく本気でルークの家でも立場でもなく、ルーク自身を憎んでいるようだった。
おそらく、はじめて。
――ルークは、個人的に受ける憎しみに衝撃を受け、純粋に混乱していた。
別に、出会った人間全てに好かれようとは考えてもいない。
しかしどう考えても初対面の少女に「死んじゃえ!」と言われるこころあたりもなければ、表面上はともかく平然と流すことも、正直難しい。
ガイが復讐するべく、ルークを含むファブレ一族を狙っていることは知っている。けれどそれは一族全体に対する恨みであって、ルーク個人に対するものではやはりない。(ガイのルーク個人に対する感情が、復讐という動機に上乗せされることはあるだろうけれど)
ごく最近、似たような憎しみの感情を受けたことを思い出す。けれどあれも、ルーク個人と言うよりは、オリジナル、という存在に対して口にしていたように感じた。
涙を溜めた目で「死ね」と言われるというのは、瞬間的に腹が立つというよりも、何故、という驚愕が先に立つんだな、と混乱した頭で思う。
ティアもルークと同じように驚いていたが、言われた本人ほどの衝撃はなく、はっと我に返って気遣わしげにそっと、動きの固まったルークに声を掛けようとする、が。
「おやぁ、初対面でものすごーく熱烈な告白をされましたねえ、ルーク様」
マルクト帝国軍第三師団所属のジェイド・カーティス大佐が、ルークのこころを更に抉った。