逢えたことがただ嬉しいと、『彼』はその朗らかな表情で伝えてくる。

そんな顔をするくらいに。逢いたいと思われるようなことがあるだろうか、と考えて、ルークは考えるまでもないと僅かに苦笑した。

そういう存在など母とナタリア以外に、居るはずもない。

「俺のオリジナルは誘拐されたまま、ヴァン師匠にダアトの、神託の兵本部に連れられて、そこで七年掛けて六神将のひとり、『鮮血のアッシュ』になった」

たった独りでホント凄いよな、と言う『彼』には悪いが、その環境は最悪過ぎる、とルークは思う。

七年間掛けて、――洗脳、されただけだ。恐らくレプリカである『彼』を憎むことすらも、ヴァンが仕向けたことだろう。ああ、それに。

『世界を開け。お前は選ばれた人間、お前はもっと大きなことが出来る。賢いお前はいつかきっと気付くだろう。いかに周囲は身勝手で、愚かな存在なのか。お前が必要だと口を揃えて言うだろうが、さてそれは本当にお前自身のことか、それとも《ルーク・フォン・ファブレ》という名前だけに集まったものなのか』

さあ、どちらだと思う。本当に、お前が必要とされているのか。その名前がお前のものでなければ、お前は本当に、キムラスカに、父親に必要とされたのか?

私は違う、と彼の男は慈愛に満ちた瞳で見詰めて、言う。他の誰とも違う、自分だけはルークを必要としていると、あの男は言う。

幼い頃、ずっと繰り返されていたヴァンの言葉。

それを、『アッシュ』が、あの戯言を信じて成長したとしたら。その想像に、ぞわ、と背筋に悪寒が走るのをルークは拳を固く握りしめ、爪が刺さる痛みに換えて耐える。

もしかしたら、自分も『そう』なっていたかも知れない。誘拐された時に散々聞かされた数々の不審や不安を煽るあの言葉だけを信じ込んで、父など、キムラスカなど自分には関係ないと、そう投げ遣りになり鬱屈した感情のみをただひたすらに溜め込んでいく、限りなく病んだその狭い世界。――そんなのは、狂気の沙汰だ。

『ルーク・フォン・ファブレ』という、ひとりの存在、いのち、そういうものの全ては彼の男のてのひらの上だとでも言って、弄ぶつもりか。その権利が、ヴァンにはあるとでも?

誰にも、そんな権利などありはしない。腹が立つ以前に気持ちが悪くなるその傲慢さが、ルークに畏れを抱かせる。一体、なにがしたい。

――一体、何を望むのだ、ヴァンという男は。

「…ヴァンに利用されていたのは、俺も、ということか……」

「でも、『アッシュ』は気付いたよ。俺と違って」

ルークが不愉快さが滲む声をこころの奥、深い傷から絞り出す、それを打ち消すかのように『彼』は言う。

同じ声のはずなのに、けれどルークには全く違うように聞こえるその声は伸びやかでいて、鮮明な響きでこころに満ちた陰鬱さや迷いだとかを突き抜けて届く。こころの奥、なるべく直視したくないと思う傷を癒すようなあたたかさで。

「気付いて、味方もいないままたった独りでヴァン師匠に立ち向かって。何度も殺そうとしたけど、結局何度も俺を導いてくれた。――まあ、ナタリアが一緒にいたからだと思うけどさ」

『彼』はそうして、ヴァンに向けるのとはまた別の彩を纏って、懐かしそうに苦笑する。

ナタリアの名前が出れば、ルーク自身もレプリカを憎んでいたという『アッシュ』の行動に頷けた。

どれだけ自分からキムラスカという国を切り離しても、けして彼女だけは、ナタリアだけは喪う訳にはいかない。その考えは騎士としてのルークの身に、染みついている。

彼女は自分にとって掛け替えのない大切な従姉妹であると同時に、キムラスカの聡明なる光だ。いかにルークがキムラスカの貴色を纏いその血筋に連なっていても、名実ともに『王女』である彼女をなにがあろうといかなる理由でもけして、喪うことがあってはならない。キムラスカの至宝。ほかの誰にも容易く出来ない、いつかキムラスカの王となる存在をその身に宿し産む、この上なく大切な、女性。それが彼女。

「…『アッシュ』はいつだって俺を殺せるのに、絶対殺さなかった。俺のこと心底嫌ってたし、殺したくて仕方なかっただろうにな」

命の重みを知ってる、優しくて厳しくて強い、両親とナタリア想いの俺の自慢のオリジナルだよ。

そうしてふうわりと微笑む誰よりも強いはずの『彼』を、どこか母に向けるものとはまた別の、儚い、すぐ消えてしまう雪のようなものに感じてしまうのは、ルーク自身の記憶がそうさせるのだろうか。消えてしまう寸前だった、あの時の。それとも今まで記憶の中でしか存在しなかった、その不確かさからか。

何度も思い出した、最後に別れたあの時の印象ばかりが強烈に、残っている。

『彼』は微笑んだまま、だから、とあの頃と同じ柔らかさで言葉を続けた。幼いルークに聞かせた時と同じ、温度で。

「だから、お前もそうなんじゃないかって、俺は思うよ。本当は誰も傷つけたくないのに、でも何かを守る為ならお前が泥を被っても傷ついても構わないとそう、覚悟を極めてる」

他でもない、お前が一番傷つき易いのに、躊躇わないんだよな。

澄み渡った翠の瞳が気遣うようにルークを見詰めてくる、その眼差しから伝わるものがある。随分と久しぶりに感じる、幼い頃は毎日受けていた懐かしい、それ。自分を犠牲にするのはお前の方だろうと思いながら、ルークの中を満たすのは、ただ純粋な歓喜だ。

喜びの大きさに、これに飢えていたのだと、思い知る。

「屋敷でお前に会ったらさ、絶対『アッシュ』にしちゃいけないって、――ルークを《預言》通りにさせたくないって思って。お前を守ろうって決めたんだよ」

手を伸ばしてそっと、『彼』はルークの髪に触れる。晒された額を、黒いグローブ越しのてのひらで撫ぜていく。あの頃と同じ仕草を朝陽の所為じゃなく、眩しいと思う。まっすぐに、『彼』を見るのに目の奥が熱持ってじわりと潤もうとするのは、その所為だろう。

けれど。

「俺は、お前を守るために生きてるよ。お前が独りじゃ大変だって思うことを手伝う為に、――そのために生まれたんだ」

その言葉は、まるで。

まるで、ルークこそが未来を変えるその役目を担っているかのように、『彼』は言う。

確かに、ヴァンの企みを阻止することが未来を変えることなら、ルークとてやぶさかではない。超振動を使うようなことは滅多にないどころか、使ってしまえば世界大戦で済むはずがなくこの世界が滅びてしまうだろう。けれどそれでもこの超振動という力が必要になるなら、忌んできた己の力を使うことになろうと、躊躇いはない。『彼』の不安定な超振動では、被害を最小限に抑えるという点に置いて、少しばかり心許ないと思うから。

しかし、『彼』の言葉は、どこか。

ヴァンという存在だけではない、別のなにか、とてつもなく大きな逆らいようのない奔流のようななにかを思わせる。強大なそれを感じて、ルークの胸が自然と重く息苦しく、なる。……ああ。

――ああ、これが、『未来』と呼ばれるものか。

それとも、《預言》とでも?

思考すらも鈍くなった頭がくらりと目眩を起こすのを、額に手を当ててしのぐ。次第に手は落ちて、口を覆う。

こんなもの、形のないなにかを相手に、『彼』は立ち向かうというのか。いや、立ち向かったのだ。ルークの目の前に現れた、あの日から。そして、『彼』と共にヴァンの企みを阻止したいと思うのなら、ルークも立ち向かうしかない。

――…『未来』でお前は、ヴァンはいったい、なにをした?」

変えたいと願うほどの。どんな選択をしてしまったのか。未来というどうやっても逆らうことの出来ないはずの大きな力に対して、その選択を独りの人間がした、その影響と意味は。

口を押さえてくぐもった声で問うルークに、『彼』は一度瞼を伏せた。言葉を探すように、ひとつの呼吸に間だけ。そして再びその翠の瞳をルークに向けた時には、偽りも虚飾もない、ただ強い意志を持って透明な彩(ひか)りが見詰め返す。

――そこで俺は、」

一度、言葉を句切って、『彼』は視線を落とし乾いた唇を舐めて僅かに濡らす。そうしてもう一度、同じ顔のはずなのに、ルークよりも些か大きいと感じるその瞳で、じっとルークを、見る。見て、言う。

「超振動で、一つの街を滅ぼして、一万のレプリカを殺した。オリジナルの居場所と名前を奪うだけじゃない、人を、俺と同じイキモノを殺して英雄と言われた」

一万もの。

それだけのレプリカが誕生していたことにも驚く。それだけの数のレプリカは、一体なんの為に誕生させられたのか。それにどこでどうやってそれほどのレプリカ情報を得たのか。そう考えて、ため息を吐く。疑問の答えは既に出ている。考えるまでもない。嫌悪しながらそれでもレプリカを作りたがるのは、あの男しか居ない。――ヴァン、しか。

恐らく企ての一つなのだろう。レプリカが大量に世界に溢れたとして、起こるのは混乱、次に暴動か。まず直面するのは食糧危機だ。突然世界の人口が、膨れるのなら。…バチカルでは水も不足しやすい分、そこでオリジナルとレプリカが衝突し、小さな小競り合いから大きな諍いへと発展していくことも予想出来る。

世界を混乱させて、なにがしたい。民たちを制御することが叶わなくなった国は確かに、斃れやすいが。それでもあの男の目的はそこではないように、思える。

ああ、そんなことはどうでもよくて。

今、考えるべきはそのことではなくて。

『彼』は兵器に、なってしまったのだ。

こことは違う、世界で。世界で唯一の兵器と言われ、化け物と誹られた、そのままに。

力を振るってしまったのだ。

――ヴァンの手によって、『彼』は都合の良い愚かな兵器として、育て上げられてしまった。

言葉に含まれる切ない哀しみの響きに、ルークはただ黙って、見詰め返すことしかできない。お前の所為ではないと、言えたら良かった。けれどそれは、慰めにはならないのだ、けして。それは唯一この二人だけが、理解出来ること。

力を持つものは、傲ってはならない。誰の言葉にも耳を貸してはいけない。それが世界を滅ぼすほどの力であるなら、なおさら。その力を振るう、その瞬間は見極めねばならないし、使わずに済むのなら一生使わずに済む方法を選ぶ必要がある。使った瞬間に、もう生き物ではない。兵器になるのだ。

だから誰よりも賢くなくてはならないし、強くなければならないし、臆病で在らねばならない。それが出来なければ、どんな理由があっても、なにがあっても、許すことは出来ないのだ。他の誰でもない、己自身が。

そうして気付く。『彼』はヒトとしてではなく兵器として扱われたからこそ、誰よりも強くなった。理想を正しく抱えて。

ああそうだ、『彼』は言ったじゃないか。

殺さずに済むならそれでいいと、まるで弱い、臆病者のように。誰も傷つけたくない、誰の命も失いたくないと、とても優しい願いをよく口にした。

優しいから、誰よりも強くなろうとした。愚かであることを棄てる為に努力して、『彼』は今、ルークの目の前に居る『彼』になった。

「この世界を変え未然に防ぐことで、その償いをするつもりか」

「今でもずっと、探してる。――たとえこの時間でその街を滅ぼさなかったとしても、俺が一度滅ぼしたその事実と結果が、記憶が、俺の中で消えたりしないのは、判ってるんだけどな」

結局、一度やったことにつぐないなんて本当は、出来ないのかも知れない。

顔を僅かに俯けて目を伏せ寂しそうに呟くけれど、それでもはっきりと首を振る。

「でも、俺に出来ることなら何でもしたいんだよ。自己満足だってなんだっていいんだ。誰かの、ためになるならなんだって、さ」

そうして笑う『彼』の表情は、やはり淡くはかない。それにまた、嫌な予感のようなものが過ぎる。完全同位体というものはやはりどこか、切っても切れないなにかの繋がりを持っているのかも知れない。

――それで、お前はその世界で、」

最も信頼していたはずのヴァンに裏切られ、オリジナルからも憎まれ、そしておそらくは。

自分の犯した罪に囚われながら、けれどもヴァンの企みを阻止する為に動いて、――それから?

大量に与えられた情報の中から、『彼』が言った言葉を思い出す。

――時間だけを遡った幽霊みたいなものだったんじゃないかって』

「消えたよ。――死んだ、はずだ」

予想を違いもしない声には、哀しみはない。なにかの物語の最後を語るかのような淡々とした声で、『彼』は告げる。

誰も、その瞬間のことは曖昧で判らないものではないかと、ルークは思う。もし、その瞬間を識っている人間が他に居るとするなら、恐怖に脅え取り乱してしまうだろう。とても平静ではいられない。しかし、『彼』は少しもそんな素振りを見せず、静かな口調で言う。

まるで、死ぬ頃にはその覚悟を極めていたかのように。

「…死んだのか」

「あー…うん。死んだんだ、俺」

ヴァンと差し違えでもしたのか。『彼』は唯一、ヴァンと互角に戦える存在だと思っているから、負けることなどないと信じているけれど。

見詰める視線の先で、『彼』が今までの表情を崩す。

「えーっと…ちょっと大変なことがあって、それで超振動の使いすぎで」

へらりと笑う気の抜けるようなその表情に、ルークは思わず声を上げた。

「笑う所じゃないだろうが!」

「はは…だって実感ねぇよ。今は生きてここに居るしさ」

そう告げて彼は、左手で自分の胸を押さえた。その役目を忠実に果たしているその心臓の上。とくとくと脈打つ、あつい場所。その体の活動を支えているのがルークの情報だということに、今になってなにか、胸に迫るような感情を覚える。

消えた『彼』を今生かしているのは、間違いなく自分だと言うこと。自分だけが出来る、こと。

それはルークのこころに、多大な優越の感情をもたらす。自分が、どうしようもなく『彼』の特別であるというその事実に対して。

「気になるところとか詳しい話は、ジェイドに聞いてくれよ。ジェイドの方がもっときちんと説明してくれるだろうし。俺も一段落したらキムラスカに行くから、その時もし何か訊きたいことがあるなら、俺でいいなら説明するよ。頭悪いから要領良くないけどさ」

そう苦笑した後『彼』は、簡易な椅子から立ち上がって背伸びをしたまま、ルークを振り返った。砂漠の太陽は既にじりじりと空気を焼き始めている。

「さてと、じゃあルーク。ディストが戻ってくるまで軽く食後の運動でもするか?」

お前小さい頃、俺と訓練したがってただろ?

昔のことを覚えていた、願ってもない『彼』の言葉に、覚えていてくれたのか、と思えば素直に嬉しい。僅かに笑んで頷き返したルークも立ち上がった。

「それで、どれくらい強くなったんだ? この旅の間も訓練欠かさなかったって、ジェイドに聞いたけど」

『彼』はそう言いながら背伸びから降ろした腕を伸ばし、突然ルークの腹筋に服の上からぺたりと触れる。

「お、かったいなー。よしよし、立派立派」

「……なにがしたい」

「うん? いや、俺さあ、ガイにはったり筋肉って言われてたんだよなー、前の時間で」

さすがルーク、ちゃんと鍛えてるなあ、とあちこちぺたぺたと無遠慮に触って来る『彼』の手に、我慢が出来ずに顔を赤くしたルークが声を上げるのは後数秒。

場所を移動したルークはそこで、『彼』が腰の剣を抜こうしないまま、体を軽く解しているのに首を傾げた。その視線に気付いた『彼』が、ああ、と頷く。

「俺今、体術使ってんだ」

「お前、体術出来たのか?」

何故、と告げようとした瞬間、ヴァンが怪しむからか、と思い至って納得する。『彼』はランバルディア剣術を識らないのか、アルバート流しか使わない。だからだろう。恐らく、ヴァン自身はレプリカ相手にアルバート流を教えたりはしないだろうし。

だが別の技術を一から身につけるのは、かなり苦難を伴うはずだ。それとも体術も『彼』には合ったのか。『彼』が出来るのなら、ルークもまた相性が良いだろうが、そこまで器用なことは出来そうにない。『彼』は戦闘に関してだけは、本当に器用だ。

「ジェイドが連れてってくれたグランコクマで、三人目の親代わりのひとに叩き込まれたんだよ。ヒマだとかで一番構ってくれたのもそのひとだったけど、ブウサギの飼育も叩き込まれてさ」

いい大人なのに、隠れんぼとかもすっげうまいんだよ。

『彼』はその人物を思い出して破顔する。それを面白くないと思うのは、ルークのこころの狭い証だろうか。つい返す言葉も低くなる。

「…どういう大人だ」

「ははっ、すっげー人だよ。それにさ、俺とお前がアルバート流を同時に使ったらどうなると思う? ホント鏡だぜ、鏡」

恐らく『アッシュ』と対峙した時にでも、そういうややこしいことになったのか、全然決着つかねーの、と『彼』はルークの機嫌に気付かずそう言って、更に笑う。それにこのニブめと内心思いながら、ルークはため息を吐いた。

「それに、武器が違えばちょっとはマシかも知れないし。俺とお前で超振動が起こったら、大変なことになるだろ?…あ、でも第二超振動になんのかな?」

「……なんだ?」

聞き慣れない言葉の響きに僅かに眉を寄せれば、前触れもなく唐突に頭上から声が降って来た。

「第二超振動。あらゆる音素攻撃を無効化する現象ですよ」

まるで風に乗る鳥と同じような滑らかな動きで、椅子に座ったままの博士が地上へと降りる。

「この世で起こせるとするなら、完全同位体同士の貴方たちだけでしょうね。しかし当然ながらこれまで一度として認められてはいない、机上の現象ですが」

ちなみに武器が違おうがどうしようが、貴方たちの場合音素振動数は全く同じなんですから意味がありませんよ。

そういう博士の言葉に、新しい知識として覚えながらふと思い当たって、ルークは口を開いた。

「…それなら、やったんじゃないのか」

「へ?」

きょとんとあたかも子供の様なあどけない顔でルークを見る『彼』に、続ける。

「誘拐された時コーラル城で、脱出する際に譜術を超振動で破壊しようとしただろう」

その時に、あまりにもその超振動が安定しないものだから、ルークも思わず手を伸ばして。そして共鳴した超振動は破壊を起こさずただ、罠である譜術を消し去った。

「え、あ、あー!アレか…!」

声を上げる『彼』に識っていたクセに気付かなかったのかと思う。まあ、あの時はルークの体調が悪いことや、時間的制限もあって、それどころではなかったのだろうけど。

手を叩いて大きな声を上げる『彼』に、博士はやれやれと首を振りながら告げる。

「言っておきますが、第三者の確認がなければ認められませんからね」

「いーよ、別に。それで用事は済んだのか? ジェイドから苛められずにデータ貰えたか?」

「貰いましたよ!この、薔薇のディストがあの陰険眼鏡ごときに苛められるなど…!」

「あー、はいはい。判ったって」

キイィと騒ぐ博士を手慣れた様子であしらって、『彼』はにこやかにさあやるか、とルークに向き直った。

苛めと薔薇の部分は放置で良いのか。そしてやはり、あのジェイドの知り合いだったのか。それはさぞかし弄られたことだろう、と目の前で癇癪を起こしている博士を見ながら、思う。

「体術戦もきっとお前の役に立つ時が来るぜ?特に、対シンク戦で。アイツ鍛えたの俺だからさ。つっても向こうはダアト式譜術だけどな! えげつないし容赦全くないし、ホントどこで育て方間違えたかなあー」

シンクと将来的に戦う可能性を否定しない言葉に、いつか言われた、六神将は味方ではない、というジェイドの言葉は本当らしい、と実感する。そしてシンクを鍛えた『彼』の言うことなど全く聞かないであろう、その性格も。多分、止められれば止められるほど、熱くなるタイプのように思えるし、それでも参謀の名に相応しく冷静なのだろうとも思う。性格は多少難アリだが、どこまでも冷静であるだろうその部分は、少しばかり、羨ましい。

『彼』が腕を組んで不服そうにつらつらと言う割には、そこにある確かな愛情を感じ取る、その部分だけは許し難いとは思うけれど。

ルークはこんなに立派に育ったのに。そう告げる『彼』は、今では同じ身長へと成長したルークの頭を撫で梳いて。ぽん、と軽く叩く。そうしてふにゃりと笑った。

「お前も、俺の自慢のオリジナルだよ」

* * *

「ああ、もう時間か。早いなあ…」

あっという間に過ぎ去った時間に、名残を惜しむ『彼』の声が響く。全くその通りだった。あれだけ息が合うのも他にない。『彼』だからこそ、舞うかのような訓練だった。その余韻にルークも己のてのひらを見詰めながらふ、と息を吐く。

「さあ、早いとこ奥様と旦那様と、ナタリアを安心させないとな。みんな心配してる」

いつか言われたような言葉を向けられる。

ここでまた、道が別たれてしまうのか。出来るなら、キムラスカに共に帰りたい。そうしてあの頃のように、傍にいて欲しい。これは甘えか、依存か。

けれど、『彼』は未来を変える、その準備をする必要があるのだ。自分の気持ちだけで縛る訳にはいかない。いずれは隣りに立つ為にも。

――お前は、いつ帰ってくるんだ」

しかし、声音は嘘は吐かなかった。つい零れた言葉に、『彼』は目を瞠った後、仕方ないなあとでも言うように、くすりと笑って。

「今はすることがあって無理だけど、もうすぐ還るよ」

とん、とルークの胸をノックするように叩いたその仕草に、シンクのクセはここからか、と理解すると同時に、胸を過ぎったのは冷たい寂しさだった。

喪失感とは違う、なにか物足りなさのような。

自分の知らないところで培われたものに対する、嫉妬、なのかも知れなかった。