「おやおや、久しぶりの再会だというのに、随分酷い顔してますねえ」

船から降りた直後、フリングス少将の出迎えということで許可を得ていたのか、キムラスカの領事館前で出迎えたジェイドに早速揶揄われた。酷い顔だろうが生まれつきだ、そんなこと知ったことではない。

「……乗船中ガイとティアにずっと無言のまま、視線だけで問い詰められてみれば、お前にも判る」

ガイだけに聞こえていたと思っていたイオンの密かな言葉はティアにも届いていたらしく、こちらを伺うような、何かを口にしようとしてためらうような、そういうもどかしい視線をずっと寄越していたが、生憎とルークはそれに乗ってはやらなかった。

「それはそれはご愁傷様です。それで、どこまで説明したのですか?」

「俺に何が言える?」

ジェイドの問いに苦笑を返す。まだ、何も知らされていないというのに。

ルーク自身が知っていることは、自分はヴァンの思惑の為に無理矢理レプリカを作られたローレライの完全同位体で、そのレプリカ(の中身)は全てが終わった時間軸からやって来て、そしてその未来を変えるべく動いていて、その未来というのは近い将来、ルークが預言通りにアクゼリュスと共に滅ぶことを望まれている、そういう未来だ。それだけだった。レプリカを作られておきながら、ヴァンの思惑すら知らない。詰め寄られたところでルークは恐らく、ティアよりも、知っていることはない。

公務の際は降ろしている前髪の向こう、バチカルへと繋がる海を振り返る。まだ実感がないが、時間が経つにつれ、離れている時間が長くなるにつれ、郷愁はルークを苛むだろう。バチカルを永久追放となるティアと似たようなものかと、己の境遇を思う。別れ際のナタリアを思い出すが、今頃はきっと、ルークがメイドに託した書類を受け取っている頃だろうか。母に上手く伝えてくれるといいと思う。ナタリア自身も、早く気持ちの切り替えをしてくれるといい。

ケセドニアのバチカル港で別れた先遣隊はカイツールへと向かった。カイツールに到着後は、速やかにアクゼリュスへと休む間もなく向かうことになっている。事前に通達があったとはいえルークがアクゼリュスを訪れるための準備、救援物資の調達にこの物流の要であるケセドニアでも数日の時間が掛かる。その為の先遣隊だ。キムラスカからの伝達はカイツールの砦にもとうに行っていて、なんとか手を入れていたマルクト側の街道が、溢れた瘴気でやむなく閉鎖することになったマルクト軍も、キムラスカ側からアクゼリュスへの救援を送っているとジェイドの報告で知る。

ティアは先程、ケセドニアにある国境を越えることによって、ルークの手を離れた。これから先、ティアはケセドニアとカイツールの国境を越えることは二度と叶わない。ティアはもちろん、粛々とその裁きを受けた後、そのまま第七譜石らしきものが発見されたアクゼリュスへ向かうようにとモースからの再度の命令が下ったと言う。よりにもよってこんな時に、とも思うが、それがキムラスカで罪人となったティアへの処罰も含んでいるらしい。

「…ルーク。あの、ボクが言えることではないと思いますが…」

「判っている。――ティア、アクゼリュスには俺たちと行くぞ」

不安げに見上げてくるイオンに短く返して、ティアへと告げれば彼女は困惑した顔で躊躇った。複雑な胸中だろうがそれはルークとて同じだ。だが、行く場所の危険性を思えば一人で行かせる方が問題だろう。アクゼリュスで瘴気によって倒れても、一人なら助けがないかも知れないのに。同じ場所に居て、そんな結果になられた方が後味が悪い。決まりだ、と強引に押し切ってルークはティアを連れて歩き出す。

ガイは着々と届いているだろう救援物資の調整と管理をキムラスカ領事館で行う為に残り、イオンとアニスはやはりケセドニアにある教会へ顔を出し、続けてアスターにも面会する。そうなれば、任務の報告と今後の行程の打ち合わせをマルクト領事館で、とフリングスとジェイドに誘われたルークが断れるはずがない。ティアはどうするんだと視線だけで問えば、頷くのでそのまま伴って歩を進めた。ティアも疑問が晴れるのだから文句はなかろう、と勝手に判断する。

ケセドニアの喧騒の中、先を行くジェイドに問い掛けた。

「……あいつは、お前は、一体何をしてるんだ」

やっと問い掛けられる。ジェイドは『彼』と会ってから、ルークに全てを話すと言ったのだ。ルークの問い掛けにジェイドは顔だけを振り向かせて、にんまりと笑う。その笑みを見てルークは若干退いた。自分が実験台へのこのことその身を差し出したような危機感を覚えたからだ。

そんなルークの顔を見ながら、ジェイドはますます妖しい笑顔できらりとメガネを光らせ、言う。

「そうですね。貴方とティアには是非、聞いて頂かなくては。この計画の一翼なのですから」

――…?」

ルークの背後、ティアが幼い仕草できょとんと首を傾げた。

――どうしてだろう、一番の生け贄は彼女のような気がしてならない。

* * *

マルクト領事館に着くなり、ジェイドとフリングスは迷うことなく作戦室へと進む。さすがに躊躇うルーク達に何をもたもたしているんです、と眉根を寄せるものだから、死霊使いの機嫌がこれ以上下がらないよう、ルーク達は背筋を冷やしながら作戦室へと入る。

そうして作戦室の中、譜業で映し出された地図を前に佇んだジェイドは、着席した一同をぐるりと見渡し、ぱしんと一度指揮棒を乗馬の鞭のようにてのひらで鳴らして宣言した。

「さて、私が説明するからには強行軍で行きますよ。貴方には先遣隊が時間を稼いでいる間に、即急に詰め込んで頂きたい知識があります」

空気が変わった。それを視覚だけでなく肌で感じる。

いままではのらりくらりと胡散臭い笑みをまといながら人を揶揄し挑発し冷静を欠かせそうして本音や本性を見抜き、時々鋭い切り口で人の死角や油断を裂いてくる、どこか人と距離を持った、遠くから見て観察しているような人間が。科学者らしく、確証がないことは口にしない男が。

今、ルークの目の前にいるのは、確かにジェイドだった。それは間違いなかったが、そこに居る男は纏っていた空気を一変させ、そこに立っている。

今までに感じた空気の中でも、一番鋭い軍人としての顔。

望むところだ。腹はとっくに括っている。

ルークが気を引き締めてひとつ、頷いて見せるのに、ジェイドも同じく頷き返す。

「まず、この私たちが住んでいるこのオールドラントの大地ですが、これを本来、外殻大地と言います…」

そうしてジェイドは、朗々と響く声でこの世界の有り様を語り始めた。

――近いうち、寿命を迎えたセフィロトツリーは次々と壊れ、大地は支えを失い、瘴気の満ちる魔界へと墜ちてしまうでしょう。ホドやコーラル城のように。人はもちろん、大地とてその衝撃に耐えられるものではありません。このオールドラントは滅びるでしょう」

途中、フリングスの補助も入りながら説明を終え、指揮棒を小さくたたんだジェイドがルークに向き直って、言う。

「私たちはそれを回避しながら、ヴァン謡将の企みを退けるのが目的です。そして、この作戦で重要な位置を占めるのはルーク様、貴方と《ユリアの譜歌》を歌えるティアです」

大地の状態からその下に広がる魔界の話、そしてセフィロトの役割とヴァンの目論み、そして超振動における命令の書き換えとその際における、ユリアによって施された封印の解除と、《ユリアの譜歌》の守護。

そのユリアの末裔は、ヴァンの話をされた時こそ取り乱したが、今では青を通り越して白い顔をして打ち拉がれたように俯いている。取り乱した際、ジェイドに誘導され今までのこと――何故、ファブレ家に侵入して暗殺、などという危険を冒したのか、を洗いざらい告白する羽目になった挙げ句、縁になっていた『アクゼリュスは墜とさない』という言葉すら疑わしくなってしまったのだから、仕方があるまい。兄の何を信じればいいのか判らないのだろう。

『兄は超振動の兵器を作っているわ…以前の大詠師の命令で、と言ってたけれど、六割程度でも大陸の殆どが壊滅するほどの威力を持っている兵器を、預言をただ守って生きていく教団が本当に必要とするのかしら…』

『それに…兄の様子が異常に思えるの。預言をとても憎んでる。今の地位にいるのも、あの兵器を作るためなのかも知れない。私、だんだん兄さんが恐ろしくなっていった。たった一人の家族なのに、それでも恐ろしくて…二年ほど前に、兄を、刺したわ』

『でも、すぐに後悔して…私泣きながら謝ったけど、私に話しかけながら兄さん、私を見てなかった…!』

『……その後も情報部で兄さんの動向を探っていたけれど、やっぱり掴めなくて…もどかしかったわ。でも、下手に動くのは危険だった…だって教団のどこまでが兄に従っているのか、新兵の私には全然判らないの。ただ、兄を止めたくて、でもどうしていいか判らなくて――ああするしかないと、思って、』

寄る辺は唯一の家族である兄しかなかった妹がその兄を刺す、というその行動に至るまで、どれほどの狂気を、恐れを感じたのか、そのことが重要だとルークは思う。

――そうしないと、兄が止まらないという危機感を覚えた、ということ。

身内の話が聞こえないほど頑なだということは、説得などではとうに間に合わない段階に来ていることは間違いなく、相手がすでに形振り構わない時点でうっすらと見えていたことだけれど、ティアの告白によって明確に形を取ってしまった。

言葉など全く意味がないだろうことが。必然的に訪れる、死闘の気配が。

確かに何をしてもヴァンの企みを阻止すると腹を括っていても、説得もせずに問答無用で手打ちに出来るはずもない。社会の倫理的にも、己の心情的にも。それでもヴァンはとうに耳を貸しそうにないということだ。

考えが違うからという理由で刃を向け合い、その命を奪う。それも、知らぬ仲ではない相手を。――幼い頃は慕っていた、今でも憎いとは言い切れない相手を。覚悟はしているが、正直、堪える。それでも最終的にはしなくてはならない。そうでなくては、オールドラントに住まう人すべてが滅ぶのだ。

「現在、アクゼリュスにあるセフィロトツリーに限界が来ています。それが原因で地震が続き、所々亀裂が入った外殻大地の下、魔界に満ちている瘴気が溢れ出て来ている状態です。六神将は強奪したタルタロスを使って移動していますが、彼らがタルタロスから離れた後、未だ捕虜となっているマルクトの兵士たちを使い、密かにアクゼリュス入りし救助を行う予定になっています。本当は強引に強制退去としたいのですが、急に動かすのが危険な患者もいますし、六神将に気付かれて強引にアクゼリュスを墜とされてしまっては元も子もない」

なるほど、あの捕虜はここで使うためか。

タルタロスが強奪されることが判っていて、人数を減らしつつそれでもなお抵抗も少なく捕らわれたのは何故か、と思っていたが、これか。ルークはあの時ジェイドを詰ったが、その先見を知ってしまえば面白くない。素直に言えばいいのにこの男は、趣味が悪い。

「それだが。超振動で、アクゼリュスを侵している瘴気を中和することは、可能か」

「可能であり、不可能です」

捻った答えにルークが眉間に皺を立てるのに、ジェイドは頓着した様子もなく真顔で眼鏡のブリッジを押さえる。

「正しくは、超振動で瘴気を中和することは、可能です。が、そもそも地殻の振動を止めなければ、根本的解決にはなりません。中和する傍から発生していては、意味がない」

「…それもそう、か」

ジェイドの返答に納得して、ルークは改めて深くため息を吐く。ことは簡単に済まないどころか、差し迫っているのを痛感した。元から楽が出来るとは考えていないが、問題が一足飛びに大きくなりすぎた気はしている。これをどうにか解決へと導けるのか、とため息を吐きそうになって、いや、なにがあろうとしなければならないと首を振って鬱(ふさ)ぎそうになる思考を散らした。

ジェイドは姿勢を正してルークを見る。

「早く手を打たねば、なにをせずともセフィロトツリーは崩壊する。そうなるとアクゼリュスは魔界へと崩落し…街が滅びます。貴方がわざわざ手を下す必要もなく、ね。その時、貴方も間違いなく死ぬでしょう。預言通りに」

ここに来て、やっと。

初めて明確にその言葉が出たのに、ルークは思わずまじまじとジェイドを見返し、ティアは驚きからか短く鋭い呼吸をして、ジェイドを降り仰いだ。

別に今更真新しい情報ではなかったし、自分の中では折り合いを付けたと思っていた。それでもこうもはっきりと口にされれば、胸に冷たい重しを抱えてしまう。

――俺は、死ぬのか」

「預言では」

僅かに緊張して確認するルークに対してあっさりと認めるジェイドとの間に、沈黙が降りる。

ジェイドの方はしばらくその沈黙を掴みかねたようにルークを見ていたが、ああ、と声を落とす。

「…そうですか、ヴァン謡将は貴方にその部分を伏せましたね? そして、あの子も貴方には言えなかった」

「あの、でも、私が詠んだ預言にそんなことは…」

戸惑いながらティアが控えめに言うのに、ジェイドは苦笑して見せる。

「最後まで読めなかったんでしょう?」

「あっ…」

「正しい記述はこうです。" ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで "――

ジェイドのよく響く低い声がもう聞き慣れた預言の旋律を紡ぎ出して、止まる。全く、この男に演説の一つでもさせればさぞかし吸引力があるだろう。もしくは戦場で兵士をいとも簡単に鼓舞するだろう。耳にどうしたって入り込んでくる。そんな声で不吉を匂わせる預言を口にして、そうしてひたりとジェイドはルークを見据えた。

「 " そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって、街と共に消滅す " ――貴方は預言とキムラスカによって、殺されるのです」

「そんな…では、今回の親善大使派遣は…」

「キムラスカの和平条約撤回の前触れみたいなものですね」

絶句するティアとジェイドの声を聞きながら、ルークは肺の底から深く、息を吐き出す。

判ってはいたが、これを叔父と慕う国王や父親、それからヴァンにひたすら隠され誤魔化されていたことを考えると、胸に苛立ちのような不快感がざわめく。

そうして、誤魔化しを鵜呑みにすると思われている自分の存在の軽さが嫌になった。

部屋の空気が凍ったかのように硬いように感じるのは、その所為かそれとも別の何かか。

「ヴァン謡将は何と、貴方に伝えましたか?」

「……あいつが、俺の代わりに死ぬと言っても、それを信じるなと…ヴァンは俺を救うことが出来ると、言った」

「貴方の死を、否定しなかったのですね?」

ジェイドの問いには肯定の無言を返す。ジェイドは淡く笑んで頷いた。

――そう、貴方は死ななければならない。預言通りに。それが謡将の望みです。けれど同時に、超振動という力を持つ貴方は死なせるのに惜しい存在でもある。だから、レプリカを作った」

「俺が死んでも、レプリカが残ると?」

忌々しさに舌打ちしながら問えば、ジェイドは首を振って返す。

「逆です。レプリカを貴方の代わりに殺して、預言通りになった、という事実が欲しいのです。

ヴァン謡将は貴方を救うことが出来る。彼はそう信じている。確かにそうでしょう、レプリカを殺すことで貴方を生かすことを『救う』と言うならば。でもその計画を全て知られれば、貴方は間違いなく嫌悪を感じるでしょうし、自分の命が助かった後の謡将の計画に対しても絶対に頷かないことは目に見えているし、反発もするでしょう。それでは、貴方を懐柔したい謡将の目的に沿わない。

だから、貴方が死ぬ、ということを否定はしなくても、言葉では曖昧にした」

曖昧にして、不安を煽ればルークがヴァンの企みへ荷担するとでも思っているのだろうか。いや、他に手がなければヴァンの手を取ってしまうかも知れない。けれど今のルークには、世界中の全てが敵になろうとも、唯一信じられる存在がいる。

「あの子が貴方に言わなかったのは何故か、判りますね?」

ルークの頭の中を読んだように、ジェイドが訊いてくるのに、また深くため息を吐いた。苛立ちではない。ヴァンとは正反対の感情によって。

――俺に、死んで欲しくないからだ」

「ええ。だから彼は口を閉ざすのです」

口に出すのも嫌なくらい、ルークに生きていて欲しいのだ。そして、口にする必要もないくらい、ルークを死なせるつもりもない。

だから『彼』は準備もルークに関わらせないように済ませるのだろう。自然に、当たり前の時間を過ごさせるために。余計な危機に遭わないように。守られている。

だが、ヴァンは言った。

――完全同位体のレプリカは、オリジナルが死ぬと、消えてしまう。

『彼』がルークを守ろうとして行おうとしていることは、『彼』にとって安全なのか?

そこだけがとても不安だ。ヴァンのあの言葉は、いったいどういう意味なのか。なにか、途方もない無茶をしようとしているのではないか。

今聞いたことが全てなのか、それともまだ重大な何かを言わずに秘めてはいないか。そう思えて来て仕方がないのだ。焦燥感のようなものがルークを徐々に急き立てつつある。

疑問をぶつけるべきかとジェイドに視線を向ければ、それだけで心得たように口を開いた。

「安心して下さい。今回のことで貴方と『彼』が死ぬ確率は、断然に少ない。その為にも、アクゼリュス崩落を最善の形で回避することが重要です」

でなければ、開戦のきっかけを与えてしまう。崩落はごく自然に、犠牲者は皆無。それが一番困難なことだが、一番付け込む隙も問題もない。

「貴方、という存在は、目に見える、約束された繁栄の証という免罪符。だからなにをしたって、どんな酷いことをしても、許される。貴方を殺すことも、貴方が死ねばマルクトへ攻撃することも、全てはキムラスカのためだと言い切る口実になってしまう。だから貴方は何よりも誰よりも、強かに生き延びて頂かなくては」

預言に抗うためにも。そう言ってジェイドはあの胡散臭い笑みを湛えてルークを見詰める。ルークはそれに、自嘲の笑みを返した。少しばかり自棄の混じったため息を零すルークに、さすがのジェイドも様子を伺う。

――どうしました?」

「いや…結局、俺には王位を継ぐ権利など、なかったのだな。――最初から」

預言で死ぬことが判っている人間に、そんなものは与えないだろう。

何の為の教育だ。何の為の、十七年間だったのか――…何の為の苦しみだったのか。それを耐えて来たのか。耐えたことに意味はあったのか。帰る場所さえ失ってしまったというのに。帰れば何故帰って来たかと糾弾されることは目に見えていて、たぶんひっそりと毒でも飲まされることになりかねない。王族のやり方は大抵そういうものだ。

キムラスカに帰らないとしても、身分を捨てることに未練はないが戸籍がないのは痛い。仕方がない、ここはジェイドの伝手でマルクトの皇帝に頼み込むか、と考えて、意外と落ち込んではないな、と自分を分析した。…未だに実感が伴わないだけかも知れないが。

今の状況は、絶望と呼ぶにはまだ希望がある。道は完全に閉ざされていない。キムラスカに戻れなくとも、生きていくことは出来る。ナタリアや母のことはもちろん非常に気になるが、それは己の身の安全を確保してからだ。出来ることはある。何よりまだ、始まってもない。

ならば悲観する必要はどこにもない。悲観は、全て手を尽くした最後にすることなのだから。

死ぬわけにはいかない。今世界がどうなるか知っているからこそ。そして本能として、死にたくない。この世に生きる、一人の人間として、出来るところまで足掻いて生きていきたい。

――そうすることでたとえキムラスカから、裏切り者と誹られようとも。

* * *

――そうそう、フリングス少将のこと、有り難うございました」

「ああ…」

領事館に残るフリングスと旅支度を調えるティアと別れ、宿へと向かう道すがら、ジェイドに言われて初めて思い出した。

世話したような記憶は全くなく、自分のことで精一杯だった。礼を言われて居心地が悪くなる。

「俺は何もしていないが」

「いいえ。セシル将軍に会えたことを、大変喜んでいましたよ。貴方でなければ二人は出会えなかった」

確かにセシル将軍はファブレ家と繋がりがあるから、あの時でなければ、マルクトの軍人がキムラスカでセシル将軍と会うなど、そんな機会に恵まれることも滅多にないだろう。ルークはその時の二人を思い出しながら、ジェイドの言葉に首を傾げる。

「ああ…なんだか嬉しそうだったな」

珍しく仕事を忘れたかのように話していた彼の様子に、よほど戦場でのことが印象深かったのだろうと思っていたが。

ジェイドは非常に晴れ晴れとした笑顔で、言う。

「いやー、以前は二人の架け橋にこき使われて面倒だったものですから、今のうちにさっさと会わせておこうと思いまして。あの二人が今後どうなるかは、もう私たちの手を離れて、知ったことではありませんが」

――は?」

はっはっは、と笑いながら姿勢もぴんと真っ直ぐにケセドニアの雑踏へ紛れていく、その後ろ姿をルークはただ、見送った。