ごめんな、とその人物は言った。

聞いたことのない言葉だった。

ちりちりと皮膚の表面を確実に焼く火口の壁面で、辛うじて残る爪らしきものを立て指をねじ込みその力だけで這い登る、その溶岩の固まりはいとも容易く皮膚を裂く。てのひらも足の裏も肉が見えて血だらけだ。下は粘り気のある熱を発しているマグマで、先ほど何人かの自分と同じレプリカを飲み込んだ。その時の第七音素の光と立った音がいつまでも目を、耳を離れない。アレは死だ。目に見える死だ。だから手を伸ばした。溶岩は尖っていて生まれたばかりの柔い皮膚などものともしない。そんな場所だ。そんな場所が生まれて間もない自分の死に場所だと、あのオリジナル達は言った。いいや違う、死に場所なんかじゃない。

『死』は生き物に使う言葉だ。レプリカ、それも不良品には『死』はない。

だからここは廃棄場だ。

そんな場所で、彼は泣いていた、と思う。涙は見えなかったが、噛み締めた唇が切れていて、自分に伸ばされた腕も溶岩の所為で血だらけで、その血がぽたぽたと落ちて来て目を塞ぐ。だから涙は見えなかった。けれど、血が滲む唇がごめんな、と言った。

『俺の腕、二本しかなくて。頭が良かったら、ほかに、なんか色々出来たんだと思うんだけど、でも、時間もなくて、…いや。全部、言い訳だよな。

ごめんな。お前たちしか助けてやれなくて、ごめん、な』

――みんな、助けてやりたかった。

* * *

カイツールの砦には、避難してきた住民達を収容するテントが並び、そこで応急の処置をしたあと症状に合わせ各地へ順次搬送されていく。医療団と共に慌ただしく働いているのはマルクト兵ばかりで、キムラスカの先遣隊はアクゼリュスへと向かったという。

「…まずいな」

「貴方がアクゼリュスを墜とすのを見届けた後、引き返して迅速にカイツールの砦を押さえるつもりなんでしょう。――まあ、巻き込まれる可能性も否定出来ませんが、彼らがそれを知らされているかどうか…」

低く唸るように呟いたルークの横で相変わらず不穏なことを告げて、ジェイドは報告を受けに砦の方へと歩き出す。その周囲には次々と報告に走り寄ってくる兵達の姿があった。その様子を見送り、ルークは焦る気持ちをとりあえずひとつ深いため息で抑えてから、まずここで分配する分の救援物資について確認するためにガイの手配した荷馬車へと足を向ける。患者達を見舞うのはもう少し後だ。

ダアトの方もキムラスカとは別に物資と、更に第七音素譜術士を多数手配していて、イオンの指示に従って医療団の方へと加わっていく。その中に、ティアの姿もあった。

* * *

ルークは自分用に用意されたテントから外に出て、ふう、とため息を吐く。

物資を無事に引き渡し、責任者に話を聞きながら患者を見舞い、終わった頃にはとうに陽は落ちていた。今は簡単な夕食を摂ったところで、寝るまでの僅かな自由時間を取ろうと頭上に広がる夜空を見上げる。

春から次第に初夏の匂いがする心地よい風に頬や髪を撫でられ、ルークの表情もうっすらと力を抜いていく。

昼間より気温が落ちたのを感じ取り、脱いでいた上着を羽織るともう少し星が見え易い場所へと歩き出した。忙しくしているガイにわざわざ護衛を頼むまでもないと、装備だけは確認して、一人で開けた場所を目指す。

カイツールではまだ瘴気汚染の報告は出ていないが、これから先は覚悟しておいた方が良い。マルクト側からアクゼリュスへ入る道は整備の甲斐なく瘴気汚染によりとうに閉鎖され、キムラスカ側からの道は馬車は通ることが出来ない道だ。これからは徒歩でアクゼリュスへと向かうことになる。物資は最低限しか持って行けない。

さわさわと夜を喜ぶ草原を見ると、『彼』とセレニアの花を見に出かけたことを思い出す。

降り注ぐ星の下、丘の上でふたり、並んで夜空を見上げ過ごした。『彼』は譜歌を歌っていて、ルークは《カンタビレ》の話をしたはずだ。なんて皮肉な話だろう。ルークは本当に、『彼』の声は歌うようだとそう、思っただけだったというのに。自分たち二人には、皮肉なことが多い。

『ルーク!』

伸びやかな声で呼ばれた響きが脳裏を過ぎって、胸をじんと打つ。

あの夜、『彼』はルークの命が何よりも大切だと言った。

そういえば、あの夜彼に渡した髪留めは今、誰かの手に渡ってしまっているのだった。代わりの髪留めを買ってやると言ったが、今の短い髪では必要ないだろう。それがとても残念だ。自分と同じ色を隠して生きている『彼』を、少しでも早く自由にしたかった。一日でも早く、傍にいられたら。

草を踏みしめる乾いた音と、草原を走り抜ける柔らかい風を全身で受け止めながら避難所からそう遠くはない開けた場所へたどり着くと、そこには見知った人の姿があった。こちらに背中を向けて直に腰を下ろし、顔を少し上げて頭上に広がる星空を眺めている。

ルークに気付いたアニスがぺこりと頭を下げて、約束をしていたかのような自然な動作でその場を立ち去っていく。恐らく、少し離れた場所で護衛をするために。

「イオン…」

後数歩の距離から呼べば、そのままの姿勢で振り返らずイオンが声を掛けて来た。

「よかったら、こちらに座りませんか、ルーク」

促されるまま隣へと腰を下ろし、同じように空を見上げる。座ると瑞々しい草の匂いがした。もうすぐ初夏だ。植物の命が一番輝く時期が来る。そのことに知らずルークの瞳が細く撓った。風にはどこか、甘い水分を含んだ花の匂いも混じっている。

ちらりと横目で覗う月の弱い光の下で見るイオンの気配は穏やかに落ち着いていて、体調に問題はないように見えた。

「あの人はよく、こうして夜空をボク達兄弟に見せてくれました。昼間はお互いに監視の目がありましたから」

ぽつりと落とされた呟きに、ルークが思わず星空からイオンへと視線を向ければ、イオンも合わせたようにルークを見る。

イオンの顔を落ち着いて見るのは、バチカルの港以来だ。あの時の発言の真意を今、問い質してもいいのだろうか。迷うルークの胸の内が判るのかのように、――まるで約束していたかのように、イオンは口を開く。

「そういえば貴方に、ボク達兄弟とあの人との出会いの話をしてませんでしたね」

そうして彼は淡々と、静かに語り始めた。

イオンの話は出だしから、ルークが簡単に言葉を挟むことなど出来ない程の衝撃を持っていた。

「本来の導師イオンは、二年ほど前に病気で亡くなりました。預言によって自らの死期を把握していた被験者は、事前に自分のレプリカを作るよう指示していました。――それも多分、ヴァンの入れ知恵のようでしたが」

杖を抱えて星空を見上げ、実際には違う場所を見詰めながら、彼は記憶を辿っていく。イオンの声は透き通っていて、ナタリアと同じように澄んでいる。そんな声で、彼は自分がレプリカであることを告白し、残酷な事実を用意された文章を読むかのように、感情に揺れることなく淀みなく語る。

――多くの兄弟達が生まれ、ボクは七番目、最後にやっと惑星預言を詠むための大きな譜術力を持つレプリカとして誕生し、その他のレプリカは不良品――存在意義なしとして、ザレッホ火山の火口に廃棄されました」

イオンの杖を持つその手が、硬く、強く杖を握りしめるのを、ルークは呼吸するのも憚(はばか)ってただ黙って見ていた。彼は俯き細く息を吐いて、気持ちを落ち着けている。

「ですが、そこへあの人がやって来たんです」

淡々としていた声に初めて温度を感じた。ルークが視線を向ければ、イオンはルークをじっと、そのオリーブ色の瞳に静謐さを湛えて見ている。『彼』のオリジナルである自分を通して、『彼』を見ているのか。間近で見るイオンの瞳に、星が映っているかと思う。彼の瞳にはそれほどの光があった。

「辛うじて生き残っていたシンク、フローリアンを助け出し、ヴァンに見つかる前にダアトの外、後から聞けばマルクトの手引きで用意した家へと保護してくれたのですが、…あの人は、二人に謝ったそうです」

「…謝った?」

「『お前たちしか助けてやれなくて、ごめん。みんな、助けてやりたかった』、と」

――あいつらしい」

無茶をするところも含めて苦笑すれば、イオンも少し力を抜いたようだった。こわばっていた肩が少し下がる。

ルークをコーラル城から助け出した時も大概だったが、『彼』は相変わらずだった。火山の火口にどのように侵入を果たして助け出したのか。超振動でいくらか無茶をしたに違いない。ヴァンによくバレなかったものだ。それでもそれが『彼』で、ルークは『彼』が変わらないことが誇らしい。

「しかし、レプリカは生まれたばかりの赤ん坊と変わらないはずだが、良く生き残ってたな…」

「シンクの身体能力の高さを、ルークは知っているでしょう?」

くすりと笑うイオンに、確かに身を持って知っているルークは複雑な表情で頷いた。担がれ、空中に放り投げられたのは記憶に新しい。ならば火口へ捨てられた時にはすでに、その身体能力はあったということだろうか。

「ボク達は生まれた時から刷り込みといって、被験者の記憶や知識、基本的な身体操作の情報を与えられていました。だから生き残る確率は高い方だったのかも知れません」

ルークが驚きに言葉もなく目を見張る、その視線の先でイオンは表情を見せるのを避けたのか、また星空へと視線を向けて、言葉を続けた。

「被験者は病死でしたが、世界最高の譜術力に加えて身体能力はとても高かったと聞きます。導師にしか使えないダアト式譜術というものがありますが、これは術を組み込んだ体術ですから。残念ながらボクだけが譜術力と引き替えだったのか、体が特に弱くて。余り使わないように、とあの人には厳重に注意されているのですが…」

「そういえば、アイツもシンクがダアト式譜術が使えると、言っていたな」

オアシスで言われたことを思い出せば、イオンもこくりと頷く。頷いて草の葉の数でも数えるかのように俯いたまま、口を開く。

「ええ。彼らに足りなかったのは、惑星預言を詠むための譜術力が低いという、たったそれだけのことでした。それだけで、ヴァン達の勝手な意志で生み出された彼らは、価値がないと判断されてしまった。――たったそれだけで、ゴミのように捨てられた」

顰められた語尾に、ひやり、としたものを感じてルークは無意識に背筋を振るわせた。

そうして思い出す。初めてシンクに出会った時、彼がオリジナルを憎んでいたことを。まるで家畜を品評するかのような不躾な視線を持ってルークを見詰めて来て、不快にさせた、あの時のことが頭に鮮やかに蘇る。

その時と同じような感覚を先ほどの言葉から感じて、思わずルークは身を固くした。

――これは、本当にイオンか?

イオンは、こんな気配を出せる人物だっただろうか。

自然とその疑問が、ルークの胸をざわめかせる。

では誰だというのだ。確かにルークはイオンの全てを知っている訳ではない。それに話が話だ。普段は心の奥底に仕舞っている古傷を自分で開いて見せているようなもの。ガイとて過去の話の時はぎらぎらと抑えがたい殺気を放つのだ、イオンがシンクと同じような感情を持っていてもおかしくはない。元は同じ人物から生まれたのだから。

他に違和感はないのに、どうしてこの瞬間、こんなにも落ち着かないのだろう。

視線を逸らしたルークが密かに内心で湧き起こった動揺を抑えている間も、イオンは言葉を続ける。耳に届く声音はルークの知るイオンと変わらず、ルークも次第に落ち着き、疑問をひとまず横に置いて再びイオンの話に集中していった。

「ボク達は刷り込みのおかげか、自我が芽生えるのは通常のレプリカよりも早かったようです。でもそれはシンクやフローリアンも同じで、彼らは生まれた意味を探すためにボクよりもっと、もっと深刻で切実でした。

ボクはアニスを通じて二人が助けられたことを知り、時々ヴァン達の目を盗んで夜に抜け出しては彼らに会いに行きましたが、…シンクは捨てられたことがどうしても心に深く残っていて、特にボクが許せず、自暴自棄に荒れていくのをあの人は放っておきませんでした」

目に見えるようだ、と頷くルークの隣で、でも、とイオンは力なく言葉を継ぐ。

「シンクももちろん黙ってませんでしたから、そのうちお互いに熱が入りすぎて、手が」

「出たのか!?」

シンクはともかく、『彼』が!?

信じられず、勢い良く振り向けばイオンはしっかりと頷き返す。

「新しい家が必要になるくらいには」

それはそこまで破壊されたということか、それとも大騒ぎになった所為で更に身を隠す必要が出たのか、どちらだ。

あの、臆病な『彼』が。誰も傷つけたくない、誰の命も失いたくないと、とても優しい願いをよく口にした、あの『彼』が。

あまりの驚愕に呆然としているルークに、イオンは何とも言い難い、申し訳なさそうな表情をして見せた。

「ボクはその時のことをとても良く覚えています。――あの人は、貴方のために死ぬと言った。それが彼の生きる理由だと、たとえ必要とされなくても貴方を護るのが自分の役目だと、シンクにそう、言ったんです」

『いいんだよ。ソイツは《導師イオン》様なんだから』

『んな言いかたするなよ! だいたい、そんなのイオンの所為じゃないだろ。お前が譜術力の低い体に生まれたのと同じように、イオンだって選べた訳じゃないんだ』

『イオンは自分の為じゃない、《導師イオン》としてしか生きられないんだぞ! お前、そんな生き方が良いって本気で思ってるのかよ!』

『生きるのに、本当は理由なんて要らないこと、俺は知ってる。でも必要とされないと、生きてる実感が出来ないことも、知ってる』

『同じレプリカだからって気持ちが判るとでも言うつもり? 偉そうに言うけどお前だって、アクゼリュスで死ぬ為だけに生まれて、ヴァンの言うとおり死ぬんだろ!』

『ああ。それで俺のオリジナルが護れるなら。それが俺自身が決めた、俺の生きる理由だよ! 必要とされてなくたって、俺はこれだけはやり遂げるって決めたんだ』

――なあ、守ってやれよ。もう、お前たち三人しか残ってないんだぞ』

『お前は体が強い。フローリアンは頭が良い。俺がお前達を助けられたように、お前達にしか出来ないこと、たくさんあるよ。俺を、ヴァン師匠を憎んだっていい。けど、イオンだけは責めるな。他の生き方を選ぶことが出来ない兄弟を、助けてやれよ。お前にはそれが出来るんだから』

――そんなことがあったので、ボク達はルーク、貴方に会うのをとても楽しみにしていました。総じてボクらはオリジナルに対し、余り良い感情は持っていない。それなのに、『彼』は死んでも良いと言う。『彼』のオリジナルはボクらのオリジナルと、どう違うのか。とても興味がありました」

そこでどう思ったのか、訊くのはやめておいた。オリジナルである自分が、触れてはいけないような気がしたからだ。イオンも柔らかく笑むだけで、敢えて受けた印象を口にはしなかった。

「それで、家をひとつダメにした後、あの人の親代わりだという方々が新しい家を用意したついでに顔を出しに来て、そこで彼らを交えて色々と話し合った結果、フローリアンの提案が受け入れられました。

つまり、『彼』を手伝うことをとりあえずの生きる理由にしたんです。それが片付かないと、落ち着いて自分の未来のことなんか考えられないよ、と言うのがフローリアンの意見で、シンクは不承不承でしたが。

そうして、ボクらは『彼』の計画のためにヴァンやモースに協力する振りをして、シンクは神託の盾へ入団し、フローリアンは密かにボクやシンクと時々入れ替わり、計画の為に動いたり、またはマルクトへ伝達に向かったりするようになりました」

そこまで言ってから、イオンはふう、と胸の内の重いもの全てを吐き出すような、深いため息を吐いた。

「ダアトに表向き導師として残っていたのがフローリアンです。

シンクが神託の盾に入団してほどなく、『彼』はヴァンの命令でカンタビレとして北へ赴くことになり、更にはボクが和平のためにマルクトへ向かったのも重なって、入れ替わりがモースやヴァンに感づかれてしまったのが残念です。

実のところシンクよりもフローリアンの方が特に知能に秀でているのですが、それもあってフローリアンにはヴァン達には利用されないよう、気付かれずに隠す必要がありました。今は無事、ダアトを抜け出しマルクトへ身を寄せているようですが…」

「神託の盾参謀であるシンクよりもか!?」

イオンは何でもないように言うが、ルークにとってそれは衝撃の事実以外の何でもない。

シンクすら恐ろしいものを感じるというのに、それ以上ということは夭折したオリジナルイオンはどれだけの才能を持っていたのだろう。下手をしたらジェイドと同等だったのではないだろうか。だが、ジェイドといいシンクといいフローリアンといい、優秀な頭脳がこちら側に居るのは喜ばしいことだ。

「ええ。それに建前上ボクが兄になっていますけど、本当はフローリアンが一番上で、だからとはいいませんが、ボクよりもシンクよりも、強かな面はあるような気がします」

普段はあどけないくらい明るくて素直な子なんですが、とイオン苦笑する裏に、アニスがちらりと過ぎるのは何故だろう。

そこに、タイミング良くアニスがひょいと顔を出した。

「お話中申し訳ありませんがイオン様、もうそろそろ休みましょうよ~。イオン様の健康をおはようからおやすみまで見詰めるアニスちゃんの美容のためにも!」

「はい。判りました、アニス。――ではルーク、今日はここで失礼しますね」

アニスに返事をした後、イオンはそう言って立ち上がり、ゆっくりと踵を返して歩き出す。だが、あ、と何かを思い出したのかその歩みはすぐに止まって、ルークを振り返った。

「ルーク、貴方はこんな話を知っていますか」

にっこりと笑うイオンにルークが話を促すように首を僅かに傾げて見せると、まるで内密の相談をするかのように顔をそっと寄せて来る。

「他人に対して代わりに命を失っても良いと思い、実行出来るのは、相手を愛している場合だけだそうです」

どんな重要な話だ、と身構えつつあったルークは小声で告げられた内容に、頭が追いつかない。

瞬きすることも忘れてしばし考える。

――命を失っても良いと思い、実行出来るのは、相手を愛している場合だけ。

『彼』は、自分が消えてもルークが生きていればそれでいいと、言う。

ようやく何の話か理解した途端、ルークは思わず口をてのひらで押さえて伸ばした指で顔全体を隠した。そうしなければ叫び出しそうだったからだ。その割には込み上げる感情の嵐で喉は苦しかったのだけれど。顔なんてとっくに熱い。夜で助かった。頭の中は情けないほど何も考えられない状態で体も身動き出来ない程、完全に取り乱している。

『彼』が自分に愛情を向けてくれている、なんてことはとうに知っているのに、何故理解するのにあんなに時間を掛けてしまったのか。ルークが『彼』に向ける愛情の種類は、『彼』の愛情とは少し違う、そのことをイオンに見透かされた気がしたからか。

思わず指の隙間から覗えば、イオンは変わらず柔らかい表情のまま、言葉を続ける。

「ただあの人の場合、貴方が自分と同じ存在だからなのか、それとも完全に他人と思うからこそなのか、そこが重要なところですが」

ふふ、と意味深な微笑みを見せて、イオンは優しくおやすみなさい、と囁くと小さく草を踏む音を立てながら、呆然とするルークを取り残して去っていった。

そうして、残されたルークは膝を抱えて激しく脈打つ動悸が落ち着く間に、不意に気付く。

――あの『イオン』が本当はフローリアンだとしても、ルークにはきっと判らない。