「じぇいど、やっつけてきて」
アレクのところからジェイドの執務室へ、走って戻って来たと思われるプラチナが突然、開口一番そんなことを言う。
仁王立ちのその勇ましい姿に似合わず、息を切らして頬はピンク色だったけれど。
扉の側に立つ衛士に(プラチナの安全のために、在室中は待機させることになった)開けてと言う声が必死で、一体何事かと思ってみれば、プラチナはぬいぐるみをぎゅっと、それは力一杯抱きしめて部屋に入って来てジェイドに先ほどの言葉を言うと、必死に自分の居場所であるジェイドの傍らのソファーへとよじ登っている。
その後に続いてロードとルビイがプラチナを追いかけて、部屋に招きもしないのに入って来た。
「お姫さんは…ああ、おったおった」
「なーなー、ちょっとだけだから、行ってみようぜー。アレクも行きたがってたしぃー」
「や!」
二人の言葉に警戒心丸出しのプラチナが、短い拒否の言葉を告げる。
ちらりと部屋の様子を覗う衛士に手振りで扉を閉めさせると、はあ、と深い溜息を吐いた。
全く、仕事になどなるものか。
書類とペンを机において、傍らのプラチナを振り返って問う。
「プラチナ様、何をやっつけて欲しいんです?」
これですか、と二人を指差せば、ぬいぐるみを抱きしめたまま違うと首を必死に振る。
この二人だったら頼まれなくても追い出したものを、と残念に思いながら、プラチナの言葉を待った。
「ゆうれい…」
「はぁ?」
思わず、子供に対するにはそぐわない、あからさまに呆れた声を出してしまう。
それに気を悪くしたのか、プラチナは2度は繰り返さずぷい、と横を向いてしまう。ご機嫌は大変麗しく無いようだ。
何をしたんだと二人を見れば、気持ちが悪いくらいの笑顔でプラチナを見ている。
『悪い人には付いて行ってはいけません』の見本みたいだった。
「…で、貴方達、何をやってここまで怒らせたんですか?」
機嫌を取るのはそれなりに難しいのに、と思いながら二人を睨むと、漸くここが何処なのか、思い出したようで、先ほどの笑みを気まずそうな笑みに変えて、どちらともなく事の次第を説明する。
どうやらアレクの部屋に遊びに来ていたロードとルビイが、古い城にありがちな『怖い話』をプラチナに聴かせたらしい。
曰く、この城には、過去奈落王に不当な罪で首を撥ねられた者が未ださ迷っていて、恨みを晴らしたいと首の無い姿で片手に剣を持ち徘徊して、王族に関係するものを襲わんとしているとか。
奈落王に対し無礼を働いてしまったメイドが、絶望して東の塔の最上階から身を投げて、塔の周辺を歩くと今でも血塗れの姿で勢い良く人間目掛けて落ちて来るのだとか。
頭の無い状態でうろつく姿はそれなりに笑えそうだとか、一度落ちたものが毎回わざわざ登り直すのは間抜けじゃないかとか、そんなことを考えたら馬鹿馬鹿しくてジェイドは付き合ってられないが、王家の二人は違ったらしい。
アレクは見たい見たいと大騒ぎし、プラチナと一緒に行こうと手を取ったら、プラチナは手を振り払って逃げてしまい、小さなその存在は一応秘密だから、プラチナが変な場所へ行くことが無い様、慌てた三人が追って来たということだった。(途中でアレクはサフィルスに捕獲され、執務室へ連行されたらしい)
「貴方達も本ッ当に暇ですね、子供を怖がらせて何が楽しいのやら」
頭痛を覚えてこめかみを指先で押さえつつ、心底呆れた声と態度を見せれば、二人は相変わらずにやにやと笑ってジェイドの後ろのプラチナを見る。
「だってさー、プラチナだんだん涙目になって来んだもん、可愛いったらないって!」
「実は意外と元のプラチナも、何も動じんような面して、お化けが怖いんかもしれんなぁ」
ルビイとロードの視線から身を守るように、必死にジェイドの背後へ隠れているプラチナは、ジェイドと目が合うと執務中には珍しく手を伸ばして来た。
それに応えて抱き上げれば、プラチナは存外に強い力で首にしがみ付く。
相当に怖かったらしい。
元のプラチナと殆ど変わらず、多少にぶいところすらあったというのに。
元のプラチナがあの無表情の下で、彼なりに一生懸命我慢をしていたとしたら、それはとても可哀想なことをした、と今でなら言える。
外見にそぐわない中身は要らないと、子供本来の姿を拒絶した。
勉強をしたくないのも、ずっと眠っていたいのも、甘えたいのも、全て無視して。
しかし本当は幼い子供なのだから、そうなのかもしれない。
夢にだって驚いて飛び起きるような、そんな繊細な子供なら。
「…事情は判りましたが、私は仕事をサボる理由にプラチナ様を使って良い、とは言ってないはずですけど?」
休憩時間は終ったはずです、と言えば二人は面白くなさそうに、不満げな声を上げる。
「だいたい、休憩時間も仕事してるお前も悪いんじゃね―の?プラチナ寂しそうだし、ついつい構いたくなるんだよなー」
「誰かがサボらなかったら私もゆっくり休めるんですが」
「俺達末端二人がサボったって、今更変わらんやろ?」
「私が言いたいのはアレク様ですが?――まあ、自覚があるのは結構なことです」
ことさらにっこりと笑ってみせれば、二人はそれこそ幽霊でも見たような顔をして、口々に何か言い訳をしながら慌てて退出していった。
全くもって失礼な、と思いながら、首にぎゅうぎゅうとしがみつく幼い主をちら、と見て。内心、深くため息を吐く。
――せめて、フォローくらいしていけばいいものを。
* * *
プラチナの夕食も湯浴みも済ませ寝支度を整えると、いつもの様に就寝させるべく、ジェイドは小さなプラチナにとっては広い広いベッドへ運ぶ。
抱っこの状態から降ろそうとすると、ジェイドの動きに反してプラチナはぬいぐるみをそうしていたように、ぎゅっと力一杯ジェイドの首にしがみ付いて、離れない。
「…プラチナ様、重いし苦しいです」
首が折れたらどうするんです、とジェイドが言うと、しぶしぶ力を緩めたものの、でも離さない。
「じぇいどといっしょにねる」
「駄目ですよ」
この答えも変わらない。間近から見詰めてくる視線にジェイドは上体を屈ませたまま、見詰め返して言えば。
「じゃあ、やっつけて」
プラチナはそう告げると、ぷい、と顔を背けてしまった。勿論腕は離さないまま。
見ることが出来ないものにどうやって攻撃するのかとか、攻撃しても効果はあるのかとか、端から見ればジェイド自身の正気を疑われそうだとか、色んな考えがジェイドの頭を過ぎるけれど、そのどれも幼い彼には口に出来ない。
しばらく考えて、ジェイドはベッドに腰を下ろした。
そうしてプラチナの腕を外させるとそのまま、その小さな心許ない両手をそっと、包むように握る。
「――プラチナ様、あなたはこの奈落の王様なんです。つまり奈落と同じように、あなたがこの城の主です」
こくり、と折れてしまいそうな程の頼りなさで、細い首が縦に振られる。
こんなに柔らかくて小さな生き物が奈落の王だなんて、なんてことだろうとジェイドは思う。
彼の青い瞳が、薄暗い部屋の照明に僅かに透けてこちらをじっと見詰めている。ジェイドのどんな言葉も聞き逃さないかのように。
「この奈落に様々な種族が居るように、この城にも様々なものが住んでいます。あなたは庭の小鳥を追い払いますか?魔人ではないからといって」
今度はふるふると、横に首を振った。
その様子を見ながらふと、ジェイドは微笑む。自分が口にしている、そして口にする言葉が、少し可笑しいと感じてしまったから。
「だから、幽霊の一人や二人、この城に住まわせてあげたって、別に良いじゃないですか」
ジェイドの言葉を聞いたプラチナの手が、ぎゅう、と強くジェイドの手を握って来たのに、いつの間にか俯いていた顔をジェイドがそっと覗けば。
「ひとりじゃない」
「は?」
「もっと、たくさんいる」
顔を上げて、はっきりとそう、言う。
もともと余り喋らないプラチナがたどたどしい発音で、一生懸命に言葉を続ける。
「ひろまとか、きたのつうろとか、ちかのかいだんとか、はなれとか、…たくさん」
北の通路は、面倒な道のりを経て牢屋へと続いている。
地下の階段と言えば、アレクやプラチナが誕生した場所付近の話だろうか。
離れは一応この城と繋がってはいるものの、他で間に合うので使用されてはおらず、手入れは全くしていない。殆ど閉鎖状態だ。
小さなプラチナが何故そんな場所を知っているのか、と考えてアレクの所為か、と思い至る。
いやその前に。
…見えているのか、この小さなプラチナには。
もしかしたら、元のプラチナも。
魔力を持って魔法を使うことの出来る時点で、エーテル体の存在は否定しないが、視覚出来るということは、プラチナの魔力は余程高密度のものなのだろう。
今までは体が耐えきれなかっただけで、今後長い時間を掛けて鍛錬を重ねれば、己の手でそれは強大な魔法を編み出すことも可能なことは、ジェイドも察しはしていた。
ただ、彼が面倒臭がって、そんなことに興味を持つことが無いだけで。
力で無理矢理押え込むという、奈落の現在の状態を嫌悪しているからこその、無欲。
だからこそ、そんなプラチナに惹かれたのだろうということも、ジェイドは身に染みて判っている。
「――それだけ居たら、もう今更でしょう。気にするだけ無駄です」
「このへやにもいる」
ちら、と部屋の奥を見ながらそんなことを口にするのに、思わずジェイドもそちらを見るが、勿論何もない。
そんなことを言われればさすがに気にはなるが、この部屋にそんな気配は感じない。
生憎、プラチナとは魔力の密度が違うのだろうが、こちらには経験がある。
「めをさましたら、みてる」
「……」
――それはさすがに、ちょっと嫌だ。
元のプラチナだったら、恐らく途中で目を覚ますことは無かっただろうし、もし目を覚まして気がついても、何か居る、でも面倒だ、と無視して寝ていたのかもしれない。
子供ゆえの鋭敏さか、それとも今の状態の方が、プラチナの本来の力を抑制するものは無いのか。
もし元のプラチナが抑制しているというのなら、それはプラチナ自身の無意識の行動かもしれないと思う。
彼の魂の奥深くに眠る、セレスが求めてやまなかった『彼』を表に出さないための。
「今まで平気だったんでしょう?」
「でも、ろーどが…」
俯きながら、小さな声でプラチナが言う。
ああ、つまり。
今まで無害だと思っていたそれらが今日、有害になるかもしれない、と教えられてしまったのだ。
本当に余計なことをしてくれたものだ。
額に手を当てて、ジェイドは思わず深いため息を吐いた。
「何もしてきやしませんよ。大丈夫です。あなたが今まで通り、彼らをそのまま認めているのなら、――何も」
ただ眺めているのだろう。
美しく銀に輝くその姿を、眩しいくらいの青い光を、羨望を持って。
手を出せば灼かれるのが判っているから、ただ、傍で息を潜めて見ているのだろう。
アレクの傍には近寄れまい、あれは陽の光だから。
プラチナの静かな光だからこそ、ある意味見守るように。
「…俺はね、プラチナ様」
触れれば澄んだ音を立てて流れる前髪を払って、幼い額をさらけ出し、そっと手のひらで撫でる。
「あなたに、どんな種族の生き物も――愛せる人になって欲しいんですよ」
ジェイドのその仕草に、まるで猫の仔のように目を細めるプラチナに、微笑む。
「他の誰でもない、奈落王であるあなただけが、出来ることです。あなたが全てを包み込んでくれたら、この世界で誰でも、どんなものでも、生きていける許可を貰える。あなただけが…」
そっと、腕を伸ばして容易く腕の中に収まるこの、小さな愛しい温かさを、ジェイドは抱き締めた。
堪らないな、といつも思う。
愛おしいと思う感情も、そう感じるこころも、随分と前に棄てたと思ったのに。そんな感情を知るはずのないプラチナが無意識に、純粋な彩で与えてくれたからこそ、ジェイドのこころにも再び戻って来た。
ジェイドのこころにこの感情を惜しみなく与えてくれた、プラチナだからこそ。
「全てのものに、居場所を作ってあげられるんですよ」
いつかは、堕とされた、天使たちも。
神から見放されたこの世界だからこそ、全てのものを受け入れられると、思っている。
理想でしかないことだろう。
だがプラチナならば可能かもしれないと信じている。
「どうしてもというのなら、」
未だに不安だというようなプラチナの表情に、ジェイドは言葉を区切って人差し指を立て、口元に寄せる。
「今日は子守唄を歌ってあげますよ。特別に」
「とくべつ?」
大きな青い瞳がきょとりと動く。
その幼い姿にそっと微笑んで、頷いて見せた。
「ええ、特別です」
さあ早くしないと歌いませんよと言えば、いそいそと布団の中に深く潜りこんでしまう。
プラチナが何と言ったところで、布団に入ってしまえばすぐに眠ってしまうのだ。
そう思っている間に、プラチナはうとうとしだす。
今日は思い切り怖がっていたから、緊張の連続で疲れていたのだろう。
それでもジェイドが歌うのを待っている様だったから、プラチナの頭を撫でながら、小さな声で旋律を奏でた。
奈落の子守唄など知らないから、勿論これは天使の使うものなのだけれど、プラチナはいつも心地よさそうに眠る。
目の前の小さなプラチナも、もう意識はとっくに夢の世界へ旅立っているようだった。
怖がっていた分、夢の中では幸せだと良いと思う。
こんな風にするのは久しぶりだが、プラチナが覚えているはずも無い。
まだテント暮らしだった頃、熱を出して意識のないプラチナに、こうして過ごした夜のことなど。
end.