その日もいつものように、プラチナ様は朝早く、温室に行きました。

 温室で、庭師に挨拶をします。

「おはよう」

「おはようございます、お姫様」

 女の子の服を着ていることが多いので、庭師にはこう呼ばれている、とプラチナ様は思っていますが、実際のところ、庭師はプラチナ様のことを、女の子だと思っています。

 プラチナ様は、庭師の横をとことこ移動して、ベンチにいつも抱いているウサギのぬいぐるみを座らせると、プラチナ様の体には少々大きい如雨露を両手で持ち上げ、水道の水を溜め始めました。

 温室の植物にお水をやるのが、プラチナ様の日課、いえ、プラチナ様が自分で決めたお仕事なのです。

 今日はプラチナ様一人ですが、時々ジェイドさんも一緒に来ます。

 プラチナ様がジェイドさんのお仕事の邪魔をしないように、ジェイドさんもプラチナ様のお仕事の邪魔はしません。傍にいて、プラチナ様をじっと見守るだけです。

 今日はジェイド様はどうしたのですか、との庭師の問いかけに、早起きしてお仕事に行ってしまった、と、プラチナ様は答えました。

「一人ぼっちで寂しくないですか?」

 庭師の言葉に、プラチナ様はにこりと笑って、

「おひるには、もどってくる」

 と、答えました。

 朝出かける際に、ジェイドさんが迎えに来るまでここで待っている約束をしたのです。

 庭師もにっこり笑ってそれは良い、それは良いですねと返しました。

 植物にきちんと水をあげ終ると(途中、以前庭師が教えてくれた「水をあげすぎてはいけない植物」への対処もばっちりです)、プラチナ様は少し疲れたので、休憩をとるためにベンチのウサギの横に座りました。大きな如雨露を持ってあちこち移動するのは、ちいさなプラチナ様には大変のようです。

 その時、粗方仕事を終えた庭師が、手に植木鉢を持ってプラチナ様のところへやって来ました。

 頑張りやさんのプラチナ様に、チューリップの球根をくれると言うのです。

 ありがとうとお礼を言ってから、プラチナ様はその植木鉢を受取りました。

 植木鉢に、一つだけ入ったチューリップの球根。

 底で、安定悪くころころと小さく転がっては、角度を変えます。

「なにいろのはながさくんだ?」

「それは、咲いてみないと判りません」

「そうか…」

 プラチナ様は、指の先でちょっとだけ球根を触ってみました。

「そんなに触ってはいけませんよ」

 そう言う庭師に教えられながら、プラチナ様は赤玉を入れたり腐葉土を入れたりして、植木鉢に球根を優しく植えました。

「ああ、通用門の所が騒がしくなってきました。きっとジェイド様がお戻りになったのでしょう」

 ふと、庭師が作業をする手を止めて、通用門の方角を見ながら立ちあがります。

 プラチナ様が手についた泥を水で落として、暫く待っていると、庭師の言葉通りに、温室にマントを羽織ったままのジェイドさんが現れました。

 部屋に寄らずに、直接こちらに来たようです。

 ジェイドさんは温室の中を進んで、球根の植わった植木鉢を両手で抱えたプラチナ様に微笑みながら、挨拶をしました。

「ただいま戻りました」

「じぇいど、おかえり」

 プラチナ様もにこりと笑いました。

 ふと、ジェイドさんの目がプラチナ様の持っている植木鉢に止まります。

「…それ、どうしたんです?」

「もらった」

「そうですか、それは良かったですね。で、何が植わってるんです?」

 ジェイドさんは横を向いて庭師に尋ねました。

 傍に控えていた庭師は、その問いに笑顔で、

「『おやゆび姫』ですよ」

 と答えました。

* * *

 それから、ジェイドさんとプラチナ様はお部屋に戻って(部屋に戻る前に、どちらがウサギを持つか、少々議論になりましたが)、一緒に昼食を食べました。

 そのあと、ジェイドさんのお膝の上で、髪の毛を梳いてもらいながらうとうとしていたプラチナ様ですが、ふと日当たりの良い出窓に置いた植木鉢を見て、ジェイドさんに尋ねました。

「あの『きゅうこん』のなかに、『おやゆびひめ』がはいっているのか?」

 ジェイドさんはプラチナ様の言葉に暫く返答を考えていましたが、不意に顔を上げて機嫌良くにこりと微笑みました。

「プラチナ様、『おやゆび姫』を迎える準備をしましょうか」

 ジェイドさんの言葉に、プラチナ様を包んでいた眠気は一気に覚めました。

 大きな目を見開いて、まじまじとジェイドさんを見ているプラチナ様をそっと床に下ろすと、ジェイドさんは目線を合わせてプラチナ様に頼み事をしました。

「プラチナ様、アレク様か、サフィルスに金貨を一枚貰ってきて下さい」

 その間に準備を済ませておきますから、とジェイドさんが言います。

「ん、わかった」

 何が起こるのかは判りませんが、プラチナ様はジェイドさんの言葉に頷きました。

 ジェイドさんの役に立てることは、早く大きくなって、ジェイドさんのお仕事の手伝いをしたいと思っているプラチナ様にとって、とても嬉しいことなのです。

 ジェイドさんが扉を開けてくれたので、プラチナ様はウサギと一緒に廊下に出ました。

 それを見送ると、扉の傍に佇む衛士にいろいろと用事を言いつけて、ジェイドさんはお部屋に戻りました。

* * *

 プラチナ様がてこてこと、ウサギと一緒にアレク様のお部屋へ向かっている途中、ちょうど良くアレク様とサフィルスさんの二人と、会議室から出てくるところで出会いました。

 アレク様は、プラチナ様を見つけた途端笑顔になり、駆け寄ってきて、ぎゅっと抱きしめながら言いました。

「どうしたんだよプラチナ、一人でこんなところ歩いてるなんて」

 いつも、ジェイドさんの傍から離れないプラチナ様にしては、大変珍しいことです。

 アレク様の、容赦無い抱擁からプラチナ様は頑張って脱出すると、ジェイドさんから頼まれたことをアレク様にお願いしてみました。

「あにうえ、おねがいがある」

「ん、なに?プラチナ」

「きんかをいちまいほしい」

「金貨?」

 アレク様は一度瞬きをして、それから自分の上着やズボンのポケットの辺りを軽く叩いて見てから、

「うーん、今財布無いや。サフィ持ってる?」

 と、傍に控えていたサフィルスさんを振返りました。

「ええ、一応ありますけれど…お菓子でも買うんですか?」

 サフィルスさんは上着からお財布を取りだし、プラチナ様に合わせて屈むと、はい、と柔らかく笑んで小さな金貨を掌へ丁寧に乗せてくれます。

 サフィルスさんは『お母さん』のようだ、とプラチナ様は思っていますが、口に出して言ったことはありません。

 プラチナ様は問いには首を横に振って答え、サフィルスさんにありがとう、と、言って、頬にお礼のキスをしました。

 父上様から、『身近な人にはありがとうと言ってから、頬にキスをする』のが正しいお礼のし方だと、教えてもらったのです。

「あー、いーなー!」

 アレク様がそう声をあげた時には、プラチナ様は軽く手を振って立ち去っていました。

* * *

 扉をノックすると、中に居たジェイドさんが扉を開けてくれました。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 プラチナ様は行儀良くお返事を返してから、ジェイドさんに金貨を持った右手を差し出しました。

 早くジェイドさんに金貨を届けようと、廊下を小走りで帰ってきたプラチナ様は、頬がピンク色になっていました。それを見て、ジェイドさんはご苦労様でした、と、微笑みながら言って、プラチナ様の頭を何度か優しく撫でてから、金貨を受取りベランダの方へと移動します。

 ジェイドさんに頭を撫でてもらって、プラチナ様はご機嫌です。

 ジェイドさんの後を、プラチナ様も遅れないように小走りで付いて行くと、ベランダには、金属の小さな台と、暖炉の傍においてあったはずの火箸と、金槌と、鋏、それから火のついた蝋燭がありました。

「なにをするんだ?じぇいど」

 プラチナ様の問いかけには答えず、ジェイドさんは火箸で小さな金貨を丁寧に挟むと、蝋燭の火に当て始めました。

「じぇいど、きんかがとけるぞ」

「このくらいの熱じゃ溶けませんよ」

 暫くの間そのまま、何度か角度を変えて炙っているようでしたが、

「危ないですから、ちょっと離れてて下さいね」

 そう言うと、ジェイドさんは金属の台にそれを下ろし、火箸を持ち替え金槌で金貨をかつんかつんと叩き始めました。

 満遍なく叩かれたそれは、次第に薄っぺらく平らにのびていきます。

 まるでまるいお月様みたい、と思いながら、プラチナ様はそれをじっと見ていました。

「ま、こんなものですかね」

 ジェイドさんは手を止めて、紙のように薄くなったそれの感触を指で確かめると、手元にあった布で軽く汚れを拭い、今度は用意していた鋏で金貨だったものを切り始めました。

 まるで、折り紙でもしているようです。

 時々、不思議な模様の切れ目も入って行きます。

 ジェイドさんは切り取ったものを、今度は器用に指で押さえながら丸い形にしていきました。

「はい、プラチナ様、ちょっと親指出して下さいね」

「ん」

 ジェイドさんに言われて、プラチナ様は小さな手の小さな親指をジェイドさんに向けます。

 そこにちょこん、と乗ったのは、もっと小さな冠でした。

 それは本当に小さくて、プラチナ様の爪の上の方までしか、被りません。

 指輪にもなりません。

「まあ、これくらいのサイズでしょうね」

 そう言ってジェイドさんは熱を持った火箸で別の金属を溶かすと、冠の継ぎ目に当てて、くっつけました。

 小さな冠の完成です。

「さてと、それじゃあプラチナ様、この冠を植木鉢に置いてきて下さい」

 ジェイドさんは、出来あがった冠を壊さないように、丁寧にプラチナ様の掌へ乗せました。

 そこでプラチナ様はやっと、ジェイドさんが何の為にこれを作ったか、判りました。

 判った途端、とても嬉しくなって満面の笑みを浮かべながら、ジェイドさんに尋ねました。

「じぇいど、うえきばちのどこにおいたらいい?」

「とりあえず、真ん中で良いんじゃないですか?」

「わかった!」

 目を輝かせて小走りに部屋の中へ戻るプラチナ様を見て、ジェイドさんはくすりと笑うと、後片づけをしてプラチナ様の後を追うように部屋へと戻りました。

 プラチナ様は、そっと、植木鉢の真ん中へ金色の小さな冠を置きます。

 土の中の、球根の中で寝ている『おやゆび姫』を起こさないように。

 きっと、『おやゆび姫』は目覚めた時、この冠を喜んで被ってくれるに違いありません。

 花が咲くのを今か今かと心待ちにしているプラチナ様を、ジェイドさんはにこにこしながら見ていました。

 ジェイドさんは、庭師がプラチナ様にプレゼントした球根が、『おやゆび姫』という名を持つ種類で、名に相応しく小さなチューリップに成長するということを知っていましたけれど、ただ優しく笑んでプラチナ様を見ていました。

end.