あなたはきっと忘れてしまうでしょう。
そう、彼は寂しそうに笑った。
この箱には、あなたが必要とするものが入っています。
鍵は、この部屋のあなたの一番のお気に入りに、隠しておきます。
あなたがもし、ひとりで私に会いに来れるほど大人になって、それでもこの箱の中のものを必要とするのなら、その時は鍵を取りに来て下さい。
でも、――――、
…あなたはきっと忘れてしまうでしょう。
* * *
幼い頃に住んでいたマンションは、周囲の景色も外装も変わっていたけれど、それでも懐かしいものがあった。
管理人室へ声を掛け、オートロックの玄関を通過して、エレベーターへ乗り込む。
ふと、幼い頃兄と背伸びをしてボタンを押したことを思い出し、思わず微笑んだ。
遠く離れていた時よりも鮮明に、些細なことまでも思い出す。
エレベーターからの距離。
走るな、と叱られるのが判っているのに、兄はプラチナの手を繋いだまま一番奥の、自分たちの部屋へと駆けて。
プラチナは手前の部屋のドアの前で止まった。
それが習慣だった。
幼い頃立ち止まったそこで立ち止まり、ドアの横にある、小さなプレートを確認する。
ああ、何だかこういうのは。
――緊張するのに、笑ってしまう。
チャイムを押して暫く待つ。
ドアが開くまでの、タイミングすら変わらない。
ドアを開ける時の仕草も、はっきりと覚えている。
この街の風景やマンションが変わったように、子供の頃より身長も髪も伸びて、プラチナの姿が変わっていても。
たとえ、彼の姿が変わっていたとしても。
こうして、変わらないものもあるのだ。
ドアが開いて、プラチナの挨拶も聞こえているのかいないのか、驚いて動きの止まった彼の横を通り過ぎる。
勝手知ったる部屋を進んで、リビングの本棚の最下段、『世界の童話全集』の第三巻を探しだす。
取り出す為に指をかけた時、やはり、と思い自然と笑む。
取り出したそれはカバーのみで、本は入っていない。
だが、中から小さな鍵がひとつ、こぼれ落ちる。
プラチナがあの小さな箱を捨てなかったように、彼もまた、この想いを棄てようとは思わなかったのだ。
end.
普通はインターフォン対応が先ですが、そこはスルーの方向でお願いします。