「というわけで、写生会とは名ばかりの、桜の最後の咲きっぷりを愛でにね、今週花見をしたいんだけど…駄目かい?」
「…ベリル、そう言うときは花見の方を先に出すんだ」
「あっはは、そうだよねぇ」
そう言って、ベリルは生徒会室の質素な机の上に置かれた、売店で買われた味気ないサンドイッチを口にする、プラチナの髪を触る。
「君、体が弱いんだから、もっと栄養のあるものを食べたまえよ」
「…父上のような事を言う」
「あはは、…そうかい?年上、だからかな…」
「年上は年上でも、ルビィは違うようだぞ?」
「ああ…彼はねぇ…」
穏やかに笑う。この穏やかさも、不快ではない、とプラチナは思う。外見の割には酷く落ち着いたところがあって、もしかしたら三年より多めに在学しているのでは、という噂も多々ある。多少時や場所を選ばず飲酒するのが難点だが、それで問題を起す事も無いし、迷惑を掛けられた事も無い。(将来の勉強として頻繁にそういう場所に出ているプラチナの中で、飲酒はタブーではない)
(それに…止めろといって聞くようなやつではないし…な)
「それで、どうかな?」
「…予算の方は問題ない。後で確認は一応しておこう。後は必要な各委員会に連絡を取っておく。あと、購買部にも。…これでいいか?」
「そうではない」
今まで静かにしていたジルが、2人の背後からボソリと呟いた。ジルの言葉に後ろを振り返って、プラチナは小首をかしげる。
「?…何だ?」
「マスターは、そう言うことを言っているのではない」
「では、何だ?」
「君は花見をしたくないのかい?」
「…嫌いではない」
「じゃあ、しようじゃないか」
実に楽しそうに、ベリルは簡単に決めてしまう。そのことに少々顔を顰めて、プラチナは手離して喜ぶベリルを止めた。
「俺の一存で決めるのは…どうかと思うが」
「まぁまぁ、僕はね、僕が楽しくて、それで君も楽しんでくれる事をしたいんだよ」
「兄上とかは…どうなのだろう」
「彼は何でも楽しい事に変えてしまう、特技を持っている子だよ。だから大丈夫だ」
「…それはそうだが…」
「大抵の人はね、そういうものを持っているんだけどね…君はねぇ…不器用な子だから、心配なんだよ。あんまり肩肘張らなくてもいいのに…」
「俺は、別に肩肘など…」
よしよし、と頭を撫でてくるベリルの手は手馴れている。そうやられていると、何もいえなくなって、結局黙ってしまう。
「…心配しなくていい、新入生同士の交流にもなる」
ジルの言葉が後押しになって、プラチナはこくりと頷いた。
「あーあ。どうしてあんなに、我侭言えない子になっちゃったかなあ…」
ベリルが大きく伸びをして、後ろのジルを逆さまの状態で見る。プラチナは、午後の授業の為に生徒会室を先ほど後にしていた。
「不憫だよね。お父さんの言葉、あんなに信じてるんだ…」
「それもあるかもしれませんが、アレクが我侭を言い過ぎるのでしょう」
「あの子はねぇ…それもいい所なんだけど」
「それに、元々の気性が違いすぎます」
「んー…そうだねぇ…」
姿勢を元に戻して、ベリルは立ち上がった。チャイムがいいタイミングで鳴り出す。
「父親は、あんなに慕われていたら、さぞかし嬉しいでしょうね」
ジルの言葉にベリルはにっこりと極上の笑顔を向けて。
「もう、必要以上に頑張れると、思わないかい?」
「そうですね」
* * *
「プラチナ、カロールが来てたよ。はい、本」
教室に戻ると、アレクがプラチナに駆け寄ってきて、手にもっていたハードカバーを渡す。
「そういえば、今日、約束していたんだった。カロールに悪いな…」
「放課後にでも、行ってあげたら?」
「そうしよう」
「ところでさぁ…ルビイを家に招待したんだって?」
プラチナの様子を伺うように、アレクが顔を覗き込みながら問い掛けてくる。
「ああ、あいつが喜びそうな物が、他に判らなくてな」
「いいんだよ、あんなやつにお礼なんて!」
「だが、あいつがいなければ、部は成り立っていなかっただろう。いつも昼食は一緒なのだし、食事ぐらいでそんなに騒がないでくれ、兄上」
プラチナはにこりと、兄弟のアレクにしか見せないような笑みを見せ、アレクは口篭もる。
「ぐらいって言うなよなー…」
そういいつつも、プラチナにとっては、昼食レベルの誘いだったという事もあり、機嫌は浮上する。
「じゃあさ、カロールも誘ってあげたら?」
「ああ、それは良い案だ。そうしよう」
アレクのさり気無い嫌がらせが成功した時、始業のチャイムが鳴った。
* * *
「…そうして紀元前、この地域においてこの文化は川を挟んだこちら側にも…」
担任のサフィルスの歴史の授業が、気だるげな午後に子守唄のように響いていて、教室内を見渡せば大部分の生徒達がこくりこくりと、頭を上げたり下げたり。
兄のアレクに至っては、もう随分前から下がったまま。
(俺も…寝そうだ…)
兄より保っているのが奇跡だ。歴史は嫌いではない。興味は尽きる事はないが、何より天気が良すぎる。
「みなさーん、起きて下さいよ~」
サフィルスの情けないような声が教室に響く。
「あー…駄目ですね…。トホホ…」
ため息をつきながら、ごそごそと鞄を探って、プリントを取り出した。
「とりあえず、これやって下さいね。あ、ちなみに、これこの時間に提出なので、頑張ってください」
(…さり気無く、酷い事をするやつだな…)
どう見ても授業時間は、あと10分しかないような気がするが。
もちろん、兄は起きる気配がない。仕方がないので、低く声を掛ける。
「兄上、起きてくれ」
「ん~…」
「兄上」
「…………」
体を揺するが、それでも起きる事がない。もう、どうしようもなく。
「わー!何で起こしてくれなかったんだよー!!ばかー!」
「俺は、起こしたぞ…」
アレクがプリントを握り締めて、プラチナに詰め寄る。チャイムが鳴り終わるまで爆睡していたくせに。
「もー、プリント、ついでにやってくれてたら良かったのに…」
「それでは、兄上の為にはならないだろう…」
「今からでもいいから、やってよー!」
「ズルはいけません」
「うわあ!」
2人の背後から、サフィルスの明るい声がして、アレクは思わず声を上げた。
「あ、先生、まだ居たんだ…」
「もちろんです。今日アレク様は社会科教員室で居残りで、いいですね?お待ちしておりますから…必ず来てください」
「え~~~~」
「さぼったら、もう一枚追加しますよ」
「え~~~~!!嫌だー!」
* * *
放課後、剣道部の方に寄る前に図書館へ向かった。
相変わらず、利用者の少ない割には、蔵書が増えていくのは、プラチナとカロール2人の所為かも知れない。
「カロール、昼はすまなかった」
カウンターに座って、黙々と処理をしているカロールの頭上に、そっと声をかける。
「! プラチナ様…」
「大変そうだな、手伝おうか」
「…え、…でも、これから部の方に行かれるんでしょう?」
言葉の割には嬉しそうな顔をしているカロールに、プラチナは微笑んで見せた。
「2人でやれば、早かろう」
「あ、でも手が汚れますから…」
「それはお前も同じだろう」
そう言い、カウンター内に入ってカロールの傍のパイプ椅子に座る。
「何をしていたんだ?」
「本の修理です…乱暴に触る人が多くて…古い本もたまにあるんですけど…」
「そうか…」
カロールにすすめられて、白い薄手の手袋をはめ、いろいろ教わりながら修理をしていく。やはり何においても秀逸にこなす事が出来るプラチナだから、すぐにカロールの言いたい事を理解し、そして時々は意見を返しながら、的確に処置をこなしていった。
しかし、少しずつプラチナの顔色に疲れが見えてくる。
(今日は、睡眠を途中でとらなかったからな…)
別に毎日必ず昼寝を必要としているわけではないが、今日は駄目だったようだ。少しずつ、頭が重くなるような、指の先が痺れて冷えてくるような、感覚が襲ってくる。作業の手を止めて、カロールが心配そうに顔を覗き込む。
「プラチナ様、大丈夫ですか?少し休憩を取りましょうか…?」
「…そうだな、頼む…」
「奥の方で、休まれてていいですから…僕は何か飲み物を…」
「ああ、すまない…」
カロールに支えられて、立ち上がったところで目眩を感じ、カクリ、と膝の力が抜ける。手近の壁に手をつこうとしても、最早体のどこも動かす事は出来なくて、そのまま床に倒れこんだ。
「プラチナ様っ…!」