ロードは機嫌が悪い。

 理由は明白だ。

 3日前、プラチナはよりにもよって保険医の車で帰ってきた。しかも、丁重にお姫様抱っこをされて、だ。まるで自分の所有権を誇示するかのように、自分のシャツまで身に付けさせて。保険医は挑戦的な笑みをロードに向けていた。

 ああ、本当に腹立つったら、ない。

 さらにそれから毎朝必ず、プラチナが保健室に足を運ぶようになった、と聞いて、機嫌が悪くならないはずが無い。

(プラチナは…小さい頃から、体の事については素直に医者の言うことを聞くからな…)

 昔…ロードたちがまだ、幼い子供の頃。

 稽古をサボって、寝込んでいるプラチナの元へアレクと2人で見舞いに訪れた際、そこには珍しく彼らの父親が訪れていて。プラチナは辛そうなのに、それでも嬉しそうに微笑んでいた。

 その時低い低い、それでも静かな声が、プラチナの頭を撫でながら諭すように言っていたのを覚えている。

『…プラチナ。ちゃんと大人になりたかったら、医者の言うことはもっとよく聞け』

『……はい…』

『お前には、将来アレクを補佐して貰わねばならん』

『わかって…います…』

『その為にも、身体を大事にしろ』

『はい…』

 ロードはその声に薄ら寒ささえ覚えたのだが、当のプラチナは父親の言葉に感激さえしているようだった。その時の言葉は絶対となり、以来医者の手を煩わせるような事は一切無く、多すぎるような薬もきちんと飲んだし、それによる副作用にも耐えた。

 …まるで、それ以外の道を知らないかのように。

(……って、いいんだよ、今はそんな事はっ!)

 ぶるぶると、一つ頭を振って、考えを元に戻す。

(どーやって、プラチナからあいつを引き離すか、だよなぁ…)

 プラチナは必然的に保健室が無くては、学園生活はままならないだろうし。保健室に行くのは、仕方が無いとして。2人きり、というシチュエーションが、イタダケない。

 そこを邪魔したくても、ロードやアレクがついてくれば、プラチナは申し訳無さそうにするだろうし。

 保険医は、授業をタテに「邪魔だから帰れ」と言うだろうし。何か…不自然無く、さり気無く、邪魔する方法は無いだろうか。

(…んっ?あいつはどうだ…!?)

 ジル。美術の授業は選択式だから、授業数も少ないし、その空いている時間はもっぱら準備室に篭って製作に励んでいるという。生徒会の顧問のクセに、実際はベリルの手足みたいなヤツだから、ベリルに頼んで直々に、プラチナの付き添いにしてもらえば。

(保険医は追い出しにくいだろ…!)

「よっしゃあぁーっ、ヤツだ!!」

 バンっ、と机を叩いた時。

「あのー…ロードさん、今授業中なんですが…」

 サフィルスの声に、はっと我に返る。

 ああ、そうだった、今はこいつの歴史の授業中だった、ロードは思い出す。

(そういや…何かアレクも様子が変なんだよなぁ…)

 サフィルスとの居残りがあった後、どうやらサフィルスの趣味の料理が気に入ったらしく、サフィルスとの距離がかなり縮まっている。放課後、部活の前に家庭科室に寄ったり。

 そこで幸せそうに手伝いなどをしている様子を見ていると、ああ、母親居ないもんなぁ…とロードは悲しくなって、とても邪魔が出来ないのだ。

「あの…私の顔に、何かついてますか?」

「あ、あらっ、私ったら…ぼーっとしてました!ごめんなさぁい」

 えへ、と可愛く笑うと、教室中殆どの男子生徒がほわーっとなる。しかしロードはそんな事はお構いなしに、また思考に沈んだ。

 家庭科室に入り浸るアレクの所為で、正反対に位置する保健室の様子は伺えない。

(ああもう、何でお前達は一緒に面倒ごと起すんだよ…!)

 頭を抱えて、ロードは苦悩した。サフィルスから受ける印象は、保険医のそれよりは遥かに安全圏だ。

 だったら。

(ここはいっそ、プラチナを重点的に…ああっ、でもサフィルスとは別な事でアレクに何か合ったら……俺、プラチナに殺される~!!)

「あ――っ!もう、どうすりゃいいんだよっ!」

「ロードさーん…、あのー…?」

「あああっ、すみませぇん、先生っ!」

* * *

「…で、どうしてあなたがここに居るんです?」

「…付き添いだ」

「俺は別に良いと言ったんだが…」

 ジェイドは、保健室にいつものように訪れたプラチナを笑顔で迎えようとして…固まった。保健室のドアを潜りにくそうに、長身の男が背後から入ってきたからだ。

「付き添いって…子供じゃあるまいし」

「俺もそう言ったんだ!」

 プラチナについ責め口調で言うと、プラチナ自身も恥ずかしいと思っていたのか、大きな声を出してジェイドの言葉に反応する。

「俺が無理についてきた。心配だったからな」

「はぁ。…保健室は観光名所じゃないんですけどね…」

 ジルの言葉にジェイドはため息をつく。

(ああ…せっかく今日まで我慢したのに…)

 いきなり初日から手を出しては、失敗する事は目に見えていたから。今日くらいから、少しずつ摘み食いをしようと狙っていたのに。雰囲気ぶち壊しだ。

「どうした?プラチナが授業に遅れるだろう。早くやれ」

「…判りましたよ。はぁ…何故あなたに指図されなくちゃいけないんですか…」

 何か監視されているようで嫌ですねぇ…、と呟いた所で気が付いた。

 これは監視だ。紛れも無く。

(…あのお嬢さんの、ささやかな抵抗、というところか…)

「それでは、プラチナ様、どうぞそこに座ってください」

「ああ。…すまない」

 ジルの存在を嫌がっているジェイドに、こそりと呟くプラチナが可愛らしく、思わず嫌な気分もジルの存在も忘れてプラチナに手を出しそうになった。…危ない。

 あくまで事務的に、プラチナの脈を軽く取り、血圧を測って、心音をとる。本当なら採血だってしたいところだが、彼の血を毎日採る事はさすがに出来ないだろうし。家の医者も月一に検査をしているそうだから、その辺は省略した。

(…ん?)

「プラチナ様、今日朝食は?」

「……摂ってない…」

「…夜更かししましたね?」

「……何で判るんだ…」

「そりゃあ、それが私の仕事ですから」

 それに、そんなに気力の無さそうな顔をしていれば、自ずと判ってくるというものだ。

「仕方がありませんね…倒れられても困りますから、午前中は休んでいって下さい」

「…しかし、授業が…」

「それなら何故、夜更かしをされるんですか」

「…カロールに借りた本が…面白くて、つい…気が付いたら、朝だったんだ…」

 言いにくそうに俯くプラチナの様子に、ふと嗜虐心が湧いてきて、表情を厳しくして更に言う。

「あのですねぇ…保健室は、具合の悪い生徒の為にあるんですよ?眠るためには、本来用意はしてないんです」

「わかっている…」

「本当ですか?」

「…本当だ」

(…これはこれは…可愛いもんだな、意外と)

 怒られてしゅんとなるプラチナの、僅かだが表情が豊かな事。成る程、これでは周囲が放って置かないはずだ。思わず頬が緩みそうになる。

「もういいだろう。プラチナも、十分反省している」

 ジルの静かな声が、ジェイドの僅かな至福の時間を壊した。

(ああ、居たんだっけ、この人…忘れてましたよ)

「それじゃ、どうぞ奥へ。それで?あなたはずっとここにいるんですか?あんまりお構いは出来ませんけど」

 茶ぐらいしかないですが。そう言ってジルの方を見ると、ジルはプラチナの上着を預かりながら、表情の変化も無く。

「プラチナが眠るまで居るが、今日は生憎用事がある。後のことは頼む」

「当然ですよ」

 にこりと、早く出て行ってしまえという気持ちを込めて微笑んでやった。面の皮は充分に厚いのか、ジルはさらりと受け流して、プラチナの背中を軽く押し、奥へと促す。

「…そういえば、明日の写生会について、マスターが準備の確認に来て欲しいと言っていた」

「ああ、わかった。昼食の時間にでも…」

 カーテンの向こうから聞こえてくる物音や、会話に何となく傍耳を立ててしまう。

「そうか、お前はこれから買出しに行くのだな」

「マスターの飲み物は、意外と重いからな」

「…呆れたな。あいつの身体のどこに、ケース1箱の液体が収まるんだ?」

「1箱ではない」

「……頭が痛くなってきた…もういい。聞かないでおく…」

(…写生会で、何で飲み物の話が…って、これじゃただの盗み聞きだ)

 自分のしている事に冷静になって、ジェイドは机の書類に、今日のプラチナの血圧などの数値を記入していく。 まだ奥で低く会話が続いていたようだが、敢えて無視して黙々と他の書類も片付けた。

「…それでは、頼んだぞ」

「っ!…あなた、まだ居たんですか…」

 あまりに静かだから忘れていた。気配も全然しない。いつの間にか室内は静まり返っていて、プラチナの起きているような気配もしない。

 立ち去ろうとするジルに、ふと思いついて尋ねた。

「あぁ…ちょっと、すみません。付き添いの事、誰に頼まれたんですか?」

「…生徒会長だ」

 秘密主義で返事が無いかと思ったが、あっさりと返事が返ってくる。ジェイドが予想しても無い角度で。

「生徒会長?何でまた…」

「彼はプラチナのことをとても心配している…」

「…それだけですか?」

「……パストゥール家のメイドが、何か言っていたようだ」

「…やっぱり。そうじゃないかと思ったんですよ。それが判ればいいんです。どうも、お引止めしてすみませんでした」

 お互いに、もう引き下がれないほど敵だと認識出来た。これからは、もっと妨害してくるだろう。

(さぁて、後はどんな手で来るのやら…)

 そう思いながら、ジルに背中を向けた時。

「…お前は、何を望んでいる?」

「は?何です、突然」

「お前は…哀れだな」

 まるでジェイドの何もかもを知っているかのような発言に、ジェイドも視線をきつくする。

「…言葉に気をつけてもらえませんか? なんで見ず知らずのあなたに、突然哀れまれなくてはならないんですか?」

「気に触ったのなら、謝ろう。しかし…お前は、最後の選択を間違えなければ、お前の望む一つは必ず手に入るだろうに」

「何なんですか、一体…」

「…余計な事を言ったようだ。気にするな」

「気になんか、最初からしてませんよ」

「そうか」

 笑ったようだったが、ジルはすぐにドアの向こうに去ってしまい、定かではなかった。

「勝手な事を好き放題言ってくれて…」

 知らず忌々しく口を突いて出る呟き。

(最後の選択?俺は間違えない。…間違った事など、ない。間違える訳にはいかない…)

 わかりきった事だ。

 間違える未来など、選択肢にも無い事は。