現在、プラチナはサフィルスの膝の上で、すやすやと睡眠を貪っている。

 銀色のプラチナの髪の上に、薄紅色の花びらがどんどん積もっていく。その姿は鑑賞に値するもので、下手な芸術よりも素直に感動できる。

 唇に落ちた花びらを、そっととってやると、くすぐったかったのか、プラチナは寝返りをうった。その様子が本当に可愛くて、頬を何度も撫でる。

 ふと周りを見渡すと、救急箱を片手に気だるそうに持って、酔いなど感じさせない風に足早にジェイドが帰って来るのが、遠目からでも良く見えた。

 彼が食べ掛けていた、サフィルスの用意した重箱はきちんと保護してあったので、それを彼がここに辿り着く前にもう一度用意し直す。

「ああもう、今日が花見だと判ってたら、休んでたの…に」

 不満を訴えながら頭上の花びらを軽く手で払う。そして視線を移動させた先に、レジャーシートの上にサフィルスに膝枕をされて横たわるプラチナを発見して、動きが止まった。

「…で、何で俺よりオイシイ目に合ってんだよ?」

「日ごろの、行いの所為ですかね」

 苦虫を十匹くらい噛み潰したような、そんな顔のジェイドに向けて、にっこりと笑う。

「さっきまで、お強請りしたり…物凄く可愛かったですよ?」

「…代われよ。お前はアレク様の所でも行ってろ。あちらはあちらで、地面の上で寝てたぜ?面倒見てやれよ」

「今動くと、プラチナ様が起きてしまいそうなんですが…」

「代われ」

「なに、子供がお気に入りの遊び場を奪われたような、顔をしているんですか」

「…サフィルス」

「はいはい。…あなたに殺されそうなので、交代しましょうか」

 プラチナを抱えて立ち上がると、ジェイドの腕に渡した。少し起きそうな気配だったが、すぐに頬をジェイドの胸に埋めて寝てしまう。

(ジェイド…今のあなたの顔、鏡で見せて差し上げたいですよ)

 両腕が封じ込まれているジェイドに、多少の意地悪をしたくなって、笑顔を向けた。

「先ほど、プラチナ様が私の料理に興味を示して下さいまして。今度、お兄様と一緒に見学に来てくださるそうなんです。いや~、楽しみです」

「…何でそうなるんだ…」

「さぁ…?日ごろの行いの所為じゃないですか?」

 予想通りの猛烈に嫌そうな顔に、大満足して、それでも付け加えてみた。

「プラチナ様は、優秀な方ですから。…お料理も、お上手かも知れませんね?」

「サフィルス。俺はお前の…」

「…ジェイド」

 言葉を遮った。彼の言いたい事も判っていたし、自分のやるべき事も、判っていたから。唐突に遮った。それでも、言わずにいられなかった。

「あなたは、その無垢な子供を…騙せますか…?」

「…まだ、言ってるのか。懲りないヤツだな」

「そんな顔で、あなたの腕の中で眠っているんですよ…?」

 そして、それを抱いた時の、あなたの満たされた顔は、今まで見た事が無い。

 この短い期間の中で、あなた達に特別な何かがあったとは、思わない。そんなに簡単にあなたは人前で素顔はさらけ出さないし。それなのに、特別な言葉も必要無く。

(…あなた、彼に満たされているんですよ…)

 今のあなたは飢えていて、与えられているのが、全然判らないかもしれない。でも、いつか一杯になって満たされ尽くす時が来る。

(その時、きっとあなたは……自分を騙すのでしょうね…上手な人だから…)

「サフィルス。本当にお前は、俺に相応しいヤツだな」

「…え?」

 怒っていたはずのジェイドの明るい声に、驚いて顔を上げると、体が一瞬引きつるのが判った。

 ――…笑っていない。

 目が。何よりも恐ろしい。

「何度も何度も。試すように、お前は俺の中の決意を確かめるかのように、尋ねてきやがって。お前のおかげで、日和り掛けてた俺の思考も、正しいルートに戻る」

「ジェイド…」

「何度でも、尋ねるがいいさ。何度でも、俺は答えてやるよ。――…俺は、この子供がどうなろうが、知った事じゃない。俺が生きるためには…精々、利用させて貰うさ」

(…ジェイド。もう、いいですから…)

「騙せるかだって?――ああ、騙してやるよ。二度と目なんか開かなくてもいいと思うくらいに!俺が、生きるためなら…そう、選んだはずだ。…お前も、お前が生きるために、選んだはずだ」

(もう、あなたの中では終りかけている事なんですね…?)

「サフィルス、そんな目で俺を見るな」

「…すみません…」

 視線で殺されそうだった。彼の手が自由でなくて良かった。自由だったら、今ごろ殴られている。

(でもあなたはきっと、判っていない…)

「…さっさと行けよ」

「ええ。そうします…」

(あなたこそ、傷付ける相手のことを考えれば考えるほど、傷付いているのだということを)

* * *

「お好きでしょう?」

 酔いから醒めて目覚めたら、いつの間にか保健室に運ばれていたプラチナの目の前に、スマイルカットされて皿に出されたピンクグレープフルーツがあった。ジェイドの顔と、突然のソレに思わず視線が行き来した。

 グレープフルーツは、好きだ。甘すぎない所がいいし、レモンのように酸過ぎないし。

 ただ、ジェイドとそれが繋がらない。

 ジェイドの前で、好きだと言った事が無い。

「どうしたんですか?何だか仔猫を相手にしているみたいですね。…毒なんて入ってませんよ」

 …それに、とプラチナは考える。

 見返りとやらを、また請求されるのだろうか。

「…お前に、俺は食べ物の好みを言ったことがあったか?」

「ああ、それはですね。有力な情報筋が…」

「ふざけてないで、ちゃんと言え」

「食べてくれますか?そしたら、教えて差し上げますよ」

 ジェイドが笑顔に押される感じで、プラチナは皿をベッドに上半身を起した状態で受け取り、器用に皮を剥いて食べる。ベッドに腰掛けて、ジェイドがプラチナが租借する様子をじっと見ているのが居心地が悪い。

「美味しいですか?」

「ん…ああ」

 良く冷えていて、酒の所為で咽喉が渇いていたプラチナは次にも手を出す。

「実はですね、保健室にはいろんな女生徒が良く遊びに来るんです。それで、話しているうちに、ね」

「…そんな不特定多数に、俺は自分の好みを言った事は無い」

「うーん…本当にあなたって人は……鈍いですよねぇ」

「…何だ?」

 曖昧な笑みを向けられて、プラチナはきょとんと目を大きくした。その瞳にジェイドは笑顔を向けて、プラチナの疑問を誤魔化した。

「いいえ。判らなければいいんですよ……まぁ、その女生徒達はですね、プラチナ様の寝顔見たさに、私の質問に対する答えを提供してくれた訳です」

「俺の寝顔見たさ…?」

「そう、あなたがここで寝ている時にね、女生徒達にあなたが居る事を教えてあげたら、ぜひとも寝顔が見たいというので…」

 質問の答えとトレードしました。と何でも無さそうにジェイドが言う。プラチナの体が恥ずかしさで硬直した。

(…こいつは!! 寝ているときの顔になんて、責任が取れるものか!)

 寝言を言っているかもしれないし、夢を見て笑っているかもしれない。そんな恥ずかしい事を、よくもこの保険医は…!!

「この…っ!お前は!俺に直接聞けばいいだろうが!!」

「あなたの驚く顔が、見れるじゃないですか。――大丈夫ですか?」

 声を大きくした瞬間に、手に持っていたグレープフルーツに力が入って、果汁が手に垂れる。

「…ジェイド、ティッシュを取ってくれ」

 プラチナはため息をついて、手を離せない自分に代わってジェイドに頼む。だが、ジェイドはプラチナの言うことなど、聞いていない様子で、

「あーあ、勿体無い」

 ジェイドの手がすう、とプラチナの手に伸びてきたかと思うと、顔が近づいて果汁に濡れる指を舌でなぞった。

「…――っ!?」

 指の先に舌が触れて、びくりと体がすくんで手を反射的に引こうとした。が、ジェイドの手が手首をしっかり捕らえていて、それを許さない。そのまま、舌は指を伝う果汁を何度も行き来して舐めとって行く。思わず口から、声が漏れた。

「やめ…ジェイドっ、…っ、あ…」

「勿体無いでしょう」

 そう言って、ジェイドが口内に指を含んだ。

「ぁっ…!」

 暖 かい口内の感触に全身が反応して、背中に力が入る。自分の指を舐るジェイドを見つめている事が出来なくて、目をきつく閉じる。そうすると、よりいっそう ジェイドの口内で、舌が指を舐めたり、軽く吸ったりする感覚が鮮明に伝わってきて、プラチナはシーツを握り締めて、声が漏れるのを堪えた。

「ジェイっ…ド、もう…やめ…っ」

 ぴちゃ、という音を立てて、ジェイドが口内から指を解放する。そしてそのまま、また自分の唾液を舐め取るように舌を動かしていく。

「っは、……っ」

 指先から感覚が熱に変わり、その熱の熱さが全身に伝わってくるようだった。知らず涙目になっているのにジェイドが気がついて、そっと、プラチナの顔を両手で挟み、いつかみたいに涙に唇を寄せる。

 先ほどの行為から遠くかけ離れた、そっと啄ばむような優しいキスだった。

「ごちそうさまでした」

「……お前は…っ!」

「嫌ですね、見返りですよ、見返り。ここまで連れてくるの、意外と大変だったんですよ?プラチナ様。感謝のお心があるのなら、これくらい許してくれなくちゃ、いけませんよねぇ」

「この、あほう!!」

「あ、そうですよね、許してくれてるんじゃなきゃ、私あなたに攻撃受けてましたよねぇ?身を守られる術は、いくらでも持っていらっしゃるんですから」

 そう重ねていわれて、ぐっと詰まる。どんな相手にでも、今までちゃんと処理をこなしてきたはずなのに。悔しい気持ちで一杯になって、強くジェイドを睨んだ。

「怒らないで下さいよ。本当の事じゃないですか」

 睨まれても、ジェイドの余裕ぶりは崩れる事は無く。プラチナは寝顔の事といい、先ほどの指の事といい、本当に恥ずかしくなって俯いて強くシーツを掴んだ。

 何故だろう。何故こいつには好きなようにさせてしまうのだろう。

 好き勝手に俺をからかったりしているのに。恥ずかしげも無く堂々と見返りを要求して、俺の望まない事ばかりをしているのに。

 何が…違うのだろう。アレク達と。  …何が。