(感度は良好…結構敏感な感じもするが…いい顔してたし)

 プラチナは、今は赤くなってジェイドから目を逸らすかのように俯いてしまっている。

 俯いた項すら、薄く朱が差している。

(本当に、いい表情見せてくれるようになって…これからも期待してますよ?プラチナ様)

 こんな、何も知らないような人間に一歩一歩、無理矢理踏み込んでいくような野蛮な行為は充分にそそる。しかも、相手がこのプラチナならば。

(いい一年が送れそうだ…)

 大変ご満悦になって、ジェイドは皿を片付け始める。機嫌のいいジェイドに腹が立つのか、プラチナは目線を絶対に合わさない。そんな子供らしい所も、ジェイドにとっては嗜虐心をそそるモノ以外の何でもないのだが。

「そういえば、サフィルスに聞いたんですけど」

「………うるさい」

「プラチナ様、料理に興味があるんですか?」

 プラチナの言葉を無視して言葉を重ねる。そして笑顔のまま数秒待てば、居心地悪そうにしながらプラチナが答える事は、もう判っていたから。

「興味というより…楽しそうだと思っただけだ」

「そうなんですか。残念です」

「…何故だ?」

 驚いて、ジェイドを見返すその瞳には、もうある程度怒りが消えている。暫くすれば、残りの怒りは諦めに変わるのだろう。

(そうやって、少しずつ俺を受け入れてって下さいよ…そうしたら)

 また、あなたは俺に踏み込ませるはずだから。そうして、あなたの中の俺の存在を大きくしていって。

 最後に逃げ場を失ったあなたが俺に跪いたなら、その時は。

(優しく抱いてあげても、いいですよ? その時だけはね)

「プラチナ様の手作り料理って、さぞかし美味しいだろうと思っただけですよ」

「…料理は作った事が無い」

「お兄様の、好きなものでも作って差し上げたらどうです?きっと喜ばれますよ」

「兄上の好きなものは…甘い物が多いし…それに」

「それに?」

「サフィルスが作るから、通っているんだろう」

(良く、お分かりで。…鈍いのは、自分の事だけなのか?もしかして)

 それじゃあ…と前置きして。ジェイドは本題をさらりと何でもない様に、口にした。

「では、お父様には、いかがですか?」

「父上の…」

 プラチナの様子ががらりと変わった。先ほどまでは、ジェイドの事で頭が一杯だったようなのに、途端に顔に朱が走る。喜びのような、緊張のような、複雑な表情をした。

 理事長は姿をめったに見せない。その存在すら疑われている。理事長の居場所を押さえておくのも、必要かと思って尋ねただけなのだが。

(何だか、面白くないな…目の前にいるのに、無視されてるみたいで)

「父上の…」

 もう一度呟いて、それから次第にプラチナの表情が曇ってゆく。こんなに目に見えて判る表情の変化など、本当に珍しい。ますますジェイドの機嫌は悪くなるが、プラチナには伝わらない。

「…どうしました?」

「………俺は…父上の好まれる物は…知らん」

「あらら。それは参りましたね…」

 気持ちとは反対に、明るい声でジェイドが言う。その言葉にプラチナがまた俯いて、シーツを両手で強く掴む。

「もう、何年もお会いしてないし…そんな会話もした事が無い…」

「え?最後に会ったのって、いつですか?」

 不躾なジェイドの問いに、プラチナの肩が震える。声を絞り出すようにして、言葉を紡ぎ出す。

「……俺が7歳の頃だ」

「じゃ、9年も会ってないんですか。…今、どちらの方に?」

「いつも、転々とされているから…良く判らない」

 ふ、とプラチナが思いを断ち切るように顔を上げる。その表情は、先ほどまで顔を赤くしていたプラチナではなく。初めて会った日の、夜桜の下で見た表情と同じモノだった。その顔に、ジェイドは、己の失敗を悟った。

 もうジェイドの入る隙間など無く、完全に塗り替えられている。

「ま、料理なんてあなたがする事じゃないですよ。綺麗な指に傷がついたら困りますから」

 そう言いながら、プラチナの手を取り指に口付けた。先ほどの余韻を無理矢理引き出そうとして。

 『ピリリリリ ピリリリリ』

 突然の電子音に、プラチナがびくりと身体を震わせた。そしてジェイドの手から自分の手をもぎ取ると、慌ててベッドを降り靴を履く。そしていつものロッカーの中に掛けられていた上着の内側から、折りたたんだ携帯を取り出した。

「はい、お待たせしました」

 プラチナがこんなにあからさまに慌てることがあったのか、とジェイドは正直驚いた。しかも電話ごときで。

(誰だ?…それよりも、携帯持ってたのか…)

「俺は、大丈夫です。…はい。 … … はい、ご心配をお掛けして、申し訳ありません」

 低く、小さな声でジェイドに背を向けて話しているのを見て、ジェイドは気を利かせて少し離れようと自分の机の方へ移動しかけるが、どうしても電話が気になって傍耳を立てた。

「兄上も、相変わらずです。…ええ。ロードも良くやってくれています…」

 聞き覚えのある名に、つい反応して、足を止めた。

「え?今空港なのですか…?ご連絡下されば… …そうですか… …いえ…」

 あからさまに、残念そうなプラチナの声。

(…っ、判ったような気がする…)

 電話の相手が。

「はい、判っています…努力します。ええ、また…。父上も恙無く…」

 そして無言。電話が切れたのだろう。

(やっぱり…)

 電話の内容からして、現在日本の空港にいるけれど、移動する際の中継という状態での連絡だった、という事か。海外から、海外へか。それとも今まで実は国内にいて、海外に出るか…。

「おい」

「…あ」

「………盗み聞きとは、いい趣味だな」

 剣でもあれば、今にもジェイドを一太刀に出来そうなほどの殺気と眼光に、本気を悟る。

「すみませんでしたっ!」

 ひたすら平謝りをして、プラチナが何か罵声を上げる前に、無理矢理言葉を入れる。

「でも、プラチナ様も悪いんですよ?」

「……まあ、俺がそこで話していたのも、悪いがな」

 ため息をついて、プラチナは携帯を音を立てて閉じた。思ったより、機嫌は悪くないのかもしれない。

「あれじゃ、気にならない方がおかしいですよ」

「お前…自分の行いを棚に上げて…」

「だって私、プラチナ様が携帯持っているのさえ知らなかったんですから。どんな秘密のお相手かと…それはもう、本当に相手の事が気になって」

 仕方なかったんです。そういって、プラチナとの間を詰める。しかしプラチナは動揺する事も、照れる事も無く、全く素のままで。

「聞いていただろう、父上だ」

「それはそうなんですけど…。私はあなたのデートのお相手かと思ったんですよ」

「…何故、お前がそんな事を気にするんだ?」

 これが色気たっぷりに、耳に囁かれる言葉ならまだ、救いがあっただろうに…。

(鈍い……)

 ふう、とジェイドはため息を一つ、吐いてから。

「プラチナ様、以前から言っているでしょう。私はあなたが欲しいのだと」

「……それは…」

「だから、あなたが誰かのものだったら、嫌なんですよ。それこそ、プラチナ様の相手に何をするか判らないくらいに」

―― …馬鹿馬鹿しい…。俺にはそんな相手はいない」

 プラチナは強く、吐き捨てるように言い切る。

「それは安心していいって事ですよね?私にもチャンスがあると」

「…そう思いたければ、思うがいい」

「それじゃあ、プラチナ様。ちゃんと平等にチャンスを与えて下さい」

「…何だ?」

「携帯の番号、教えてくださいよ」

「何故だ?」

 本当に、予想もしていなかったらしく、眉根を寄せて尋ね返してきた。

「何故って…もちろんあなたに、休日でもすぐ連絡が取れますし、あなたが夜眠る前にも、ご挨拶できるでしょう?いつでもあなたを身近に感じられるじゃないですか」

 お友達にも教えてるんでしょう?と問い掛けると、プラチナはただ、首を振って。

「これは、父上しか掛けてこない」

「………は?」

「ルビイ達は家に電話を掛けてくるし、俺も彼らに用事がある時は、家から電話を掛けている」

 メールも出さないし、パケット通信もしないし、と続けて言うプラチナを見て、ジェイドは呆れて声が大きくなった。

「……それって携帯の役割10%も使ってないじゃないですか!」

 10%どころではない。早い話、「電話を取る」→「話す」→「電話を切る」しかしていない訳だから、実質携帯の利用機能は3%ぐらいか?電話帳にも保存されている番号は無いのだから。

(…もうちょっと、高校生らしく携帯使えませんか…?)

 あまりのことに目眩さえ感じる。

(そうか、一つの電話番号専用携帯か…、それはそれで贅沢かもな…はは)

 馬鹿言え。

 俺はこんな人間にいいようにふりまわされてるのか?いくら何でも、俺のプライドってもんが…。

「しかし、父上からの連絡が取れる手段はこれだけなんだ」

 切実に必要としているような顔で、携帯を握り締めている。ジェイドは何だか、こんなプラチナに振り回されているのが本当に腹が立ってきて、無理矢理プラチナから携帯を奪うと、自分の携帯番号を記憶させた。

「あほう!! 父上との区別がつかないだろう!」

「ちゃんと音変えときますから。私が掛けて来たときは、パッヘルベルの『カノン』で。判るでしょう?」

「何故、俺の携帯なのにお前が操作方法を知ってるんだ…?」

「こういうのは、大抵どこの社も似てますから」

「…そういうものなのか?」

「そうなんですよ」

 疑わしげなプラチナの言葉をさらりと流して、さり気無く着信履歴をチェックする。着信履歴は乏しいもので、公衆着信、非通知着信で4、5ヶ月置きに電話が入っているようだ。

(…逆に、こういう方が怪しいんですけどね…)

 そしてジェイドは自分の白衣のポケットから携帯を取り出して、プラチナの携帯番号を記憶させる。

 それを横からプラチナが覗いて、己の携帯と見比べているようだった。

(そういう素直なところ、嫌いじゃないですよ)

 横目で一生懸命見つめているプラチナの横顔を見て、少し微笑んでから、

「はい、お返ししますけど…」

 入力が終ったプラチナの携帯を差し出す。プラチナは安堵したようにそれを受け取ろうとしたが、ジェイドはいつまでたってもそれを離さない。

「ジェイド!」

「お願いがあります。聞いてくれますよね?」

「………聞かないと、返さないのだろう?」

 笑顔で尋ねるジェイドの表情を、警戒心の強い瞳で見つめ返してくる。

「そうです。良く判ってきましたね」

 良く出来ました、と機嫌の悪いプラチナの顔を上にあげて、素早く額に軽く唇を寄せた。

「…ジェイド…!」

「はいはい。ひとつ、絶対俺からの電話は取ること。もし取り損ねたら、何時でも構いませんから、必ず掛け直すこと。私が寝てたりしても、です」

「……どうしてもか…?」

「ええ。どうしてもです」

「…縛られているようで、嫌なんだがな…」

 まるでもう何度もジェイドが電話をしたかのように、プラチナはうんざりした顔をしてくる。

「何を言うんですか。もし、あなたがお父様に何度もお電話差し上げて、それでも取ってもらえなくて、どんなに待っても連絡が返ってこなかったら、無視されているみたいで悲しいでしょう?」

 こう言う時は、父親の話題を出すに限る。すると頑なだったプラチナも、少し心がぐら付くのだ。

「…それは、そうだが…父上はもともと忙しい方だし…」

「あなたは、そんなに忙しいんですか?」

「……いや……」

「それじゃ、出来ますね?約束、しましたよ?」

「…わかった…」

 もともとプラチナは生真面目な人間だから、約束といわれたらそれを違える事は出来ない。そういうところが、いろいろとつけ込み易いという事に、プラチナ自身気が付いていない。

「それと、もうひとつ」

「まだあるのか!」

 心底うんざりしたようにプラチナは 不満の声を上げる。

「大丈夫。今度のは簡単ですから。――今日以降、私以外の人間に、携帯の電話番号を教えない事」

「…それは…お前に関係なく、もともとする気は無い」

「そうですか。良かったです。約束しましたからね」

 そう言って、やっと携帯をプラチナに返す。それを両手で受け取って、安心したように上着のポケットに納めたが、ふと気が付いたようにジェイドを見た。

「ジェイド、お前平等にチャンスを与えてくれと言ったな?」

「ええ、そうですが?」

「じゃあ、お前以外の誰にも携帯の番号を教えない事は、それに反するのではないか?」

「だって、邪魔者は防ぎたいじゃないですか。私以外の誰もが、私の邪魔者なんですよ」

 本当なら、あなたのお父上だってね。そうジェイドが呟くのを、プラチナは不思議そうな顔をして見ていた。

 少し、変えてあげてもいいですよ。俺の中のあなたの扱いをね。

 そう…ほんの少し。 今まであなたはただの駒だったけれど。

 あなたの父親から、あなたを手に入れて、そして俺の欲しい物さえも奪う。

 そういう風に、変えてあげましょう。

 あなたから父親を奪ったら、どうなるでしょうね?

 人形のようになって、俺無しでは生きられなくなるのか。

 …その姿を見てみたいんですよ。とても。