サフィルスが用意した小さなクールボックスを抱えて、プラチナはまず、アレクがいるだろう陸上部に向かう。使用グラウンドを 確かめると、今日は運良く高等科のグラウンドで練習しているらしい。アレクが陸上部にいる時はロードも参加しているから、ここで二人には会えるはずだ。
グラウンド内を邪魔をしないように横切っていると、ロードの方が先に気付いて、走って近づいて来る。
「プラチナ、どうしたんだよ。ここに来るなんて…珍しいなぁ」
「兄上は、来ているか?」
「何だ、アレクに用事?」
「いや、お前にも…」
そう言って、プラチナは持っているクールボックスに視線を落とした。ロードもそれに気付く。
「…何?それ」
「――…ケーキだ」
「ケーキ?あ、サフィルスの差し入れか?あいつ、お前に使い走りさせる程、偉くなってんの?」
「いや……これは、俺が…兄上に…」
言っている途中で恥ずかしくなったらしく、プラチナは俯いて口篭もってしまう。ロードは暫く自分の耳で聞いた言葉をきちんと理解出来なくて、その様子をただ見つめていた。
プラチナは家事などしたことが無いはずだ。家柄からして、そんな必要は無い。
それに体育の授業すらまともに受けたことが無い。この学園の教師達から「迂闊に怪我をさせたら首どころか命が…」と思われている。
実際、怪我をさせるわけにはいかない人物ではある。
本人も、迂闊に怪我をして妙な責任問題になって、迷惑を掛けることが判っているから、家事や体育の授業には積極的ではない。
そのプラチナが、わざわざ…と考えて、漸く実感が伴ってくる。
「え…もしかして、お前が…?俺達に?」
こくり、と頷くプラチナのあまりの可愛さに、ロードはプラチナに飛びついた。
「プラチナ~、お前、可愛いっ!!」
「ロード、ケーキが…!」
「ああ、悪ぃ!折角のお前の努力を壊す訳にはいかねぇよな。でもでも、お前って本当に可愛い!可愛すぎ!!」
アレクのためなのだろうが、そういう行動をするところが本当に健気で可愛い。
甘いの苦手なのに、一生懸命だったんだ、と思うとロードの腕に力がよりいっそう入る。
なるべくケーキを持っているプラチナの手に負担が掛からないように、ロードはプラチナをぎゅうぎゅうと抱きしめる。さすがにプラチナが辟易し始めた時、テニスボールが飛んで来てロードの頭に直撃した。
「いてぇっ!」
「ロード、プラチナが嫌がってるだろ!」
「兄上…」
頭を擦って身体を離すロードを放っておいて、プラチナは不機嫌顔のアレクに近づいた。
「プラチナ、用が無いなら邪魔になるから、家に帰れよ」
「兄上…」
漸 く顔を合わせたというのにアレクの言葉は厳しく、プラチナは如何にか言葉を続けなくてはと思うのだが、何よりこういう兄弟ゲンカに慣れない上に、自分の気 持ちを言葉にするのが苦手だ。暫く戸惑っていると、背後からロードがプラチナにもう一度抱きついて来て、プラチナを見上げた。
「プラチナ、気にしなくていいって。アレクは拗ねさせておいて…、プラチナが折角作ってくれたケーキ、二人っきりで食べましょうよvv」
突然声を可愛くして、ロードがアレクを挑発するように見る。アレクは不機嫌な顔のまま、訝しげにプラチナとロードを交互に見て、問い掛けた。
「ケーキ?」
「そ。プラチナがお前のために!作ってきたケーキだけど…俺が全部、食ってやっから。安心して部活に励んでなよ」
にっこりと笑うロードの言葉に焦って、プラチナを連れて今すぐ移動しようとするのをアレクが引き止める。
「待てよ!…プラチナ、それ本当?」
「…ああ。だが、気に入らないなら…無理には…」
驚いた顔で真っ直ぐ見つめてくるアレクの視線を受け止めきれず、俯きかけたプラチナの身体に、アレクがロードと同じ様に抱きついた。
「ううん、プラチナ、ありがとうっ!」
「…兄上…」
「俺、絶対食べるから。ちゃんと食べるから!」
機嫌が悪くなる前のアレクそのままの反応に、プラチナは恐る恐るアレクに声を掛ける。
「兄上…もう、怒ってないのか…?」
「うん、もうどうでも良くなった。なぁ、プラチナ、あっちの木陰で食べよ?」
アレクの上機嫌なその言葉に、ロードがプラチナからアレクを引き剥がそうと身体を引っ張る。
「何だよー!現金な奴だなぁ!!」
「いーじゃん、俺の勝手だもん」
そのやり取りが本当に久しぶりで、嬉しくなる。プラチナはサフィルスの案が、何故だか良く判らないが成功したことが判って、とても安心した。
「ん…?」
「あ…」
突然二人のやり取りが止まる。まじまじと二人ともプラチナの顔を見て、動きが止まっていた。
「…何だ?」
あまりに長い時間じっと見つめられ、さすがにプラチナも訝しげに問い返す。
その声に我に返って、二人同時にまた抱きついてきた。
「プラチナ、やっぱりお前美人!!可愛い!」
「絶対俺達以外の前でそんな顔見せるなよ、プラチナ!お前きっと誘拐されちゃうからな!」
二人の言葉の意味が判らなくて、プラチナは戸惑うしかない。
プラチナは気が付いていなかったが。
あの瞬間それはもう、見るものがすべて魅了されるような、とても綺麗な微笑みをしていた。
* * *
「ベリル…起きろ」
さっきから、身体を揺らす人物がそう言っているのがぼんやりとした意識の中聴こえてきて、ベリルの意識は覚醒に近づいていった。
「ん…プラチナかい…?」
そう言って瞳を開けると、確かにそこには銀の髪を持つ綺麗な顔があって。
「こんなところで寝ていると、風邪を引くぞ」
生真面目にそんなことを言ってくる。ベリルは生徒会室に置いてある古びたソファーの上で、そのまま背伸びをした。寝る前まで手に持っていた書類の姿が無い。床にでも落ちて散らばっているかと思ったが、それでも見当たらなかった。
「書類なら、片付けた」
「そう?すまないね…。それで、どうしたんだい?何かあった?」
「いや…大した事ではないが…これを」
そう言って、机の上に置いていた小さなクールボックスから、掌に乗るくらいの小さなココットを取り出した。
「お菓子だね。ムース?ケーキ?」
「ケーキだ。ラズベリーレアチーズケーキ…とか言ってたな」
「ふぅん…サフィルス先生のお裾分けかい?」
「いや…」
ケーキとプラスチックの小さなスプーンを受け取りながら尋ねてみると、プラチナは視線を窓の向こうにやりながら、言いにくそうに黙る。
「まぁいいや。折角だし、冷えてるうちに頂くとするよ」
「ああ。冷えているうちが美味いらしい」
あからさまにホッとした顔をするのを見て、ベリルは口に運びながら、冗談のつもりで声を掛けた。
「うん、甘すぎなくて美味しいよ。…君が作ったの?」
「……っ」
プラチナが目を見開く。…どうやら不意打ち攻撃をしてしまったらしい。
「え?本当に?――凄いな…プラチナは家事の才能もあったんだ」
「…茶化すな」
途端不機嫌そうになるプラチナに、ベリルは慌てて言葉を続けた。
「茶化してなんか無いよ。…本当に美味しいよ、ありがとう、プラチナ」
黙ったままのプラチナにベリルは微笑んでみせるが、効果は無く。仕方無しに機嫌が自然と回復するのを待つつもりで、ケーキを口に運んだ。
甘酸っぱい、ラズベリーの味がする。
(…これにブランデーとか…合わないかなぁ…。どちらかと言うと、ワインかな…)
そんな他愛ないことを考えていたはずなのに、ふと、無意識に尋ねてしまう。
「…ねえ、プラチナ。君は…理事長のどこが好きかな?」
口から出てしまった瞬間に後悔したが、プラチナは一度ベリルを見て、それからまた窓の向こうを見ている。そのまま動く気配が無い。
あんまり間が空いたので、ベリルが取り消そうと口を開きかけた時。
「――…難しいな。…いや、とても簡単なのだが…言葉にしようとすると、とても難しい…」
ポツリ、と小さな真剣な声が静かに、夕焼けに近くなった陽が差す室内に響いた。
「何故、こんな事を聞く?」
「…ごめん、何でかな…」
プラチナの不思議そうな顔に、ベリルは微笑んで謝った。
(訊くんじゃなかったなぁ…。本当に…僕はロクなことしないね…)
ごめんね、プラチナ。
君はこんなにも生真面目なのにね…。