「サフィルスが言うから…仕方なく持って来てやったんだ」
そう言って、渋々といった様子を隠しもせずにプラチナは、保健室の応接机の上にケーキを置いた。
「へぇ…サフィルスが、ですか」
プラチナの言葉に、意外そうな顔をする。暫く何か考えているようだったが、ジェイドは机の上に散らばっていた書類を片付けて、席を立った。手を洗うついでに、プラチナを振り返る。
「紅茶、煎れましょうか?」
「…いい…」
とにかく、ジェイドに近づいたら昼間のようなことをされるだろう。
(…俺に隙があるんだな…)
だからからかわれるのだ。いろんな事をしてきたり、変なことを言ったりして、プラチナが慌てるのを見て楽しんでいるのだろう。そう思うと目の前のこの保険医に対してまた新たな怒りが湧いてくるが、今はジェイドに何もさせずに家庭科室に戻ることが先だ。
そのうち、いろいろとジェイドには言う必要があるとしても。
そう思いながら、ジェイドから遠い位置に座った。
「そんな警戒しなくても…大丈夫ですって、値段も味も普通の紅茶ですから。あなたの口には合わないかも知れませんが」
「……」
「ダージリンで構いませんか?」
問い掛ける言葉のクセに、返事を待たずに用意を進める。プラチナは憮然とした表情だったが、ふう、と深くため息を吐いて、体の力を抜きソファーに沈んだ。
「…どうしてお前は…そんな奴なんだ…少しぐらいは反省しろ」
「すみません」
全然そんなこと思ってもいなさそうな笑顔でそう言うジェイドに呆れ、プラチナはまたため息を吐く。 ジェイドは準備の終った紅茶のポットを応接机に置いてから、離れて座っていたプラチナの傍に座った。
「ジェイド!」
「何です?」
抗議の意味をこめて名前を呼んでも、ジェイドはごく当り前のような顔をして、カップに紅茶を注いでいる。
(だから…何故傍に来るんだ!)
絶対故意に、嫌がらせをしているに違いない。それが判っているのに。
ここで「離れろ」といったとしても、言うことを聞くとは限らないどころか、何だかんだと言って調子に乗って、変なことをしてきそうだ。
逃げ出したくても、出口を塞がれている状態で。仕方なく、プラチナは耐える事にした。
「…何でもない…」
「そうですか?では、頂きます、プラチナ様」
「ああ…」
ジェイドが早く食べ終わってくれる事を祈りながら、プラチナが紅茶に手を伸ばし、ひたすら現状に耐えていると、ジェイドが不意に声を掛けて来る。
「プラチナ様は食べられましたか?」
「いや…」
「…味見してみます?そんなに甘すぎなくて、美味しいですよ?」
(――…そう言えば味見もしてないな…)
甘い物は嫌いだが、これが一体どんな味がする物なのか、結局知らないままだ。
折角二人が手伝ってくれたのに、それは失礼な気がして。
「…じゃあ…一口貰うか」
まだプラスチックのスプーンは、クールボックスの中に余っていたから、プラチナは紅茶を置いてそれを取ろうと手を伸ばしたが。
「では、こちらでどうぞ」
そう言って、ジェイドがプラチナの少し身を乗り出した体勢を、腕を掴んで崩す。
そしてそのまま、慌てるプラチナの唇を奪った。
「…っ!」
突然の事にプラチナは目を見張る。驚いて咄嗟に唇を少し開いたところにジェイドの舌が強引に入って来て、いとも簡単に舌を捕らえられる感覚にプラチナは目をきつく閉じた。
「…んっ…」
冷たい。
甘い。
――…それから…
「…ご馳走様でした」
漸く解放されて、目を開けて見たジェイドの顔は、予想していた表情で。
「――…お前は…っ!!」
怒ってジェイドの傍から逃げるプラチナの身体を、簡単に腰にまわした片腕でジェイドは後ろから抱き込んでしまう。そのまま嫌がって暴れるプラチナの耳にそっと囁いた。
「美味しかったですよ…とても」
「――っ!」
ジェイドの指が回って来てプラチナの唇をなぞる、その指の動きにぞくりと来る。その感覚を無意識に追って、プラチナの身体の動きが止まってしまう。ジェイドが首筋に唇を寄せてきて、その柔らかい感触にびくりと身体が反応した。
「離せ…ジェイド!」
それを振り払って、プラチナは力任せに自分を引きとめている腕から逃げようとする。
「いいじゃないですか、少しくらい。アレク様たちが同じ事をしても、何も言わないのに…」
「同じこと…!?」
(…これのどの辺りが、同じことなんだ!?)
アレク達は、こんな風にプラチナを困らせたりはしない。いや、確かに困ることは多々ある。
しかしこんなことは、兄弟のアレクさえしないし、ロードとだって、無い。
同じことのつもりなら、それは大きな間違いだ。止めさせる必要がある。そう思って口を開いた。
「俺は…お前以外の人間に、こんな事をされたことは無いっ!!」
プラチナが必死になって背後を振り返りながら言った言葉に、ジェイドは目を見張って。
「…あなたって人は…」
くすくすと、何が可笑しかったのかジェイドがプラチナを抱きしめたまま、笑い出す。
その一人上機嫌な様子に、プラチナはもう呆れや諦めの気持ちで一杯になって、暴れる気力も失われた。
「…ジェイド、疲れたからもう離せ…」
「あと少し、じっとしていて下さいよ。もう少し…」
お願いですから、と囁くジェイドの腕の力が緩む様子はなく。動くのすら面倒になって、プラチナは大人しくそのままジェイドの胸に体重を預けていた。
時計の秒針の音がずっと同じリズムで室内に響いている。
暖かい腕の中。ジェイドの身に付けている香りが判るくらい、密着していて。
「――…プラチナ様」
何となく眠くなるような沈黙の後、小さくジェイドが話し出すまで、随分とこうしていたような気もしたが、きっと退屈だったからそう感じたのだろう。
「何だ?」
「…前、電話で約束したあの店…いつ行きましょうか?」
(…そう言えば、そんなことを電話で話したな)
思い出したついでに、その後アレクの機嫌が悪くなったのも思い出したが、もうアレクの機嫌も直った事だし、ジェイドに何を言っても駄目なことが何とは無く判ってきたから、深く追求しないことにして、ため息を一つ、吐いた。
「…今度、行ってもいいぞ」
「え…?」
(何を驚いている…自分から誘っておいて…)
ジェイドの意外そうな声に、プラチナは背後を振り返って、少し強い声で言った。
「ただし、お前が今すぐ俺を解放して、その日は今日みたいに変な事をしないと誓うのならな」
その言葉に、ジェイドの顔が驚いた表情から、いつもの強かな笑みに変わる。
「判りましたけど…絶対、というお約束は出来ません」
ジェイドの言葉は、何となく予想がついていたから、プラチナはすぐに切り返す事が出来た。腕の力が緩んだのが判ったので、プラチナは立ち上がり振り返ってジェイドを睨み、きっぱりと言い放つ。
「お前がそのつもりなら、俺もそれなりの用意をしていく」
「…本当に?」
プラチナの視線を受けて、ジェイドはプラチナの表情を窺ってくるが。プラチナは無表情で無碍も無く断言した。
「本気だ」