「お疲れ様でした。どうぞ?」

 がちゃり、と音を立てドアを開錠し、そのままドアを引いて先にプラチナを部屋の中へと通す。

「ここが本等を詰め込んでる部屋です。こっちがリビング、そしてそこが俺の部屋で、奥が和室です」

 子供のような様子で珍しそうにしきりに周りを見ているプラチナに、ジェイドはくすりと笑って尋ねた。

「マンションは、初めてですか?どうです?あなたのお屋敷とは違って、随分と狭いでしょう?」

 ジェイドの言葉には、プラチナはただ首を振る。

「俺には…この方が良い」

「そうですか?」

「部屋と部屋が近いから…良い」

「…それって、狭いって事でしょう?」

「違う」

「…?そうですか?」

「そうだ」

 納得出来ていないようなジェイドの答えに、敢えて判りやすい返事をせずに、ジェイドが止めないので勝手にあちらこちらを覗いていく。

 キッチンなど新品同様で、リビングにもかなり生活感が窺えなかったが、ジェイドの部屋にはかなり生活感を感じた。ベッドがあるからかもしれないが、机の上に置かれた読みかけの本や、乱雑に纏められている何かしらの書類、椅子の背に掛けられたシャツなどに、そう思う。

 特に、ベランダに面した大きめの窓から、陽が差しているのが一目で気に入って、勝手に部屋の中に入ると、窓へと向かう。

 窓の向こうは街並みしか見えなかったが、気に入って暫く日光に当たっていると、ジェイドが部屋に入ってくる。

「ああ、ここにいましたか。突然静かになったから、広い場所でもないのに何処に行ったかと思いましたよ」

 そう言って、プラチナの傍に立つと、ブラインドを下ろす。

「…何で下ろすんだ」

「何でって…眩しいじゃないですか」

 突然、不機嫌になったプラチナの声に、逆に不思議そうな顔をしてジェイドが答える。暫くそのままプラチナの顔を見つめていたが、漸く思い至ったらしい。

「…もしかして、ここが気に入ったんですか?」

「もういい」

 多少恥ずかしくなって顔を背けるプラチナを、拗ねたと思ったのか、ジェイドは少しブラインドを上げて。

「そんなに気に入ったのでしたら、どうぞそこのベッドを使って、好きなだけ日向ぼっこして下さい。私はお茶の用意でもしていますから」

 立ち去りながらそう言うジェイドがくすり、と笑ったのが聞こえて、思わず振り返った。ジェイドもドアの所で振り返っていて、目が合う。

「…何だ」

 気まずく思いながらも、問うプラチナにジェイドは笑んで見せて。

「いいえ。…猫みたいだと、思っただけですよ」

「…猫?」

 生憎と、動物は何も飼ったことが無かったから、ジェイドの揶揄は判らない。

「猫というものは、自分のテリトリー内は、隅々まで探検しないと気が済まない生き物でして。…日向ぼっこが好きなんですよ」

 更に寝るのは仕事みたいなものですしね、と付け加えて、プラチナの表情をからかうような表情で見る。

「…何が言いたい」

「いいえ?特には何も。ただ、好きなだけ寛いでくれと、言っているだけです」

 そう言って睨みつけるプラチナの視線から逃れるように、ドアを閉めて去って行く。間接的に馬鹿にされたような気がして、プラチナは気分を害した。

 そのまま部屋を出て、キッチンに立つジェイドに声を掛ける。

「…本が見たい」

「おや?日向ぼっこはいいんですか?」

「…もういい」

「そうですか?まあ、本でも日向ぼっこでも、好きなだけいいですよ。先程探検されたから、場所判りますよね?」

 こくりとジェイドに頷いて、初めて来たというのに、プラチナは勝手知ったる様子で目的の部屋へと歩いていく。

 深いセピア色の木目のドアを開けて、壁の殆どを本棚で埋め尽くした部屋に入る。手近にあった本棚から、目の高さの位置にある本の背表紙を覗いていく。

 三ヶ国語の分厚い医学書が、所狭しと言う様子で詰め込まれている。

 財閥の傘下には、医療機関や製薬会社が多く、必然的に医療関係の知識に興味があった。思わぬところで専門的な本を読む事が出来るものだ、とプラチナは思いながら、本の一冊に手を伸ばそうとして、本棚の中に異色なモノを発見する。思わず目的を変え、それを手にとった。

「…児童書…?」

 一冊や二冊ではない。日本だけでなく、見てみれば米・独のさまざまな絵本ばかりところもある。寓話集も一揃いあるのが不思議だった。

 …まさか、ジェイドがそんな趣味だとは…とても思えない。

「何か面白そうな本は、ありましたか?……どうしました?」

 ジェイドが盆を抱えてやってきた時、一冊の本を手に取ったまま思考しているプラチナの様子に、ジェイドが思わず顔を顰めて問い掛ける。

 何か変な本でもあったかと、本の表紙に視線をやった。

「…お前、こんなのを読むのか?」

 プラチナが、本とジェイドを交互に見つめる、その様子にジェイドは微笑む。

――ああ、以前小児科を担当している時期がありまして。その時に集めたんですよ。結構、担当している時期が長くて、気がついたらそんな風になってました」

 盆を手近にある小さな机の上に置いて、プラチナから本を受け取り、ぱらぱらと捲る。

「引っ越す時に処分する為に纏めていたら、間違えてこちらに送ってしまって。それから処分する暇もないし、面倒なので…何です?」

 ジェイドの顔をじっと凝視しているプラチナの視線に、言葉が止められた。

「…お前が…?………子供相手に…?」

 新手の冗談かと思って、まじまじとジェイドの顔を見詰める。

「そんなに不審そうな顔をしなくても、良いじゃないですか」

「想像がつかん」

「あ、そういうこと言います?酷いですねえ。これでも人気あったんですよ?」

「…子供にか?」

「ええ、まあ」

 …その母親に、という方が正しいかも知れない。

 そうは思ったものの、プラチナは敢えて口にはしなかった。

 ジェイドはプラチナの無言は特に気にした様子も無く、手にしていた本を返して来る。

「読んでみると、意外とどこの国でも似たような話がありますね。でもやはりその中で、国それぞれの文化が出ていて、外国人には意味が判らない事も多々あったり、違いを発見すると面白いですよ」

「…そうか」

 受け取った本と、得たい知識の本と。

 どちらを読むべきかは、選ばなくても判っていたが。

* * *

「もう、こんな時間か」

 ふ、と気が付いて時計を確認すれば、窓の向こうの夕日は完全に沈んでいて、焦燥感に捕らわれる。

「そうですか?まだこんな時間ですよ?」

 隣でメモを取りながら本を読んでいたジェイドが、自分の腕時計で、時間を確認している。

「…俺には遅い」

「夕食にお誘いしようと思ってたんですが…」

 そうやって、ずるずるとこの部屋にいつまでも居そうな気がして、プラチナは首を振った。

「帰る」

「残念ですが…仕方がありませんね」

 強く引きとめる様子は無く、ため息と共にジェイドも読んでいた本を閉じる。それを見て、プラチナも自分が読んでいた本を閉じようとして。

 暫く、栞を探してしまう。

「…それ、気に入ったんですか?」

「ああ、あまり自分ではこういう本は読まなかったから…面白い」

 一冊くらいならば、構わないだろうと。

 一冊読み終えてから、医療関係の本を読もうと思っていたのだが、いつの間にかのめりこんでしまっていた。

 こんな時は、時間が経つのはあっという間で。

 全然読み足りなかった。

「…子供の頃も?」

 ジェイドが差し出した、鉄製の栞を挟んで閉じる。

「ああ。子供の頃は、早く父上の力になりたくて、経済学の本だとか…今でもそう言うものが多いな」

「図書委員が何かいつもお勧めしているようですが?」

「カロールの読むものは哲学書や…宗教的なものや考古学的なものが多い」

「…いかにも」

 ジェイドがぼそりと呟いたのが聞こえたが、それには特に触れない事にして、プラチナはジェイドに許可を得ようと口を開いた、その瞬間にジェイドの言葉がそれを遮る。

「貸して差し上げます、と言いたい所ですが…止めておきます」

「何故だ?」

 言葉を先に言われ、更に断られて、首を傾げる。

 ジェイドはプラチナの手から本を取り、本棚に戻しながら。

「それは勿論、あなたがまた、ここに来て下さるように…ですよ」

「こんなにあるのにか?」

 毎週通ったところで、ジェイドが学園に赴任しているたった一年の期間では、全然間に合いそうに無かった。

 …それに。

 それに、プラチナには次の約束と言う行為は、苦痛だ。

 そんな事は先程ジェイドも理解しただろうに、あっさりと言ってのける。

「ええ。頑張って通って下さい。何でしたら、泊りがけでも良いですよ?」

「…遠慮する」

 いつもの、何かを含んでいるような、居心地の悪くなるような笑みを向けられて。

 プラチナは憮然とした表情で答えた。