「おじさんも来てくれるでしょ?」
そう侘助に声を掛けている夏希の隣で、静かに食事をしている健二の向かいに座る理一が、意味深に笑った。
「健二君は楽しみなんじゃないのかな、夏希のコスプレ」
「へっ、あっ、はい! とても楽しみです!!」
きっと素敵でしょうねえとへにゃりと笑う健二は、からかわれたことに気付いてない。その鈍さにまた理一や万作がにやにや笑う。その意味が判らず首を傾げる健二に、夏希とは反対側の隣りに座った佳主馬は声を掛けた。
「物理部は夏希姉の手伝いだけ?」
「ううん。それだけじゃ認められないから、展示はちゃんとやるよ。でもなかなか決まらなくて。今年はクラス展示の方も手伝うことになってるし、早く決めないと、とは思ってるんだけど・・・」
言葉を止めて心底困った顔で深くため息を吐いてから、ふと何かに気付いた健二が表情を変えて佳主馬を見る。
「佳主馬くんのところは、体育祭と文化祭って、いつ?」
「23日に体育祭があって、文化祭は10月にあるけど、大したことはしないと思う」
「そうなんだ。佳主馬くん、運動出来るし体育祭はきっと大活躍だね! うわあ、格好いいだろうなあ!」
佳主馬はうっかりと料理を喉を詰まらせるところだった。天然凶器なのは相変わらずのようで、その威力の直撃を何とか避けた佳主馬は落ち着くためにお茶へと手を伸ばす。
「…普通だよ」
「そう?でも見てみたいよ、学校での佳主馬くん。格好いいから目立ってそう」
今度はダメだった。
お茶が気管に入って咳き込む佳主馬の背中を、慌てた健二が必死に摩るのがまた困る。
(なんでそんなに見たがるの!)
そしてどうして格好いいことが大前提なのか。こっちが勝手に意識してしまうじゃないか。この天然凶器に早く慣れないと、いつか佳主馬は健二に殺されるに違いない。
「あら。格好いいなんて言われて照れちゃったのね」
いつもはむっつりしてるくせに珍しいわ、と椅子に座った母の聖美が大きなお腹を撫でながら暢気に言うのに、長い前髪の向こうから睨む。
(余計なことは言わなくていいよ!)
そう言い返したいのに、なかなか咳が治まらない。苦しむ息子のことなんて放って、聖美は健二へと話を続ける。
「健二君にも来て貰えたら佳主馬も張り切ったでしょうけど、保護者しか入れないのよ」
「そうなんですか、残念です」
本当に残念そうな顔になる健二に、来て欲しくない(中学の体育祭とか、恥ずかしすぎる)はずなのに、なんだかもったいないような、残念な気持ちになるのが不思議だ。しかしこのままでは「でも健二君は身内だし、いいか」的な流れになりそうで、それだけは阻止したい佳主馬は、何とか落ち着いたところで口を開く。
「……それで、結局文化祭のアイデアは出ないままなんだ」
今度はゆっくりお茶を飲みながら気になったことを訊けば、健二はきょとんと瞬く。どうやら佳主馬が咳き込んだので、直前の話題を忘れていたらしい。
「え? あ、うん。佐久間も夏のバイトで燃え尽きちゃったのか、いいアイデア思い付かないみたいでさ。適当に『夏希先輩に対抗して俺たちは白衣とメガネの理系カフェ!』とか言ってるんだけど、夏希先輩のところとは違ってこっちは男ばっかりだし、採算取れないよ」
よろよろと箸を置いた健二も、お茶を取りながらまたもやふー、と深いため息を付く。相当、煮詰まっているようだ。
「それって需要あるの? それにもしかして飲食に学校の備品使うつもり?」
「需要はないと思うな、ぼくも。ビーカーとかはもちろん備品じゃなくて、ホームセンターで揃えられるけど、ホットの場合はダメだと思うし」
「…割れるじゃん」
「だよね。11月にアイスオンリーとか、どう考えたってムリがあるよ・・・」
理科の実験で試験官にヒビを入れてしまったことのある佳主馬が言えば、はは、と力なく健二が困ったように笑う。困っている健二を助けたくて、団体行動に興味がないのに佳主馬は必死に思考を巡らした。ゲームを考えるのと同じ。何が楽しいか。
もっとヒント、発想のきっかけが欲しくて、健二に問い掛ける。
「他に案はないの?」
「んー、ウチはプログラミングはしててもロボットは作ってないしなあ…。佳主馬くん、プラネタリウムで星座とか宇宙の話とか聞きたい?」
「僕なら帰る」
「そうだよね。文化祭の3、40分って大きいし。うーんじゃあ、ワタアメとかマシュマロは好き?」
「あのへんは喜ぶだろうけど、それだけじゃ保たないんじゃない」
あのへん、とテーブルの向こうで走り回ってはしゃぐ子供たちを指さしながら言えば、いつもへとへとになるまで遊びに付き合っていたことをお思い出したのかかくり、と脱力する。子供は一つじゃ満足しない。それに展示としても足りないだろう。
「ですよねー。ロケット飛ばすのだって場所が取れないし…」
本当にこれといった案がない。何より、いつもと違うことをしたって結局中途半端になるんじゃないだろうか。物理部のドアにはPC部と書かれてしまうくらいなのだから、いつもの通りやればいいと思う。
「佐久間さんも健二さんもプログラミング凄いんだから、ラブマシーンの時みたいに何か、作れば? 久遠寺高校を舞台にしたゲームとか」
「学校を舞台にしたゲーム…」
佳主馬の言葉に健二の背筋が伸びる。それから僅かな間、ふ、と感情をそぎ落としたような顔をして思考に入った後、ぱっと表情を明るくして佳主馬を見た。
「それ、面白そうかも! ありがとう、佳主馬くん。今の佐久間にメールしていい?」
「ん」
頷けば、取り出した携帯のボタンをいつかのように両手で押して、瞬く間に文章を綴っていく。
このひとを素直だと思うのはこう言う時だ。初めて会った時から年下の佳主馬に何を言われても、生意気だと腹を立てたことがない。流されやすいな、と思うこともあるが、最後の最後、土壇場で見せる粘り強さは一族の誰も持っていないから、本当のところは寛容なのだろうと思う。どんなものでも柔らかく受け止める緩衝材。ゆらりゆらりと揺れる穏やかな揺りかご。
メールを送って携帯を閉じた後佳主馬の視線に気付いた健二がにこ、と笑う。それを見て、意識しなくてもつられたように唇が撓るのを自覚する。
彼が笑っていると、佳主馬は嬉しい。
不意に佳主馬の携帯が震えた。制服のズボンから取り出して見れば、サルの体をした板チョコメガネのアバターが、メールを届けに来ている。
メールを開けば件名もなく、ただ一行、
『キング、それイタダキます!』
とだけあった。どうやら佳主馬の一言は発想のきっかけになれたらしい。
(良かった)
ほ、と安堵の息を吐く。もうこれで健二は悩まないで済む。佳主馬が顔を上げた時、健二もまた佐久間からメールが届いたのだろう、閉じていた携帯を開く。
「良かった。佐久間が連休中に、アイデアまとめて進めておくって。佳主馬くん、本当にありがとう。助かったよ」
健二がふにゃりと笑う。それを自分が引き出せたことに、佳主馬はとても満足した。大抵いつもキング・カズマの話題でしか、彼をこうして笑わせることが出来ないから。
携帯を見ていた健二がふと、思い出したように言った。
「――あと約一ヶ月。きっとすぐだね」
「うん」
健二の言葉に頷く。同じように佳主馬もまた、携帯を開いた。待ち受けにはOZの中央エリアが映し出され、大々的なOMCの広告の中、デジタルでカウントダウンが表示されている。
佳主馬は今、OMC、秋の大会の日本代表戦へ向けての最終調整に入っていた。夏に奪われたベルトを奪い返すために、スポンサーの契約が軒並み解除され身軽だったのもあり(ラブマシーンを打ち砕いたことでてのひらを返して来た会社も、新規にオファーが来た企業も数多くあるけれど、全て保留中だ)、初心に返って予選から参加することに決め、その準備をしている。連戦を重ねることになるし、長時間に及ぶ試合に集中力を途切らせないよう、佳主馬自身のコンディションも重要だった。
現在、OMCのランキングは全く意味をなさない為にすべからく空位に初期化されている。キング・カズマだけでなく、他の腕に覚えのあるプレイヤー達もラブマシーンに立ち向かい、または襲われ、敗北してアカウントを奪われたから。だから今回の戦いでは全てのプレイヤー達にとって、とても意味のある戦いだ。
日本では10月の連休の間に、代表を決める。連休中は一日中大会があって、その後、二週間掛けて世界選手権が行われるけれど、これは大抵時差の近いグループで分けられ、試合は平日にもあるから時間は夜に固定される。
そうして決勝戦の時、時差が正反対の相手だと調整が大変だ。OMC側も、選手の方も。
佳主馬の場合、文化祭が連休にないだけマシだ。もしそうなっていたら、佳主馬は学校を休んで少し離れたところのネットカフェに行く羽目になっていた。もちろんその後叱られることは確実。そんなやっかいなことはもちろん、遠慮したい。ただでさえ、普通のサラリーマン以上の金額を中学生である佳主馬が稼いでいることが、聖美は気に入らないのだから。
「大丈夫。佳主馬くんなら、きっと出来るよ」
携帯を睨むように見詰めている佳主馬の隣で聞こえる健二の声は、男にしては少し高めで掠れ気味で、とても柔らかい。きっと喉が弱いのだろうと思う。風邪を引くと喉に来るタイプだ。寒くなったら、クリスマスにはマフラーを贈ろう。健二の持っている中で、一番使って貰えるようなものを用意しよう。まだ夏の名残がある中で、佳主馬はそんなことを考える。
「あの、・・・あのさ」
おずおずと健二が切り出すのを、佳主馬は黙って待つ。こういう小動物のような動作が似合うのは健二くらいなものだろうと、瞬きでシャッターを切るように見詰めた。
「ぼくのところの文化祭は11月の頭にあるんだけど、佳主馬くんの予定、空いてないかな?」
「…たぶん、空いてる」
その頃にはOMCの決着も付いている。後は聖美の出産の予定が狂わなければ、特に問題はない。
聖美を振り返ると、心得たようにして頷き返してくれる。あの事件の後すぐに検査した聖美の経過はその後もつつがなく良好で、事件を乗り切った佳主馬の妹はさぞかし大物になるに違いないとみんなが笑った。
「大丈夫よ佳主馬。ここまで順調だから、予定通りに産まれるわよ」
だからいってらっしゃい、と言ってくれるのは、佳主馬が少林寺や仕事以外の用事で、部屋から出て人と接触しようとするのを、歓迎しているからだ。
佳主馬が多くの人間と触れ合い成長する前に、一足先に大人として扱われ汚い部分に傷つくかも知れないことを、大金を前に変わってしまうんじゃないかということを、とても心配している。佳主馬のことで、聖美には色々不安にさせている自覚がある。けれどそんな不安も心配も、健二との付き合いによって少し、薄れているような気がした。聖美もまた、健二に一目おいているのだろうと思う。
「今年はちょっと凝ったものが出来るから、よかったら遊びに来て貰えたら、嬉しいです」
健二にしては珍しく、はっきりと自信を持って言う。
行く、と答えた時の健二は綻ぶようにして、やっぱりこころから嬉しそうに笑った。