『教えてくれても良かったでしょー!?』

 電話口で叫ばれて、佳主馬は携帯から耳を離す。声が響いて耳が痛い。

「うるさいってば。夏期講習とかで夏休み中ずっと忙しいって言ってたの、そっちだろ」

『だって、もう11月だよ!? 夏期講習なんてとっくに終わってるのに、今更、お兄ちゃんに教えて貰って初めて知るとか、有り得ないし!』

 何でそんなに無精なの!と詰られて、受験生にどれくらいメールを送って良いものか悩んだ結果だった佳主馬は、自分の気遣いが無駄だったことにため息を吐く。大学合格まで栄のことも黙っているつもりだったのに、夏、夏希に受験勉強がほど遠かったように、真紀に気遣いは要らないらしい。確かに真紀からのメールは時々届いていて、それにはちゃんと返していたけれど、それも邪魔にならないように最低限だった。

「忙しくて正解だよ。ラブマシーンの事件が終わった後、OZのあちこちで初心者アバターが引っ掛かってたから。真紀だったら絶対キレてた」

『そんなに酷かったの? うーん、それは嫌かも…』

 憂鬱そうなため息が聞こえた。相変わらず操作は下手らしい。そのくせ携帯でメールを打つのは素早いのだ。夏希もそうだったから、女子というものはそんなものかも知れない。

『でもさ…私、佳主馬に恩返し、したかった』

「恩返し?」

 不意にトーンの下がった真紀の声が聞こえ、佳主馬はベッドの上、携帯を握り直して、聞き返す。
『私が凄く困ってた時に、佳主馬たくさん助けてくれたでしょ。だからいつか佳主馬が困ることがあるなら、絶対助けるってずっと、思ってたんだ』

 その機会が受験勉強でダメになるとか、あーもう最悪!

 電話の向こうでじたばたしてそうな真紀の様子が伝わってくる。

 真紀がそこまで考えていてくれていたとは、正直考えてなかった。佳主馬にとってあれは逃げようとした自分への戦いでもあり、あの件がないままラブマシーンと戦うことになっていたら、聖美や妹を守る、ということすら考えず、佳主馬はもっとみっともない結果を出していたに違いない。

 真紀のために頑張ったことは間違いないけれど、半分以上は佳主馬の矜恃や譲れないもののためだ。それでも真紀が感謝をしてくれている。それが少しくすぐったい。

『よじ登るくらいしか出来ない私でも、花札の掛け金くらいにはなったよ。栄おばあちゃんの弔い合戦に参加したかった』

「…ごめん」

『んーん、いいの! 今回はチャンスがなかっただけだもん。でもいつか佳主馬がピンチの時には、今度は絶対、一番に! 教えてよね。…あ、でも、佳主馬の一番は【KK】かな?』

 頼りにしてたもんね、という真紀の言葉に、佳主馬はずっと頭の隅に留めていたことを問い掛ける。

「真紀。あれから【KK】と話、した?」

『ううん、あの後東京でお礼のメールを出してからは、全然話してない。あ、お兄ちゃんも元気になってから、お礼のメール出してくれたんだよ。佳主馬のとこにも』

「うん、僕も貰った。…そう」

『どうしたの? 【KK】と連絡が付かないの?』

「そうじゃなくて。…いや、そうなのかな」

 真紀には言ってなかった、【KK】との最後のチャットについて大まかに説明する。その後、連絡してこないことも。連絡を取りたいけれど、これだけ間が空くと正直、し辛い。そもそも佳主馬は普通の友人関係というものがよく判らないから、踏み込むべきなのかどうなのかすら、見当も付かなかった。

『そっかー。でも【KK】なら大丈夫だと思うな。【KK】自身は気まずいと思ってるかも知れないけど、それは佳主馬が嫌いになったからじゃないし。突然佳主馬から連絡したって喜んでくれるよ。それが切っ掛けでまた、仲良くなれるかも知れないじゃない』

「…そうかな」

 用件がある時だけ連絡を取るって、なんだか利用しているみたいだ、と佳主馬は思う。利用するのと頼るのは、どう違うんだ。考えてみれば佳主馬は【KK】を頼ってばかりで、真紀が言うように、恩返しをするべき人物だというのにそれすらも果たせていない。あれからコンタクトを取ってないからだ。

 関係を天秤で表すなら、佳主馬の方に借りとかそういうものが偏りすぎている気がする。

(…あれ、これって、まずくない?)

 大人しく【KK】からのアクセスを待つべきじゃなかったのでは、と今になってどきりとした。少なくとも、【KK】からの返事は要らない、と前置きしてなにか、メールを送っておくべきだった、と今更ながらに後悔して焦る。

――めちゃくちゃ恩知らずじゃないか、僕!)

 本当なら直接会って有り難うございましたと頭を下げるべき相手に、何をしていたんだ。

 いつか会えるから、じゃないだろう。実際今、会えてない。相手の都合はともかく、出来る範囲で筋は通しておくべきだったのだ。

 人付き合いを知らなさすぎる自分にうんざりする。いや、これは人付き合いとかいうレベルじゃない。人としてまずい。まずすぎた。聖美が心配するはずだ。やり場のない後悔と怒りのようなものを、どこにぶつければいい。そして【KK】に対して、今からどんな顔でメールを送ればいいのかが判らない。そもそも送っても良いのかすらも判らない。いや、今からなんて、意味がないだろう。気付くのが遅すぎる!

 この場合、どうすればいいんだ。

 携帯電話を握りしめたまま固まって、自分の至らなさに愕然としていた佳主馬は突然上がった真紀の声にびくんと体を揺らした。
『それにしたって来週、東京だなんて羨ましい!私も行きたいー!遊びたーい!』

「…大人しく勉強してなよ、受験生。大学受かったら嫌でも遊べるだろ」

 兄と暮らす目的も併せて、東京の大学を目指して予備校三昧の毎日を過ごしている真紀が大声で主張するのに、佳主馬は動揺を押し隠して返す。

『佳主馬も受験の時に私のこの切ない気持ちが判るわよ。…あっ、お土産期待してるからね! 後でリスト送るから。東京のショップ限定って多いのよねー』

「無茶言うなよ!」

 それ絶対お菓子じゃない、そう瞬時に判断して佳主馬は声を上げる。脳裏にはあの時、山と持たされた紙袋が過ぎる。あれは全部服だった。真紀+東京=服、という単純極まりない式が佳主馬の中に成り立っている。ムリだ。女物の店に入れるはずがない。アクセサリーショップだってお断りだ。

『ちゃんと色もサイズも指定するし。佳主馬の度胸ならいけるいける』

「やっぱり! 冗談じゃない、誰が行くもんか!!」

* * *

 久遠寺高校の文化祭初日の朝、東京駅のホームに降り立った佳主馬を迎えに来たのは少し眠そうな健二と佐久間だった。眠気覚ましのドリンクを片手に佐久間がくあ、と欠伸を繰り返している横で、健二も朝日が目に眩しいのか、しきりに瞬きしている。実行委員が最終チェックに来るギリギリまで作業をしていたらしい。

「夏希先輩はもう着替えてるから、迎えには来られなかったんだ」

「それはメール貰ってるから知ってるけど。ちょっと、二人とも大丈夫?」

「らいじょーぶだいじょーぶ。もう少ししたらテンション上がって来て、平気になるから」

 んん、と背伸びをする佐久間の骨が鳴った。同じタイミングで健二も欠伸をひとつして、よし、と二人同時に気合いを入れる。途端、歪んだメガネの位置を戻して、普段の表情になった佐久間が佳主馬を見て言った。

「んじゃま、キング――じゃなかった、池沢君を久遠寺高校へごあんなーい」

「…なにコレ…」

「驚いた?」

 すご・・・、と感嘆の声を漏らす佳主馬に、サプライズが成功して嬉しかったのか健二が無邪気に喜んだ。佐久間も滅多にない佳主馬の呆然とした姿に、満足そうにうんうん頷いている。

「いやー、親が土建業のクラスメイトと、数学バカの健二が出会った結果、誕生しちゃったんだよなー」

 骨組みは本物だから安心して。そう言う佐久間の視線の先、人だかりの向こう開け放たれた特別教室の中で、あろうことかジェットコースターが滑走しているのが見えた。そのたび歓声がわっと上がる。

 座席が連なっている訳じゃないから実際はトロッコみたいなものだけれど、スピードも結構出ているし、障害物として風船を当たりそうで当たらない位置に設置してあったり、ある地点を通過する度に鈴が鳴ったり、短いながらもレールの下を潜るルートだったりと、様々な工夫がしてあった。レールと教室内の装飾にも凝っていて、出て来た客は数分の出来事なのに興奮冷めやらぬ様子で、大人も子供も関係なくはしゃいでいる。

「こんなのが室内にあるのが、信じられない」

「ホラ、俺たち来年受験だから、もうクラス展示はなくてさ。部活の方は自由参加になるし、今回が事実上の最後ってわけ。だからちょっと凝ったヤツ作りたかったんだよな、みんな」

 一応参考資料もあったし、と続ける佐久間の声に被さるように、入り口の係が大きな声で呼び掛ける。

「48番の岸田さん、どうぞー」

 その声に健二が何かを思い出したように制服のズボンを探って紙切れを取り出すと、佳主馬に渡して来た。

「はい」

「え、」

 受け取って確認してみれば、そこには50、という数字が書いてある。もしかして、と顔を上げれば健二が微笑んで佳主馬を見ていた。

「迎えに行く前、きみの名前で順番予約してたんだ」

「お、49番行った。ささ、池沢君。ずずいと前へ」

 健二が自信を持って作ったというのだからもちろん乗ってみたかったけれど、朝の早い時間だというのに次々人が集まっているのを目にして、これは並んでも昼まで掛かると早々に諦めていた佳主馬にとって、完全な不意打ち。

 予想外の展開に驚いて動きの止まっている佳主馬の背中を二人はぐいぐい押して、係のクラスメイトがその様子を笑いながら見て、佳主馬の手から予約番号の紙を回収する。

「いってらっしゃい」

「いってらー」

 そうしてはっ、と我に返った時には、レールの上。