別にアトラクション系は得意だし、遊園地のそれよりも迫力はなかったけれど、座席の部分が木造の手作りでそういう意味ではスリルも充分にあり、レールが短い分あっという間でそれが惜しかった。

「写真はいかがですかー? ばっちり撮れてますよ!」

 座席から立ち上がった途端、傍に立つ声を掛けられる。見れば腕に写真部、という腕章を付けてデジタルポラロイドカメラを持っていた。校内、無許可の撮影は禁止されているから、写真部に頼らないと写真は手に入らない。けれど、佳主馬は自分の写真を集める趣味を持ってないどころか、今現在の発育不良な姿なんて記録に残したいとは全く思ってないので、断ろうと口を開く。

「いいで、」

「えっ、いらない?」

 ひょい、と健二が話に入ってくる。佳主馬は肩を竦めて健二を見た。

「…自分の写真とか、どうしろって?」

「聖美さんに見せたりとか」

 今朝、笑顔で送り出してくれた聖美を思い出す。行けないことを残念がっていて、確かに説明するのに要るかも知れない、と思い直した。基本、無口な佳主馬にこのジェットコースターを口で上手く説明出来る自信が全くない。

「…判った」

「ぼくも貰って良い?」

 笑顔の健二が起こした再びの不意打ちに、佳主馬は動揺を必死に抑えて辛うじて頷くので精一杯だった。

(健二さんは、何も考えてない。特に意味はない。意識するだけ負け!)

 文化祭の記念に欲しがってるだけだ。この天然凶器の威力は相変わらず半端ない。それでもこの学校に居る間に、健二の写真を強請る口実を貰えたと思えば佳主馬の機嫌も上がる。

 モバイルプリンターで出力している間、写真部員が、ちら、と佳主馬を見て健二に話し掛けた。

「小磯の…弟じゃないな。友達?」

「うん」

 佐久間じゃない同年代と会話している健二を初めて見る。注視するのはまずいだろうと視線は外して、せめて耳に集中した。クラスメイトというだけで、健二も少し気易い感じだ。まだ佳主馬と一緒の時の方が、緊張している気がする。同じ歳というのはそれだけで距離が近い。羨ましい。

(もし、僕が健二さんと同じ歳だったら、)

 どうなっただろう。自分のクラスに健二が居るのを想像してみる。・・・イマイチ上手く想像出来ない。少なくとも、健二さんとは呼んでない。こいそ。小磯。なんだか他人行儀のようで、どうせなら佐久間と同じく健二、と呼びたい。

「へー。んじゃホラ、クラスメイト価格で半額な」

「ありがとう」

 健二が本当に嬉しそうに写真を受け取るので、佳主馬はいつもなら興味もなくさっさと仕舞う写真も、思わず念入りにチェックしてしまう。でもまじまじと自分の写真を見るのに耐えられなくて、すぐに肩に掛けていたバッグの中、パンフレットの隙間に入れた。たぶん、変な顔はしてない、はず。

 それから健二と佐久間の二人は、パンフレットを元に佳主馬を色んな所へと案内してくれた。途中、気になる展示には次々参加していく。クラス展示の係は明日に回して貰っているらしい。

「調理部のウェディングケーキ、アレ凄かったなー。なにあの飴細工。神かよ」

「チョコレートで出来たお菓子の家も凄かったね。あれは最後やっぱり食べるのかな?」

「チョコレートは日持ちするから、冷蔵庫に入れておけば一年はいけるんじゃない」

 会話を交わしている最中、健二が不意に腕時計を確認する。時間は昼になろうとしていた。

「あ、そろそろ時間だ。 行こう」

 健二が佳主馬を促して歩き出すのに、何の時間なのか、気にはなるけれど大人しく付いていくと、前方が次第にうるさくなって来たことに気が付く。前方の廊下の先、通り抜けることも出来ないほどの物凄い人集りがあった。どうやら人気の展示があるようで、人集りが道を塞いでいる。列整理も間に合ってなさそうだ。

「…まさか、あそこに行くつもり?」

「うん、そのまさか」

 佳主馬が少しうんざりしながら健二を見れば、佐久間も立ち止まってうわあ…、とため息を吐いたきり動こうとしない。一体何があるのか、とパンフレットを探った時、人混みの中から赤い着物と紺の袴に白いエプロン、それから茶色のブーツを履いた、見慣れた人物がするりと出て来た。こちらに気付いて元気よく跳ねる。

「来た来た! いらっしゃーい!!」

「夏希姉」

 よく見れば牝鹿の付け耳が頭の上に付いている。なるほど、この人集りは夏希の言っていたアバターコスプレカフェに来た客か。この調子では床が抜けるまではないけれど、客よりも販売物の方が先になくなってしまいそうな程の盛況ぶりだ。あの事件のことを覚えている人間は少なくても、この学校内では夏希はアイドル的存在らしいし、これだけの人数を動員してもおかしくない。

 駆け寄って来た夏希が、二人にお辞儀をして言う。

「健二くんも佐久間くんも、協力してくれてありがとう! プリクラ、オリジナルフレームもすっごく好評なんだ」

「良かったです」

「凝った甲斐がありましたね、先輩」

「ホント、こんなに盛り上がってくれて嬉しい。 で、本日の主役もちゃーんと来たわね!」

「…僕?」

 夏希が佳主馬を見るのに意味が判らず首を傾げれば、夏希は強引に佳主馬の手を取って人混みの方へと歩き出した。行列の客達からの注目が一気に集まるのも気にせず、夏希は歩みを進める。

「はーい、ご予約様入りまーす!」

 行列の前でそう断って、四人はカフェの中へと入った。途端、各自自分のアバターに扮した剣道部員達がホールスタッフをしているのが目に入る。姿は様々、夏希のような人タイプも居れば、着ぐるみを着ている人も居るし、克彦たちのようにロボット風の人もいた。みんな、アバターの格好の上からエプロンを着けている。

 テーブルに着いていた客達が『予約』の言葉に不思議そうに佳主馬たちを見るのもそのまま、夏希によって一番奥のテーブルへと案内される。テーブルには『予約席』のカードが置いてあった。

「はい、座って。あなたはここ」

 夏希に椅子を引かれて、剣道部元主将の手で上から肩まで押さえつけられては、佳主馬の細い体では立っては居られない。大人しく席に着く。

「予約席? っていうか、主役ってなに」

「お世話になった健二くんと佐久間くんの頼みでね、特別に用意したの」

 佳主馬の背後に立ったままカードを回収しながらそう言った夏希は、同じように席に着く健二と佐久間ににっこりと笑いかけた。二人もにっこりと笑い返す。なんだ。気が付けば、他の部員達もこのテーブルの周囲に集まっていて、やっぱりにっこりしていた。物凄く、あやしい。

 周囲の人間達の笑顔に警戒しながら動きを見守る佳主馬の右隣りで、コホンと佐久間が咳払いをする。

「えー、では」

 そこで健二とちらり、とアイコンタクトした後、同時に口を開く。

「一等賞、」

 そして、大合唱。

「おめでとうございまーす!」

 ぱぱぱぱん、とクラッカーの破裂音が周りから立て続けに起こって、佳主馬の聴力を一瞬奪った。驚いて声を上げ肩を竦める佳主馬の上からばさりと紙吹雪が舞って、視界を埋め尽くす。

「よく判んないけど、すっげー頑張ったらしいじゃん。おめでとー!」

「篠原の従兄弟くん、おめでとう!」

「従兄弟じゃなくて、又従兄弟だってば」

「どっちでもいいよ、とにかくおめでとう!!」

 あちらこちらから口々に祝福の言葉を言って、拍手が鳴り起こる。つられて室内にいた各テーブルに着いている客たちまでもが、全く関係ないのに次第に拍手の輪を広げていった。その中で、なにも知らないのにそれでも笑顔でおめでとう、と佳主馬に向けて言う人達までいる。

(…なんだこれ、なにこれ、なんなんだ!)

 なにが一体起こってるんだ。

 状況に付いていけずに呆然としている佳主馬の左右で、紙吹雪をところどころ頭に付けたまま、とびきりの笑顔で拍手をしている二人も口を開いた。

「凄かったぜ一等賞! 俺、感動のあまり今でも思い出すたびガチで泣ける」

「うん、ホント格好良かったよ! さすが、か…池沢君だよね!」

「一等賞…って、まさか」

 拍手が次第に鳴りを収めて部員達が引き上げていく中、やっと落ち着いて口がきける状態になった佳主馬が二人を交互に見る。するとサプライズが成功して満面の笑みを浮かべながら健二とハイタッチをしていた佐久間が、そっと声を潜めて囁いた。

「だって言えないじゃん、『ベルト奪還おめでとう』だなんてさ」

 くく、とこっそり笑う佐久間に、今、自分の置かれている状況についてやっとじわじわ実感が湧いてくる。

 この二人は佳主馬へのお祝いを考えてくれて、佳主馬のことを詳しくは知らせず剣道部員達を乗せて、なおかつこの場にいるだけの何も知らない客たちを巻き込んで、こうして派手に祝ってくれたのだ。

 なんだそれ。佳主馬は勝手に熱くなって赤くなる顔を自覚する。でも止められない。さっき驚かされてから心臓はずっと暴れっぱなしで、喉が痛くて声が震える。

「なにそれ…」

「驚いた?」

「驚いたよ!」

 ジェットコースターの時と同じように無邪気に健二が訊くのに、佳主馬は少し自棄気味に返した。

 ――そう。佳主馬は先週末の秋の大会で、無事にベルトを奪還した。

 試合は、熱戦を極めた。防衛戦でキング・カズマからベルトを奪うのではなく、全ての人間がベルトを手にすることが出来る等しいチャンス。【カズマ】が途中で躓き負ける可能性もあって、防衛戦よりまだ確率が高かった。だから誰もが自分の腕を磨いたし、佳主馬がまたベルトを手に入れられるかなんてことは、もちろん決まっているはずがない。

 【カズマ】は以前からの名声もあったけれど、二度負けたラブマシーンを最終的に打ち砕いたことで、OZ中の英雄扱いだ。批判も中傷もその分多いけれど、前以上に注目されていることには間違いない。

 その【カズマ】の、最初の一戦からずっと見守って応援してくれたのは、健二と佐久間だった。

 以前は独りで【カズマ】と昇り詰めた道を、今度は本当の強さを持っている健二が見守ってくれている。そのことは佳主馬に限りない力を与えていた。

 そして【カズマ】が再びチャンピオンに返り咲いた瞬間、OMCのハイスペックな専用サーバーは観客のあまりの興奮と歓喜と大絶叫の渦により有り得ないことにダウンして、佐久間が言うところの『伝説』とやらをまた作り出したのだった。それよりも佳主馬とってはサーバーダウンで決勝戦のログが消えてしまった場合、すぐに再試合になるかどうかの方が重要だったのだけれど。

 両親に報告したら、以前よりは断然好意的に喜んで貰えた。佳主馬の好物で夕飯を彩ってくれたし、でも学校のことも忘れないでね、そう聖美は釘を刺すことも忘れなかった。師匠もよくやった、それでこそ陣内家の男だ!祝杯だ!と電話をくれて、親戚からもそれぞれメールと電話も貰った。今までよりも多くの身内が祝ってくれた。

 ――でも、クラスメイトの誰も、佳主馬のことを知らない。

 ビジネスでもOZは使われていて、プライベートと分けるためにどちらかのシーンでアバターを非表示にしている人間は多い。佳主馬はクラスメイトとのやり取りは全てアバター非表示だ。今までずっとそうして来たから、クラスメイト達は知りようもないし、佳主馬も基本的に教えようとは思わない。やっかいごとの種になるかも知れないのなら、無闇に教えたりしないのは鉄則だ。

 だからこんな風に、家族や身内以外に祝われたことが、ない。

 健二だって試合終了後電話をくれたし、そこには佐久間も居て二人からの涙ながらの祝福も貰った。ずっと見ていてくれて、自分のことのように喜んでくれて、それで充分嬉しかったのに。

「はい、これは私たち三人からのお祝い。おめでと」

 夏希がそっとケーキボックスをテーブルの上に置いて、ミニホールのデコレーションケーキを取り出す。

 それを見てやっと、佳主馬は言うべき言葉で、一番言い慣れてないそれを、小さく口にした。

「…ありがとう…」