池沢くん。『親友の条件』ってさあ、何だか知ってる?

 小学校の頃、怪我を診てくれた養護教諭が言っていた言葉を思い出したのは、今目の前に佐久間が居て、場所が相変わらず小汚い(あのギターはいったい誰が弾くのか。…佐久間?)物理部だからだろう。文化祭の展示は別の空き教室を使っているけれど、裏方の仕事をしている佐久間はいつものように部室の定位置に収まって、パソコンに向かっていた。別に作業をする必要はなく、ただ展示に異常がないかの監視をしているだけで、暇そうにしている。

 そして佳主馬はその制限時間3時間の展示に参加して、戻って来たところだ。

 夏希の提案でケーキを前に写真を撮る羽目になった佳主馬たちは(夏希は相変わらず見事な機械音痴っぷりを発揮して、データを転送して貰えばいいのに恐ろしいことに親戚の人数分写真を欲しがって、写真部を慌てさせた)ケーキと一緒に昼食を済ませた後、午後から物理部展示の仕事がある二人の案内で部室へと向かった。

 そこでやっと判明した物理部の展示は、景品が久遠寺高校限定アバターアイテムの、校内スタンプラリーだった。

 参加料を支払ってOZ内の文化祭期間限定コミュニティのパスワードを手に入れ、携帯からOZにログイン、コミュニティ入室の時にそのパスワードを入力してエントリーすると、スタンプ帳とコースのヒントが提示される。ログインしたまま、ヒントの通りに進んで学校の至るところにある、スタンプラリー用バーコードを携帯で読み込むと、スタンプと次のヒントが手に入る。そうやってスタンプが規定数埋まれば終了、制限時間内にコミュニティマスターにスタンプ帳を提出すれば、アイテムがプレゼントされる。

 参加賞は制服一式、+コースに含まれる文化祭の展示利用で、展示にちなんだレアアイテム追加。コース外のスタンプ数次第で更にレアアイテムが貰える仕組みだ。コースは十数通りあって、演劇部などの開演時間が決まっているコースもまた、レアだった。

 本来アバターはOZだけでしか使えない、特殊な拡張子を使っている。それはOZ内での各種データの保護を示していて、OZ以外にデータを移動したりコピーしたり、拡張子を変換して使用することが出来ない。だが、OZ内でのデータのやりとりは可能だ。

 ネット上で配布している素人が作ったアバターアイテムも、OZのコンバータ経由でマイページにアップロードし(コンバータを経由することでOZで使用出来る拡張子に変換される)、課金しなくてはアバターアイテムとしては使えない。

 この物理部スタンプラリーの景品はOZ内でのデータのやりとりだから、アップロードは済んでいる状態。あとはマイページでアイテムごとに課金さえ済ませれば使えるようになる。

 アバターアイテムは素人が作るには行程と調整に手間がもの凄く掛かる。だから、ネットで配布されていても大抵有料だ。それを物理部は参加料だけでほぼ、無料配布しているのと変わらない。朝、ギリギリまで作業していたという二人の様子を思い出す。あんなに大変な思いをしようと利益も考えずにただ楽しめるのが、文化祭の醍醐味なのかも知れない。

「おかえりー」

「……健二さんは?」

「貸し出し中のPCがトラブル起こして、その様子を見に出てる。…ちょ、キングなにこのレアアイテム獲得数!! え、実はタイムアタックも狙ってた?」

 さすがキング、タイムを競わせたらハンパぬぇー!

 周囲に誰も居ないので『キング』解禁した佐久間が、コミュニティマスターとして提出されたスタンプ帳を見たのだろう、PC画面を見ながら驚くのに、肩に掛けていたトートバッグからノートパソコンを取り出しながら答える。

「欲しかったし。答えも知ってたようなものだしね」

 一度利用した展示はパンフレットにスタンプが押される。それを見せれば再入場が可能だ。最初、展示を見て回る際全く関係ないところに突然バーコードがあれば、不思議に思う。その記憶を元に遡って行っただけでかなりの数を見つけられた。

「午前中色々見て回ったのって、バーコードの確認もあったんじゃないの」

「はは、ご名答。そうなんだよ。ギリギリまで作業してたもんだから、確認するの遅れてさー。でもあれが全部って訳じゃないし。しっかし、よくこれだけ見つけたなー。ってキングちょい待ち」

 ノートパソコンの起動を待ってOZへログインする間、佐久間が佳主馬を呼び止め小さな音を立てて素早くキーボードを操作する。

「ギフトコード送っといた」

 佳主馬のログインと共にポン、と軽い電子音が響いてポップアップウィンドウが表示された。ギフトコードはOZ決済専用電子マネーで、こうした時の賞品には良く使われる。

 スタンプラリーには一応タイムアタックが設定されていて、上位10名はその成績に応じてアバターの登録料サービスの特典があった。けれどそれは初日の結果だけで判断出来ないから、後日該当アカウントに、ギフトコードが送られることになっていたはず。

「まだ、結果は判らないんじゃない」

「いや、演劇部とか時間の掛かるヤツはスルーだけど、ほぼコンプリートに近いでしょ、これ。これより上を狙えるのは物理部員くらいだって」

 そう言いながら佐久間が横からモニターを覗き込んでくるのに、佳主馬もアバターアイテムページを開き、手に入れたばかりのデータを眺める。

「ユニフォームは大抵揃ってんなー。お、ジャージもゲットしてるとは…やるなキング」

「物理部のレアアイテムはないの?」

 佳主馬が訊けばにやりと笑った佐久間の指がノートパソコンへと伸び、スクロールしてページの一部分を指差した。

「メガネ+白衣+実験器具の理系カフェセット!」

「まだそのネタ続いてたの佐久間さん!」

「またの名をガリレオセットです」

 きらりとメガネを光らせるところではないと思うけれど、佐久間のこだわりらしいので佳主馬は見なかったことにして沈黙を選んだ。

「あー、でもキングって、アレだろ? スポンサー指定のアイテムとかあるよな」

 久遠寺セット使う時なくね?、と佐久間が言うのに首を振る。

「そうだけど、スポンサーが関係ない部分もあるし」

 ラブマシーンの時にキング・カズマを色々弄れたのは、スポンサーが居なかったからだ。今も少しカスタマイズしたけれど、通常使うグローブやスニーカー、ジーンズはスポンサーのものを使っている。また、企業主催のイベントの時は、専用に一式誂えられたものを着用することもある。広告塔なのだからそういうのは仕方がない。それに、大手企業のものはアイテムアクセサリーとして使い勝手が良いのもまた事実だ。

 佳主馬は【カズマ】の着せ替え状態に慣れているから、生理的にダメだと思うもの意外は、特に何を着ることになろうと感じることはない。

「OMCとは関係ないストリートファイトに、ジャージ来て出るとか」

「ジャージって、それ丸腰と同じですからー!」

 アバターアイテムは、OMCに於いてなんの効果もない。OMCのアイテムアクセサリーとアバターアイテムは別物で、OMCアイテムアクセサリーはステータス変動するものが通常。そういうパラメータを変更するものは素人には作れず購入か賞品で手に入れるしかなく、だからジャージだけだと基本ステータスそのまま、ということになるが、そういう無謀なアバターはそうそう見ない。

「てかキング・カズマにジャージってあり!? せめてユニフォームじゃね!?」

 言いながら想像したのかぶふっ、と佐久間が口元を押さえるけれど堪えきれず噴き出す。

「うちの芋ジャーで戦うキング・カズマ! なにそのレアキング。見てみたいような…俺の中の孤高のキング・カズマが汚されるような…。つか、ジャージっつったら、部屋着だろ」

「じゃあ、プライベートルームに入ると、ジャージに着替えるように設定する?」

「…見てみてえ…!」

 だめだこの誘惑断ち切りづらい、ああでもあのキング・カズマが芋ジャーで部屋でだらだらしてんのとか、と隣でぶつぶつ苦悩している佐久間を無視して課金をすませ、設定する。そしてプライベートルームを開いた途端佐久間は大爆笑し、【カズマ】の見慣れない姿にさすがの佳主馬も声を出して笑った。

「あっはっはっ! すげぇー! キング・カズマが俺の作った久遠寺ジャージ着てる! うっわ嬉しいけど申し訳ないっつーか、全然似合ってないとこが最高!」

 佐久間が横隔膜を引き攣らせながら机に凭れて笑っている。画面の中の【カズマ】はマイクから佐久間の声だけを拾ってぴくぴく耳を反応させているけれど、特になんの指示も出してないからただ佇んでいるだけだ。

「…とりあえず、トレーニングでもさせとく?」

「キングもうやめてー。俺の腹筋が死ぬー」

 とうとう床に蹲って視界からノートパソコンを外している佐久間の震える丸まった背中を見ながら、佳主馬は帰ってきた時頭に浮かんだことを不意に思い出して、頬杖を付き声を掛けた。

「佐久間さん、『親友の条件』って知ってる?」

「んあ? なに突然。どしたのキング」

 佳主馬を振り返った佐久間がメガネのレンズの下へと指を潜らせて、涙を拭い立ち上がるのに、続ける。

「夜中の12時に、自動車のトランクに死体を入れて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って相談に乗ってくれる人」

「はぁ?」

「佐久間さんは、乗ったよね」

 ラブマシーンに最初、健二のアカウントが乗っ取られた時も、合戦だと告げた時も。健二の絶対にして唯一の味方だったのは、佐久間だ。

 佳主馬にしては珍しく、佐久間のことは嫌いじゃない。むしろ友人として、とても付き合い易い部類の人間だ。きっと佐久間は少々パソコンオタクなものの友人を作るのが上手いタイプで、精神的に大人なんだろうと思う。空気を読むのが巧いし、頭の回転も健二と同じくかなりいい。

 なにより友人が選び放題の中、健二を親友に選ぶところが、佳主馬にとって最も好ましいところだった。

 それでも、健二の傍に居られるのは、約束しなくても毎日会えるのは、純粋に羨ましい。

 二人が様々な部分で、息が合っているのを今日は朝からずっと見せつけられたのも、本当は苛立つような切ないような、複雑な心境だった。それでもその息の良さは佳主馬のために見せられることが多かったから、胸が苦しくなることもなかったのだけれど。

 自分と健二にはまだ、わずかな隔たりのようなものがあって、佐久間へ向けるような無条件の信頼を、健二から与えられてはいない。もちろん出会ったばかりでまだそんな時期でもないとも思うけれど、佳主馬はその隔たりを越えていいのかどうかすら、判らない。

(無遠慮に踏み込んで嫌われたく、ない)

 そう思うと同時に、【KK】のことも頭をよぎる。手遅れになっているかも知れない相手のこと。健二のことも、【KK】のことも、このままどうしたらいいのかなんて、佐久間はたとえ悩んでもきっと迷ったりしないだろう。

 先程のこともそうだ。

――僕のお祝いをするって、どっちが言い出したの」

 健二なら嬉しいけれど、あの通常は引っ込み思案な健二よりは佐久間の方か、と予想をつけて問う。

 どちらが言い出したにしても、互いに話に乗ることには間違いない。彼らは親友で、健二も佐久間になら、進んで相談するのだろうし。

 そもそも、佳主馬は健二にとって友人でも年下なのだから、相談なんて受ける立場なんかじゃない。だから頼られることもない。

(健二さんは色々言ってくれたけど、)

 ラブマシーンの件以来で、佳主馬が健二の力になれることなど、なにもないのだ。

(中学生なんて、年上から見ればただのガキだ)

 そんなこと、佳主馬自身が嫌と言うほど知っている。真吾や祐平たちと変わらないだろう。手間が掛からなくて五月蠅くないだけまだマシな程度の、子供。

 本当は近いところ、体温を感じられるところで、健二の喜びも悲しみも、なにひとつ取りこぼさず居られたらと思う。

 けれども、それは夏希の権利で佳主馬が得られるものではないから、せめて。出来るだけ早く、いつかは佐久間と同じくらいには信頼されたい。

 佳主馬は佐久間のようなタイプではないから、簡単にはいかないだろう。何より佳主馬は人付き合いに慣れてない。その所為で健二を傷つけたり距離を取られたり、…嫌われて会えないことになったら、と思うと、きっと後悔してもしたりない。

 ――【KK】のように。